褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 ギャング・オブ・ニューヨーク(2002) ニューヨークに対する熱い気持ちが伝わる? 

2023年10月17日 | 映画(か行)
 各ヨーロッパの国々でロクな目に遭なわかった人々が、心機一転と夢を膨らませて、船に乗ってやって来たのがアメリカであり、だからあの国は移民国家と呼ばれる。今はメキシコ経由でラテンアメリカ系の不法移民が多く、合衆国政府もその対策に頭を悩ませているのはご存知の通り。ちなみに今回紹介する映画ギャング・オブ・ニューヨークは19世紀の半ばのニューヨークを舞台にしており、南北戦争、ジャガイモ飢饉によるアイルランド人移民といった歴史的背景をモチーフにギャングの抗争、そして復讐劇が描かれている。
 最初にイギリスから海を渡ってきたWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)と、彼らにとっては後からやってきて何かと鬱陶しいアイルランド系移民の縄張り争いが、冒頭から血みどろのエンジン全開で描かれている。ド派手なシーンを描きながらも、移民国家アメリカの抱える難題も盛り込まれている演出が上手い。アメリカって一攫千金の国だと植え付けられている人が本作を観ると、縄張り争いを繰り広げる意味が理解できないままの可能性があるだろう。
 しかし、そんなことは理解できなくても縄張り争いによってカトリックの神父である父(リーアム・ニーソン)を殺された主演のレオナルド・ディカプリオの復讐劇としてだけとらえると非常に単純な映画。しかし、前述したような歴史的背景、アメリカが建国以来抱える移民問題、そしてあの2001年の9.11事件(アメリカ同時多発テロ)を思うと、観終わってから本作の奥の深さを感じる人も居るだろう。

 かなりブ千切れている男同士の熱い戦いを描いたストーリーを紹介しよう。
 1846年のニューヨーク、ファイブポインツにおいて。アメリカ生まれであることを誇りにするビル(ダニエル・デイ=ルイス)をリーダーとする「ネイティブ・アメリカンズ」と、そのネイティブ・アメリカンズから虐げられていたアイルランド移民をヴァロン神父(リーアム・ニーソン)が束ねる「デッド・ラビッツ」が長年の因縁から抗争が勃発。その結果はビルがヴァロン神父を刺し殺す。その様子を見ていたのが、まだ幼いヴァロン神父の息子であるアムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)。アムステルダムはプロテスタント系の刑務所に入れられる。
 それから16年後にアムステルダムは出所し、ファイブポインツに戻ってくる。目的はビルに対する復讐。彼は運命の女性であるジェニー(キャメロン・ディアズ)と出会い、意気投合。しかし、かつてのデッド・ラビッツの仲間達はビルの手下に陥っており、ファイブ・ポインツ全体がすっかりビルの手中に収まってしまっていることに落胆する。それでも復讐に燃えるアムステルダムは持ち前のガッツと執念でビルの組織に入り込むことに成功し、復讐のチャンスを待つのだが・・・

 19世紀半ばのニューヨークを作り上げたセットが素晴らしいし、その時代の状況が上手く描かれている。毎日の如く、ジャガイモ飢饉に襲われてしまったアイルランド人が港にやって来る様子、南北戦走が起きる前と起きている最中の日々、そしてビルに支配されて貧乏人の巣窟になってしまっているファイブポインツの街、白人、黒人、中国人がごった返している状況など、当時のニューヨークを感じさせるものがある。
 そして、ネイティブ・アメリカンズのリーダーであるビルを演じるダニエル・デイ=ルイスのキャラクター設定が凄い。肉屋を営んでいるせいなのか包丁、ナイフの使い方に長けていて、人殺しにもその特技を活かす。キャメロン・ディアズを包丁投げでビビらすドエスっぷりには見ている俺もビビった。本作の監督であるマーティン・スコセッシは人間の奥底に秘める狂気を炙り出すことに長けているが、本作のダニエル・デイ=ルイスは最初から狂気そのもの。見た目からヤバい。
 一方、父親を殺された復讐に燃えるレオナルド・ディカプリオだが、意外にキャメロン・ディアズと出会うところまではけっこうマトモな人間に見えたのだが、途中から復讐の鬼と化す。本来ならばここの当たりの演出はマーティン・スコセッシ監督の本領発揮といきたかったところだが、まだアイドル路線の最中だったレオナルド・ディカプリオの力量不足なのか、ダニエル・デイ=ルイスのハッスルし放題に完全に押され気味。まだあどけなさが残ってしまったのが残念。
 そして、このようなひたすら狂っている人間を描くのに3時間は長すぎる。キャメロン・ディアズが出演しているシーンをもっと短くしても良かったんじゃないか。他にももっと削れるところがあったように思う。
 最後の2人の対決をニューヨーク徴兵暴動を絡めて描いたところは、なかなかの演出。スコセッシ監督のニューヨークに対する熱い想いが全編に渡って感じられた。ニューヨークが好きな人、3時間の映画でも耐えられる人、狂気に侵された人を見るのが好きな人、マーティン・スコセッシ監督と聞いて心が躍る人等に今回はギャング・オブ・ニューヨークをお勧めしておこう

 監督は前述したとおりマーティン・スコセッシ。ロバート・デ・ニーロとのコンビで傑作多数。その中でも今回はキング・オブ・コメディをお勧めに挙げておこう






 
 
 
 













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映画 クイルズ(2000) 言論の自由について考えさせられる?

2023年10月12日 | 映画(か行)
 あの人はドSだ、なんて言ったり言われたりする人が居るが、Sの意味は『サディスト』のこと。実はその語源は実在の人物であるマルキ・ド・サド(サド侯爵)からきている。今回紹介する映画クイルズは、そんな彼の晩年を描いた作品だ。一体、マルキ・ド・サドって何者?と思われる人が居ると思うがナポレオンが活躍していた時代の小説家。そして、その作品の殆どを獄中&精神病院で執筆したという個性的な男だ。

 そもそも何でそんな場所で彼は執筆しなければならなかったのか?それではストーリーの紹介を。
 猥褻な文書を発表したことにより、皇帝ナポレオンの指令によって精神病院に入院させられたサド侯爵(ジェフリー・ラッシュ)。彼の書物は全て発禁処分を受けていた。しかしながら、彼はカネの力と機転の良さで理事長であるクルミエ神父(ホアキン・フェニックス)から精神病院の中でも豪華に振る舞ったり、執筆することを許されていた。
 しかし、彼の作品が小間使いであるマドレーヌ(ケイト・ウィンスレット)を通して、匿名で発刊されフランス中で出回ることになってしまう。その内容からサド侯爵の作品だとナポレオンが勘づいてしまい、彼を監査するために悪名高きコラール博士(マイケル・ケイン)を精神病院へ向かわせる。
 サド侯爵からコケにされたこともあり、コラール博士はサド侯爵を徹底的に弾圧し、彼の大事なペンを取り上げて執筆させないようにするのだが・・・

