父の聖書

 6年前に亡くなった父の聖書の修理が終わり半年振りに帰ってきました。

 父が亡くなる数年前に、父の書棚から持ち出して私の家の書棚に置いていた聖書でしたが、2011年3月11日の大震災の折に書棚から床に落ち、表紙が外れてしまいました。いつか修理をしようと思いながら8年が経ったころ、図書館に永く勤めていた同僚が「頼めるとことがありますよ」と教えてくれたのでお願いをしていたのでした。

 特に急ぐものではなかったのでそのうちに出来てくるだろうと気長に待っていましたが昨日、その修理が終わり手元に戻ってきたのです。

 本体から外れ二つに割れてしまった表紙が一体全体どんな風に修理がされたのかと思って梱包を解いてみてびっくり。まったく新しく製本し直し、表紙は新しく作り直され、その新しい表紙に古い表紙の背と表一と四の表面の紙だけを剥がして実に物の見事に貼り付けてありました。背と表紙は一見以前の古いままですが、製本は出来たばかりのしっかりしたものとなっており、その高い修復技術に驚く他はありませんでした。

 さて、その聖書ですが奥付のようなものはなく、中扉に「舊新約聖書 紐育・倫敦・東京 聖書協会聯盟」(聖の王は壬)。とだけ記され発行年も書かれておりませんでしたが、後ろ見返しに「Feb. 9th. 1949」と、父らしい几帳面な文字で記されておりましたので、これが父がこの聖書を入手した日であろうことをうかがい知ること出来ました。

 調べてみたところ、一般社団法人 日本聖書協会のWebsiteに「聖書協会世界連盟」(United Bible Societies/UBS)についての記載があり、どうやらこれが聖書協会聯盟の現在の組織であるらしいことがわかりました。その組織が、ヨーロッパ、アジアの戦後の混乱の中にある人々のために、そして復興のために、いち早く聖書を届けようと協議を重ね、戦火に荒廃した日本にも700万冊の新約聖書が贈られ、戦後復興の大きな力となったと書かれているのを見つけることができました。ただ、上記の聖書は「新約聖書」となっております。父の聖書は「舊新約聖書」ですので、この700万冊の内の一冊とはどうも違うようです。

 父の「舊新約聖書」の出所が今ひとつはっきりしないのに対して、この聖書を入手したらしい1949(昭和24)年2月9日に、父がどこで何をしていたのかということについては比較的良く知ることができます。

 新しい学校教育法の下に前年の4月に発足したばかりの福島県立棚倉高等学校に新任教員として着任して11カ月を過ごした頃です。父が遺した「心の記念碑 –七十年の軌跡」(1996(平成8)年8月10日発行)に次のような記載を見つけることができました。

 「現在では、(公立)学校の中に宗教を取り入れることはタブーとなっていますが、その頃は格別にそんなこともなく、棚倉の山の中に孤児院を経営していた東大卒のクリスチャンである谷先生という方が、学校に来て“バイブルクラス”を開いたり、クリスマス会をもち、多くの生徒達が参加していました。私も生徒達と一緒にかなりの山道を歩いて、その孤児院を慰問に行ったこともあります。この先生のもとで、何人かの生徒が熱心なクリスチャンになり洗礼を受けた者もいたほどです。私自身も随分啓発されたような気もします」(同書154頁)

 つまり、その「谷先生」を通して入手した聖書であろうことが伺い知ることができるのです。

 いやいや、本の修理職人の技の確かさについてはともかくとして、それ以降についてはまったく個人的なことを(尻切れトンボですが)長々と書いてしまいました。 気がつけば私も父が「心の記念碑 –七十年の軌跡」を著した歳に近づいてきておりました。父がそうであったように私もまた自分の人生を振り返って何かを書いてみたいような気がして来ているのか、だからこそこんなことを書いてしまったのかも知れません。
 もし最後までお読みくださった方がおられたのだとすれば感謝の念に絶えません。ありがとうございます。

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