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褒めまくる映画伝道師のブログ

映画の記事がメイン。自己基準で良かった映画ばかり紹介します。とにかく褒めることがコンセプトです。

映画 ニュールンベルグ裁判(1961) 戦後ナチスドイツを裁く軍事裁判

2023年07月17日 | 映画(な行)
 俺なんかは茶番劇だと思っている第二次世界後の敗戦国である日本の当時の指導者達を裁いた東京裁判。あの裁判のおかげで我が国ニッポンは未だに戦後の自虐史観から抜け出せずにいるのが現状。敗戦国は日本だけでなくドイツもまた然り。ドイツにおける第二次世界大戦中において、戦争責任に問われたナチスドイツの指導者を裁く司法裁判の行方を描いた作品が今回紹介する映画ニュールンベルグ裁判。両裁判とも戦勝国側が一方的に敗戦国側を裁くという図式だが、果たしてそのようなことで公平な裁判が本当に行われたのかどうか?
 現代の我々の多くは、ナチスドイツと聞くだけで悪魔の如く凶悪な集団のように思えてしまったりするし、その様に教えられたし、またそのような本や映画を読まされたし、観てきた。しかし、もう一度自分に問いかける。一体、アドルフ・ヒットラーという人類史上始まって以来の大悪党を産んでしまった原因は何なのか?ユダヤ人大虐殺は弁解の余地のない程の残酷な仕打ちだが、しかし彼が第二次世界大戦を引き起こした要因において、他国には責任はないのか?物事を一方通行で観てしまうと本質を見誤ることがある。その点を少々なりとも理解するのに本作は良い教科書だ。
 ストーリーの紹介をする前に少しばかり説明を付け加えておこう。1933年にナチスがドイツの政権を担当することになる。それも選挙によってだ。どこぞの国は暴力革命で政府が誕生したりするが、ヒットラーを最高指導者とするナチスは民主主義による手続きを経て誕生したのだ。ナチス政権が誕生する前にはワイマール憲法というのが存在している。この憲法は我が国日本の旧憲法だけでなく、世界的に模範とされる憲法とされている。
 しかしながら、ヒットラーを中心としたナチスは1935年に権力を逆手にとって自らの野望を剥き出しにした法律を改変する。その内の一つが断種法。アーリア人以外の民族の浄化を目的としていたヒットラーはユダヤ人を無理矢理に避妊手術を受けさせるような法律を作ってしまった。その犠牲者としてモンゴメリー・クリフトが出演している。
 そして本作にはもう一つ重要な案件の裁判としてフェルデンシュタイン事件。これはナチス政権時代の出来事で、当時16歳のアーリア人の少女アイリーン=ホフマン(この役をジュディー・ガーランドが演じている)がユダヤ人であるフェルデンシュタインと肉体関係が有ったのか無かったのか?という裁判。ナチス政権下の裁判においては最初から有罪ありきの裁判であり、ロクな裁判も行われずにユダヤ人であるフェルデンシュタインは死刑、アリリーン=ホフマンは2年の懲役刑が言い渡される。
 このナチス政権時代に行われた、この二つの案件に対して有罪判決を出した当時の4名の判事をアメリカ軍の検察が告訴し、それに対してドイツ人の弁護士が迎え撃とうとするのが本作の大きなメインテーマ。

 長々とした前振りはこれぐらいにしておいてストーリーの紹介を。
 1945年にアメリカを中心とする連合国が勝利して第二次世界大戦が終わる。1948年にドイツのニュールンベルグでナチスドイツの犯罪に関わった人物の裁判が行われていた。その内の一つである司法裁判において裁判長を務めるダン(スペンサー・トレイシー)がアメリカからやって来る。
 被告席にはナチス政権時に「断種法裁判」と「フェルデンシュタイン事件」に関わった当時の4人の判事が居たのだが、その中にはワイマール憲法の起草にも携わった世界的法律家として名高く、ナチス政権下で法務大臣を務めていたヤニング(バート・ランカスター)も座っていた。
 彼ら4人を訴えたのがアメリカ軍のやり手の検事であるローソン大佐(リチャード・ウィドマーク)、そして彼と激しくやり合うドイツの弁護士でありヤニングのことを前々から尊敬していた若き弁護士ロルフ(マクシミリアン・シェル)。裁判の行方は巧みな論法でロルフが有利で進んでいたのだが、ローソン大佐がナチスドイツの残虐行為の記録映像を法廷内で公開してから空気は一気にローソン大佐へと変わる。それでも祖国ドイツの誇りを守るために奮闘するロルフ弁護士だったのだが、裁判中にヤニングが自ら有罪を認める発言をしてしまい・・・

 被告席に座っている4人のナチス政権下での判決振りがもの凄く酷い。ナチスの利に適わない人間を法廷に引っ張り出して、サッサと死刑判決。俺なんかはこれは酷いの一言でその先の言葉が出てこないのだが、ロルフの弁護が非常に巧みなだけでなく、色々と考えさせられた。異常な政治体制下において、どこまで人間は正しい判断ができるのか?。特に本作はドイツ人から祖国という言葉がよく出てくる。当時のヒットラーが出現するまではドイツ人は貧困を強いられていた。そんなドイツ人が絶望の中に希望を見出したのがアドルフ・ヒットラー。現在の感覚では考えられないが、彼の演説によって多くのドイツ国民は勇気づけられ、心酔した。実際にヒットラーは戦争で連戦連勝でヨーロッパの殆どの国を統治下に治め、ドイツ国民を貧しさから救った。そして、当時のドイツ人達はあのようなユダヤ人大虐殺が行われていたとは殆どが知らないわけだ。
 そして実はずっと喋らないでいたヤニングだが、彼が証言台で語ったことが非常に考えさせられる。彼はヒットラーを嫌っていたのだが、絶望的な状況に陥っているドイツを立て直すにはヒットラーの力が必要だと。しかし、それは一過性のことであり、いずれはヒットラーも表舞台から消えるだろうと。しかしながらヤニングの予想は大きく外れてしまい、とんでもない記録映像を観てしまった。ヤニングだけでなく、他の被告人もヒットラーを支持することで祖国ドイツ復活を願っていたし、また政治状況からヒットラーを支持するしか仕方なかったのではないか?。自分の立場を守るか、それとも自らの立場を捨ててまでヒットラーに対して背信行為を行えるか、これは今だったら答えは簡単に出せるが、その当時の人にとってはどちらが正解かの答えを出させるのは非常に酷だと思える。
 そして法廷内での裁判官が議論してくる中で出てくるが国際法か国家法のどちらが優先されるかの問題。よく考えたら当時のドイツの状況だったら国家法が優先されるよな~なんて思った俺はアホなのか?この被告席の4人は無罪じゃね~なんて思ったのだが・・・。このように考えさせられるから勝者の一方的な価値を押し付けて法廷で裁くことの難しさを痛感させられる。
 他にも東西冷戦による政治的駆け引きが出てくるシーンがあったり、ヤニングが最後に見せる表情はどういうことだったの?なんて考えさせられたり、それ以外にも色々なテーマが含まれている作品。今まで書いた出演者以外にもマレーネ・ディードリッヒが非常に考えさせられるシーンに出てきたり、豪華出演陣の映画の割にそれぞれが素晴らしい演技を見せているために誰もが印象的。
 そして、俺が最も心が震えたのが、まさかのマクシミリアン・シェル演じるロルフの最終弁論。ナチスに忠誠を誓っている被告を弁護する奴の言うことなんか出鱈目ばかりだろうと当初は思っていたのが、最後の最後にこんなに的を射た演説を聞かされるとは夢にも思わなかった。「この被告席の4人が有罪ならば戦争で金儲けをしたアメリカ人も有罪だ」。これをアメリカの裁判官にぶちまけるのだが、本当に気持ち良かった。アメリカの方が第二次世界大戦でもっと悪いことをしているだろう。
 それにしても本作はハリウッドが製作したわけだが、本作のような内容の映画を撮ってしまうアメリカのリベラルの凄さをまざまざと見せつけられた気がする。いかに日本のリベラルが日本の役に立たないかが本作によって浮き彫りにされてしまったことが非常に皮肉に思えた。
 3時間の長丁場だが、色々と考えさせられ勉強させられる映画。観ている最中は心が揺れ動きっ放しだったのだが、東京裁判を経験している日本も本作の内容は無関係では済まされない。色々と何気ない台詞の中にも含蓄があったりで、何回も観たくなる映画として今回はニュールンベルグ裁判をお勧め映画に挙げておこう

