褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 めまい(1958) 途中までホラーかと思いましたが・・・ 

2023年06月30日 | 映画(ま行)
 最近は年齢のせいなのか立ち上がる時に、よくクラっとしてしまう。ア~めまいがすると思っていたのだが、どうやら立ち眩みと間違っていたらしい。さて、俺とは違ってめまいがして悩んでいる人は多いだろうな~と思わさせられた映画が今回紹介する映画めまい。本作の主人公の設定が高所恐怖症で、高い所から下を見てしまうと、眩暈(めまい)をおこしてしまう元刑事。本作の面白いところとして眩暈の表現の仕方が挙げられるだろう。冒頭のタイトルバックの眩暈を感じさせる描写が、実験的でいきなり惹きつけられる。他にも眩暈の表現方法が面白くて、この表現方法が後の映画にも多く使われているように後世に大きな影響を与えていることが本作を観ればよくわかる。

 さて、めまいというタイトルがあまりにもシンプル過ぎるが、ヒッチコック監督作品の中でも非常に実験精神が旺盛に感じさせるストーリーの紹介を。
 スコティ刑事(ジェームズ・スチュアート)は屋根の上を逃げる犯人を同僚の警察と一緒に追いかけていたのだが、犯人が楽々と飛び越えていく屋根から屋根をスコティはジャンプ力が足りずに、宙ぶらりんの状態になってしまう。その時に同僚の警察が犯人を追うのを止めて、スコティを助けようとするのだが誤って転落死。スコティは、そのショックから高所恐怖症による眩暈に襲われ、警察を辞職する。
 そんなスコティに昔の友人であるエルスター(トム・ヘルモア)から連絡がくる。彼の会社へ行って話を聞くと、「嫁さんのマデリン(キム・ノヴァク)の行動がどうも怪しい」とのこと。そして、マデリンの尾行をお願いされてしまう。
 スコティも刑事を辞めて時間を持て余していたので興味本位で驚くぐらい美人で眩しいぐらいの金髪であるマデリンの尾行を開始するのだが、とっくに亡くなっているカルロッタと書かれている墓標を訪れたり、美術館で一枚の絵をずっと観ていると思っていたら奇妙なことに絵のモデルが髪型から首飾りまでマデリンと同じ物をしていたり、他にも奇妙な行動を多く目にしていた。
 スコティは更に詳しくマデリンのことをエルスターから聞き出そうとすると、どうやら絵のモデルはカルロッタであり、しかも彼女はマデリンの祖祖母に当たる人物で自殺してしまったことを知らされる。しかもマデリンは時々気を失っては生前のことを語り出したり、死んでしまうのではないかと不安がったりで精神状態がオカシクなっており、彼女にカルロッタの霊が憑りついているのではないかとエルスターはマジで心配していた。
 更にスコティはマデリンの尾行を続けていると、海辺で彼女はしばらく立ち尽くしていたのだが、いきなり海に飛び込んで投身自殺を図ってしまう。その場に居たスコティはマデリンを助けて悩んだ挙句に自分の家へ連れて帰る。こうやってお互いのことを知っていく内に、2人の間には恋愛感情が芽生えるのだがスコティが更にマデリンの深層心理を探ろうとするのだが、そのことによってマデリンが教会の最上階から飛び降り自殺してしまうという最悪の結果を招いてしまい・・・

 いつもより長々と文章を書いた挙句に、ネタ晴らしまでしてしまったようなストーリー紹介になってしまったが、ここで映画が終わってしまうと悪霊に憑りつかれて自殺に導かれる単なるホラー映画になってしまう。しかし、この後からの展開が俺には結構ウケた。死んでしまった愛する女性が無くなったことに端を発するスコティのぶっ壊れぶりが凄い。ここのネタ晴らしは流石にこの映画の面白さを損ねてしまうので、映画を観て是非確認して欲しい。
 ストーリー紹介のところは、スコティが元刑事の割に尾行が下手過ぎたり、笑わしているのか怖がらせているのか反応に困るようなシーンが多く出てきたり、何だかテンポが俺には悪いように思えたりしたのだが、こんな落ちがじゃなくて、オチがつくとは俺の想像を超えた。
 不安を煽るような音楽や映像テクニックは非常に効果的だし、小道具の使い方の演出なんかはいかにも手馴れている感じをさせるあたりは、流石はヒッチコック監督だと思わせる。とにかく得体が不明のマデリンを演じるキム・ノヴァクがめちゃくちゃ綺麗。彼女の他の作品も何本か観ているが、本作の彼女はそれらとは別人か!?と思わせるぐらいの綺麗でミステリアス。ヒッチコック監督は女優を綺麗に撮ることに長けている。
 ヒッチコック作品の中でも本作は有名な方だが、なぜか本作を観ていない人、現実離れしたサスペンス映画を観たい人、細かい部分は気にならない人、少しばかり凝った作り込みがされた映画を観たい人、綺麗な女性を観たい人などに今回は映画めまいをお勧めに挙げておこう

 前述したように監督はサスペンスの神様と呼ばれたアルフレッド・ヒッチコック。今でもサスペンスタッチの映画は古今東西において多く撮られていますが、どれもヒッチコック監督の作品の影響を受けてしまっている感じがします。個人的に彼の好きな映画を3本だけ挙げると、北北西に進路を取れハリーの災難見知らぬ乗客、次点がバルカン超特急ってところです











 

  
 
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映画 ライトスタッフ(1983) 正しき資質とは?