 常日頃から何か(エロい事ばかりだが)書きたい欲求に駆られるサド侯爵。彼は言論の自由を守るために、権力者にペンを持って立ち向かう!と書きたいところだが、肝心のペンをアッサリ奪われてしまう。これで彼の執筆活動は終わってしまうのかと思いきや、彼の執筆に対する欲求、執念は俺の想像をはるかに超えた。この部分はネタバレは厳禁なので伏せておく。
 特に前半は下ネタが多めでコミカル感が漂うが、後半にかけては少しばかりエグイ場面も出てきたりする。よって親御さんは子供と一緒に観ないようにする方が無難か。ちなみにタイトルのクイルズ(Quills)の意味だが、羽ペンのこと。本作でも重要な役割を果たしています。
 少々古い映画だが、今でも活躍中の豪華キャスト陣で、そのアンザンブルも見所か。少々癖が強い映画なので観る人を選びそうだが個人的には楽しめた。どういった人にお勧めしたら良いのかが、判断しづらいが、チョット挑戦してみようという人にクイルズをお勧めに挙げておこう

 監督はフィリップ・カウフマン。お勧めはテストパイロットと宇宙飛行士を対比して描いたライトスタッフ、そしてプラハの春を背景にした文芸作品存在の耐えられない軽さがお勧め








 
 

 


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映画 カッコーの巣の上で(1975) 人間の尊厳と自由を描く

2023年09月10日 | 映画(か行)
 日本人の中にはこの世の中は、何て不自由なんだと嘆いている人も居るかもしれない。しかし、他国には未だに生活を見張られている管理社会の国がある。そんなことを思うと日本人に生まれてラッキーだと思う今日この頃である。さて、徹底的に管理された社会において尊厳と自由を求めて戦いを挑む男を名優ジャック・ニコルソンが演じる映画が今回紹介するカッコーの巣の上で。権力を利用して、人間を抑えつける管理社会の酷さを本作から感じることができる。

 精神病棟内を舞台にしながらも、人間の尊厳と自由を謳い上げるストーリーの紹介を。
 刑務所での重労働が嫌でメンタルが壊れたふりをして、精神病棟に入院することになったマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)。しかし、そこで見たのは婦長であるラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)が自らの定めたルールで患者を押し付ける姿と、従順すぎるほどラチェッドに従う患者たち。そんな様子を見てマクマーフィーはラチェッドに対して反抗的な態度をとっていく。毎日行っているグループセラピーを止めて野球のベースボールシリーズを観ようと提案したり、一緒の部屋で入院している患者たちを無断で連れ出して海へ連れて行ったり等、少しでも自由を謳歌させてやろうとする。しかし、そんなマクマーフィーの行動はラチェッドの怒りに触れることになり・・・

 徹底した管理社会における息苦しさを感じさせる。弱き精神病の患者たちを圧倒的な権力でもって理不尽な態度で抑えつける。そこへ救世主としてイエス・キリスト様の如く登場するのがマクマーフィー。まあ、イエス・キリストとマクマーフィーでは動機が全然違うので同列にするな!と文句が聞こえそう。しかし、マクマーフィーの行動は非常にキリストと共通点が多いことに本作を観た人にはわかるだろう。
 マクマーフィーに訪れる運命はまさにイエス・キリストと近いものを感じさせる。そして、彼の行動は精神病患者だけでなく意外な人物にまで影響を与える。これが最後に大きな感動を呼ぶことになるのだ。本作を観ると最初に手を挙げて行動を起こすことの勇気を感じさせるし、この世の中に存在する独裁体制の国家に対するアンチテーザも見てとれる。本作の中でラチェッドが多数決を否定するシーンがあるが、なかなか本作のテーマを表しているようで印象的な場面だ。
 既に名作としての評価を高めている作品なだけに多くの人が観ているかもしれないが、まだ観ていない人は今すぐにでも観ることをお勧めしたい映画として今回はカッコーの巣の上でを挙げておこう

 監督はチェコスロバキア出身のミロス・フォアマン。モーツァルトを主人公にしたアマデウスも彼の作品で名作。名作を2本を撮りあげただけでも名監督と言えると思います。他にもポルノ雑誌のハスラーの創刊者を描いたラリー・フリント、中世ヨーロッパの恐ろしさを画家のゴヤの目を通して描いた宮廷画家ゴヤは見たもお勧めです







 

 
 
  
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映画 小間使の日記(1964) 上流階級を皮肉る

2023年08月29日 | 映画(か行)
 かつてのヨーロッパでは貴族社会が存在していた名残りか、映画でも召使いが雇われているシーンを多く見かける。今では余程の金持ちでも、召使いさんを雇うような余裕なんかない。そもそもそのような映画を見ていると、そんな事ぐらい召使いにやらせないで自分でやれ、とついついツッコミを入れたくなってしまう。
 さて召使いを雇っている上流階級に対して皮肉的な映画を多く撮っているのがルイス・ブニュエル監督。本作でも上流階級に属すると思われる一家の者を変人扱いしているのが笑える。そんな社会でこき使われる召使いの女主人公であるジャンヌ・モローが何かと理不尽な要求や嫌がらせを受けるのだが、なかなかこの主人公が一筋縄ではいかないメンタルを持ち合わせている。

 上流社会一家のアホさに最初の方はコメディかと思ってたら、途中からはミステリーに変わるようなストーリーの紹介を。
 パリから田舎に出てきて、モンテユウ家に小間使い(召使い)として雇われたセレスチーヌ(ジャンヌ・モロー)。ところがその一家に着くと夫人は嫌がらせをするし、夫のモンテユウ(ミシェル・ピコリ)は女遊びと狩りばっかりやっていて、やっぱりと言うべきかセレスチーヌにも迫ってくる。そして、夫人の老父は婦人靴に妙に執着しており、セレスチーヌにお気に入りの婦人靴を履かして嬉嬉としている。同じく召使いとして仕えているジョゼフ(ジョルジュ・ジェレ)も屋敷の近くに住んでいる少女に対する目付きが何となく汚らわしい。そして隣人である退役した軍人であるモージェ氏が恋人と住んでいるのだが、両家は非常に仲が悪く、モージェ氏はモンテユウ家の庭にゴミなどを投棄してくる。
 ある日のこと、老父はセレスチーヌに履かせた靴を抱きながら死んでしまったり、セレスチーヌが可愛がっていた少女が1週間行方不明になったりで、セレスチーヌはパリに戻ることを決心する。しかし、少女が近くの森で惨殺されて発見されたことを耳にし、少女殺しの犯人を探し出すためにモンテユウ家に戻ってくるのだが・・・

 セレスチーヌはパワハラ、セクハラだけでなくジョゼフからは行動を監視されたりで嫌な目に遭うが、そんなことでは挫けない。時には冷笑を浮かべているような余裕すら感じさせる。これは浮世離れした言動をする上流階級の人々に対する嘲りの態度のように見えなくもない。
 そして、この映画の本領を発揮するのがセレスチーヌが再度モンテユウ家に帰ってから。自分の美貌を武器に少女殺しの犯人らしき人物をあの手この手で陥れようとする手段が笑えた。しかし、本作の結末は意外過ぎるし、何となく嫌な感じがしたりで監督らしさが表れている。
 他にも葉の上に止まった小さな蝶々がデカいライフル銃で撃たれたり、外で斧で薪割りをしていた男がその斧を持って家の中に入って来て扉をぶち破ろうとしたり・・・等など、シュールな場面が多いのも監督らしさが出ていて俺は笑えた。
 ルイス・ブニュエル監督作品と聴いて心が躍る人に、今回は小間使いの日記をお勧めに挙げておこう