 監督はスタンリー・クレイマー。社会派映画の傑作が本作以外にも多数。人種差別の愚かさを黒人と白人の逃避行という形で描いた手錠のままの脱獄、原爆の恐怖を意外性を持って描いた渚にてあたりがお勧めです


 
 
 

 
 
 

 

 


 
 
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映画 嘆きのテレーズ(1953) 最後に畳みかけるサスペンス映画

2022年03月28日 | 映画(な行)
 ハリウッドのようなCGを思いっきり使ってのド迫力サスペンス映画も楽しいが、フランスのCGは使わなくとも人間心理を活かしたサスペンス映画も楽しい。そんな文豪エミール・ゾラの小説テレーズ・ラカンを原作とした映画化作品が今回紹介する嘆きのテレーズ。最初は男女の不倫に端を発したサスペンス映画かと思いきや、後半の二転三転する展開が非常に面白く、想像力を掻き立てるラストシーンを見せつけられて、良い映画を観たなと心の底から思える作品だ。フランスのサスペンス映画は男女の機微が描かれ、大人の気分になれるのが良い。

 早速だがストーリーの紹介をできるだけ簡単に。
 フランスのリヨンにおいて、テレーズ(シモーヌ・シニョレ)は病弱の夫カミーユ(ジャック・デュビー)の世話に追われ、しかも姑のラカン夫人(シルヴィー)は息子を溺愛するあまり、テレーズに対しては冷たく、ひたすらつまらない日々が続いていた。
 ところがある日のことカミーユは仕事場で意気投合したイタリア人のトラック運転手ローラン(ラフ・ヴァローネ)を連れて家にやって来る。テレーズは夫のカミーユと違って逞しさを持っているローランに惹かれるようになり、ローランもテレーズが夫のカミーユを愛していないことに気付き、テレーズを愛するようになる。
 テレーズとローランは駆け落ちしようとするのだが、そのことを知ったカミーユは先手を打ってテレーズとパリの親戚の家に電車で行こうとするのだが、すっかり愛に盲目になってしまったローランは2人の後を追いかけ、ローランはカミーユを電車から突き飛ばして殺してしまう。誰にもバレてないと思っていた二人だったが、彼らを脅迫しようとする人物が現れて・・・

 自己中の男と心身ともに満たされない奥さんの不倫を描いた映画かと思いきや、電車の中で人殺しをしてからのサスペンス感が非常に楽しい。防衛本能が働くテレーズは夫殺しの疑いを掛けられローランとの関係を止めようとするのだが、イタリア人運転手のローランがテレーズのことを諦めずに一緒に駆け落ちしようとする一途さに笑える、じゃなくて泣けてきた。しかし、この映画の本領発揮は後半の更に後半だ。たまたま一緒の電車に乗っていた元水兵リトン(ローラル・ルザッフル)が、テレーズを脅迫するために、おんぼろバイクで現れてから。それにしても本作はよく考えたらロクな大人が出てこないことに気付いた。
 どう考えてもテレーズとローランが一緒に駆け落ちして暮らすことが出来ても幸せになれそうにないな~と思って見ていたのだが、予想外の事が起きて事態が二転三転する展開に驚いた。この2人の未来を想像させる終わらせ方が素晴らしい。勝手な愛やカネに目がくらんでしまった馬鹿な大人達と、言われた通りにする純粋な少女の対比が残酷な結末を表現する。ハリウッドの大袈裟なストーリーに飽きた人、良質なサスペンス映画を観たい人、いつも男を不幸にしてしまう役ばかり演じている印象のあるシモーヌ・シニョレに興味のある人に今回は映画嘆きのテレーズをお勧め映画に挙げておこう。

 監督はフランス映画史に燦燦と輝く名監督であるマルセル・カルネ。この人の映画を観ていれば、フランス映画とはこういうものなんだと少しばかり理解した気分になれる。人生の喜怒哀楽を描いた名作中の名作である天井桟敷の人々、ジャン・ギャバンが渋い霧の波止場陽は昇るわれら巴里っ子、そして安ホテルを舞台に様々な人生を描く北ホテル、チョット流行りの記憶喪失ムービーでもフランスらしさを感じさせるジェラール・フィリップ主演の愛人ジュリエットなどお勧め多数にして、フランス映画らしさを感じさせてくれます。
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映画 虹を掴む男(1947) 妄想する気持ちがわかる?

2021年12月14日 | 映画(な行)
 アメリカの偉大なる俳優でありコメディアンだったダニー・ケイ。もう今どきの若人どころかお年寄りも知らない人が殆どだと思うが、ガチョーンのギャグで有名なコメディアンであった谷敬が、芸名の参考にしたほどの人物だ。なんて偉そうに書いたが谷敬が古過ぎるってか?
 数多くの映画に出演していたダニー・ケイの代表作であり主演映画が今回紹介する虹を掴む男。貴方達の周りにも居ると思うのだが、お人良過ぎてさんざんこき使われて利用されている人がいるだろう。本作のダニー・ケイ演じる主人公がまさにそれ。しかも大した取り柄のない男だが、彼には日常茶飯事に起きる特別な癖があった。

 妄想や夢の中では何をやらしても無双を発揮するが、現実の世界では何かと嫌な思いばかりさせられている男に巻き起こる騒動とは?それでは簡単にストーリーの紹介を。
 出版会社で校正の仕事をしているウォルター(ダニー・ケイ)は、母親、婚約者、婚約者の母親などから無理難題を言われ、会社の上司からも無理難題を言われるだけではなく、自分の小説のアイデアまでもパクられる始末。何かと現実の世界では嫌な思いばかりしているが、日常茶飯事的にぼんやりして空想の世界に浸ることがあった。その空想の中でのウォルターは暴風雨に立ち向かう船長であったり、天才外科医であったり、敵軍を次々に撃ち落とすパイロットの名手であったり・・・とにかく自分自身が英雄である妄想ばかりしている。
 ある日のこと、たまたま電車の中で隣合わせで座っている女性を見てびっくりする。その女性はいつも自分の妄想の世界の中に登場する美女ロザリン(ヴァージニア・メイヨ)だった。しかしながらロザリンとの出会いによって宝石がらみの事件に巻き込まれてしまい、謎の組織に付きまとわれるだけでなく、危うく殺されそうになったりするのだが・・・

 ダニー・ケイ演じる主人公が妄想に入ってしまうタイミングが抜群だし、ふと我に返って現実に引き戻される瞬間がけっこう笑える。俺も時々、大金持ちのハーレム状態の自分を妄想しては、まるで真逆の現実に引き戻されてショックを受けることが多々あるので、何となく他人事のように思えなかった。
 しかし、この男が巻き込まれる現実は想像以上に過酷。これが妄想や夢の世界の出来事ならば簡単に解決できるのだがと思うとなかなかのブラックジョークが炸裂だ。全体的な印象としては笑いあり、ミュージカルあり、ファンタジーありで楽しい映画。サスペンス色も出てくるが、それも笑いに利用されている感じがする。そして、実は他人に良いようにこき使われている主人公の成長物語なのだ。
 俺の知っている奴にも、超大物政治家とツーショットの写真を撮って自分自身を偉そうにアピールしている目立ちたがり屋がいるが、実際は鬱陶しいと思われているのに気づいていない、非常にはた迷惑な妄想家。俺も絵空事のようなことばかり考えてないで、しっかり地に足を付けた生活をしよう、なんてことを考えさせられた。
 なかなか楽しい映画であり、ダニー・ケイの芸達者振りが見れる映画として今回は映画虹を掴む男をお勧めとして挙げると同時に、本作のリメイクである2013年の映画であるベン・スティラーが監督と主演をこなしたLIFE!/ライフも見ることをお勧めしておこう

 監督はノーマン・Z・マクロード。実はこの人のことを全く知らないので、ダニー・ケイの他のお勧め映画として5つの銅貨を挙げておこう。
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映画 何がジェーンに起こったか?(1962) 女同士の戦いです 

2020年11月10日 | 映画(な行)
 男同士のプライドを賭けた戦いを観ると熱いものがこみ上がってくるものがあるが、今回紹介するのは世界一仲が悪いように見える姉妹の争いを描いた映画何がジェーンに起こったか?ベティ・デイヴィス演じる妹が遺恨、憎悪、嫉妬を剥き出しにして、ジョーン・クロフォードを演じる姉を虐げる。男性である俺は女性のイジメってこんなに陰湿なのかと思わず恐怖におののいた。