2023年06月29日 | 映画(ら行)
 そういえば最近投稿した超音ジェット機だが、あの映画は、まだ超えられないでいた音速の壁であるマッハ1の速度に到達しようとする航空関係の人々の人間模様を描いたストーリー。そんな作品をみて俺の頭の中にパッと閃いたのが今回紹介する映画ライトスタッフだ。
 人類史上において、初めてマッハ1の音速の壁をぶち破った飛行士はチャック・イェガーだと言われている(1947年のこと)。その後も次々とマッハ1超えの記録を目指し続けた彼の生き様。そんな彼と対比するように宇宙飛行士の7人が国家プロジェクトマーキュリー計画に携わる様子を描いているのが本作だ。
 ちなみにライトスタッフ(right stuff)とは『正しき資質』のこと。本作の場合はパイロット達における正しき資質とは何なのか?を観ている者に問いかける。

 それでは飛行士たちの勇気、プライド以上の物であるライトスタッフのストーリーを紹介しよう。
 1947年の砂漠のど真ん中におけるエドワーズ空軍基地において、チャック・イェガー(サム・シェパード)が人類史上において初めてマッハ1の壁を突破することに成功する。誰が最初に音速の壁を破るか注目していたマスコミは大騒ぎするし、次々とチャック・イェガー自身が自分の記録を塗り替えていくのに伴いマスコミの報道は過熱し、各地からパイロット達がチャック・イェガーに挑むためにやってくるのだが、その中にはガス(フレッド・ウォード)、ゴードン(デニス・クエイド)の姿もあった。
 やがてソ連が人工衛星スプートニクス1号の打ち上げに成功したとの報告がホワイトハウスに入ってくる。ソ連に先を越されたことにショックを受けたアメリカの大統領や議員、官僚たちはアメリカ高級宇宙局(NASA)を立ち上げ、各地から宇宙飛行士を募るのだった。その募集はエドワーズ空軍基地にも及ぶのだが、チャック・イェガーは大卒ではないために宇宙飛行士になる資格がなかったのだが、ガス、ゴードンは宇宙飛行士になることを目指し、他にも各分野から選ばれ、ガス、ゴードンを含め7人が宇宙飛行士として合格し、失敗続きのアメリカのロケット打ち上げテストが繰り返されるのを見て宇宙飛行士の7人は苛立ち、不満を募らせながらも人類で初めての宇宙へ飛び立つことを目指し訓練に励むのだが、しかしながらソ連のガガーリンによって有人宇宙飛行において、またもや先を越されるのだが・・・

 米ソによる宇宙開発は最初の頃はアメリカの負けっぱなし。本作においてもアメリカのロケットの打ち上げの失敗の様子が実際の映像を使って見せてくれる。ソ連に追いつけ、追い越せと宇宙開発に躍起になっている様子を見ると国威発揚映画かと思えたりするのだが、実際には7人の宇宙飛行士の命を無視しているようなNASAやマキューリー計画に関わるアメリカの偉いさんの馬鹿さに驚かさせられる。現場を全く知らない人間の考えることの浅はかさを想うと、祖国に尽くそうと命を懸ける宇宙飛行士たちが気の毒になるし、これでは不安が大きすぎて宇宙へ行こうなんて俺だったら思えない。
 そして、チャック・イェガーの方だがマッハ1を目指し、次々自己記録を更新したり新たなライバルの出現があったりでマスコミからヒーロー扱いされていたのに、マキューリー計画が始まり、動き出すとマスコミはチャック・イェガーには見向きもしないし、政府も大幅に予算をカット。世間からの注目を浴びなくなってしまう。しかし、それでも飛びづづけるチャック・イェガーが格好良い。その姿は、まるで時代に乗り遅れた西部劇のガンマンみたいであるが、己の持っている正しき資質を信じ続ける姿は最後まで格好良い。
 馬鹿な偉いさん連中に命を預けながらも、己が持つ正しき資質を信じて宇宙船に乗り込む宇宙飛行士たちも格好良い。彼らの想いには偉いさん連中の我が儘、私利私欲も入り込む余地がない。我が日本の宇宙飛行士若田光一さんって格好良いんだ、なんて本作を観直してから気づいた。
 飛行士の奥さんたちの心情を巧みに描かれているし、心が震えるような音楽が素晴らしい。音楽を担当しているのは誰かと調べたら、あのロッキーシリーズで有名なビル・コンティだったと知って納得。
 少し不満があるとすれば3時間の長時間映画であること。冒頭から泣かせたり、熱くなるような名シーンが連発するのだが、宇宙飛行士になろうと訓練するシーンがコメディ色が強くなってしまったのが、ちょっと残念。もう少しその辺をばっさりカットするか、もっと熱いシーンを目指すなりして欲しかった。まあ、それも個人的な意見に過ぎないのだが。
 そんな訳で宇宙への憧れが強い人、飛行機が好きな人、心が熱くなるような映画を観たい人、どこか不器用に生きる男たちに格好良さを感じる人に今回はライトスタッフをお勧め映画に挙げておこう