 監督は前述している通りルイス・ブニュエル。この人は無宗教なので上流階級と同じように宗教も皮肉るのでよく物議を醸しだした監督です。お勧めは皆殺しの天使ブルジョワジーの密かな愉しみ自由の幻想欲望のあいまいな対象この庭に死す等。真面目な作品も撮りますが、ふざけた作品の方が個人的には気に入っています








  
 


  

 



 

 

 
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映画 過去を逃れて(1947) もの凄い悪女です

2023年07月10日 | 映画(か行)
 サスペンス映画を盛り上げる要素の一つに悪女の存在が挙げられるだろう。美人な悪女であるほど惚れてしまうのは悲しい男の性なのか。そういう意味では今回紹介する映画過去を逃れてはとんでもなく凄い悪女が登場する。悪女によって男が破滅していくようなサスペンス映画の分類として、よくフィルムノワールという言葉が使われるが、本作はその代表作と言っても良いだろう。フィルムノワール作品には本当にモノクロの画像がよく似合う。白黒の陰影が鬱蒼とした雰囲気を醸し出し、想像力を掻き立て、カラーでは出来ないような演出が観る者を惹きつける。

 早速だが、決して褒められたものではない自分を愛してくれる女のために、過去と決別しようと対決に飛び込んでいく男の運命を描いたストーリの紹介を。
 今ではジェフ(ロバート・ミッチャム)は片田舎のガソリンスタンドで働き、アン(ヴァージニア・ヒューストン)という恋人と慎ましく暮らしていた。しかし、そこへジョー(ポール・ヴァレンタイン)が訪れてきて、2人の生活は一変する。
 自分の正体を今まで隠していたジェフはアンに自分の過去を語り出す。それは、かつて自分はニューヨークで相棒のフィッシャー(スティーヴ・ブロディ)と組んで私立探偵を営んでいたこと。そこでカジノを経営するウィット(カーク・ダグラス)から、40,000ドルを持ち逃げされた恋人であるキャシー(ジェーン・グリア)を探して来いと強制的に依頼される。
 ジェフは僅かな手掛かりをもとにメキシコのアカプルコで、キャシーを見つける。実物を目にすると輝くばかりの美しさでジェフはすっかり自分の仕事を忘れてしまいキャシーと愛し合うようになったばかりか、40,000ドルの持ち逃げを否定される。
 そして、ウィットとその部下であるジョーが、突然アカプルコにジェフを突然訪ねてきた。難とかその場をごまかしたジェフは、キャシーと一緒にサンフランシスコへ逃げて、なるべく目立たないように行動する。
 しかし、その場も安泰ではなく相棒であるフィッシャーがウィットから命令を受けてジェフを探し出し、キャシーと一緒に居るところを見られてしまう。分け前を寄こせというフィッシャーとジェフが争いを始めた時に、キャシーは隙を見て銃を取り出しフィッシャーを射殺。その合間を見てキャシーはジェフの車で逃亡してしまう。
 そんな暗い過去をジェフはアンに語り、アンとの愛を再確認したジェフは新しい人生を始めるためにウィットと会ってキリをつけようと彼の所へ向かうが、そこで出会うはずのないキャシーが居るのを見てしまい・・・

 どこへ隠れても、なぜか直ぐに場所がバレてしまうジェフ(ロバート・ミッチャム)の運の悪さに笑ってしまいそうになるが、そんな笑いそうになるのを吹き飛ばしてくれるのが、美人で男が放っておけない魅力を醸し出すキャシー(ジェーン・グリア)の悪女ぶり。彼女も色々な意味で何度もピンチに陥りそうになるのだが、口から出まかせの言い訳が高田純次もビックリの適当さ。何度も「私が愛しているのはあなたよ」なんて言葉で、すぐに男はだまされてしまう。キャシーが狡猾なのではなくて、男がチョロすぎてピンチを脱しているというのが本当のところ。しかし、この悪女が凄いのは口八丁が尽きたと思ったら、最後の手段に打って出るところ。俺も手当たり次第に女性を追いかけたら、痛い目に遭うことを痛感させられた。
 キャシーの悪女振りだけでなく、対比する関係として聖女のようなアンもしっかり描かれているので、過去を清算しようとするジェフの決心にも説得力、格好良さを感じさせるのも良い。何かと予想外の出来事が次々と起きてくるので楽しんで観れる。1940年代のハリウッドで大流行りだったフィルムノワール作品の中でも秀逸な出来の良さだということで今回は過去を逃れてをお勧め映画に挙げておこう。
 ちなみに本作は1984年にテイラー・ハックフォード監督でカリブの熱い夜でリメイクされるぐらいの名作。こちらの方は本作よりも女性のファムファタール度がだいぶ落ちているし、元私立探偵が、クビを宣告されたフットボウラーなど多くの変更点があったりするので、どちらを先に観てても楽しめます。







 


 

 
 
 
 
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映画 その男ゾルバ(1964) 楽天的に生きる強さ

2023年07月06日 | 映画(か行)
 俺みたいな神経が細くて生真面目な人間は何かと損をすることが多くある。俺と同様の人ならば同じような想いを感じている人が多いだろう。特に羨ましく感じるのが、俺と真逆のタイプの人。特に悩みも無さそうで、女性を見かけたら直ぐに声をかけたり、人と関りを持つのに躊躇しなくて、少しばかり図々しいような人。俺なんかは特に人見知りの性格で、人と仲良くなるのに時間が掛かる。
 さて、そんな真逆のタイプの男を見れる映画が今回紹介する映画その男ゾルバ。堅物の男をアラン・ベイツが演じ、逆に陽気で楽天的な男を名優アンソニー・クインが演じる。
 本作はそんな2人を通して、文化や風習の違い、生と死、衝突を通して人の生きる意味を考えさせられる作品だ。

 それでは、自分の性格を変えたいなんて思わせるストーリーの紹介を。
 亡き父が遺産として残したギリシャのクレタ島にあり、今では閉鎖している亜炭炭鉱を再開させようと英国人作家であるバジル(アラン・ベイツ)は現地へ向かおうとしている。その道中で、どことなく粗野な風貌をしている男が話しかけてきた。その男の名はアレックス・ゾルバ(アンソニー・クイン)。話してみると、この男がなかなか楽しい奴。しかも採掘現場の経験もあり、バジルは彼を現場監督として雇うことに決めてクレタ島へ向かう。
 2人はクレタ島の安宿で泊まることにするが、そこの女主人であり愛想の良いホーテンス(リラ・ケドロヴァ)と女好きのゾルバは直ぐに仲良くなってしまう。一方、バジルの方はこの安宿に来る途中で見かけた美しい未亡人(イレーネ・パパス)のことを気に入るのだが、ゾルバにけしかけられながらも声すらかけられずにいた。
 亜炭採掘の仕事が現地の人を使ってもなかなか上手くいかなかったのだが、ゾルバは森で覆われた大自然を見て林業の方へ仕事をシフトしようとする。そのための道具を買うためにゾルバはバジルからカネを預かり街へ出かけ5日間ほどクレタ島から離れる。
 しかし、5日間の約束を破ってゾルバが若い女と遊んだりして、なかなか帰ってこないことに苛立ったバジルは、その勢いに任せてついに未亡人をゲット。今まで村の言い寄る男連中に対して完全無視していた未亡人だったが、その情報はいち早く村中に伝わってしまう。そのことが切っ掛けで未亡人は一気に村中の人間を敵に回してしまい、バジルの援軍に駆けつけたゾルバだったが、その甲斐もなく未亡人は殺されてしまう。
 ゾルバも成り行きでホーテンスと結婚することになるが、すでに病に侵されていたホーテンスも程なく死亡。しかも、村人達は彼女が死ぬの待っていて、死んだ瞬間にホーテンスの持っている高級品を一つも残らずかっさらってしまい、ゾルバは残されたオウムだけを連れて去っていく。
 いよいよ新しく乗り出した林業の仕事の設備が整い、村中の人を集めて完成祝いをする。しかし、山の上で切った材木を滑らして下まで運搬しようとするのだが、ゾルバの考えた設備はそのスピードや重さといった物理的要素に耐えられずに全部ぶっこわれてしまい・・・