 内容を紹介してしまう前に予備知識として姉妹を演じるジョーン・クロフォードベティ・デイヴィスの2人の女優について少しばかり説明しておいた方が良いだろう。2人ともハリウッド黄金期の1930年代~40年代にかけての大スター女優。前者はグランド・ホテル、後者は黒蘭の女といった名作にも出演している。しかしながら美人女優というのは悲しいかな年齢を重ねると人気は減少、それにともない出演作品及び役柄のレベルも低下し、いつの間にか忘れられた存在になってしまう。この2人もまさにそのような時期に差し掛かかりつつある時に出演したのが本作。かつてはトップ女優としてライバル関係にあった2人が、すっかり美貌が朽ちてしまった50歳代半ばに達して共演することの意味を考えながら本作を観るとより一層楽しめるだろう。もっと身近な例を挙げると、綾瀬はるかと石原さとみが20年後に映画でダブル主演として共演していることを想像するとわかり易いか?。

 サイコパスな人間が現実においても後を絶たないが、そのような話は映画の中だけにして欲しいと思えるストーリーの紹介を簡単に。
 1917年において、子役のジェーンはその愛くるしいルックスと歌で”ベイビー・ジェーン””と呼ばれて人気者。父は今や一家の金づるになっているジェーンを甘やかし、一方で姉のブランチに対しては非常に冷たかった。ブランチは妹のジェーンの舞台を羨望の眼差しで見ている。
 そして時は映画が流行しだした1935年に飛ぶ。この頃には2人の姉妹の関係は逆転。姉のブランチは大スターとして映画界で大活躍。ところが妹の方は大根役者であり、そして性格も我がままで映画会社から鬱陶しい目で見られていた。そしてある日の事、悲劇が起きる。ちまたの噂では泥酔していたジェーンが運転していた車でブランチを轢いてしまったらしい。ブランチは命は助かるが背骨を損傷してしまい車いす生活を余儀なくされる。
 そして更に現在(1962年)に至り、2人は同居生活をしている。妹のジェーン(ベティ・デイヴィス)が車いすの姉のブランチ(ジョーン・クロフォード)を、あの時の負い目があり嫌々ながら世話をしている。しかしながら長年の鬱憤から徐々に精神を蝕んでしまっているジェーンの行動は次第にエスカレート。事あるごとに姉のブランチに当たり出し、窮地に追い込まれたブランチも何とかして脱出しようとするのだが・・・

 とにかく妹のジェーンを演じるベティ・デイヴィスが凄い。50歳代半ばに達しているのだが、人気絶頂だった”ベイビー・シュガー”と呼ばれていた少女時代の栄光を未だに引きずっているのが何ともイタイ。そして八つ当たりの行き先が車椅子生活を余儀なくされている姉のブランチに向いてしまっているのだが、この虐待ぶりが凄い。とんでもない物を姉のブランチの食事に出したり、挙句の果てに暴行を加える。ブランチも色々と脱出を試みるのだがことごとく失敗。その度に恐ろしいお仕置きが待っている。本作を観るとスティーヴン・キング原作の映画ミザリーを思い出す人がいるだろう。
 すっかり瀕死状態に追い込まれている姉のブランチを応援しながら観ていたら、俺の気持ちを嘲笑うごとくカウンターパンチが待っていた。改めて俺ってお人好し過ぎることに気付かされた。そして、一番に肝に銘じたのが、女性には優しくしなければいけない、ってこと。
 サイコパスの人を主人公にしたサスペンスが好きな人、ハラハラドキドキする映画を観たい人、いつまでも過去の栄光にすがっている人、美女が出ていなくても女性が主人公の映画を観たい人に今回は意味深なタイトル名でもある何がジェーンに起こったか?をお勧めとして挙げておこう

 監督はロバート・オルドリッチ。骨太さを感じ、本作のように対決色を前面に出した映画を撮るイメージがある。ゲイリー・クーパーとバート・ランカスターの大スター同士の対決を描いた西部劇ヴェラクルス、骨太な戦争映画攻撃、リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナインといったイケメンとは程遠い2人がプライドを賭けて激突する北国の帝王、バート・レイノルズ主演で囚人と看守達がアメフトで戦うロンゲスト・ヤード、ジェームズ・スチュアート主演で広大な砂漠からの脱出劇飛べ!フェニックス等、お勧め映画多数です。
 

 


 
 
 
 
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映画 夏の夜は三たび微笑む(1955) ベルイマン監督のラブコメです

2020年07月19日 | 映画(な行)
 スウェーデンが生んだ20世紀を代表する映画監督であるイングマール・ベルイマン。映画史に残る傑作を多く遺した名匠だが、その作品群において人間の奥深くに潜む、葛藤、苦悩、絶望をえぐり出した。そんな彼の作品の中でも今回紹介する夏の夜は三たび微笑むは異色中の異色であるラブコメ。しかも、本作はベルイマンの名を世界に知らしめた記念碑的な作品だ。

 映画界に名を遺すほどの大監督はやっぱりどんな分野においても素晴らしい作品をいとも簡単につくってしまうことを証明するかのようなストーリーの紹介を。
 かつてはプレイボーイだった弁護士のフレデリック(グンナール・ビョルンストランド)は今では成人した息子ヘンリク(ビヨルン・ビェルヴヴェンスタム)の良き父親であり、まだ16歳の若妻のアン(ウラ・ヤコブソン)の良き夫でもある。ところが、ある夏の日の事、舞台女優であるテジレ(エヴァ・ダールベック)の公演があることを知ったフレデリックがアンも一緒に彼女の舞台を観に行く。実はテジレはフレデリックの昔の彼女だった。
 ある日のこと、フレデリックはテジレの母親の別荘へ招かれ、若妻のアン、息子ヘンリク、女中を伴って行くと、そこにはテジレの他に彼女の愛人アマルコム伯爵などもおり、ここから男女の恋の駆け引きの幕が切って落とされるのだが・・・

 フレデリックはかつての愛人テジレに心を動かされたりするも若妻を愛しているし、息子のヘンリクは女中と気があいながら、義理の母親とは年齢が近いこともあり恋心を抱いているし、テジレにしても現在の愛人がアマルコム伯爵だったり、アマルコム伯爵にも妻が居り・・・、なんて具合で登場人物の間で色々と恋愛関係が複雑に絡み合っている。けっこうドロドロの展開なのだが、ちょいちょい笑わしてくれるし、キャラクターも少しばかり共感できる人たちばかりなので楽しんで見れる。もしも、この登場人物の中に、誰もが憧れていたアイドル女優と結婚していながら、多目的トイレの利用方法を間違っているお笑い芸人みたいな奴が居てたら嫌悪感のあるストーリーになっていたかもしれない。キャストのキャラクター設定って本当に大事だなと考えさせられた。
 ベッドや拳銃など道具の使い方はビリー・ワイルダー監督のようなテクニックを感じさせてくれるし、ほど良い下ネタも気持ち良い。そして、くだらないプライドを持っている男、それを利用しようとする女性の策略及び嫉妬心なんかは現在の男女にも通じるところがあったりして納得できる部分も見受けられるのが良い。そして、ベルイマン監督にしては爽やかな気持ちにさせれくれる結末も良い。
 北欧を舞台にしたコメディが観たい人、イングマール・ベルイマン監督の他の作品は観ているが本作は観ていない人、この監督の名前を聞いて心が躍る人・・・等に今回は夏の夜は三たび微笑むをお勧めに挙げておこう。

 監督は前述したように映画史に残る巨匠であるイングマール・ベルイマン。お勧めは死神に取り付かれた男を描く第七の封印、名誉ある老教授が過去を振り返る野いちご、娘を殺された父親の復讐通して神の存在を問いかける処女の泉、名女優イングリッド・バーグマン主演の母娘の不和を描いた秋のソナタ等です。



 









 
 
 
 




 
 
 
 