 監督はフィリップ・カウフマン。本作の他に存在の耐えられない軽さクイルズといった表現の自由をテーマにしたような作品が個人的には心に残っておりお勧めです。
 


 
 




 
 
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映画 丘(1965) 強烈な軍隊批判です

2023年06月27日 | 映画(あ行)
 タイトル名が何とも味気ないが、てっきり俺は恋人同士が丘に登って、星空を観ながら愛を交わすストーリーが内容だと思っていた。ところがそんな想いとは全く違い、女性なんか殆ど出てこないし、舞台は北アフリカの陸軍刑務所内。そこで囚人達に行われる曹長や幹部のしごき、暴力が胸糞悪くなるぐらい描かれているのが今回紹介する映画。初代ジェームズ・ボンドとして007シリーズをドル箱映画にした立役者ショーン・コネリーの主演作品だ。 
 最近はパワハラ、モラハラといったものが非常に厳しい世の中になってきた。それは良い風潮のはずなのだが、昔は当たり前にあった体罰に関しては、本人にそのような意識が無いからなのか痛ましい事件を毎日のように見る始末。特に、か弱き者に対しての度の過ぎた体罰が目立ちすぎる。
 
 さて、タイトル名のとは、果たして本作ではどのような意味を成すのか。それではストーリーの紹介を。
 第二次世界大戦下の北アフリカの陸軍刑務所において、今日も泥棒や逃亡といった罪を犯した5人の囚人が送り込まれてきた。彼ら5人は同じ刑務所部屋になるが、何かとふてぶてしい態度をとるロバーツ(ショーン・コネリー)のせいで、看守長ウィルソン(ハリー・アンドリュース)から目をつけられ、彼の新しい部下であるウィリアムズ看守(イアン・ヘンドリー)から猛烈なシゴキを食らってしまう。
 ある日のこと、ウィリアムズの徹底的な度を過ぎたシゴキのせいでスティーヴンス(アルフレッド・リンチ)が死んでしまう。あまりにもの理不尽な扱いに怒りを募らせたロバーツはついに刑務所内の実態を告発しよとするのだが・・・

 ちなみにタイトル名にもなっているとは、体罰のために重装備で駆け足で上り下りをさせられる砂丘のこと。北アフリカの炎天下でやらされているのを見ると本当にコッチまで体罰を喰らっているように思えてしまう。執拗な嫌がらせを権力を利用して囚人達に課しまくるウィリアムズの卑劣さが凄いし、部下である彼の責任が問われると自分の首が吹っ飛ぶことを心配してウィリアムズの肩を持とうとする看守長のウィルソンの囚人達をしごきまくることに関しては何事も厭わない恐るべきドエスっぷりを発揮する場面は観ていて気分が滅入ってくるぐらいだ。
 看守側にも良い人が居たり、軍医が居たり、看守長の上の位である所長もいるのだが、これが全く役に立たない。このような中で囚人達が体力のみならず精神的にもぶっ壊れていく展開が非常に巧みだ。ところどころで巧みな演出も目立っていて感心させられたり、また権力者の言いなりになっている人間の卑屈さ、弱さをまじまじと見せつけられたりで観終えた後は疲労に駆られた。それに輪をかけるようなラストシーンでこれが非常に秀逸すぎて、人間の誇りがズタズタにされる。
 本作を観終えて冷静になって考えると、なぜ007シリーズで絶頂期バリバリの英国人であるショーン・コネリーが、このようなイギリス軍隊を猛批判するような映画に出演しているのか?よく考えれば、彼の中には英国からの独立志向が強いスコットランド人の血が入っており、非常に政治的な発言が多かったことで有名。そんな彼のバックボーンが007シリーズで安堵している場合ではなかったことを本作を観て感じさせられた。
 ひたすら映画に娯楽を求める人には全く向かないが、人間の弱さ、腐った権力、こんな酷い刑務所があるのか!?なんて感じたい人には今回は映画をお勧め映画として挙げておこう