 クレタ島の村人達の閉鎖性及び群集心理に恐ろしさを感じさせられるシーンが目立つ場面もある。しかし、ゾルバがバジルの事を仕事関係中は「ボス」と呼びながらも、それ以外では友達として振る舞う、そのサジ加減が巧みでゾルバのバジルへの尊敬と友情のバランスの良さに感動した。見た目はバジルの方が作家で優等生に見えるが、小汚くて怖そうに見えるゾルバの人間への想いは愛に溢れている。それはバジルに対してだけではなく、すべての人間に対してであり、自分自身に対してもそのように振る舞えるのが非常に羨ましい。
 どんな悲惨な目に遭っても、自らが犯してしまった失敗でも大笑いし、豪快に踊り続けるゾルバのような人間こそ人生の勝者なのかな~なんて俺には思えた。ギリシャを舞台にした映画、普段は細かいことに気が散ってしまいなかなか行動出来ない人、すぐにクヨクヨする人、ノー天気に生きることに憧れる人等に今回はその男ゾルバをお勧めに挙げておこう

 監督はギリシャ人のマイケル・カコニヤス。実はこの監督のことは全く知りません。お勧めの作品があれば逆に教えて欲しいです




 
 
 
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映画 グッバイ、レーニン!(2002) ベルリンの壁崩壊前後の家族の絆を描く

2023年05月24日 | 映画(か行)
 かつては米ソ冷戦時代の象徴であったドイツを東西に隔てたベルリンの壁。今ではそんなベルリンの壁は壊され、1990年に東西ドイツは統合。西ドイツは民主主義、東ドイツは社会主義の国家体制も統合されたドイツは新しく民主主義として再出発をしたのは、皆さんご存知の通り。そんな時代背景を通して、元々東ドイツ側だった家族の絆を描いた映画が今回紹介するグッバイ、レーニン!。タイトル名はソビエト連邦の初代指導者であり、社会主義を推し進めたウラジミール・レーニンのことを指す。
 米ソ冷戦、民主主義VS社会主義なんていうのはベルリンの壁崩壊によって決着がつき、平和への道が開けたと思われていたが、今の混沌とした時代を見ると再び時代はあの時のような時代に戻ってしまったのかと悲しくなったりする。

 さて、ベルリンの壁崩壊の前後の時代を通して、東ドイツ側だった家族の絆をどことなくユーモアを持って描かれたストーリーの紹介を。
 東ドイツの東ベルリンに住むケルナー一家だが、青年のアレクサンダー(ダニエル・ブニュール)の父は西ドイツへ逃亡してしまい、そのショックで母親のクリスティアーネ(カトリーン・ザース)は精神に異常をきたしてしまう。しかし、そこからクリスティーネは回復し、今までのショックを取り戻すかのように社会主義活動の運動を猛烈に開始する。
 ある日のことアレクサンダーは東ベルリンの壁付近で反体制デモに参加していたのだが、偶然にもその様子を見かけたクリスティーネは息子がデモに参加していたことに再度ショックに陥り、心臓発作でその場で倒れて意識不明の重体になる。アレクサンダーは医者から母親の意識は回復しないだろうと宣言され、もしも意識が回復したとしても再度ショックを受けるような事があれば、今度こそ命を落とすだろうと言われる。
 母親のクリスティーネが昏睡状態に陥っている間にベルリンの壁は崩壊し、東ドイツ側の方も次々と資本主義化してしまうのだが、昏睡状態から8カ月後に奇跡的にクリスティーネは意識が戻る。しかし、今の東ドイツの状況を知ったら再度クリスティーネはショックを受けて、今度こそ本当に命を落としてしまうことを悟っているアレクサンダー。彼は母親に死なれないためにあらゆる手段を使って、東ドイツの社会主義体制が存続しているように見せかけるのだが、皮肉なことに時代は猛烈なスピードで次々に東ドイツに資本主義が入ってきてしまい・・・

 息子のアレクサンダーの母親のクリスティーネに対する愛情を感じさせる映画。とにかく母親のために嘘やハッタリ、デッチ上げを行って東ドイツがまだ社会主義体制がバリバリに存続しているように見せかけようとするのだが、誰が見てもバレるのは時間の問題だというのは理解できるのだが、それでも必死になっているアレクサンダーの行動はけっこう笑える。嘘をつけばつくほどピンチに陥っている様子が、あの人のことを思い出させる。しかし、嘘をつくのなら自分の名誉のためではなく、困っている人を助けるために嘘をつけ。
 しかし、そんな必死になっているアレクサンダーの周囲の人達の優しい気持ちが、本作では描かれているのが非常に秀逸。その中でも印象的だったのはアレクサンダーの恋人であるソ連からやってきた看護婦の交換留学生であるララ(チュルパン・ハマートヴァ)の最後の方でのある行動。この行動によって自らの嘘に苦しんでいるアレクサンダーのみならず、悩み傷ついている他の登場人物達までもが助かることになる展開が抜群だ。
 そして、タイトル名に使われているレーニンだが意外な形で登場する。少々生温い展開が続くが、ここで緊張感を走らす演出があっ晴れ過ぎて感心してしまった。色々と名作に対するオマージュが捧げられているのも楽しいし、息子の母親に対する思いだけでなく、母親の息子に対する思いも感じられる。最近は人間の心が腐っているのか思えるような出来事が世界、そして日本にも多く乱発しているが、少しぐらいは穏やかな気持ちになりたいと願う人に今回は映画グッバイ、レーニン!をお勧めとして挙げておこう




 
 
 

 

 

 

 

 
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映画 キング・オブ・コメディ(1983) 映画史に遺る最強コンビの傑作

2022年10月27日 | 映画(か行)
 映画史においてよく監督と俳優の名コンビによる作品が多々ある。我が日本においては黒澤明監督と三船敏郎、小津安二郎と笠智衆なんかはその代表であり多くの傑作を生んできた。映画の都ハリウッドでいえば、ジョン・フォード監督とジョン・ウェインのコンビなんかは多くの傑作、名作を生みだしてきた。そんな名コンビでも、たまに失敗作を作ってしまうことがあるが、マーティン・スコセッシ監督と名優ロバート・デ・ニーロのコンビは、名作ばかりで外れがない。特にこのコンビは人間の狂気をあぶり出す作品を多々生み出し、まさに一時代を築いた名コンビと言えるだろう。そして、今回紹介する映画キング・オブ・コメディだが、タイトルだけ聞くと笑えるコメディかと思えたりするが、実は本作こそ人間の狂気をあぶり出し、そして欲望を描き出した傑作だ。
 まあ、俺なんかは目立たないようにコッソリと生きていることに満足しているタイプの人間だが、この世の中には目立ちたがり屋で、必死で寄付金を募ったり、ピンハネをしたりして自分の飲み代にしようとしている馬鹿を見かける。私利私欲に走る人間の愚かさを目の当たりにして、ひたすら驚くばかりの今日この頃だ。

