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熟年の手習い

熟年老い易くチェロなり難し

ドレミはどこから

2005年09月18日 | 音楽

しつこく原智恵子の数珠繋ぎで中井正子著「パリの香り、夢みるピアノ」を読んだ。
特権階級でもない一般家庭出身の著者がピアニストになるまで道のりを、大変読み易く(マンガより?)書いてあった。最近読み易くないと疲れます。ダメですねぇ。

それにしても母上の孟母ぶりはすさまじく、お嬢さんも期待に応えてその根性たるや超人的だ。
異国でのきびしいピアノ修行はもちろんのこと、国際コンクールでは悪質な嫌がらせにも動揺せず演奏しなければならないとは。

印象に残ったことをメモ

・年配のフランス人(修道女、ピアノの先生)はバッハの組曲(メヌエット、サラバント、ブーレetc)を聴くと優雅なステップで踊れる。音楽の土壌の違い!

・貴族社会の名残。パトロンの存在。

・著者は4ヶ月の夏休み、フィレンツェの原智恵子のところで個人レッスンを受けつつ一緒に楽しい時間を過ごした。
当時、カサド未亡人でピアニストとしてはもう現役ではなかった。
サロンの花形という部分もあったようだ。
著者のサロンコンサートもカサド邸で催した。
上流社会のサロンではイタリアなのにフランス語で話すのがお約束。へ~~。
(ただし、1970年代の話)

(ワタシが)ドイツ観光でどこやらの領主の館へ行った時もベルサイユのファッションを伝える本が、貴婦人に引っ張りだこで彼女達は社交にはフランス語を使っていたと聞いた。

芸術の都、おフランスにちなんでバッハ先生もフランス語タイトルを好まれたのでしょうか。

・前に原智恵子が加齢とともにピアノが上達しないことを嘆いた、と書いたけど、著者も中年になり、若い時に弾けた連打するような激しい曲が弾けなくなった。

そこで医学的なことまで熟知した教え方ができる高名なピアニストに訓練をうけ、筋肉の使い方をがらりと変えて弾くように努力した。
すると連打も何のその、若い時以上に楽に弾けるようになった。めでたし。

先日、60代の中村紘子が雑誌で「技術的にも精神的にも、うまくなってきました。これからもうまくなります。」と書いていた。ピアニスト寿命いろいろ。

・パリ音楽院の同級生は全員、音楽家として活躍しているわけではなく、その確率が意外に低い。過酷な試練に耐え切れなかったり、運に見放されたり。気の毒な人も多い。

あと、「マイはてな」をちょっと調べた。

コンセルバトワールはパリ国立高等音楽院のこと。(知らないのはワタシだけ?)
勝手にコンサートに何かくっついた言葉かと思いきやconserver保存するという動詞の親戚のようで、保存するもの→conservatoire博物館、学校という意味だった。

ドレミはフランス語でなんていう?
DOがUTなんて聞いたことないわ。発音記号yt。
DOも使っているみたいだけど。REからは同じ。
ドレミファはグレゴリオ聖歌の歌詞から取ったそうだ。
元はラテン語か~~。
へ~~~!知らなかった。

伝説のピアニスト

2005年08月31日 | 音楽


読み始めたら夢中になり、寝不足。
「原智恵子 伝説のピアニスト」です。

あ~、もっと早くに彼女のことを知っていればこんなイベントにも行けたのに。

以前書いた古川展生さんのリサイタルで初耳の作曲家の名があった。
(曲も初耳。あまり覚えてません。)
チェリストであり作曲家でもあるカサド
カザルスの愛弟子で同じくカタロニアの人。

ワタシは恥ずかしながらチェロはもちろん、クラシックに関しても音楽全般に知識がなく、只今遅まきながらその都度ググりつつ情報収集をする始末。

カサドの最愛の妻が原智恵子。なんと神戸出身!というのもあり、興味を持った。

彼女が豊かな才能と実力を持ちながら、日本で評価されないままの人生を終えたことに激しく悔しがる著者の心情が伝わってくる。
ちょっと身贔屓が極端かな、と思うところもあった。

出る杭を打ち続けた音楽評論家のバックに高浜虚子がいた、なんて意外な展開もある。
彼の息子が原智恵子に失恋、才能に嫉妬したからということだが、事実だろうか。
杉田久女まで引き合いに出し虚子を批判しているが。

高浜虚子をはじめ、神様、巨匠と賛美されるカザルスやロストロポーヴィッチに対してでも「あの時の彼の行動は行き過ぎ」などとコメントに容赦がない。
大御所の一面を見たようでちょっとおもしろい。