 監督は社会派映画の分野で多くの傑作を遺したシドニー・ルメット。彼の初期作品は本作のように後味の悪い作品が多いですが、その中でも質屋未知への飛行がお勧め。そして、彼を最も有名にした十二人の怒れる男セルピコ狼たちの午後ネットワークデストラップ 死の罠評決など、僕が観た映画の中でもキリがないほどお勧め作品が多いです





 

 

 
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映画 マダムと泥棒(1955) 笑えるクライムサスペンス

2023年06月24日 | 映画(ま行)
 ハリウッド映画の泥棒映画を観ていると、驚くほどチームワークが悪かったり、なんでそいつを仲間に加えたんだ?なんて不思議に感じると同時に笑えたりすることもあったりする。そんな泥棒映画において、とにかく笑えるのが今回紹介する映画マダムと泥棒。古い映画ではあるが、本作はコーエン兄弟監督によってレディ・キラーズという邦題でリメイクされるほどの名作だ。
 本作が面白いのは、どう考えても犯罪計画が適当過ぎたり、映画史上において最悪のチームワークが見れたり等が挙げられるがそれ以上に犯罪集団とは真逆のタイプである『とにかく人が良過ぎて、お節介過ぎるおばあさん』の存在。この非常に場当たり的な登場人物の設定のおかげで愉快な犯罪映画を観ることができる。

 サスペンス感はユル~い気もするが、とにかく登場人物達が揃いも揃って大ボケをかましてくれるストーリーの紹介を。
 ロンドンのキングス・クロス駅の近くで、自分が住んでいる家を下宿屋として営んでいるウィルバーフォース婦人(ケイティ・ジョンソン)は大昔に主人を亡くして未亡人である。ある日のこと、彼女の元に部屋を音楽の練習を5人でするために二階の部屋を貸して欲しいとマーカス教授(アレック・ギネス)が訪れる。日頃、飼っているオウムしか喋り相手がいない彼女は少しは寂しさが紛れると思いマーカス教授達に部屋を貸す。早速、仲間を連れてやってきたマーカス教授たちだが、音楽の練習なんて言うのは嘘。彼らの目的は現金輸送車を襲うこと。マーカス教授は自分の計画を自画自賛して間違いなく成功すると確信していたのだが、人が良過ぎてお節介の度が過ぎるウィルバーフォース婦人に度々邪魔され、計画がはかどらない。少々苛立ってきた5人組だったが、マーカス教授はウィルバーフォース婦人も犯罪計画に彼女が知らないように巻き込もうと利用することを思い立つのだが・・・

 実はこの映画が面白くなってくるのが、大金を強奪してからの予想外の展開が起きてから。大金強奪するまでの展開はハッキリ言って単なる前振りに過ぎない。この5人組が泥棒だったことにウィルバーフォース婦人が気づいてから(もっと早く気づけよ!)が凄い展開。ネタバレは出来ないが、後半のイギリス流のブラックジョークを感じさせる怒涛の大ボケに、俺は笑ってはいけないシーンでも笑ってしまった。
 ストーリーもさることながら、セットとロケーションの融合が映像の見た目としては粗だらけだが、意外にこれが映画としては大活躍。この下宿屋の立地条件がどう考えても奇妙に思うのだが、これがクライマックスで活きてくるのには思わず唸らされた。それにしても頭にドッカンとくるような衝撃と相変わらずのウィルバーフォース婦人の天然ボケが最後の最後まで楽しませてくれた。
 コーエン兄弟のレディ・キラーを観た人も観てない人も楽しめるし、ゆる~いサスペンスが好きな人、少しぐらいは笑える映画が観たい人、俳優たちの演技によるアンザンブルを楽しみたい人等に今回はマダムと泥棒をお勧めに挙げておこう

 監督はアレクサンダー・マッケンドリック。本作のようなコメディ的な要素を全く感じられない社会派映画成功の甘き香りがお勧め




 
 
 
 

 
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映画 地獄に堕ちた勇者ども(1969) 骨肉の争いが凄すぎ

2023年06月21日 | 映画(さ行)
 今に始まったことではないが、なかなか人の顔と名前が覚えられない。最近の映画ならば登場人物が多くても知っている人が殆どから、ある程度は大丈夫。しかし、俺が生まれる以前の映画で登場人物が多くなると、いくら俺が生まれる以前の当時は大スターだったと言われても、現在において知らないと、これは観ていて辛いものがある。そんな訳で今回紹介する映画地獄に堕ちた勇者どもだが、最初から気合を入れまくって観ないと、前半でストーリーから脱落してしまって何のこっちゃわからん、なんてなりかねない映画。最初の方で富豪一家がテーブルに座っているシーンがあるが、その時までにここに座っている登場人物の顔、名前、人間関係を徹底的に頭に入れておくつもりで観た方が良いだろう。
 しかしながら幸いなことにストーリーは至ってシンプル。第二次世界大戦前のドイツで隆盛を誇る鉄鋼所の跡目を狙っての権力争い。そこにあの大悪党のナチスがチャチャを入れてきて、非情な骨肉の争いが繰り広げられる。そして、なぜナチスがドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ全体に暗雲をもたらすほどの圧倒的なパワーを持つことになったのかを少しわかった気分になれる歴史映画の面もある。