 
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映画 にがい米(1949) ネオリアリズモの傑作です

2019年01月12日 | 映画(な行)
 戦後のイタリアはナチズム、ファシズムの恐怖から必死で抜け出そうとしていた頃。そんなイタリア庶民の哀歓を現実的な描写で描いた1940年代半ばから1950年代の後半にかけてのイタリア映画の様式をネオリアリズモと呼ぶ。確かにこの時期のイタリア映画は傑作ぞろい。ロベルト・ロッセリーニ、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカといったイタリアが生み出した世界的名監督達はネオリアリズモから出発した。そんなネオリアリズモの代表的な作品なのが今回紹介するにがい米。イタリアの食い物といえばパスタが真っ先に思い浮かぶが、本作はタイトル名から想像できるように水田の農村を舞台にした映画。イタリアの戦後の映画らしく、貧しさから抜け出そうと苦しみもがく人々の様子が描かれている。そこにはセンチメンタルな感情をいっさい廃しただけでなく、夢も希望も感じられない。
 確かに内容は暗いが、画面を通して目立っているのは当時18歳のピチピチギャルのシルヴァーナ・マンガーノ。服の上からでも爆乳だとわかるド迫力ボディは、日本の巨乳ギャルを見慣れている俺でもビックリするぐらい。自慢のオッパイを揺らしながら踊っている様子は大昔の映画なのに今観てもエロい。

 貧困から安易に抜け出そうとするバカップルから労働の有難さがわかる?ストーリーの紹介を。
 北イタリアのポー川流域において。この地域には毎年出稼ぎに多くの女性がやってくる。その中に紛れて、首飾りを盗んで警官に追われているウォルター(ヴィットリオ・ガスマン)の彼女であるフランチェスカ(ドリス・ダウリング)の姿もあった。フランチェスカはウォルターから首飾りを預かっていたのだが、その高級そうな首飾りに目がくらんで彼女に近づいてきたのが爆乳娘のシルヴァーナ(シルヴァーナ・マンガーノ)。後からウォルターがやって来たのだが、なんとシルヴァーナはウォルターを好きになってしまい更には彼の米盗みの計画に加担してしまうのだが・・・

 いつの間にか三角関係、四角関係になっているように見えたが、盗むことばかり考えている奴がモテる理由がわからなかった。そんなことで悩んでしまったらこの映画の凄さに全く気がつかない。いつも胸のデカさに目が行ってしまって、女性の内面の美しさに気が付かないことが多い俺だが、本作には大いに感動させられた。それはきっと労働で得たお米の大切さがよくわかったからだろう。
 それにしてもイタリアのネオリアリズモの作品には日本人にも大いに共感できる内容が込められていることが多い。まさかイタリアの映画からお米の大切さを教えられるとは夢にも思わなかったが。
 力を合わせて目的に向かって働く姿には感動できるし、明日からは御飯を食べる時は一粒も残さないぞ!と思えるし、最後の方はちょっとした激しいアクション映画を観た気分になれる映画にがい米を今回はお勧め映画として挙げておこう


にがい米 [DVD]
ヴィットリオ・ガスマン,ドリス・ダウリング,シルヴァーノ・マンガーノ,ラフ・ヴァローネ
ジュネス企画


 爆乳が素敵なシルヴィア・マンガーノ。もう少し年齢を重ねた頃の映画ではルキノ・ヴィスコンティ監督のベニスに死す家族の肖像でも印象的です。


 

 

 

 

 


 

 
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映画 肉体の冠(1952) 人生の不条理さを感じさせる 

2018年10月23日 | 映画(な行)
 俺なんかはタイトル名が『肉体の~』というのを見ると、すぐにエロ映画かと思ってしまうが、そんな発想の貧困さに自分が情けなくなってくる。ちなみに原題はフランス語でCasque d'orであり、黄金の兜の意味。
 原題の意味するところは、主演女優のシモーヌ・シニョレが長い金髪を頭上に結っているヘアスタイルから来ているのだが、邦題の付け方がダメダメ。しかしながら、タイトル名から想像できないぐらい人生の辛さを感じさせるストーリーが展開されるのが今回紹介する映画肉体の冠
 原題からしてシモーヌ・シニョレ演じる女性の生き様が中心に描かれているのかと思いきや、実は悲しき男の性を描いている映画。真実の愛を得て幸せだったのも束の間、一度罪を犯したがために悲劇へ向けて突っ走るストーリーだ。

 これぞ昔のフランス映画だと思わせる結末が訪れるストーリーを紹介しよう。
 パリにおいて。娼婦であるマリー(シモーヌ・シニョレ)はヤクザのロラン(ウィリアム・サバティエ)の女だったのだが、大工職人のマンダ(セルジュ・レオニ)と出会い、お互いに好意を抱くようになる。
 ヤクザの親分であるルカ(クロード・ドーファン)はマリーに好意を持っており、ロランとマリーの関係が冷め切っている事を知って、一味のたまり場である酒場にマリーを呼び出す。しかし、その場にマリーはマンダを呼び出していた。
 成り行きでマンダとロランは、ルカや子分でありマンダの親友であるレイモン(レイモン・ビュシェール)が見ている中で決闘をする。マンダはロランを刺し殺す。
 マンダはパリを逃げるように去るのだが、誰からともなく手紙を渡され、そこに書いてある場所に行くとマリーが居た。二人は田舎暮らしを楽しみ、愛し合う。しかし、親友のレイモンがロラン殺しの罪で警察に捕まっていることを知る。マンダは親友が自分の罪を被っているのに耐えきれずに、マリーの説得にも顧みずに、警察に自首しに行くのだが、実はルカがマリーを奪うための策略であり・・・

 とにかく大工職人のマンダ(セルジュ・レオニ)が男らしくて恰好良い。ヤクザの女だと知っていながら好き同士になったマリー(シモーヌ・シニョレ)を殺し合いの決闘をしてまで自分の彼女にしようとするだけでなく、親友レイモンとの仁義を貫き通す熱き友情にも感動する。そんな男の中の男であるマンダに訪れる運命は仕方ないのかもしれないが切ない。しかし、多くの人は知っている。人生は不条理の連続であることを。
 一方ではヤクザの親分であるルカ(クロード・ドーファン)のクズっぷりが凄い。下衆で卑怯者であり、これだけの悪人が登場する映画も珍しい。だいたいこの世の中、卑怯者がのうのうと生きていけるのがダメだ。平気でウソついて人を陥れる卑怯者の存在こそ、人間の良心を失わさせている。こんな奴が居なくなれば、犯罪なんか今よりもっと少なくなる。本作を観れば多くの人が俺と同じような考えを持つはずだ。
 人生って甘くないということを改めて感じたい人、世の中不条理の連続だと嘆いている人、なぜこの世の中から凶悪犯罪が無くならないのかと悩んでいる人、綺麗な頃のシモーヌ・シニョレを見たい人・・・等々に今回は映画肉体の冠をお勧めとして挙げておこう。

肉体の冠 [DVD]
シモーヌ・シニョレ,セルジュ・レジアニ,クロード・ドーファン,レイモン・ビュシェール
ジュネス企画


 監督はフランス人のジャック・ベッケル。個人的には彼の映画をそれほど見ていないが、観た映画は外れがないどころか傑作ばかり。ジャン・ギャバン主演のフレンチ・フィルム・ノワールの傑作現金(げんなま)に手を出すな、ジェラール・フィリップ主演で画家モディリアーニの伝記映画モンパルナスの灯、緊迫感がハンパない脱獄映画が良いです。
 

 
 

 

 



 
 
 
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映画 日本の夜と霧(1960) 津川雅彦さんを偲んで

2018年09月08日 | 映画(な行)
 先日のことだが名優津川雅彦さんがお亡くなりになられた。最近はメディア等で保守派としての言論が目立っていたが、彼の若い頃はリベラルな映画にもよく出演していた。津川さんが出演していた映画を多くは観ていないのだが、個人的にもの凄く印象的に残っている作品が大島渚監督の映画日本の夜と霧。津川さんが20歳の頃の作品だが、当たり前のことだが流石に若い。外見だけでなく声もだいぶ違う感じがする。
 さて、本作だがテーマは大島渚監督作品らしく、かなりイデオロギーに満ちた作品になっている。制作された年代を見てもらえばわかるが、時代にマッチして日米安保闘争をテーマに描かれている。細かい内容は後で語るとして、本作は俺が生まれる10年前の作品だが、けっこう出演者は俺がテレビで見ていたりで知っている人が数人が出演している。津川雅彦さんを始め、渡辺文雄、佐藤慶さんも出ているように、後に名優と呼ばれる人が多く出演している。他の人もプロの俳優ばかり出演していると思うのだが、ところが驚いたことに台詞だけを聞いていれば学園祭レベルの酷さ。もうみんな台詞は噛み嚙みだし、明らかにミスっているし、ハッキリ発音できていないから何を言ったかわからななかったり、棒読みの俳優もいる。津川さんも台詞をミスって、明らかに失敗した~とわかる表情も撮られている。普通ならもう一回撮り直さないといけないレベルなのだが、台詞のミスなんかそのまま放ったらかしたままで、豪快に長回し。日本のヌーベルバーグを代表する大島渚監督の凄さを感じられる映画だ。

