glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

著者は級友

2024-08-31 09:09:10 | 雑感


 
不思議な縁でこの本を手にしました。照屋さんを級友と呼ぶべきか旧友と呼ぶべきか迷ったけれど、大学卒業後60数年間出会うこともなかったのでやっぱり級友と呼べきと思ったのでした。 
 照屋さんとの出会いはまさに奇縁と言うべきでした。彼は沖縄出身で私は東北出身。縁もゆかりもないと思っていたのでしたが、高校時代所属する部活を通して交流していたのでした。そんなわけで彼の文学論などを聞いたような気がします。いま記憶にあるのは歌人若山牧水が好きということ、時には一人で新宿に飲みに行くということでした。牧水の歌は忘れたけれど、友人が照屋さんの話をすると私の脳裏に浮かぶ言葉は!

照屋さん、酒はしずかに飲むべかりけり


 
 当時沖縄はアメリカの統治下にあり、彼は留学生として本土(彼らは内地と言っていたような記憶があります。)に来ていました。同じ学年にもう一人それから先輩や私の後に入学してきた学生も加えると10人ほどの沖縄からの留学生と知り合りあいました。彼等の共通点は物静かで、内に秘めた情熱をオーラのごとく発していることでした。照屋さんもそんな静かな青年でした。

 この本を見て感じたことは本好きと言ってもいろいろなタイプの人がいるものだということ。
 私はと言えば、夢中で読み、読んでいる時は本の中に入り込んでしまうが、本当に中身を消化しているかどうかは自分ですらわからず、数年後、あるいは数10年後に突然、当時の自分を思い出し、自分をとらえ直すのです。ですから読書感想文というものを書くのが嫌いです。

 照屋さんは有名無名を問わず、それぞれの言葉をきちんと書き出しています。興味を持たれたらぜひ読んでください。
 巻末には年齢あるいは年代別に推薦する本を載せています。その中に私の読んでほしい本が入っていませんでした。そこで、私が若い人たちに読んでほしいと願う本を紹介させていただきます。中学生以上のかたならよめるとおもいます。

 いぬいとみこ著: 木かげの家の小人たち
 日本本土は沖縄のように戦場にはなりませんでした。それでも私たちは私たちなりに戦争を体験していました。著者は小人たちの目を借りて、また、子どもたちの生活を通して、戦場にはならなかったけれど、庶民が何を考え、どう苦しんだかを描くことで平和の尊さを読者に伝えたかったのだと私は感じています。
(al Esperantisitoj; Mi petas vin, ke bonvolu legu ties esperante tradukitan rakonton "La nanoj en domo kun granda zelkovo" eldonita de JEI.)

照屋さんがこのブログを読むとは思いませんが、80歳を超えても生き続けている私たちはすごいと思います。最後まで生き切りましょうね!





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