 ストーリーは単純でも多くの登場人物、それぞれの思惑が複雑に絡み合う内容をできるだけ簡単に紹介しよう。
 1933年のドイツにおいて。ドイツで鉄鋼産業を中心に隆盛を誇っていたエッフェンベルグ家。ナチスが政権を担うことになってエッフェンベルグ家の当主であるヨアヒム男爵(アルブレヒト・シェーンハルス)は自らの誕生日の祝いの席で、これからはナチス寄りの立場を鮮明にし、自分の側近である副社長にナチスの突撃隊員でもあるコンスタンティン(ラインハルト・コルデホフ)を任命する。その数時間前に国会議事堂が爆破(ドイツ国会議事堂放火事件)され、反ナチス体制側だったヨアヒムの娘婿のヘルベルト(ウンベルト・オルシーニ)を一族から追い出すことになり、しかも彼は国会議事堂放火の罪で国外へ逃亡することになる。そんな時にヨアヒムが何者かにヘルベルトの拳銃によって射殺される事件が発生してしまい・・・

 ヨアヒム男爵を長とするエッフェンベルグ家の壮大な内輪揉めが発生。身内や会社の重役、そしてナチス親衛隊の偉いさんを交えての裏切り、騙し合い、殺し合いが繰り広げられる。そんなエッフェンベルグ家の中でも、特に変わり者なのがヨアヒムの孫に当たり、父親は先の大戦で死亡したマルティン(ヘルムート・バーガー)。最も政治、会社のことに興味がない人物なのだが、マルティンはヨアヒム家の直系であるために、何かと権力争いに利用される立場になってしまう。しかも、笑えるのが彼のキャラクター設定。女装好き、ロリコン、ゲイ、そして母親のゾフィー(イングリッド・チューリン)を強姦してしまうような変態野郎。弱みを握られてアッチやコッチから脅され、コロコロと立ち位置を変えるいい加減な人間として描かれているのだが、こんな奴が居るか~?なんて思えるぐらいの個性的過ぎる設定なのだが、これが観終わった後に考えると、実は何かと考えさせられる暗喩的な人間だと気づかされる。
 ナチスの中でも親衛隊と突撃隊があり、親衛隊による突撃隊を粛清する『長いナイフの夜』も描かれているが、この馬鹿騒ぎシーンは強烈なインパクト。現実はこの事件によってヒットラーによる独裁政治の行方は決定したのだが、この場面はナチズム批判を感じさせる名演出シーンだと言えるだろう。
 ドイツの退廃的ムードが気持ち悪く感じたりもするが、ナチスの狂気、それに抗うことが出来ない地獄の世の中を感じさせ、鉄鋼所から猛烈な勢いで湧き出る火炎が人間の欲望を象徴する。映画にひたすら楽しさを追求する人には向かないのは確かだが、ナチスの怖さを知りたい人、知らない人も多いと思うのだが第二次世界大戦前におけるナチスドイツを知りたい人、とことん人間の闇の部分を追求したい人、ドロドロの人間関係の映画が好きな人、そしてルキノ・ヴィスコンティ監督作品と聞いて心が躍る人に今回は地獄に堕ちた勇者どもをお勧め映画に挙げておこう。繰り返すが、最初から登場人物の顔と名前と人間関係を必死で頭に叩き込んで観るつもりでご鑑賞を

 監督は前述したルキノ・ヴィスコンティ。イタリア映画のみならず世界に名を遺した大映像作家。デビュー作品から最後まで名作を撮り続けた偉大なる巨匠。本作も含めて彼の作品は好き嫌いが分かれると思うが、個人的に俺が彼の作品で最も好きなのはアラン・ドロン主演の若者たちのすべて、他に遺作となったイノセント、イタリアの時代の変遷を老教授の心に染みこませた家族の肖像、女の情念を描いた夏の嵐はビスコンティ監督は敷居が高いと思っている人でも比較的観れると思います。他にサスペンス映画としてフィルムノワールの代表作品としてジェームズ・M・ケインの小説の映画化郵便配達は二度ベルを鳴らすは初期のヴィスコンティ監督作品としてお勧めです。

 

 
 
 




 






 




 
 

 

 
 
 


 
 



 

 

 
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映画 超音ジェット機(1952) 飛行機の進歩を学べる?