 さっそくだが安保闘争の息吹を感じられるストーリーの紹介をしよう。
 6月の国会前で安保闘争反対のデモをしていた時に出会った新聞記者の野沢(渡辺文雄)と女子学生の玲子(桑野みゆき)の結婚式が行われていた。野沢の学生時代の友人、先生。そして玲子の友達も呼ばれていた。ところがその場へ今日も安保反対デモに参加していた太田(津川雅彦)が乱入してくる。野沢、玲子、太田の三人の仲間である北見(味岡享)が安保反対のデモに参加するために国会に戻ってから行方不明になっているのに結婚式をしている場合か!と言って来たのだ。更には野沢の学生時代の友人である宅見(速水一郎)が結婚式に呼ばれても居ないのに乱入。彼は10年前の破防法(破壊活動防止法)における学生運動の中心人物だった野沢と共産党員の幹部である中山(吉沢京夫)に対し、10年前の出来事に対して文句を言いにやって来た。
 もはや結婚式どころではなく、その場は10年前の出来事と現在の安保闘争をめぐって激しい激論が繰り広げられる場所に変わってしまったのだが、次々と色々な疑問が明らかになっていき・・・

 映画全体の構成はディスカッションドラマ。議論を交わしている場面が殆どのシーンを占めているのだが、こういう映画はあまり人気がない。しかも
ディスカッションドラマなのに前述してたように出演者の誰もが台詞はカミカミというお粗末さだ。更にこの映画が少し変わっているのが結婚式の場面から違うシーンに移る時に、少しの時間だが暗転して違うシーンに向かう。舞台劇が半ば混ざっている感じになっている。
 しかし、せっかくのお目出たい結婚式が議論の場になるが、俺から見ればかなりお粗末な議論の内容。特に新郎の野沢(渡辺文雄)が昔の女性関係をバラされているのには笑った。しかし、学生運動にしても全くまとまりがなかったり、日本共産党員の幹部が全く人の意見は聞かないし、逆らったら反逆罪の汚名をきせたりしている。しかも、火炎瓶を投げているように暴力革命を良しとしている風潮も今見ればかなり滑稽だ。左翼による内ゲバ争いが非常によくわかる内容だ。
 まあ、観ていて一番腹が立つ奴が中山(吉沢京夫)。学生運動のリーダーであり、共産党員の幹部でもあるのだが責任逃れが酷い。俺の知っている自民党員らしき政治家にも責任逃れや人を騙す卑怯者がいるが、まさにリーダー不適格の見本を見せられたようだ。ちなみにこの中で出てくるキャラクターで一番のお気に入りは全くぶれない太田(津川雅彦)。考え方は間違っていても仲間想いでグタグタ言わないでストレートに想いを語っているのは非常に共感できる。
 しかし、俺の学生時代とは違って俺より20歳から30歳上の学生達の社会を変えるんだという熱い気持ちは本作からも伝わってくる。カミカミの台詞は聞き苦しいかと思いきや、実はリアリティを出す効果があった。政治や議論がメインの映画はアクション映画やサスペンス映画と違って動きがないので、あまり人気がない。
 しかし、台詞カミカミ、言い間違い、すぐに言葉が出ない等のような珍しい映画を観たい人、学生運動の雰囲気をちょっと知りたい人、なぜ共産党は日本では受け容れられないのか知りたい人、若すぎる津川雅彦を見たい人などに今回は日本の夜と霧をお勧め映画として挙げておこう。

日本の夜と霧 [DVD]
大島渚,真鍋理一郎,石堂淑朗
松竹ホームビデオ


監督は前述しているように大島渚戦場のメリークリスマスが世界的に有名ですが、個人的には儀式をお勧めしたい。



 
 

 






 
  
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映画 野良犬(1949) 刑事映画のはしりです

2018年08月21日 | 映画(な行)
 犯人捜索に向けてベテランと新人といった組み合わせの映画なんかは今ではしょっちゅう見ることができるが、そんな刑事映画というジャンルのはしりと言えば、これから紹介する映画野良犬。最近は刑務所から囚人が脱走する事件がよくあるが、いったい看守は何をボケているんだ、と非常に腹立たしい気分になったりするが、本作の三船敏郎が演じる若手刑事はもっとおっちょこちょい。なんせ暑い日だったことを言い訳にして、バスの中で拳銃を盗まれてしまうのだから。拳銃は闇市を流れて、どうしようもないぐらいカネに困っている奴のところに流れてしまったから、さあ~大変。
 猛烈な責任感に突き動かされる若手刑事と彼をサポートする冷静なベテラン刑事がタッグを組んで犯人を追い込むストーリー。最近の刑事映画を観ていると、現場に出なくても事務所の机で昼飯を食っている最中に犯人を言い当ててしまうような適当な刑事を見かけたりすることがあるが、本作の刑事は徹底的に自分の足で歩き回り少しでも手がかりを得ようとする努力型の刑事。いくら今の時代はコンピューターが急激に進歩しているとしても、やっぱり刑事映画は何時の時代でも、コツコツと手掛かりを得るために現場を歩き回る刑事を登場させて欲しいと思う。

 さて、日本映画というよりも日本の遺産である黒澤明監督の作品。やっぱり彼はストーリーテラーだということを改めて再確認できるストーリーの紹介を。
 ある夏の暑い日の事。若い村上刑事(三船敏郎)は射撃訓練が終わって満員のバスに乗るが、その帰り道。身に付けていたコルト式拳銃を盗まれてしまう。慌てて盗人を追いかけようとするが、残念ながら見失ってしまう。コルト式の拳銃の中には銃弾が7発入っており、事の重大さに気づいた村上刑事はそれからは必死の捜索。まずは村上刑事は拳銃が売りさばかれることが多いとの情報を聞き、復員兵の姿に変装し闇市をひたすら歩き回る。ついに村上刑事は闇取引の現場を押さえることに成功するが、拳銃を持った男を捕まえるのに失敗。しかも淀橋で村上の拳銃を使われた事件が発生。責任を感じた村上刑事は辞表をだすが、先輩刑事に説得され淀橋の警察署のベテラン刑事佐藤(志村喬)と一緒に捜査をすることになる。佐藤刑事は何かと頼りになり次第に拳銃を持っている男に近づいていくのだが、村上刑事の拳銃が使われた殺人事件が起きてしまい・・・

 1949年の日本映画だから戦争が終わってから日がそれほど経っていない。闇市のシーンなんかは戦後の風景なんかこんな状態だったんだろうと感じさせる。そして戦後という舞台設定が活きているのが若い村上刑事(三船敏郎)と犯人役の木村功の2人の設定が戦争から帰ってきた復員兵であり、お互いに戦争中に生活品が入っているリュックサックを盗まれた経験を持っているということだ。そのことによってこの世の悪人を捕まえるために刑事になる道を進んだ三船敏郎演じる村上、そして逆にこの世の悪に染まっていく方向に行ってしまった木村功演じる犯人。実はこのことから善人も悪人も所詮は表裏一体なのだということがわかる。たしかに悪人への道を進んでしまった人間に同情を感じてしまったりする。しかし、本作からは絶対に社会が悪いからと言って悪人は決して許してはいけないというメッセージを感じることができる。そういう意味ではスリルを感じる娯楽映画と言えるが、社会派映画と言えなくもないだろう。
 そして村上刑事と犯人の最後の一騎打ちが印象的。2人が仁王立ちになり撃たれるか、それとも肉を斬らして骨を断つのかのにらみ合いが印象的。そんなクライマックスを盛り上げる音楽がけっこう長閑な音楽が使われていたりするのだが、これが意外に2人だけの世界を描く効果があった。さすがは黒澤明監督は凡人と目を付けるところが違う。
 そして本作はスティーヴン・スピルバーグ監督の激突!に影響を与えており、スピルバーグ監督はあるシーンをほとんどパクっている。黒澤明監督は今でも第一線で活躍する映画監督に多大な影響を与えていることは、本当に日本人として誇らしい気分になる。
 日本人なのに黒澤明監督の映画を観たことが無い人、ストーリーの良くできた刑事映画を観たい人、昔の日本映画を観たくなった人・・・等に映画野良犬を今回はお勧めしておこう。

