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生きること:過去と未来とエスペラントと

定額給付金の使い方

2009-03-06 10:00:38 | 福祉と教育
 定額給付金の支給が決まりました。
 高額所得者が受け取るのはさもしいと言っていた麻生首相も受け取るそうです。

 街の声を聞くと次に来る消費税の値上げ(?)が怖いということでした。私のところにも消費税に関する電話アンケートがきました。

 それはさておき、私は定額給付金20000円の使い道を決めました。あるボランティアグループに寄付することに決めました。いつもやりくりしている代表と電話で話している時、この際寄付を募ったらというと彼女はそんなこと言えないと…電話の向こうで笑っていました。

 さてさて皆さんはどう使うのでしょう。受領拒否はやめてみなさん寄付に回しましょう!
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定額給付金 ― 哲学の貧困

2008-11-13 11:19:16 | 福祉と教育
 定額給付金の交付が決まりました。政府のいう高額所得とは税抜き1800万円以上。私の周囲の方々の生活ぶりを見るとこれほどの給与を受けている人がいるとは見受けられない。かといって私はスラム街に住んでいるわけではないのです。

 神奈川県の人が一人12000円づつ貰うとしたら人口が895万人強ですから1074億円以上。横浜市だけでも(人口380万で計算して)456億円。算数が苦手な私の計算間違っているかもと壱,拾,百,千、万・・・と幾度か数え考えました。これだけのお金を一人が1年かけて使うとしたら一月たったの千円に過ぎない。これをまとめて有効に活用する方法を考えたら、少しは世の中明るく活気にみちたのではないか。まさに思考が貧弱と言うよりほか表現できない。

 そして思い起こしたのは昨年参加した、横浜中区の寿町で行われた正月の炊き出しでした。そこに集まっている人たちは未だに戦争の影響から日本が抜けきらない昭和30年代の労働者を思わせる貧しい人たちでした。豊かな国といわれる日本に未だにこのような貧しい人たちが存在している、タイムスリップしたようなショックでした。

 また、その中にはホームレスの人たちが多くいるようでした。社会から阻害された彼らは人を信じない人も多いそうです。彼らが凍死しないように夜回りし、説得しここに連れてくることをボランティアでやっている人々がいるのです。
 そして、定住場所を持たない人々はこのばかばかしい定額給付金さえも受け取る資格はないでしょう!

 政治家の思考のなんと貧しいこと!
 それに異議を唱えることのできない私たちのなんと言う弱さ!
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兄弟姉妹が多いということ

2008-05-12 07:07:25 | 福祉と教育
 昨日は久しぶりに子ども相手のボランティアでした。

 他国への理解を持たせるために、展示室に来ていた子どもを集め、展示されている国々からいくつか選び、案内するのです。案内と言っても難しい説明ではなくクイズ形式にしたりと工夫が凝らされています。そしてそのあと、民族衣装を着るという体験があります。

 今まで、大概参加する子は小学生でその幼い兄弟姉妹が数人と言うのが普通でした。ところが今回は20数名のうち小学生が数名で残りは幼児でした。

 さて、さて、クイズや説明はどうすると、ボランティアはあわて気味でした。

 ところが、幼児たちは積極的で、集中してこちらの話を聞き、質問にも即座に反応し、頼もしい限りでした。

 そこにはネパールの居間が展示されています。靴を脱がなければ入れません。靴を脱ぐにも履くにも自力、話を聞くのもきちんと座って聞きました。

 反省会の中で気がついたのですが、その子達の両親の中には赤ちゃんを抱いている方がかなり多かったこと、また妊娠中の母親も数名いたことでした。

 つまり3人兄弟姉妹の1番目や2番目の子どもが多かったのです。幼くても兄であり、姉であるという自負が子どもたちの自立心を育てていることを実感しました。

 ほとんどの家族が夫婦でやってきていました。何と言う呼び名の布だったでしょうか、布で胸に赤ちゃんを抱いている母親に聞きました。『この抱き方お父さんもするんですか。』父親が、『ええ楽ですから』と答えました。『私の息子もそれでどこへでも出かけるんです。』と私も言いました。

 兄弟姉妹が多いということはうまく育てれば子どもの成長を促すと実感した数時間でした。

 子ども3人をほとんど一人で育てた私には二人で子育てを楽しんでいる若い夫婦はまぶしく見えました。

 
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福祉の話

2008-02-07 15:25:53 | 福祉と教育
 昨日は横浜市中区の福祉大会に出店販売するサークルの販売係として大会の様子を傍聴することができました。このような場でまとまった福祉の話を聞くのは久しぶりのことでした。