2023年06月18日 | 映画(た行)
 産業革命により鉄道や蒸気船といった発達を起こし、交通の利便性に大きな変化を授けた。そんな産業革命の発祥の地であるイギリスで飛行機の進歩を描いた作品が今回紹介する超音ジェット機。ちなみに原題はThe Sound Barrier。直訳すれば『音速の壁』。時々、センスの欠片もない下手な邦題を目にすることがあるが、この邦題はなかなかイケてる。
 さて、『音速の壁』とは何ぞや?。本作の公開された年は1952年だが、それまで多くのパイロットや開発者達が早く飛行機を飛ばそうと躍起になっていた。しかし、どうしてもある音速を誰も超えることができないでいた。その限界値が『音速の壁』であり、その音速の壁によって多くのパイロットは犠牲になり、飛行機も無残な姿になっていた。その限界値がマッハ1。航空会社やパイロットがマッハ1へ到達しようと飽くなきチャレンジが描かれているのが本作の内容。それだけなら本作は単なる航空映画になってしまう。確かにそのような面を持っているのは確かだが、むしろ本作を観て心を奮えさせるのが文明の進歩における積み重ねが、さらりと描かれているところ。

 早速だが、過去だけでなく未来まで見通せそうなストーリーの紹介を。
 第二次世界大戦も終わりかけの頃、イギリス空軍のパイロットであったトニー(ナイジェル・パトリック)は航空会社を経営する大富豪ジョン・リッチフィールド(ラルフ・リチャードソン)の娘であるスーザン(アン・トッド)と結婚する。結婚後はトニーはジョンの会社のテストパイロットとして働くようになる。
 ジョンは息子であり、スーザンの弟であるクリストファーが嫌がるのを承知で飛行機の運転を学ばせ、テストパイロットに育てようとする。そして、自社開発の飛行機のテストパイロットとしてクリストファーを乗せるが、事故って死亡。実の息子を亡くしたにも関わらず、平然と飛行機開発に勤しむ父親に対してスーザンは怒りと悲しみに襲われ、夫であるトニーが飛行機を運転する度に心配することになる。
 いよいよ飛行機の速度のマッハ越えに憑りつかれているジョンだが、トニーとスーザンの新婚旅行中にもテスト飛行に失敗してしまい、パイロットの命を亡くしてしまう。飛行機の設計ではなく、テストパイロットの技術不足だと考えるジョンは、いよいよマッハ越え、すなわち『音速の壁』を突き破るためにテストパイロットとしてトニーを指名するのだが・・・

 息子の命を亡くしても、速く飛ばせる飛行機を作り出そうとする大富豪ジョンの欲望にドン引き。そりゃ~、娘のスーザンも家を出て行こうとするよね~、だって息子(ジョンの孫)までお祖父ちゃんのトチ狂った目的のために息子(ジョンと命名される)までテストパイロットにされちゃ~、毎日が心配で頭が変になりかねない。
 何でそんなに犠牲を払ってでも飛行機を速く飛べるようにしたいの?なんて質問したくなるが、実際にスーザンや研究者も俺が思うまでもなく、ジョンお祖父さんに尋ねる。その質問に対するジョンお祖父さんだが、スーザンだけでなく俺も納得できるような答えを聞かされなかった。
 しかし、本作が公開された1952年から70年を経た現在において飛行機の技術は目覚ましい進歩を遂げた。マッハ1で飛ばすのも困難を極めた時代も、最近公開されたトム・クルーズ主演のトップガン マーヴェリックではマッハ10に大きく進歩した。技術の進歩は飛行機だけでなく、あらゆる物において顕著に見られるのは多くの人が実感し、昔よりも便利になっていることに有難さを感じているだろう。
 そのように考えれば本作を観た後にぼんやりとだが理解できることがあるだろう。昔の人の知恵と勇気によって、現代を生きる人々はどれだけの恩恵を受けているかを?そして、それは未来においても変わらない。この世の中は便利になり過ぎた~!なんて、ぼやいている人もいるが、それは血と汗を流しながら働いてきた人に対して失礼極まりないこと。俺は先人に改めて感謝の意を表明したい。
 さて、本作だがスーザンの女性の心理を巧みに描いている。そして、本作に登場する英国人男子を観ていると彼らの凄さを感じることができる。いきなり「明日はお前がテストパイロットだ」なんて命令されても、嫌そうな顔を一つも見せずに「ラジャ~」と即答するところ。嫌なことや、少しでも面倒なことを頼まれると、すぐに断ってしまう俺はとことん反省させられた。
 昔の映画と言っても飛行機が飛び出すシーン、爆音も迫力があるし、ヨーロッパの方へ観光した気分に少しだけなれるのも良い。飛行機映画の基本形としてだけでなく、観る人に色々な物をうったえかける作品として今回は超音ジェット機をお勧めに挙げておこう

 監督は偉大なる名匠デヴィッド・リーン戦場にかける橋アラビアのロレンスドクトル・ジバゴなど、大画面で映える作品群で有名。他に逢引き旅情など、お勧めがたくさんあります





