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僕が中学生ぐらいの時に、トランプのゲームでダウトというゲームがあった
こんな所でトランプゲームの内容に時間を費やすのは勿体無いので、説明は省きますが、なかなか終わらないゲームだった
実はダウトの意味は疑い
今回紹介するダウト~あるカトリック学校で~のテーマがその疑いによって、疑心暗鬼の気持ちによる弊害を描いたドラマ
この映画の時代背景には1963年に起こったケネディ大統領暗殺事件の翌年の1964年のカトリック学校が舞台になっている
アメリカ人たちはこの事件により、大きな希望を失った失望感、そして何を信じたら良いのかわからない全てのことにダウト(疑い)の気持ちを持たざるを得なかったことがこの映画の根底に流れている
アメリカ人の意識改革が求められていく時代の流れに、カトリック学校も変革を強いられる状況にあることが例外ではないというテーマが非常に重要なテーマとして挙げられる映画です
それではストーリーを紹介しよう
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1964年のカトリック学校において、フリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、説教をしているこの時の彼の説教は難破船を例に出して、迷った時には自分の信念に従いなさいと説いている観客席からは拍手喝采
彼は厳格なイメージのあるカトリック学校を、もっと一般市民にも開かれた、親近感のあるイメージに変えようとする進歩的な考え方を持っていた
それ故に彼は生徒達からも好かれていて、その親たちからも評判が良い
一方、このカトリック学校の校長であるシスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、厳格的なイメージを持ったカトリック学校のイメージを保つことを考えていて、生徒からは恐れられているあくまでもカトリック学校のこれからについては、非常に保守的な考えを持っている
ある日、シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムスの授業中に黒人の少年がフリン神父(ホフマン)に呼び出される
その後にシスター・ジェイムズ(アダムス)はフリン神父(ホフマン)の様子を見て、フリン神父(ホフマン)が黒人の少年に性的嫌がらせをしたのではないかという疑いを持つ
彼女はその事をシスター・アロイシス校長(ストリープ)に報告する
その話を聞いてシスター・アロイシス校長(ストリープ)はフリン神父(ホフマン)に黒人少年との間に何があったのか、厳しく追求するがフリン神父(ホフマン)は黒人少年と個人的に話をしていただけだと答える
しかしフリン神父(ホフマン)には過去に理由はわからないが度々学校を異動して来た経緯があり、シスター・アロイシス校長(ストリープ)には、いつか彼が問題を引き起こすだろうという考えがあり、ついにその時が来たと感じた
しかしフリン神父(ホフマン)はシスター・ジェイムズ(アダムス)に、これからのカトリック学校が変わっていかないという考えを彼女に告げるしかも黒人少年のことについても、この学校には黒人の生徒が1人だけだから彼が他の生徒に苛められていないか心配をしていると言うことを聞かされる
シスター・ジェイムズ(アダムス)は彼の言葉を聞いて、フリン神父(ホフマン)に対して尊敬の念を持つ
その頃シスター・アロイシス校長(ストリープ)は、黒人少年の母親のミラー夫人(ヴィオラ・デイヴィス)と会い、黒人の少年について聞き出したが、ミラー夫人(デイヴィス)はフリン神父(ホフマン)のことを感謝していた
しかし、この黒人少年には驚くべき真実が・・・
シスター・アロイシス校長(ストリープ)の部屋にいきなりフリン神父(ホフマン)がやって来る
今や黒人少年とフリン神父(ホフマン)の間に何かがあったことは彼女には限りなく確信に近い疑惑を持っているしかし、何ひとつこの確信には証拠が無い
その証拠が無いことを盾にフリン神父(ホフマン)は黒人少年に対して性的イタズラはしていないと言い張る
しかし、シスター・アロイシス校長(ストリープ)は神から遠ざかっても真実を究明するために、フリン神父(ホフマン)に対して罠を仕掛けるが・・・続きは映画を観てください
保守的な考え方のメリル・ストリープと、改革的考えを持つフィリップ・シーモア・ホフマンの考え方の違いがあるのだが、黒人少年の出来事に対する事からお互いの間で激しい対立が起こってしまう
またその間に立たされて苦悩するエイミー・アダムスも苦しみ、悩む姿にカトリック学校の苦しい立場を代弁しているように見える
ネタ晴らしになるが、結局この事件の真相は闇の中最近どうも、このような最後の真相がはっきりしない映画が多く感じるのは僕だけか
最近スイミング・プールという映画も最後ははっきりしないどころか、観ている側を混乱させる終わり方(最近と言っても2003年の映画だけれど)、他にもマルホランド・ドライブと言う意味不明のまま終わるような映画もある
他にももっとこのようなはっきりとした結論を出さない映画が多いと思うこの映画は確かにあくまでダウト(疑惑)をテーマにした映画なのでこのようなパターンもアリダと思うが、実はこのようなテーマは既に60年前に黒澤明が羅生門で描いているテーマなのだ
人間が人間を裁くことの難しさをこのダウト~あるカトリック学校で~を観ていて感じたけれど、羅生門の方がもっとそのようなテーマを鮮明に打ち出している
この映画を観て、改めて黒澤明は凄い監督なんだと思う
しかし今の日本もダウト(疑惑)だらけ
日本の政治なんか不透明な部分があり過ぎて、国民目線で見てもダウトだらけ
今の日本の政治では本当に将来が不透明すぎて、これからどうなって行くのか不安を感じている人が多いだろう
そんな僕も最近は人間不信に陥ってしまったのか、まわりの人間にダウトと心の中で叫ぶことが多いです
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