 さて、この世の中には売れない芸人なんか数多と存在するが、売れたいがために狂気に走ってしまう中年芸人のストーリーの紹介を。
 売れない34歳のコメディアンであるパプキン(ロバート・デ・ニーロ)は何とかして自分を売り込もうと、有名コメディアンであるラングフォード(ジェリー・ルイス)に、あの手この手を使って近づこうとするが、突きっ放されてばかり。
 どうしても売れたいパプキンは、ついにラングフォードを拉致して、放送局を脅し、番組に出演してネタを披露することに成功するのだが・・・

 前述した目立ちたがり屋と、この売れないコメディアンの共通点は妄想が大きすぎること。前述した俺の知っている目立ちたがり屋は、偉そうなことばかり言っているが、すっかり本性がバレて仲間がドンドン減るばかり、もしかしたら今でも自分は人気者だと勘違いしているかもしれない。
 しかし、本作のロバート・デ・ニーロ演じる主人公の誇大妄想っぷりも半端ない。拉致するまでに数々の迷惑行為を行っているのだが、コメディアンのくせにシャレが全くわかっていないことに俺はドン引きしたと同時に笑えた。本作を観れば妄想は狂気を呼び覚ますことが理解できる。俺の近くにも妄想に憑りつかれている奴が居るので、俺も被害に遭わないように気をつけないといけない。
 本作品はそれほど怖さは感じないが、古い映画でありながら今でも通じる部分はある。しかし、今なら自分を売り込む方法としてSNSの活用があるし、実際にその活用によって人気歌手がたくさん誕生した。とにかく時代を経ても変わる物があったり、変わらない物があることを再認識させられた映画である。
 なんだかんだ言ってもタイトル通り笑えるシーンもあったり、犯罪映画でもあり、けっこう人を選ばずに楽しめる映画。名監督と名優のコンビによる傑作作品として今回はキング・オブ・コメディをお勧め映画として挙げておこう

 監督は前述したマーティン・スコセッシ。ロバート・デ・ニーロとのコンビ作品ではレイジング・ブルミーン・ストリートタクシー・ドライバーケープ・フィアカジノがお勧め。ロバート・デ・ニーロが出演していない作品ではアフター・アワーズがお勧めです。
 

 

 









 
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映画 勝手にしやがれ(1959)ジャン=リュック・ゴタール監督の長編デビュー作にして最高傑作 

2022年10月12日 | 映画(か行)
 先日ヌーベルバーグの最後の生き残りであるジャン=リュック・ゴタール監督が91歳で亡くなった。他にも面白い映画があったと思うのだが、やっぱり彼を有名にし、最高傑作といわれるのが、今回紹介する映画勝手にしやがれ。元々は映画批評家から出発したのだが、映画を自分で撮ってみたいとの熱い想いが本作を産んだ。ジャンプカットと呼ばれる編集技術は当時の映画界を驚きの渦に巻き込み、街に飛び出してのロケ撮影は当時の映画では珍しくあり新鮮さを与え、そして破滅へ向かって一直線に進む刹那的に生きるジャン=ポール・ベルモンド演じる青年の主人公象は、その後の映画の主人公のあり方にも大きな影響を与えた。そして、主人公が画面越しに観客へ語り掛けるなど、従来の映画の作り方に対して革命を起こしたのが本作。
 これまでの映画の既成概念をぶっ壊し、当時の映画ファンは困惑しながらも大絶賛し、今でも名作として誉れ高い。しかしながら、本作が公開されてから60年以上経った今となっては、果たして本作を初めて観る人はどう思うだろうか?ハリウッド映画の大金を使ったアクションやアドベンチャー映画を見慣れた人が観ると、少しばかりどころか大いに不満を持つ人も出てくるかもしれない。

 さて、早速だがヌーベルバーグの決定打とも言うべき作品のストーリーの紹介をできるだけ簡単に。
 日常茶飯事に車泥棒を繰り返すミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)だが、盗んだ車で飛ばしている時に白バイ警官に追いかけられる。しかし、ミシェルはたまたま持っていた銃で警官を射殺して逃亡。そのままパリに向かって、数日前に仲良くなったアメリカの留学生であるパトリシア(ジーン・セバーグ)と再会し、一緒にイタリアへ逃亡しようとする。仲間から金を返してもらって早くパリを脱出したいミシェルと、記者として成功するためにパリに居続けたいパトリシア。将来に対する考え方の違う2人だったが、燃え上がった愛はパリからイタリアへ向けての逃避行になるはずだったのだが・・・

 愛し合った男女の逃避行の話であり、当時にしてもそれほど珍しい題材ではない。むしろストーリーよりもその撮影方法に当時の人は驚いた。本作でよく言われるのは前述した編集技法であるジャンプカット。正直なところ個人的にはそれがどうした!って感じ。むしろ俺なんかは編集に失敗してるんじゃねぇ、何て勘違いしてしまった。
 それよりも俺が最も面白く思ったのが街中のロケ撮影。ベルモンドとセバーグが街を歩いていたりするシーンの周りの人があからさまに振り向いたり、驚いたり、背中を撃たれてフラフラになりながら走っているベルモンドを通行人がビックリして見ているのに笑えた。また全く関係のない通行人が明らかに撮影カメラに気を取られてたリしていて、そのような適当かつアマチュアっぽさが俺にはウケた。
 男女の会話がずれていてグダグダだったり、その内容も言葉遊びみたいなのが入ってくるが大して笑えないし、また会話のシーンが長すぎたりでダレてしまう人もいるだろう。なんだかくだらないシーンが多いと思いきや、所々では面白いシーンも入ってくる。後半は結構楽しいシーンが多かったような気がする。最初の方でたまたま持っていた拳銃で警官を殺したのと対比して、ラストは拳銃を持たされたせいで撃たれる羽目になってしまうのだが、その辺りはけっこう笑えたし、ゴタール監督の非凡さを感じさせる。
 最初から最後の最後までかみ合わない男女の会話、ダレてしまいそうなくだらない会話があったりするが、ジャンプカットによる副次的産物のおかげで妙にテンポが良かったり、突発的なシーンが多く出てきたりで、映画史に遺る金字塔的な作品ではあるが、なんだかド素人が映画を撮ったらこんな失敗作品が撮れてしまうのかなんて俺は思ったのだが、俺の持っている感覚を超えた作品なんだろうと思う。
 そもそも当時のゴタールは金を持っていないから映画を撮ろうとするのが無理があった。しかし、世の中は何が成功するかわからない。本作がまさかヌーベルバーグの決定打になり、この作品以降はジャン=リュック・ゴタールは売れっ子の花形監督になるのだから何が幸いするかわからない。ある意味では本作が登場するまでフランス映画がいかにマンネリ化に陥っていたかわかるとしたものだろう。
 ジャン=リュック・ゴタール監督の名前をニュースで初めて聞いた人は、まずは本作から観ることをお勧めする。これ以降の作品は殆どが本作の特徴を継承しているからだ。ゴタール監督の映画をこれからドンドン観たい人にはまずは映画勝手にしやがれを見ることをお勧めする。