 

 

 
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映画 戦艦ポチョムキン(1925) 映画史において革命的な作品です

2023年06月10日 | 映画(さ行)
 1925年のソ連時代の映画、ということで相当古いし、もちろんモノクロ、サイレント。本作のハイライトシーンの舞台となるオデッサの階段だが、現在におけるウクライナに位置し、このシーンのおかげで戦艦ポチョムキンの名は永遠に語り継がれ、映画史上に燦燦と輝く名作となった。今回俺自身がやっと観ることが出来たのだが、流石の俺もモノクロ、サイレント、そしてソ連映画となると本当に見応えがあるのか不安だったのが、今に至るまでズルズルと観るのを引き延ばしてきた原因の一つ。恐らく多くの人も俺と同じ想いを持っている人も多いはずだが・・・

 早速だが、実際に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を基にしたストーリーの紹介を。
 戦艦ポチョムキンが航海している最中の出来事。日頃の上官の仕打ちに水兵達は不平不満を募らせていたのだが、ある事を切っ掛けに水兵達の不満が爆発する。それは、うじ虫の湧いた肉のスープを無理矢理飲まされそうになったこと。そんなスープなど水兵の誰も飲んでいないのだが、上司から非情な宣告が通知される。それはスープを飲んでいなかった者は銃殺刑に晒されること。その宣告を切っ掛けに水兵達は一致団結して、上官達に立ち向かい戦艦ポチョムキンを乗っ取るのだが・・・

 あらすじにも書いたが肉に湧き踊っている「うじ虫」の様子の見せ方のアイデアに感心させられた。1つ間違えればグロテスクの極みだが、モノクロの映像ということもあり不快感はない。むしろ帝政ロシアの専制政治の批判に対するメタファーとして効いてくる。
 そして戦艦ポチョムキンを乗っ取って、オデッサに入港してからのシーン。そこまでに宗教、市民の不平不満等などを描いて見せるなど、ソ連万歳のシーンが色々あったように思えたが、そんな物を忘れてしまいそうになるぐらいぶっ飛んだシーンが、冒頭で述べたオデッサの階段における虐殺シーン。このシーンを面白いと書いてしまうと、このご時世においては非常に不謹慎も甚だしいのは承知しているが、一気に飲み込まれるぐらいの勢いで俺の脳内を活性化させられた。
 オデッサの階段が映画史において革命をもたらし、後々においてブライアン・デ・パルマ監督も自らの作品において露骨にパクっているし、もしかしたら黒澤明監督の普及の名作である七人の侍もあれほど面白い映画にならなかったかもしれない。
 古すぎる、サイレント、モノクロなんて理由で敬遠してたら勿体ない面白さが、本作にはある。そして上映時間も75分と短いのも有難い。出来ればもっと平和な時に観て欲しいと思ったりしたが、あんまり観るのを先延ばしにして欲しくないぐらいの凄さがある、ということで今回は戦艦ポチョムキンをお勧め映画として挙げておこう

 監督はセルゲイン・エイゼンシュテイン。本作で才能を見せつけたが、けっこうな早死にしているのであんまり作品が多くないのが残念。この監督では本作しか観ていないが、イワン雷帝が観たいです。





 
 
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映画 サンセット大通り(1950) 映画界の内幕をバラします

2023年06月07日 | 映画(さ行)
 元国会議員で暴露系YouTuberを名乗る〇〇シーが逮捕されたが、今回紹介する映画サンセット大通りは同じ暴露系でも、映画界の内幕を暴き出した映画。最近でもハリウッドの内幕を描いた映画は多いが、本作はその走りであり、それらの映画に大きな影響を与えているのは間違いあるまい。
 かなり古い映画であり、今では古典的名作として挙げられることのある映画ではあるが、昔のサイレント映画に造詣が深い人にとってはたまらないシーンが連発。なんせ実名はバンバン出てくるし、サイレント映画界時代の大物だったあの俳優、映画監督も本人役で登場する。そういった意味ではサイレント映画にオマージュを捧げているようにも思える映画だ。
 さて、本作を観る前に知っておきたい事として大まかな映画の時代の流れの説明が少し必要だろう。だいたい1900年頃に映画は始まったようだが映像はモノクロ(白黒)で、サイレント(無声映画)。しかし、1920年代後半からトーキー(声有りの映画)となり、やがてカラー映画も作られることになる。そんな映画の流れに被害を受けたのがサイレント時代に活躍した女優たち。サイレントにモノクロの時代なら美人や可愛い子ちゃんであれば、映画スターの座に居続けられるとしたものだが、それがトーキーになってくると台詞は棒読みではいけないし、訛りがキツイ、発音が悪いとかも致命傷になりかねない。更にモノクロだと顔のシワやシミがバレなかったりで誤魔化しが利かすことができるが、カラーになるとそれらをカバーするのが大変だし、モノクロだと美人だと思っていたのにカラーになったら案外だったなんてこともあり得たりする。更なる加齢による容姿の衰えはモノクロ映画全盛期にスターの座を掴みとっていた女優達の多くは、このような弊害によって急に仕事が無くなったりして、次第に忘れられた存在になってしまうなんてことも多々あった。そして本作が公開された1950年という時を想うと、既にトーキー全盛であり、サイレント時代に活躍した映画女優にとっては如何に厳しい時代だったか、今の人にも想像できるだろう。
 