 基調講演は横浜市国際福祉専門学校校長の豊田宗裕氏『小地域における福祉保健立つ同の役割とその必要性』でした。

 極端にまとめると:

・ 都市生活は著しく変化している。近隣であっても、必要性の内容は異なってく  る。今後地域福祉保健活動の重点は日常の生活圏、つまり小地域となる。
・ 福祉は個人の必要によって自己選択をする時代となった。つまり利用者が主体  であるから、自分たちが使える福祉サービスに関する情報を持っておくべきで  ある。
・ 私たちの生活の単位は家族である。今後在宅の生活が福祉保健活動の前提であ  る。

 なかなか聞きごたえがありました。ただ個人的に家族が基本といわれると疑問を持つことも多々あります。

 数十年前は核家族化が問題となりました。そして子どもの養育は家庭でと言われ働く女性は学童保育を含む保育所作りに苦労し、多くのエネルギーを費やしました。
 今は孤老と言われ人々が増えています。親族がいるとしても離れて暮らしている人は大勢います。元気な内はだれもが慣れ親しんだ場所で暮らしたいでしょう。しかし、体力、思考力が衰えた時家庭が基本と言われても、どのように自己責任で選択をし、どのようにサービスを活用できるのかという思いにとらわれました。

 家庭が基本などと言わず、例えひとりになっても地域で生活できる方法を模索すべき時が来ているように感じました。
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横浜散歩

2007-11-02 10:30:24 | 福祉と教育
 昨日は横浜シティガイド協会でおこなっている中区のツアーに参加しました。シティガイド協会にはエスペラント世界大会の時にお世話になり、活動の話を伺って時間があったら参加したいと思っていたのですが、日程が合わず幾度も歩いた道だと思いながら参加したのですが、道を知っていることと街を知っていることは違うということに気付くと共に楽しい半日を過ごしました。

 
 横浜市中区は女子ミッションスクールの多い街です。横浜女学院、横浜共立学園、フェリス女学院、横浜雙葉学園など軒を連ねたかのように存在しています。横浜は日本女子教育の発祥の地でもあったのです。

 明治3年(1870)5人女性宣教師が日本における混血児の孤児を救おうとやってきてのがもととなっているという横浜雙葉学園に心惹かれました。当時保護を要する子どもは10名ほどで思いのほか少なかったので、のちによき母を育成しようと女子教育を行い、明治33年法律にもとずく学校を作ったそうです。その後児童養護施設は東京に移ったということでした。

 もうすぐ、50年になろうとしていますが、10代の私は東京で双葉(?)学園という児童養護施設を訪問したことがあります。多分学園祭の準備だったと思います。その時の園長の言葉が大きな疑問としていまだに残っているのです。

 彼は、保母(女性保育士)として、両親がおり、心豊かに育った人だけを採用する。保護を必要とする子どもには使命感や、情熱より自然に出る愛情が必要と言ったのです。若い私はひどく反発を覚えました。人の愛情とはそのように自然発生的なものなのか、つまり動物的なのだろうか。愛情も理性でコントロールできるのではないか。そんな疑問を持ち続けています。

 現在、心理学の発達によりDVを受けた人が大人になると同じく家族に暴力を繰り返すといわれています。最近、虐待・子殺しなど家庭内暴力が絶えません。本当に私たちは理性の助けを借りてこの状態を乗り切っていけないのでしょうか。

 福祉を学び始めたころの自分に立ち返り考えさせられた横浜散歩でした。

横浜シティガイド協会のアドレスは下に:横浜在住以外の方でもお願いすれば希望の日にガイドしてもらえます。(有料)

 http://www.ycga.com
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石鹸も売れてしまった!

2007-03-07 15:16:17 | 福祉と教育
 昨日はある区の社会福祉大会でした。最近は日常的活動に参加していないグループですが、久し振りに石鹸を持って売り子に立ちました。予約の石鹸8個以外は16個しか無かったのですが、売れてしまいました。今朝は朝から石鹸作りを始めています。
代表者には最近結構売れるからと言われているのですが、ついつい後回しにして居ります。今月はガンバッテ作る事にします!