 ジャン=リュック・ゴタール監督のお勧めだが正直なところ観る人を選ぶが、本作が面白いと思った人には女と男のいる舗道気狂いピエロは楽しめるか。個人的にはゴタール監督がやりたい放題で撮ったようなウイークエンドは面白かった。











 
 
 
 
 








 
 
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映画 崖っぷちの男(2012) 滑ったら即死のサスペンス

2022年07月17日 | 映画(か行)
 タイトル名がまるで俺の日々の状況を表しているような嫌な気分になる映画崖っぷちの男。本作の主人公は超高層ビルの窓の外に出て、幅が約30センチの出っ張りから今にも飛び降り自殺をしようとしている場面が本作の上映時間の多くを占める。飛び降り自殺をしようとしている男を見るために多くの群衆は集まるのだが、なかなかこの人騒がせな男が飛び降りない。果たしてこの男の目的は何か、それともただの狂人か。
 今にも飛び降り自殺しそうな男が出ずっぱりでハラハラドキドキするような展開が続くだけでも面白そうだが、実は本作の裏に隠されたテーマは貧乏人の金持ちに対する恨みが込められている。群衆の野次馬の中に気が狂っているだけに見える奴もいるが、これが中々出番は短くても映画の中で重要な役割を果たしている。

 さて、全く先は読めないし、驚きの連発を味わえるストーリーの紹介を。
 元刑事であるニック(サム・ワーシントン)はダイヤモンド強奪の罪で刑務所に収監されている。そこへ同僚の刑事であるマイク(アンソニー・マッキー)が訪れ、ニックの父親が危篤であることを知らされる。マイクの計らいでニックの父親の葬式のために、その時だけニックを刑務所から出してやる。
 しかし、葬式の場でニックは弟のジョーイ(ジェイミー・ベル)と殴り合いの喧嘩をし、どさくさ紛れに警官の拳銃を盗んで逃亡する。そしてニックは高級ホテルのルーズベルトに泊まると見せかけて、高層階から飛び降り自殺をしようとする。その場に居た群衆が騒ぎ、警察も到着するのだが、ニックは交渉人として女刑事のリディア(エリザベス・バンクス)を呼び出す。ニックとリディアの交渉は単なる飛び降りるか、飛び降りないかの話ではなく、更にはニックは無罪を訴えるためだけにリディアを呼び出したのではなく、その間にニックはある作戦を実行しようとしていたのだが・・・

 卑怯な手に引っかかり、濡れ衣を着せられて刑務暮らしを強いられてしまう崖っぷち男。高級ホテルの高層から脚を滑らせたら人生終わりだが、果たしてこの自ら崖っぷちに飛び込んだ元刑事は、この狭い空間で一体どのような方法で無罪を証明するのか。ニックが崖っぷちの状態はもちろんハラハラドキドキさせるのだが、それ以上にハラハラドキドキさせるのが、弟のジョーイとその彼女のアンジェラ(ジェネシス・ロドリゲス)の方。特にジョーイは見た目からして頼りなさそうなので、こいつらの方が危険な状態がずっと続いているように見えた。
 しかし、本作はスリルはもちろんだが、色々と意外性を見せつけるので驚きの連発。ニックが崖っぷちに追い込まれるほど騙されるのは気の毒だが、観ている我々も最後まで騙される。簡単には権力や金持ちに屈しないアメリカ人の誇り、そしてアメリカ人の家族の結束も頼もしい映画崖っぷちの男を今回はお勧め映画に挙げておこう







 

 

 
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映画 蜘蛛女のキス(1985) 刑務所が舞台です 

2022年02月26日 | 映画(か行)
 アルゼンチンの作家マヌエル・プイグの同名タイトルの映画化作品が今回紹介する蜘蛛女のキス。原作は映画化のみならずミュージカルの舞台劇として、日本でも行われているのでタイトル名を耳にしたことがある人もいるだろう。
 さて、ストーリーは刑務所の獄房の一室でのシーンが殆ど。それも女装している男と拷問を受けた形跡のある男が、何やらグダグダ話しているシーンが前半は続く。正直なところあんまり俺好みじゃなさそうだし、いつ蜘蛛女が登場するんだ?なんて妙なところに俺の興味が惹かれてしまったのだが・・・。

 けっこう古い作品だが、なかなか今風のテーマが描かれているストーリーの紹介を。
 南米の某国において、そこはファシズムの嵐が吹き荒れていて刑務所は囚人がたくさんいる。刑務所の中の一室において、ホモであり少年を誘ったことで性犯罪で捕まって女装しているモリーナ(ウィリアム・ハート)、そして政治犯として捕まっているヴァレンティン(ラウル・ジュリア)が居る。ヴァレンティンはモリーナのことを毛嫌いしているのだが、獄房の中での暮らしがヒマなこともあり、仕方なくモリーナが語る映画の話を聴いていた。最初はその映画のストーリーの内容にも嫌悪感を持っていたヴァレンティンだったが、次第にモリーナが優しい人間だということに気付き、心を開いたヴァレンティンは自分の愛した女性や捕まった経緯をモリーナに語り出すのだが、実はモリーナは・・・

 これ以上、ストーリーの紹介を進めてしまうとネタ晴らしになるのでここまでで。登場人物からテーマとしてLGBT関連の問題を浮き彫りにしているのは明らかだが、他にも色々と深読みが可能だろう。ファシズムが吹き荒れる政治体制において、崇高な様々な愛の形が木っ端微塵に砕け散ってしまう悲劇に泣けてくる。しかも、その悲劇性を増しているのが巧みなストーリー構成。モリーナがヴァレンティンに聴かせる映画の内容が、実は本作のストーリーと密接にリンクしたり、蜘蛛女ってそういうメタファーだったのかと思わさせられたりで、単調なストーリー展開になりそうなのを奥深い内容の映画に仕上げている。
 我が国ニッポンも周囲はロクでもない国に囲まれているが、独裁政権が権力を握ることの恐ろしさが本作を観れば伝わるし、独裁政権を打倒に立ち上がろうとすると尊い命を失ってしまう切なさを感じさせる。そして、単なる悲劇で終わらさせずに愛の尊さを少しばかり感じさせるのが本作の良いところ。そして、出演陣の好演も見逃せないだろう。ホモを演じるウィリアム・ハートは名演技を見せてくれるし、1人三役をこなした女優ソニア・ブラガの存在感も忘れ難い。南米を舞台にした映画を観たいと思っている人、LGBT関連に少々でも興味がある人、決してハッピーエンドではないが暗闇の中にほんの少しの希望の灯が点いているいるような映画が好きな人・・・等に今回は蜘蛛女のキスをお勧めに挙げておこう

 監督はアルゼンチン生まれのブラジル人のエクトール・バベンコ。本作以外ではジャック・ニコルソン、メリル・ストリープ共演の黄昏に燃えてが個人的にはお勧め。

 
 





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映画 コーヒー&シガレッツ(2003) コーヒーを飲みたくなる

