glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

民主党代表選挙せまる

2010-09-12 08:22:51 | 雑感
 民主党の代表選挙が迫っています。私は党員ではありませんし政治にそれほどの関心があるわけでもありません。多くの人はどちらが日本の総理大臣になったら景気が回復するかへの興味が大きいようにように見えます。
 私など年金暮らしですから、物価高は困るのですが、それほど経済動向に左右されて生きてはおりません。ですから子ども手当を20000円にあげるとか高速道路を整備するとか言われても関係のないのです。
 それよりも私達の年金その他を支えてくれているのは若い世代です。かれらが働きやすい社会であって欲しいです。金を与えるよりも保育所の増設と整備とか、放課後の児童の生活を守る政策の充実の方がはるかに私達の未来と直結していると思います。時間がかかっても良い、その方向に向う人を選んでほしいと願っています。

 先日、地方の小沢派が賛成票を党員に投じさせる為に白票を集めたと聞き驚きました。そのニュースにくっきりと私の出身地の名が書かれた看板がでていました。その地は米どころの農村地帯です。勉強嫌いの私に母は小さい頃から口癖のように言っていました。『勉強しなさい。こうゆう封建的な所ではあなたは生きてゆけない。都会に進学するために勉強しなさい。』勉強こそしませんでしたが、中学生の頃はもう、この地は私の暮らす土地ではないと自覚していました。
 それにしても白票を集めるとは絶句しました。

 それよりも心配なのは平和憲法の行方です。どちらもこの問題には触れていませんが、将来どうなるのでしょうか。エスペラントには『FUNDAMENTO DE ESPERANTO』(エスペラントの基礎)と言う本があります。言葉は社会の発展につれて発達してゆきます。どんなにこの基礎が現状にそぐわなくなっても決して改定しないとしないと初期のエスペランティストは決めました。その後、不都合な部分を変えようという動きが何度もありましたが、この基礎のお陰で激しい変化を避け、エスペラントは緩やかに発展し続けているのです。
 平和憲法は現実にそぐわなくなったとしても(もうそぐはなくなっていると言えるでしょう)平和の意思を再確認できる『平和の基礎』として日本人は持ち続けるべきです。エスペラント界が『ESPERANTO DE ESUPERANTO』でエスペラントを守ったように日本が自ら戦争に参加しないために!

 私には未来を見据えてくれるのはどちらの派であるかが一番興味があります。ただ、どちらも少し時間をくださいということで、2~3年先しか語らないのが残念です!
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