ついに記事投稿300本を迎えました。つい先日カテゴリー欄にある数字を合計したら、ぴったり300で、ギョっと致しました。300本の辻褄合わせに、過去記事削除するという暴挙も考えましたが、目次2本分をマイナスして、今回が記念すべき(かどうか知りませんが)300本目となります。
記念記事は確か150本目に書いて、「なぜ150という中途半端な数字?」とコメントを頂いたので、じゃ、次は300本目で!と思ってました。今回は気づいたのが遅すぎでもなかったのでなんとか間に合ったかと。(200本目の記事書いた記憶がなかったのですが、書いてました)
今回の記事は通常営業のアホネタを草稿フォルダから漁って何本か見繕っておいたのですが、なんとなく気が変わって、こんな感じで営業しとります。
3月1日に始めたときはまさかこんなに続くとは全く想像だにしませんでした。ネタが続くの問題よりも、基本的にとても飽きっぽいのです。「継続はちからなり」と言うより、「継続のちからなし」ですので。また、父島旅行記がすぐに終了して、その後はたぶん好きな小説のことでも細々と書くかなぐらいにしか思ってなかったのですが、色んな誤算がありました。
始めて1ヶ月ぐらいは、ブログとはこれほどまでに反響がないものなのかという誤算(=誤解)誰も笑わない、誰もふーーんと言わない アクセス数はもちろんですが、コメントもスパムのトラックバックすら来ない。すると、その誰も読んでない感がやや心地よく、継続が嫌いな私がつい手がすべって継続してしまうことになるという誤算。するとかなり経ってから初めてもらったコメントに喜んでしまうという誤算。父島旅行はたった4日なのに29回も連載してしまったというとても大きな誤算。まだ最終回書いてないという誤算。
と、誤算だらけだったからこそ最初の数ヶ月続いたんだろうと思います。最初からコメントがついたり、面白いなどとおだてる人がいたら、つまらなくてとっくにやめていたはずです。
また、ブログを「書く」という作業から色んなことを学びました。忘れていたHTMLタグの書き方、ブログというメディアのあり方などなど。また、デジカメで撮った写真なんてPCに移したらそのままなのですが、旅行記を書くという作業を通して、写真の整理もするようになりました。また、本当はもっと書きたいのですが、あまり書いてない小説・映画のレビューを書いてみると、自分の記憶と感覚を文字に書き起こすということの難しさが分かり、またいい意味で備忘録になってると思います。
「創った&でっち上げたアホネタ」については?と思われるかも知れませんが、あれについて書くことで何かを学んだという感覚は薄いです。学んだことがあるとすれば、自分が面白いと思うことが他人が面白いと思うとは限らないということぐらい。どこからネタが沸いて来るか当の本人が分からないほどなので。また傲慢というような誹りもあるやに思いますが、アホネタは何の苦労も手間ひまもかけないで済む「省エネ記事」ですので、なおさら他の記事より学ぶものが少ないのかも知れません。
「省エネ記事で楽をする」→「それ以外の手間ひまかかる記事書きたくなる」
他のブロガーさんたちから学ぶことはあまりにも多く、書ききれないほどです。コメントのやり取りを通して、感じることもありますし、記事から情報をもらうこと、教えてもらうこと。また質問をして丁寧に回答をもらったことは数知れないです。会った事もない人たちと、しかも一方通行でない双方向コミュニケーションが可能となることはすごいことです。しかも出会い系でもない訳ですし。
私自身はブログをやっていて苦痛に思うことはあまりないですし、コメント欄で誹謗中傷が始まったり、いわゆる炎上(論争)になったことがないのは、私の低い人徳がなせるわざであろうと思ってます。
しかし逆にブログをやや長くやっていると、段々感覚が麻痺して来るのか、心の底から嬉しいと思う瞬間が少なくなって来ていることは否めません。
他の人のブログを読んでも、何も感じないとき
自分のブログにコメントが多く付いても、特に嬉しくも悲しくもないとき
そんなときは一切ブログを読まない、書かない そんな風にしています