2022年02月07日 | 映画(か行)
 大して盛り上がらないオフビートな作風と独特の味わいとユーモアセンスで人気のあるジム・ジャームッシュ監督が送り出す11のエピソードからなるコーヒーと煙草にまつわるオムニバス映画が今回紹介するコーヒー&シガレッツ。ロベルト・ベニーニ、スティーヴ・ブシェミ、トム・ウェイツ、ケイト・ブランシェット、アルフレッド・モリーナ、そしてビル・マーレイ・・・等の癖の強い俳優や歌手達が自分自身の役を演じるという珍しい設定。
 全てのエピソードについて演じている人、時間、場所、ストーリー的な物などは違うが、共通点はコーヒーを飲みながら、煙草を吸いながらグダグダと会話をしていること。しかも、その内容だがハッキリ言って観ている側からしたらどうでも良いようなことばかり。『やっぱりコーヒーは美味い』『煙草の吸い過ぎは体に悪い』といったような当たり前の話が多々出てきたりする。
 全編に渡ってモノクロであり、俳優達も自然体で演じているし、会話の内容と同様に見た目の活劇的な面白さは全くない。そしてカメラの動きは殆ど無いし、場面が変わったと思ったら真上からテーブルに乗っている飲み差しのコーヒーカップや煙草の吸殻が映るだけだったりで淡々としている。ここまで読んだ人はきっとこのように思うはずだ。本当にこの映画は面白いのかよ!

 前述したように11もエピソードがあるのだが、全体の時間は97分に収まっている。しかしながら、心配してしまうのは観ている途中で寝てしまわないかどうか。でも、本作を観る時の心構えをアドバイスしておくと、いつも通りの平常心でいること。間違っても腹が立っている時や、悲しい時のような感情が大きく揺れている時に観ない方が良いだろう。
 だいたい1人でコーヒーを飲みたい時(または煙草を吸いたい時)というのはどういう時だろう。普段の喧騒を忘れて落ち着きたいと思う人が多いだろう。そういうことで本作は観る人に極上のリラックス気分を味わえさせてくれる映画なのだ。よって眠くなったら寝てもかまわないぐらいのつもりで観るのが本作に限っては正しい鑑賞方法だろう。
 特に印象的だったエピソードはケイト・ブランシェットが本人自身の役と従姉妹の二役をこなしている一編。それとアルフレッド・モリーナが人気者のスティーヴ・クーガンに『実は俺たちは、いとこ同士なんだぜ』と話しかける一編。
 今回はストーリー紹介を説明する必要もないので省くが、有名人が普通の会話をしているのに惹きつけられるし、全編が最後にオチがつくのも少しばかり笑える。そして、エンディングに流れる音楽が良い。正直なところ若者にはお勧めしにくいが、少しばかりほろ苦い経験をしてきた大人達に今回は観終えた後にコーヒーが飲みたくなることが間違いないコーヒー&シガレッツをお勧めに挙げておこう

 監督は前述したジム・ジャームッシュ。あんまり感情の起伏が無いような作風は好みが分かれるかもしれないが、個人的にはけっこう好きな映画が多い。大して盛り上がらない青春映画ストレンジャー・ザン・パラダイス、緊迫感のない脱獄映画ダウン・バイ・ロー、タクシードライバーとお客さんを描いたオムニバス映画ナイト・オン・ザ・プラネット、ビル・マーレイが演じる冴えないオジサンが元カノを訪ねていくブロークン・フロワーズあたりがお勧め。



 

 



 

 

 
 









 
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映画 恐怖の岬(1962) サイコパスと善良な市民の対決 

2022年01月18日 | 映画(か行)
 自分で言うのも何だが、俺は善良な市民かつ超人気者。他人から恨みを買うことなんか全くないはず。しかし今回紹介する映画恐怖の岬を観ると、俺の考えが甘いことを思い知らされた。全くもって理不尽な理由でサイコパスからストーカーチックに追い回され、警察や法律が守ってくれるのかと思いきや、そんなものは役にも立たないと嘲笑うか如く恐怖のどん底を味わえる。

 異常なまでに執念深い変質者から、家族を必死で守ろうとするお父さんの戦いを描いたストーリーの紹介を。
 弁護士であるサム・ボーデン(グレゴリー・ペック)は綺麗な奥さんペギー(ポリー・バーゲン)、小学生の娘ナンシー(ロリ・マーティン)の3人家族で平和に暮らしている。しかし、性犯罪者であるマックス・ケイディ(ロバート・ミッチャム)が8年間の刑期を終えて出所してきた。
 マックスは自分に不利な証言をして、刑務所に送られたサムに恨みを持ち、執拗なまでに彼の家族をストーカーする。サムは親しい地元の警察署長マーク・ダットン(マーティン・バルサム)の助けを得てマックスを自分の家族に近づけないようにしようとするが、マックスは法律の網を巧みにくぐり抜けて、サム一家に執拗に付きまとう。このままでは恐怖に怯えて暮らすことになることを悟ったサムはマックスへ対抗措置を取るのだが、それは更なる恐怖を呼び込むことになってしまい・・・

 どことなく無表情なロバート・ミッチャム演じる変質者が冒頭から不気味さを漂わせて登場する。単なるアホのサイコパスかと思いきや、8年間の刑務所暮らしで必死で法律の勉強をしていたようで、法律を逆手にとってサム一家に嫌がらせをする知能的な部分を見せたり、また体も鍛えられていたりで相当厄介な犯罪者。そんな奴から自分の家族を守るために、グレゴリー・ペック演じる弁護士が採った手段が何かと色々と考えさせられる。平和主義を叫べば叫ぶほど戦争に巻き込まれそうな何処かの国を思い出させたり、自らの命を自ら守るという当たり前のことを考えさせられたりした。
 前半はグレゴリー・ペックが家族サービスしている所へ、ロバート・ミッチャムが現れたりするような嫌がらせのシーンがあったりで地味に怖さを感じさせるが、後半の怒涛の展開はスリル満載。サイコパスと弁護士の2人の男同士の執念と命を懸けた戦いは、法律も警察も入る余地が全くないほどの必死さが伝わってくる。
 日頃からスリルを求めている人、昔のサスペンス映画が好きな人、悪役が目立っている映画が好きな人等に今回は恐怖の岬をお勧め映画として挙げておこう。ちなみに本作はマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロとニック・ノルティのW主演でケープ・フィアー(1991)としてリメイクされています。また、この作品にもロバート・ミッチャムとグレゴリー・ペックが興味深いキャスティングをされているので、こちらの方も観るのをお勧めします。

 
 
 

 
 
 















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映画 鏡の中にある如く(1961) 神の沈黙シリーズ三部作の第一弾

2021年07月17日 | 映画(か行)
 スウェーデンを代表するというよりも、世界映画史を代表する映画監督であるイングマール・ベルイマン。彼の作風は娯楽性なんか殆ど無く、登場人物達が『あ~でない、こうでもない』なんて台詞を繰り返しながら、人間関係の絆がどんどん離れて行ったり、人間の奥底にある欲望をあぶり出したり、神様にすがっている人間をさらに深い悩みに陥れたりで、観終わった後に気が滅入りそうになったりする。ハッキリ言って暗い映画ばかり撮っている印象があるが、人生の厳しさを観ている者に叩きこむその一切の妥協のない描写、冷酷な表現、ストーリー展開は、何時の間にやら観ている間に様々な想いを想像させる。
 彼が生み出した映画史に遺る燦然とした作品群の中でも今回紹介する鏡の中にある如くは彼の作品の中でも神の沈黙三部作と言われる第一弾(第二弾は冬の光、第三弾は沈黙)。長きにわたり多くの映画を撮ってきたが、その中でも重要な位置づけにある作品だ。
 
