昨夜NHKの福祉ネットで50歳で認知症になった太田さんの自分らしく生きようとすする10年間の軌跡を観て身につまされました。10年たって彼は突然、家のトイレがどこか分からなくなり、『みんな(たぶん記憶)持ってゆかれる!』と怒り出しました。その後痙攣を起こしたり…。表情が変化してゆきます。最後は元の合唱仲間との再開とともに歌う場面がありました。突然表情を取り戻し元気に歌っていました。アナウンサーが気持ちを訪ねると『入ってくる(たぶん新しい気持ちでしょう)』と答えていました。彼の気持ちを常に理解しようと努力している夫人には頭が下がります。が、そのことはさて置き…。
太田さんは若くして認知しょうになりましたが遅かれ早かれ、それがゆっくりであれ急激であれ人間に起こる現象だあろうと感じました。そして老年期を生きるとはどういう事を考えさせられました。
いつも思っているのです。もう少ししたら静かな老年期が来るだろうと。ですがそれは人間らしく生きることをあきらめることになるのでしょうか。常に積極的に生きなければならないのでしょうか。死期が近づくまで突っ走るのはつらいと思うのですが、中庸に生きるのは難しいですね。
「どおせ倒れるなら、前向きに倒れたい」そんな思いもあるのですが、私の場合、体調の自己管理が課題です。
突っ走らないまでも、積極的に生きられたら理想です。
理解ある夫人が付いているその方太田さんは恵まれた人だと思います。「この老いぼれ!」などと子どもに罵られるとしたら・・・。
初期認知症の母親を暖房も無いガラージュに、トイレ用にバケツを置いて住まわせていた男性が起訴されたことがあります、昨年か一昨年か忘れましたが。妻も十才くらいの娘も黙って従っていたと言うのにも驚きましたが。最後がこれでは惨め過ぎます。
この年齢になると充分に長生きしたと感じています。ですから若い頃のモットーは取りやめなければなりません。それではどう生きるか・・・。太く生きるには体力気力なし!次の目標をどこに置くか。考えると時間だけがだらだらすぎています。