 昨年、戯れにえんどう豆をプランターに蒔きました。まだ、支えもつけていませんが今朝、花が咲いているのに気付きました。
風があるので花粉が恐く外にでるのは遠慮していたのですが、支柱を建ててやらなくては。

 菜の花はもう摘むのをやめました。お隣りの幼稚園の畑には素晴らしく育った菜の花が咲いています。我が家の菜の花は幾度となく摘み取られたので茎は細くなりそれでも懸命に咲こうとしているので、数日前からそのままにしていたら一斉に咲き出しました。
 狭くて、庭とはいえない地面にはひなげしが育ちだしわがもの顔にはびこり出しました。ぺんぺん草、スズメかカラスノエンドウ、いぬふぐりなど競っています。そのうち野草園になるのかも知れません。

どれを排除しどれを残すか雑草を眺めています。

 いつも時に追いかけられているような気がします。
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今年もよろしく。

2007-01-02 15:55:24 | 福祉と教育
 昨日は友人に誘われてK町の炊き出しに参加しました。
それは今度エスペラント大会で使用するホステルヴィレッジがある裏の通りの児童公園で行われました。昨日の炊き出しは餅つきでした。並んだ人達を眺めていると高度成長を遂げる前の1960年代の東京の風景を思い起こしました。
私たちの暮らしは豊かになりましたが取残されている人が大勢いるのだと実感しました。そこで生きる多くの人は生活保護に頼っています。その保護費の査定も年々厳しくなっています。保護を受けていない人の生活は厳しくなっていると思います。そう言えば最近市町村など自治体で廃品の回収を行うようになったので、空き缶などを拾って生活の足しにしていた家のない人が自活しにくくなったと聞きます。
 また、以前生活保護で暮らす人を非難する人と出合いましたが、すべての人が知識や技術を必要とする仕事ができるわけでないでしょうし、重労働に従事する体力を持っているわけではないでしょう。そう考えると何か複雑な思いがしました。
 
 法律相談をしておられる方に正月の状態を聞くと正月期間は相談がぐっと少なくなるそうです。たとへば借金取りもお休みだからと言うことでした。最近一番大変だった事例は本人が知らない間に本人名義の銀行口座が作られ俺俺詐欺に使用され、訴えられたことだそうです。
 本人が行ったことも無い東京で口座は作られていたそうです。呼び出した裁判所は中国地方とか、知らない間に犯罪の加害者にされていたと・・・。

 そこには餅のつき方にしても、きな粉や大根卸しの味付けにしてもそれを自分の仕事と考えている人がいました。その人達の意見を尊重してお手伝いしたつもりです。帰りに数人がまた来年ねと声をかけてくれました。体力があったらまた参加することにしましょう!

 
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訃報

2006-04-17 13:42:02 | 福祉と教育
 昨夜昔の同僚から電話が入った。私達が働いていた地域福祉作業場の利用者の父親が亡くなったという電話でした。

 倒れた父を看病し、最後まで看取ったのは知的障害者と言われているその子 ーもう、40歳いですが私から見るといつもの息子と同様その子ですー でした。

 私の付き合った人達の中には社会的に作られた知的障害者ではないかと思える人が多くいました。彼は癲癇と言う持病がありましたが、行動においても、判断力においても、しっかりしており時々発作を起こす以外、どこが欠けているかわかりませんでした。ただ、時には学校で発作を起こしクラスに迷惑を掛けたかも知れません。

 家事をこなし、自分の預金や小遣いを管理できる少女は4月1日生まれ、母親に少々問題がありましたが彼女自身は文を書かせてもきちんとしており問題はありませんでした。多分、小学校入学当初は自分を表現できなかったかも知れません。そして母親がそれを代弁してやることが出来なかったと思いました。

 世の中には幼い時期に区別され、社会的に知的障害者のレッテルをはられた人が結構多くいます。一度はられたレッテルははがしようが無いのです。

 世の中にはいろんな人がいます。レッテルではなく、その人の実際の生活を見て理解して欲しいものと、思い出に浸るうちにみなさんにお願いしたい気持になりました。
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悲しい!老後は生活保護

2006-03-07 07:32:47 | 福祉と教育
 政府は国民年金の給付額が生活保護費より低いので生活保護費を下げることを検討中という。本末転倒ではないかと思う。
 年金給付額を上げる努力をして欲しい!本当に財源が無いのでしょうか。家庭だったらもっとやり繰りするでしょう。

 それにしても年金に未加入で老後は生活保護で暮らそうと考えている人が政府を動かすほど多かったとは悲しいことです。
 実は昨年、友人からその友人が働いたお金は全て趣味に費やして生きている話しを聞き、彼女と共に憤慨しました。その友人は年金は生活保護費より低いから馬鹿らしい、老後は生活保護で暮すつもりと話していたそうです。

 保護費が多くの人が支払った税金から出ていることを知らないとは思えません。自分さえ良ければ、楽しければそれで良いという考えはあまりにも悲しく、本人は豊な人生を送っているつもりでも心貧しい人に思え哀れみさえ覚えます。
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なにか良いものないかな~

2006-02-14 09:15:54 | 福祉と教育
 この数日、押入れにしまいこんだ箱を取り出しなにか良いもの無いかなあ、売れそうなものはないかなあと捜しています。エスペラント日本大会を理由に私が活動をサボっていたボランティアグループにブースを貸してあげるから、ある会合で売店を出さないかという申込みがあったと言うのです。品物が少ないのでと電話を受けました。