 長い前触れはこのぐらいにしておいて、本題のストーリーをできるだけ簡単に紹介しよう。
 ハリウッドのサンセット大通りの豪邸で独りの男がプールにうつ伏せで浮かぶ格好で死んでいる男がいる。彼は金に困っていて売れない二流の脚本家であり、名前はギリス(ウィリアム・ホールデン)。彼は何故死んでしまったのか?
 ギリスが死亡する半年前のこと、彼はすっかり生活に困窮し車の取り立てに追われていた。取り立てから逃げおおせた所が、ハリウッドのサンセット大通りにある外見は幽霊屋敷化した豪邸。恐る恐る家の中に入っていくと、そこにはサイレント映画時代の大スター女優であったノーマ・デズモンド(グロリア・スワソン)と怪しげな雰囲気をしている執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトラハイム)が住んでいた。外見とは裏腹に、家の中は結構なきらびやか。最初こそはギリスは追い返されそうになるが、どういうわけか、ノーマからこの家に住んでも良いと言われる。いかがわしい雰囲気が漂うこの家から出て行きたかったギリスだったが、結局は住みこむだけでカネは貰えるし居つくことに決める。しかし、ノーマの過去の栄光に縋り付く妄想は次第に激しくなり、寄りに寄って彼女に惚れられてしまっては益々の不自由さを感じる。脚本家としてハリウッドで成功する夢を全て捨てて、田舎へ帰る決心をしたギリスだったのだが、冒頭の悲劇が起きてしまい・・・

 死亡した人間が『どうして私はこんな事になったのでしょう?』って観客に問いかけてストーリーが進み、ちょいちょい死亡した男のナレーションが入る構成。今では結構このようなスタイルの映画はあるが、当時は相当に珍しいように思う。演出が秀逸なお陰で、この死亡した男性の遺体の撮り方が魅せる。
 さて、この嘗ての大スターであるノーマ・デズモンドだが過去にしがみ付く様子が怖いし、また銀幕に復帰するためのストイックさも怖い。ノーマを演じるグロリア・スワソンだが、この人自体がサイレント期の大スター女優。実は彼女は等身大の自分を本作で演じていたことになる。そして、このような背景が最後の最後で本領発揮の名場面につながるのだ。
 そして、執事のマックスだが異様な雰囲気を醸し出しているが、この人の正体をここでバラすことは止めておくが、演じるエリッヒ・フォン・シュトラハイムを知ると、この映画の非常に計算されいることが良く理解できるだろう。そして、この人物もそれまでは何だか不気味だったのが、最後に一気に光輝く。
 サスペンスタッチでフィルムノワールの典型的な作品だが、最後の最後に強烈なシーンで魅せるから、本作の評価は非常に高い。もちろん最後の最後だけが優れた映画ではない。本作の脚本家はギリスのような二流脚本家ではないことが、映画全体の台詞からよくわかるし、ちょいちょいシニカルな笑いもある。俺が印象的だったのが、ノーマが自宅にかつてのサイレント全盛の映画スターを集めてカード遊びをしているシーンがあるのだが、その時にギリスが語る台詞は笑えた。
 ただでさえ人生負け組みのギリスがノーマによって追いつめられる様子はホラー映画に近いし、非常に洗練されたタッチは演出の妙を感じさせる。あまりにも古い映画なので、本作の登場人物に対して感情移入し難い面はあるかもしれないが、古い映画をよく知っている人にとっては最初の方にも述べたように色々な意味で楽しめる。もちろん映画の方も見応え充分でサスペンス好きな方なら非常に楽しめる。暴露系と言ってしまうと最近では非常に印象の悪さを伴ってしまうのが残念だが、演出のテクニック、シニカルな笑い、ストーリー構成といった玄人受けする映画として今回はサンセット大通りをお勧めに挙げておこう

 監督はビリー・ワイルダー。何回もこのブログでは書いているが、俺の最も大好きな映画監督。随所にテクニックを感じさせる演出は本当に楽しいし、本作のようなサスペンス、ラブコメになかなかに得意幅が広い監督。色々とお勧め映画はあるが、あえて一作だけ挙げるとアパートの鍵貸しますは何回でも観れます







 

 

 
 
 

















 
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