野良犬 [DVD]
三船敏郎,志村喬,清水元,淡路恵子,木村功
東宝


 監督は日本を代表する世界の黒澤明。もう名作多数過ぎて世界にも誇れる作品ばかり。今回は同じ刑事映画として天国と地獄をお勧め映画に挙げておこう。
 

 
 

 
 



 


 


 
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映画 ニノチカ(1939) ソビエト連邦を風刺しています

2018年08月18日 | 映画(な行)
 かつて第二次世界大戦において日本は降伏しているのに、わが北方領土を強奪したソビエト連邦と言うヤクザ以上に恐ろしい武闘派大国があった。ソ連の台頭とともにドミノ倒しのように共産党国家が誕生した。しかし、うっかり金持ちになったらシベリア送りにされるような国は流石におかしいと気づいた人が多かったのか、今では少しだけ分裂してロシアという独裁政権型民主主義国家という新しいモデル国家が登場した。しかし、それでも面積の広さは世界一であり、今日においても世界に大きな存在感を示している。
 さて、ソ連とは1917年のロシア帝国時代に起きたロシア革命によって誕生した社会主義国家。それによってロシア帝国では皇帝による専制政治は終わり、階級なんか取っ払って富と財産はみんなで分け合いましょうと言った共産主義が生まれる。
 これぐらいの知識があった方が、面白く見ることができるのが今回紹介する映画ニノチカ。何かとソ連を風刺した笑えるコメディだ。高級なホテルに泊まるだけでもビクビクしている様子が笑えるし、共産主義国家ってどれだけ貧乏が人民に染み付いた国なんだよとビックリさせてくれる。

 さて、フランスの貴族とソ連の共産党員のかみ合わない恋愛が笑える内容を紹介しよう。
 ソ連から3人の男の役人がフランスのパリにやってきた。彼らの目的はロシア革命によって貴族から没収した宝石類を売りさばいて、お金に換えること。やがて迫りくる飢饉に備えようとしていたのだ。
 3人はパリの高級ホテルに泊まり、金庫に持ってきた宝石類を隠すのだが、そこにロシアからパリに亡命していたスワナ大公妃(アイナ・クレア)のスパイが彼らの話をこっそりと聞いていた。実は宝石類はワナ大公妃がかつて所有していたものであり、その話はスパイの知らせによって彼女の耳に入ってくる。
 スワナ大公妃は所有権を主張し、彼女の愛人であるレオン伯爵(メルヴィン・ダグラス)は裁判所等に働きかけ、宝石類の売買をできないようにしていた。
 ある日のこと、ソ連側は3人の仕事が全く進んでいないことを危惧し、お目付け役としてガチガチの共産主義者である女性のニノチカ(グレタ・ガルボ)をパリに送り込む。早速ニノチカはダメダメの男3人組にテキパキと仕事の指示をする。ニノチカはエッフェル塔の建築技術を盗むために道順を模索していたのだが、その時にレオン伯爵と出会い・・・

 最初こそグレタ・ガルボ演じるニノチカはガチガチの共産主義者だったのに、次第に恋の花咲くパリの魅力にハマっていく様子が笑える。
 そしてロシアから亡命した大公妃とガルボが出会って議論をする内容が楽しい。かつてのロシア帝政時代の貴族と今やソ連の共産党員であるニノチカとの意見のぶつかり合い。聞いている俺も少々参考になり、なるほどと思ったりした。こういうシーンを見ると自分と異なる意見を聞くことは大切なんだということに気づく。
 また、この二人はレオンをめぐって三角関係だというのも笑えるし、この二人の言い争いが終わった後にニクイ演出があるのも楽しい。そして本作の良さにウィットに富んだ台詞が多く出てくるのがあり、共産主義国家の駄目さを笑いで表現したいるのも非常に楽しい。昔の映画のコメディは非常に洗練されていて観ていて気持ち良い、熟練した演出を堪能できる。
 往年の大女優であるグレタ・ガルボの名前は聞いたことがある人、エルンスト・ルビッチ監督の演出を堪能したい人、共産主義というのが今は流行らない理由を知りたい人・・・等に今回は映画ニノチカをお勧め映画として挙げておこう。


ニノチカ [DVD] FRT-147
エルンスト・ルビッチ,シグ・ルーマン,メルヴィン・ダグラス,グレタ・ガルボ,アイナ・クレアー
ファーストトレーディング


 監督はエルンスト・ルビッチ。いかにもな洗練された台詞まわし、そしてストーリー運びが印象的な作品が多い。ハムレットの有名な台詞をタイトル名にした生きるべきか、死ぬべきか、マレーネ・ディードリッヒ主演の天使、なんだか救われた気分になれる天国は待ってくれる、そして文通というやり取りがノスタルジックな気分にさせる桃色の店などがお勧めです。

 
 


   
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映画 尼僧物語(1959)オードリー・ヘプバーン主演の真面目なドラマです

2018年07月15日 | 映画(な行)
 個人的にはあんまり好みではないのだが、多くのロマンティックコメディの映画でその愛らしい魅力を振りまいている永遠の妖精オードリ・ヘプバーン。亡くなって既に25年を経ても人気が衰えないように、まさに永遠の妖精と呼ぶに相応しい。そんな彼女が自らの個性を封印して、真面目に演技をしているのが今回紹介する映画尼僧物語。人間の内面の葛藤を描いた良質なドラマだ。
 ただ今の政治家の中には、この数年の間にも平気で人を裏切ったり、そうかと思えばまた引っ付いたりするような節操のない奴が居たり、言っていることがコロコロ変わるような全く信念の無い奴がいるのが非常に嘆かわしい。そんな奴はもちろん論外だが、逆に明らかに間違っている信念を持ち続けている人間も問題だ。

 それでは早速だが、尼僧の姿に扮しても綺麗なオードリー・ヘップバーンを見ることができるストーリーの紹介を。
 第二次世界大戦前のこと。ベルギーに住む名医の娘であるガブリエル(オードリー・ヘプバーン)は、恋人への未練を断ち切り修道院に入ることを決意する。修道院の生活は、ひたすら神への追従を強いられるようなストイックな世界。彼女は様々な困難に遭いながらも、以前から希望していたアフリカのコンゴ(ベルギー領)へ赴任する。
 コンゴにおいても彼女の人間性及び医療の知識は現地でも役に立っていたのだが、再びベルギーに戻されてしまい・・・

 前半は修道院での見習い生活が、結構な時間を割いて描かれているが、これが『半端ないって~』と叫びたくなるほどの厳しい訓練。なんだかややこしい規則がたくさんあり、少しでも規則を破ると必ず罪の告白をノートに記して懺悔する。当然のことながら、尼僧になるのを諦める人も出てくる。
 しかし、何事も健気に受け容れるまじめ過ぎるオードリー・ヘプバーンは、優秀な尼僧になるために、俺から見ればどうでも良いことでも懺悔しているのだが、その様子が痛々しい。俺がこんな世界に飛び込んでしまったら、寝る暇が無いぐらい、一生を懺悔に捧げてしまうことになりそうだ。
 ひたすら神に仕えようとする様子は信念の塊。そのストイックな姿勢は、間近でまったく信念の欠片もない奴を見てきた俺からすれば、比較するのがおかしいが尊敬に値する。しかし、そんな彼女に信念の強さを試される出来事が起こる。果たして彼女がその時に取った選択の是非はこれ如何に。
 ちなみに俺はこの選択に大いに感動した人間だ。それは、大きな選択を強いられるまでの過程において、彼女の生き様に本物の信念を感じられたから。もし、これが口先だけで偉そうなことを言っているだけの奴の選択だったら何の感動も生まれない。

 これから尼さんになりたい人、オードリー・ヘプバーンのファンの人、自分が間違っているとわかっていてもプライドが邪魔して認めない人、自分には信念がまるで無いんだと自覚している人・・・等などに今回は尼僧物語をお勧めとして挙げておこう。


尼僧物語 [DVD]
オードリー・ヘップバーン,ピーター・フィンチ,エディス・エバンス
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント


 監督はフレッド・ジンネマン。本作のような信念の人を描いた作品が多いし、名作多数。悪人がやって来ることに怖気づいてしまっている保安官を描いている真昼の決闘、アメリカ軍隊の腐敗を描いた反戦映画にメロドラマを取り込んだ地上(ここ)より永遠に、信念を貫き通すも処刑台の露に消えてしまったトーマス・モアを描いたわが命つきるとも、暗殺者と刑事の駆け引きを描いたジャッカルの日、女性作家のリリアン・ヘルマンの友情と恋愛を描いたジュリア等、お勧め映画が多数あります。






 






 










 
 
 
 
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映画 嘆きの天使(1930) 戦前のドイツを代表する映画

2018年03月19日 | 映画(な行)
 戦前を代表する大スター女優と言えばマレーネ・ディードリッヒ。その退廃的なムードはドイツ人女性を感じさせるし、彼女のトレードマークである脚線美は世の中の男性を虜にした。なんて偉そうなことを書いてしまったが、確かに彼女の出演作品は他にも観ているが、脚線美にこだわった演出が多くなされている。しかしながら、モノクロ作品ばかりなので本当に脚線美なのか実は俺にはよくわからない。けっこう太腿なんかは太いぐらいに感じたりするのだが。そんな個人的な感想はさておき、彼女を一躍世界的な大スターにした映画と言えば今回紹介する映画嘆きの天使。戦前のドイツ映画には今にも通用するような名作が多いが、そんな中でも本作は特に有名だ。
 俺なんかはエロスに関しては日本よりも遥かにヨーロッパの国々の方が開放的なのかと思っていたのだが、本作を観ればそれ程オープンでもないことがわかる。マレーネ・ディードリッヒ演じる踊り子の足を露出していて、ガーターベルトにストッキングの踊り子のファッション姿に大人が目を背けたりするシーンが出てくる。そうは言っても目の前で女性の生足を見ると、我を忘れてしまう男が居るのは昔も今も一緒。
 俺なんかはスナックに行って、短いスカートを穿いたオネエチャンが横に付いてくれたら、心の中でラッキーと叫んでしまうような馬鹿な男のタイプだ。

 さて、マレーネ・ディードリッヒの美脚に悩殺されてしまった男の運命を描いたストーリーを簡単に紹介しよう。
 何かと真面目で堅物な英語の教師であるであるイマヌエル・ラート教授(エミール・ヤニングス)は生徒が持っていた絵葉書写真を見てびっくりする。それはチョットいかがわしい姿の踊り子の写真。イマヌエル・ラート教授は自分の生徒がキャバレーにハマって酒と女に遊んでいることを心配して、自らの目で確かめるために、キャバレーに行って、その踊り子を確かめることにする。
 その踊り子の女性の名前はローラ(マレーネ・ディードリッヒ)。イマヌエル・ラート教授はローラに説教するつもりが、逆におだてられてメロメロになってしまい・・・

 最近では女性が男性を破滅させる映画なんかは珍しくもないから、本作はストーリー的には珍しくもない。しかし、この教授の運命は悲惨。愛する女性を手に入れるために全てを捨ててしまおうとする気持ちは熱いように思えるが、本作においては気持ち悪いし自業自得。何と言っても男のプライドがズタズタ。
俺もスカートの短い女性が傍に座ったぐらいで喜んでいないで、もっと自分の生き方を反省するべきだと思えた。とにかく1930年公開のもの凄い古いドイツ映画であるが、チョットばかりユーモアがあり、マレーネ・ディードリッヒという女優にオーラーがあり、これからを生きる男性にとっては良い教科書にもなるように思えるし、見て損はしない。
 戦前のヨーロッパの名作が観たい人、マレーネ・ディードリッヒってよく聞く名前だな~と思った人、ドイツ映画と聞いて興味が出てきた人に嘆きの天使はお勧めだ

嘆きの天使【淀川長治解説映像付き】 [DVD]
マレーネ・ディートリッヒ,エミール・ヤニングス,ローザ・ヴァレッティ,ハンス・アルバース
IVC,Ltd.(VC)(D)


 監督はジョセフ・フォン・スタンバーグ。この監督とマレーネ・ディードリッヒはまさに名コンビ。本作と同じく彼女を主演で起用したモロッコ間諜X27がお勧めです。
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映画 眺めのいい部屋(1986) 英国らしさを感じさせます

2017年05月04日 | 映画(な行)
 イギリスといえば階級社会。イギリスを舞台にした文学、映画となると階級社会がテーマとして何らかの形で扱われているのが殆ど。シェイクスピアのロミオとジュリエットよろしく、映画で大ヒットしたタイタニックしかりだ。
 そりゃ~、身分の違いによる障壁が高ければ高いほど男女の仲が燃え上がるというのは映画の題材としてはうってつけ。
 英国出身のE・M・フォスターの同名タイトル小説を原作とする映画が今回紹介する眺めのいい部屋。原作者はもちろん、イギリス人のスタッフとキャストが勢ぞろいした本作はまさに階級社会をテーマにした恋愛映画。
 ありふれたテーマだがイギリスの郊外の綺麗な風景、華やかな衣装、音楽は聴き心地が良くて、全体的にイギリスらしい気品が漂う映画だ。そしてイタリアのフィレンツェの文化遺産も見せてくれるように観光気分にも浸れるようなお得感が本作の特徴だ。
 
 また個人的にこの映画の設定として、何かと堅苦しいイギリスと情熱的なイタリアという二つの国が活かされているアイデアに感心した。イギリスに閉じこもっていた女子が、外国に出てみると解放感から本当の恋愛に目覚めようとする女性の心の機微が上手に描かれている。

 まあ、俺もそうだが本当に好きな人を前にすると素直になれない自分に発破をかけたくなるストーリーとはいかなるものか。
 1907年、イギリスの中産階級の令嬢ルーシー(ヘレナ・ボナム=カーター)は、だいぶ年配にあたる叔母のシャーロット(マギー・スミス)を付添人にしてイタリアのフィレンツェにやって来た。
 イギリス人が多く泊まっているホテルに来たものの、案内された部屋は窓から見た景色が眺めのいい部屋ではなかったためにシャーロットは文句たらたら。
 食事中も不平を言っているシャーロットに対し、同じイギリス人の宿泊客であるエマソン氏(デンホルム・エリオット)とその息子のジョージ(ジュリアン・サンズ)の父子から、自分たちが泊まっている眺めのいい部屋との交換を申し出てくる。
 シャーロットは階級社会の常識にとらわれないエマソン氏の態度を不快に思いながらも部屋を交換する。
 ルーシーはイタリア滞在中にフィレンツェの観光を楽しみ、次第に今まで会ったことのないタイプの男性であるジョージに惹かれるようになっていくのだが、結局その恋は実らずイギリスに帰って上流階級に属し、教養のあるセシル(ダニエル・デイ=ルイス)と婚約するのだが・・・

 せっかく向こうから素敵な景色を見ることができる部屋の交換を申し出てきているのだから、喜んで引き受けたら良いじゃん、なんて俺なんかは思ったりしたのだが、このあたりのイギリス人の感覚は、ちょっと日本人には理解しがたいものがある。階級社会に捉われた変なプライドが垣間見ることができるシーンであり、本作における全体的なテーマになっている。
 そしてこの映画のクライマックスだが中産階級に属するヘレナ・ボナム=カーター演じる乙女チックな女性が果たしてどっちの男性を悩みながら選ぶのか、ということ。上流階級に属していてウロウロしながら本ばかり読んでいる男か?それとも労働階級でありながらも一緒に飲むと楽しく思える男か?
 個人的には女性に声をかけるのが恥ずかしくて。勤勉家の俺とよく似たタイプである上流階級の男の方を選んでやれよ!と思ったりしていたのだが、金が無くても一緒に居て楽しい方をやっぱり選んでしまうよな。
 男どもが全裸で走り回っているシーンが見苦しくも感じるが、ビジュアルの面では文句のつけようがなく、読書した気分にもなれるように芸術的センスが高い映画。ラストシーンは女性ならきっとウットリするはずだ。
 文学作品を映像化する見本のような映画として今回は眺めのいい部屋をお勧め映画として挙げておこう

眺めのいい部屋 HDニューマスター版 [DVD]
ヘレナ・ボナム=カーター、デンホルム・エリオット、ジュリアン・サンズ、ダニエル・デイ=ルイス、マギー・スミス
アネック