 裂き織りコースター数枚、昔仲間達が練習で作った毛糸のマフラー、藍染めのハンカチなどを探し出しました。どれも規格品とはいえません。マフラーなど長さがみな違うのです。出すべきか出さざるべきか今日もハムレットの心境です。
     


 エスペラントの格言は Libro【本】より

La plej bonajn librojn legu unue, ĉar aliokaze vi tute ne havos la ŝancon legi ilin. (H. D. Thoreau)
 素晴らしい本をはじめに読みなさい、と言うのもそれらの本を読む機会はもう無いでしょうから。
 
Al pripensema kaj juĝokapabla leganto mlabonaj libroj helpas malkovori kaj prilumi malbonon kaj averti kontraŭ ĝi.  ( J. Milton)
 思慮深く判断力のある読者にとって悪い本は悪を暴き、照らし出し、そして悪に対して警告する助けとなります。

Se legado ne influas mian vivon, agodon, kaj pensadon, tiam ne valoras legi. (A. P. Ĉeĥov)
 もし読書が私の生活、行動そして思考に影響しないならば、読む価値はない。

Oni fakte devus legi nur tion, kio meritas admiron. ( Goethe)
 実のところ賞賛に値する事だけが読まれるべきでかもしれません。

Iuj legas por memori, aliuj por forgesi. (H. Heine)
 ある人達は記憶する為に、他の者達は忘れるために本を読みます。


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聴こえない世界を表現

2006-02-02 09:08:58 | 福祉と教育
 姉歯技師の耐震偽装、東横イン、防衛庁の幹部主導による談合と、嫌なニュースばかり続きます。日本はこれほどまでに後進国だったのかと悲しい思いです。

 朝ふとつけてテレビでミュージカルで自分の世界を表現する聴覚に障害を持つ大橋弘枝さんが紹介されていました。音楽を流して軽やかに踊り、如何に音楽を感じ取るかも見せてくれました。
 ミュージカル出演者は50人。手話ダンスで聞こえない人にも分ってもらえると活き活きと話す笑顔が輝いていました。障害のある無しを乗り越えて如何にコミニケーションを取るか互いに工夫しているそうです。

 小学6年生の修学旅行ではじめた憧れの海を見ました。海の色は絵本のように青くは無く灰色の海でした。その時訪れたのが当時盲聾学校と呼ばれていた県下にただ一つの全寮制の学校でした。
 20人ばかりの年齢のことなる生徒達が太鼓にあわせて踊って見せてくれました。空気振動で彼らが踊っていると聞き衝撃を受けました。

 受け持ちの先生は大学を出てはじめて私達を受け持ったのです。クラスに4年間無視され物も言わない子がいました。夏休みにその子を学校へ呼んで文字を教え遊んでやっていました。その子は文字が書けるようになり、掃除の時間は誰よりも働き、みんなと話すようになりました。

 その学校訪問はあの先生の発案だったのかもしれません。人との出会いは大切だと切実に思います。
         
 今日は気持がブルーです。



 今日のエスペラントの格言は Maljuneco 【老い】

La tragedio de la progresintaj jaroj ne estas, ke ni maljuniĝas, sed, tio, ke ni restas junaj. (O. Wilde)
 私達が進んできた歳月の悲劇は私達が老いて行くからでも、若いままでいるということでもない。

La juna generacio pensas, ke kun ĝi venas pli bona mondo, La maljuna generacio pensas, ke kun ĝi tiu pli bona mondo foriras. (.K. Čapek)
 若い世代というものは自分の世代と共に世界は良くなってゆくと考えている。年より世代というものは若い世代と共に自分の世界が去って行くと感じている。

Belaj junaj homoj estas ludiloj de la naturo, sed belaj maljuanj homoj estas artverkoj. (Goete)
 美しい若い人は生まれつきのものであるが、美しい老いた人というのは芸術作品です。
 (この場合のludilo の適当な日本語が見つかりません。どんな訳があるでしょうか?)
 
Juneco ne estas vivperiodo, sed animstato. Maljuniĝi en estas arto – arto estas akcepti tion trankvilanime. ( M. de Cervantes)
 若さは生活時間ではなく魂の状態です。老いてゆくと言うことは老いを静かな心で受入れてゆく芸術の状態にあるのです。
 (これも日本語としてはこなれていません。)
 
En sia maljuneco homo ne estas saĝa, nur pli singardema. ( E. Hemingway)
 老いて人は賢くなるのではなく、ただより用心深くなります。

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