 たったの四人しか登場しない映画だが、誰もがもがき苦しんいる様子を描写したストーリーの紹介を。
 海で囲まれた孤島にある別荘が舞台。作家のダビッド(グンナール・ビョルンストランド)はスイスでの仕事の疲れを癒すために、精神病を患っている娘のカリン(ハリエット・アンデルセン)、その夫で医者のマーチン(マックス・フォン・シドー)、そしてまだ高校生の息子のミーナス(ラーシュ・パッスコード)を連れて、孤島にある別荘にやって来た。
 別荘でこの四人は楽しそうにしていると思いきや、実はそれぞれが悩みを抱えているし、身近な家族の関係でありながら相談できない溝が生じている。なかなか寝付けないカリンは父親のダビッドの寝室へ行く。父親の部屋で彼のメモを見てしまったカリンは驚く。そのメモは彼女の病気は治らないこと、そしてダビッドは小説のネタにするために彼女が次第に病気によって衰弱していく様子が書いていた。そのメモを見たことによって、更にカリンはいっそう精神を病んでいく・・・

 娘の病気のことをネタにして、更なる名誉と金を企んでいるクズの父親。どこかの病気をネタにして利潤を追求している大企業やインチキな国家を思わず想像してしまったが、巨匠ベルイマンが凄いのは絶望的な状況を描きながらも、少しばかりの希望を見せてくれること。せっかく楽しい孤島での生活が家族の絆をドンドン壊していく様子はまさにベルイマンの真骨頂。カリンが神の存在を信じていながらも一向に状況がよくならない展開は、まさに神の沈黙シリーズに相応しい。しかし、人間を苦しみから解放するのは実は非常に身近にあるんだと本作を観終えた後に感じることができる。
 本作において一番説得力がない奴が『神とは・・・』なんて哲学的なこと最後に語り出すが、よく考えたら完璧な人間なんて存在しないし、失敗したからこそ教えられることがある。逆に自分を偉そうに見せるために、身の程知らずのことを平気で口にしたり、行動がまるでともなわない政治家は本当に浅ましい。そんな政治家は国民の心をますます傷つけるだけなので思い当たる奴は今すぐにでも辞職するべきだろう。
 たった四人の登場人物だけであるが、それぞれの人物描写が丹念に描かれており、悩みを持たない人間なんてこの世には居ないんだということがよくわかる。孤島という狭い空間、少ない人数の設定だが、実はこの世の縮図であることに気付かせる。今や日本のみならず世界がコロナ禍によって大変な状況。そんな時にデマを流しまくって人々の心を混乱させたり、あらゆる希望をぶっ潰そうとする輩が目立つ今日この頃。本作を観てハッピーな気分にはなれないが、意外に困難な現代を活きる方法の糧となりそうなのが今回紹介した映画鏡の中にある如く。古い映画であるが、今の時代だからこそ本作をお勧め映画として挙げておこう

 監督は前述したイングマール・ベルイマン。好き嫌いが分かれる映画監督であると思うが、人間の欲望をえぐり出し、困難な出来事を通して人生の厳しさを描き、家族でも理解ができない人間の相互不信、そして信じても大して救われない宗教等。暗い映画ばかり撮っている気がするが、そんな中でもほんの少しの希望の灯を見せてくれるのが良い。第七の封印野いちご処女の泉等がお勧め。
 
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映画 傷だらけの栄光(1956) 台詞が身に染みる 

2021年06月23日 | 映画(か行)
 ハリウッド映画のお家芸であるボクシング映画。多くの人はボクシング映画と聞いて思い浮かべるのはシルベスター・スタローン主演の役名がそのままタイトルになったロッキー(及びそのシリーズ)。今の40歳代以上の男性にとって、ロッキーは憧れであり、疲れ切ったオジサン達のハートを奮え立たせる存在であるが、実はボクシングの世界王座としてロッキーは実在した。そんなロッキーこと元ミドル級世界チャンピオンであるロッキー・グラジアノの半生を描いた映画が今回紹介する傷だらけの栄光。主演のポール・ニューマンは本作を切っ掛けに一躍スターダムの座を駆け上がる。
 ロッキーもそうだが、凡そボクシング映画なんてものは社会の底辺から一気に世界チャンピオンに成り上がるパターンが多い。貧乏人でも金持ちになれるアメリカンドリームを表現するのにボクシングというのはうってつけ。本作もまさにそんなボクシング映画の王道を見れる。

 さて、ストーリーも楽しめるが、それよりも本作の原題であるSomebody Up There Likes Me(天の誰かが俺を好いている、ぐらいの意味)の台詞が身に染みるストーリーの紹介を。
 少年時代から窃盗、暴力を繰り返していたロッキー(ポール・ニューマン)は少年院に放り込まれては脱走を繰り返し、刑務所にぶち込まれてもトラブルを引き起こし、軍隊に放り込まれても脱走する。元々パンチ力のあったロッキーにボクシングの素質を見出していたのが刑務所の刑務官。刑務官にボクシングを勧められ、嫌々ながらもボクシングのトレーニングをする。
 そんなかいもあって刑務所を出てボクサーになると、デビュー戦から連戦連勝。これから順風満帆な人生が始まるかと思われたのだが・・・

 ストーリーの前半は素行の悪いロッキーの行いが描かれている。俺なんかは、お前なんか一生刑務所にぶち込まれてろ、なんて思いながら見ていた。しかし、そんなダメダメな奴を決して見捨てない人間も現れる。何度も挫けそうになったりするロッキーが、なぜ世界チャンピオンまで登りつめることができたのか。そんなことを考えながら本作を観ると、こんな私でもきっと誰かに愛されているなんて思えるはずだ。そして、ロッキーが最後に語る原題にもなっている台詞『Somebody Up There Likes Me』が、困難にぶち当たっている人間、暗闇の真っ只中にあるこの世界にたいして、希望の灯になっていることに気付く。
 編集及び構成が巧みなおかげで話がテンポよく進むので観ていてダレルことはないし、それでいて丁寧にロッキーの半生が描かれている。ちょっと残念なのが、すでにポール・ニューマンが少しばかり年を食っているのが気になるし、それ以上に対戦相手のチャンピオンが老けすぎていること。よって肝心のボクシングシーンにおいてハラハラドキドキ感みたいなのが削がれてしまっている。しかし、そんなものを補って余りあるのが何度も繰り返すが『Somebody Up There Likes Me』の台詞の素晴らしさ。たまに英語において感動的な言葉を目にしたり、聞いたりすることがあるが、俺もこの台詞は完璧な英語の発音を駆使して、ちょっと格好をつけたくなった時に使うことに決めた。
 かなり古い映画だが、ボクシング映画がなぜこれほどまでに多く撮られ、そして好きな人が多いのかが理解できる傷だらけの栄光を今回はお勧め映画として挙げておこう

 監督はウェストサイド物語サウンド・オブ・ミュージックといった名作ミュージカルを撮ったロバート・ワイズ。観終わった後に人種差別について考えさせられるサスペンス映画拳銃の報酬がお勧めです。

 
 
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