 監督はジェイムズ・アイヴォリー。本当にこの人は上品な映画を撮る印象があります。他では本作と同じくE・M・フォスターの小説を映画化したハワーズ・エンド日の名残りが良いです。 

 


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映画 ノーカントリー(2007) コーエン兄弟によるクライムサスペンス

2016年07月02日 | 映画(な行)
コーエン兄弟監督にアカデミー作品賞と監督賞をもたらした映画が今回紹介するノーカントリー。現代アメリカを代表する小説家コーマック・マッカーシーの原作の血と暴力の国の映画化作品だ。ちなみに映画の原題はNO COUNTRY FOR OLD MEN。直訳すると『お年寄りのための国はない』ぐらいの意味だと思うが、それにしても、なぜ邦題はFOR OLD MENの部分を削除してしまったのか、実は俺にもわからない。この削除してしまった部分が非常にこの映画の肝のような気もするのだが。

 さて、アカデミー作品賞に輝いた作品にしてはストーリーは非常にシンプル。それでいて色々と深読みさせ、何かと想像を掻き立てるシーンが連発するストーリーの紹介を。
 1980年のアメリカ、テキサス州西部が舞台。ベトナム帰還兵のモス(ジョシュ・ブローリン)は狩りの最中に荒野のど真ん中で、銃撃戦の跡らしく死体が溢れかえっている場所に遭遇。そこで麻薬と200万ドルの現金を発見、ついつい欲に目が眩んでしまったモスは200万ドルを持ち逃げしようとする。しかし、200万ドルを取り返そうとする追っ手が送り込んできたのがオカッパ頭をした殺し屋のシガー(バビエル・バルデム)。モスとシガーは激しい追走劇を繰り広げるが、更に彼らを追うのが昔気質の老保安官のベル(トミー・リー・ジョーンズ)。そんなベルが目の当たりにした意外な結末とは・・・

 見た目からして強烈な印象を与えるのはバビエル・バルデム演じるオカッパ頭の殺し屋シガー。しょっぱなから電話をしていた保安官の後からチョーク攻撃で絞め殺すシーンがけっこう凄い。個人的には保安官の無防備ぶりに笑ってしまったが、この残忍性によって一気に緊迫感が高まる。その後も用のエアガンで次々と出会った人間の頭を撃ちまくり、またはコインの裏表で殺すかどうか決めるなど、決して感情を表に出さず自らが勝手に決めたルールに従って目的(人殺し)に向かって邁進するストイックな姿勢は、まるで仕事のできる男の見本のよう。何かと優柔不断な俺から見ると非常に羨ましい限り。って馬鹿か俺は!

 一見したところ、大金を持ち逃げしようとしたベトナム帰還兵とそれを追いかける暗殺者という追走劇の単純なサスペンスのように見えるが、何かとボヤキまくる老保安官ベルがいちいち語り出す話が何かと観ている我々を非常に悩ませる。深読みするタイプの映画ファンには何時までも余韻に浸れるが、一方では結局この映画は何が言いたいのかわからんと感じる人も居るだろう。そういう意味ではコーエン兄弟のファンにはお勧めできるが、単純明快な作品を好む映画好きにはちょっとお勧めし難い。しかしながら、不穏なムードを漂わせる演出、それとチョッと肩の力を抜いたような笑い等コーエン兄弟らしいセンスの良さを堪能できる傑作として、今回はノーカントリーをお勧め映画として挙げておこう

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
トミー・リー・ジョーンズ,ハビエル・バルデム,ジョシュ・ブローリン,ウディ・ハレルソン,ケリー・マクドナルド
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 監督は前述しているようにコーエン兄弟。彼のお勧め作品としてコメディ色の強いビッグ・リボウスキ、事態がどんどんエスカレートしていくファーゴ、ギャングムービーミラーズ・クロッシング、ゆるゆる脱獄映画オー・ブラザー!が良いです。


 

 

  

 
  
 





 

 
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映画 肉体の悪魔(1947) フランスの恋愛映画の傑作です

2015年08月11日 | 映画(な行)
 肉体の・・・というタイトル名から想像できるように、エロエロのアダルト映画、と言うのは嘘。フランス人作家レイモン・ラディゲの同名タイトル小説の映画化。簡単に言ってしまえば、男子高校生と10歳以上も年上の軍人の人妻の不倫映画。今となればストーリー性に大して意外性があるとも思えず、ありふれた不倫映画のように思える。しかし、原作者であるレイモン・ラディゲは20歳で夭折し、しかも本作の小説が17歳の時に書かれた処女小説だったと知ると、そのみずみずしい感性には驚き、スキャンダルなストーリー展開は恐ろしさを知らない若さを感じさせる。

 
 それでは早速だが不倫映画のストーリー紹介を簡単に。
 第一次戦争末期において、パリ近郊のリセの高校に通うフランソワ(ジェラール・フィリップ)は、学校内に建てられた臨時病院に看護婦助手としてやってきたマルト(ミシュリーヌ・プレール )に一目惚れ。フランソワはマルトをナンパしようとするのだが、マルトには現在のところ戦地へ出征しているラコンブ(ジャン・ララ)という婚約者がいた。そんなことでは諦めがつかないフランソワはマルトに情熱的にアタックし、デートに引きずり出そうとする。
 マルトもフランソワの行動は非常にはた迷惑に感じながらも、次第にフランソワの情熱と若さに惹かれてしまい約束のデート場所まで行くのだが、マルトの母親の妨害、そしてフランソワも実ってはいけない恋だと理解して、デートの待合場所へ向かうのを止めて、彼女を忘れるために田舎へ逃避する。
 さて、半年後偶然にもフランソワとマルトは出会ってしまう。マルトは今ではラコンブ(ジャン・ララ)と結婚していた。それでも2人はラコンブが出征していて帰ってこないことを良い事にして、マルトの部屋で愛し合う。その恋愛も第一次世界大戦が終了するまでの期間限定だとお互いに覚悟するのだが、あろうことにマルトは妊娠してしまい・・・

 フランソワ(ジェラール・フィリップ)とマルト(ミシュリーヌ・プレール)のラブシーンが非常に美しい。雨に濡れたフランソワを暖かく包み込むマルト、これだから年上の女性って良いんだよ。露骨なラブシーンなんか無くても充分に官能的で愛し合っている2人を描きだしているシーンだ。約束のデートの場所で1人で待っているマルトのシーンも非常に印象的だ。このシーンがあるからこそ2人の恋愛が燃え上がる。
 しかし、観終えた後に17歳の男って頼りないことがわかる。恋愛には周囲に状況に臆することなく立ち向かって行くのに、肝心なところでひ弱さをだしてしまう。そして、そんなときに貴重な役割をしているのがフランソワの父親。この父親が本当に立派だ。馬鹿息子のフランソワに対して、『困ったことがあれば相談しろよ』とアドバイスしたり、『マルトは本当はお前を愛しているんだろ』なんて言ってマルトとの恋愛を叶えさせようとしたり。そんなの父親として当たり前のアドバイスだろ!、息子に不倫の恋愛を肯定させてどうする!なんて突っ込みはしてはいけない。自分の子供の責任は父親が取るという古き良き父親像がそこにはある。まあ、そんなことに気付くのは俺を含めてごく一部だけだと思うが。
 色々と問題点を挙げれば、ジェラール・フィリップが17歳に見えなかったり、ストーリー上の設定ではマルトはフランソワよりも10歳以上年上のはずなのに、演じているジェラール・フィリップとミシュリーヌ・プレールが実際には1922年生まれの同い年であったりで、見た目で年の差が全くわからなかった、なんてことがあるので原作を読んでいない人が本作を観る時はチョッとばかりその点で注意が必要だ。
 戦争の終わりが恋愛の終りなんて哀しさを感じさせるし、戦争の終わりが希望の始まりにならないラストシーンに淡い理想を抱いている我々の心を打ち砕く。17歳の少年の視点は大人達の厳しい現実の更に上を行く結末を用意していることに誰もが驚くはずだ。
 フランス映画に興味がある人、ジェラール・フィリップと聞いて心が踊る人、不倫映画を観るとなぜかドキドキする人、さらにはフランス文学に興味がある人に映画肉体の悪魔はお勧めだ

肉体の悪魔 [DVD]
ミシェル・ケルベ,ジャン・オーランシュ
ジュネス企画


 監督はクロード・オータン=ララ。フランス文学の映画化作品を撮っていることが多いですが、本作と同じくジェラール・フィリップ主演の赤と黒がお勧めです。

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