若かりし有名チェリストの名がたくさん登場するので、「1000人のチェロ、チェロコングレス」のパンフレットを出してきて今のお姿を確認したりした。
いかに神戸に名人大集合だったか今さらながら驚く。

彼女の人生、愛憎も波乱万丈。
日本のピアノ界、クラシック界事情もさることながら、ワイドショー的結婚離婚劇も興味あるところ。ミーハー全開!
前夫はかのキャンティのオーナーの川添氏。
去年だったか、テレビでも取り上げてたし「キャンティ物語」も読んでいたのだ。
本の中には、当然川添氏の前夫人として原智恵子も名が出ていたけど梶子夫人が主役だったし、あまり記憶になかった。(梶子夫人も神戸出身!)

もし原智恵子の最初の結婚が円満だったら…

ユーミン(荒井由実)のああいうデビューがなかった。
風吹ジュンは原智恵子の孫を生まなかった。

といえるような…

ところで、この年でチェロを習い始めたワタクシにボケ防止?などと問う人もいる。
現に、ボケ防止にと言ってピアノを始めた友人もいる。

指を使うことは脳を活性化するというけれど、智恵子さん、晩年は記憶も定かではない状態と書かれてあった。
要するに認知症であろうか、ショックである。

フジ子・ヘミングのように返り咲いて年を重ねても演奏を続けてほしかった。
女性の老後は長いのだ。残念!


豚に「真珠とり」

2005年05月12日 | 音楽


オペラは高嶺の花だ。
来日中のフェニーチェ歌劇、S席で4万以上。最低でも1万5千円。

数年前来日の時、なんと、なんと!ゲネプロを観ることができた。
近くに元文部大臣の赤松女史が座っておられた。

友人の幼馴染が団員(日本人)にいる関係で、友達の友達で入れてもらった。
ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」
何もわからないまま、4時間の長丁場。
丁々発止と舞台を作っていく様子を見た。

覚えているのは、簡素にシンボル化したモノトーンの舞台。
中央のオブジェは印象的だったし、ライトの使い方も感心した。
ものすごく現代的な舞台美術だ。
衣装も服というより全員白っぽい布をまとっているだけ。

一番圧倒されたのは指揮者が、歌も所作も自ら実演して出演者に指示していること。
あらゆるパートの人をチェックして注文をだしていく。
かと思うと、オケの方を見て演奏の指示。
指揮者一人が4時間立ったまま、休むヒマもなくぶっ通しだった。
すごいタフ。

ここの指揮者が2月に亡くなられたそうだが、この方だったのだろうか。

そして今回、友人が行ったゲネプロは「真珠とり」だったが、人数が制限されているので私まで無理だった。(大勢にタダでみせるわけにいかんでしょうね。)
またもや馴染みのない演目なのでワタシなんかには、まさに豚に「真珠とり」だ。

周囲は音大関係の人ばかりだったらしい。
かなり酷評してたけど、よくわからなかった、と友人のコメント。
楽屋口から入らされたので近くで出演者が見えて、年配のおっちゃん、おばちゃん、ばっかりで驚いたとか。
熟年が第一線でがんばっているのがうれしい、というのが一番の感想だったようだ。
友人は前回、椿姫の方はチケット買って観たそうだが、今回はゲネプロだけだ。
やっぱり知らないものを観るほどオペラ通ではないみたい。
というか、あくまでも幼馴染の出番があるかないかですね。

オペラで思い出すのは中学入学してすぐの音楽祭だったか、文化祭だったか…
今まで観た、そしてこれから観るであろうどのオペラよりもインパクトが強いかもしれない。

女子校だったのだが、オペラハイライトとして高3のお姉さんがカルメンや、椿姫、蝶々夫人の名場面を熱演した。堂々と‘オンナ’を歌い上げていた。
チイチイパッパの学芸会しか知らない新入生は、いきなり惚れた腫れたのオペラの舞台を目の前で観てそれはもう、大騒ぎだった!
宝塚歌劇のノリ!でもレベルの高さも大人の間で評判になったらしい。

毎年恒例ではなく、音大進学するような出来のいい子達を徹底指導した賜物だった。
東京芸大出が自慢の先生も、この特別な舞台のことはずっと語り草にしていらした。
舞台に立ちたい、声楽をやってみたい、と生徒達の進路にも大いに影響を与えたようだ。

功績を讃えられてきた先生ですが、私の場合、お蔭様で音楽的才能のないことを思い知らされましたね。
しっかり選別して教育されましたから。残念!