ほぼ毎日記事は更新されてますが、記事を書くのは週に一度程度ですので、ただ草稿フォルダに入ってるのをアップし、目次を書き換えるだけなら10分もかからないです。実はいっときほぼそんな風にしていたこともありましたし、最近でもそんなこともあったりします。
そんな風にPCには触れてもブログには触れない日が何日か続いて、また書きたいと思えば書けばいいし、書きたくなければ書かないければいいし、いつでもブログを閉鎖すればよいと思ってます。残念ながら、いまだに閉鎖になってないことがまた誤算です。
たまに、ガツーーンと心に届くモノを目にするからまだやってるのかも知れません。
ブログに関する深い洞察を書いた記事 人間について 恋愛について あるいは実にスマートなリンクの張り方をした記事にガツンとやられたこともあります。あのときはしばらく記事が書けませんでした。
さて、長くなるのが恒例になってしまいましたが、そろそろ飽きた顔が見えて来ましたので、話を〆ましょうか。
私のブログに関しては、言葉が汚いのですが、記事=私の排泄物 だと思っています。排泄という言い方を変えれば、私が取り込んだモノを何かのプロセスを経て消化した結果出てきたものという一面があると思います。
また、これはやや声を大にして言いたいのですが、友人らに特に話すチャンスのない話、これがブログに書けるという一面。あるいは、インプットしてきたモノをアウトプットする場でもあるという一面。と言ったところでしょうか。そのような面があるからこそ、
なんだかんだ言っても、ブログは面白い
末筆になりましたが、最近、あるいはかなり前からお世話になっているブロガーさんたち、コメントはくれなくてもいい記事を書き続けてくれているブロガーさんたち、毎日のようにコメントをくれるブロガーさんたち、(追記)加えて、飽きもせずこんなブログを読んでくださる方、検索で偶然たどりついてしまった方、そしてご自分のブログのブックマークに、こんなタイトルからして怪しい私のブログを入れてくださっている方々・・・この場を借りて。
愛してる。
追記:150本記念はここ 200本記念はここ
とゆうことは、愛されてない。
このまま、『おともだち』としてお付き合い、お願いします。
記事300本目おめでとう
これからも、ふるさんがインプットしたモノが、ふるさんのフィルターかけられて記事としてアウトプットされるのを楽しみに期待しております。そして些か戸惑い、苦笑い、大笑い、そして関・感心させてもらたりと色々な意味で刺激を受けさせて頂きたいと思います。時折ハッとさせられるやのフレーズが堪りません。
それから、しつこくて辟易されるやも知れませんが、『父島旅行記』と『アメリカ西部開拓のたび』の続きは、勝手に楽しみにさせて頂いております。特に撮影されたお写真をもっと見られたらと勝手に期待しております。『父島旅行記』がまだ最終回に至っていないことはふるさんにとっては誤算やも知れませんが、私にとっては喜ばしい限りです。
200本記念の際は、ふるさんがブログを開設された経緯が垣間見れて、興味深く読ませて頂きましたが、今回はブログ開設から今日までを振り返られての思・想いや考えに触れられて共感したり気づかされたりと何となく感じ入りながら読ませて頂きました。記事のアップの仕方も似通ったところもあったりして何となく安心すると同時に考えさせられるところもあるやに感じます。
相変わらずの堅苦しい面白みのなさともはや恒例となったしまった長々としたコメントにつきましては何卒ご寛容頂き、これからも宜しくお願い申し上げます。
これからも誤算を続けブログも続けてくださいませ
↓のヤモちゃんの写真こわかったよーー
年末のお忙しい時期かと思いますが体調崩されませんように
日々楽しみにしています、
毎日ここに来るのは、精神的にひとときのオアシスでございますゆえ。
肝心の自分の記事はサッパリ更新できずで申し訳がありません。
また、体調不良の際にはご心配をかけまして本当にありがとうございました。
こういう時、人の暖かさが身にしみます…
これからもよろしくお願いしますね!
基本的にブログというものに対してこれといった
ポリシーを持ち合わせてない私にとっては。
このふるさんの記事は、それこそガツンときました。
300記事目、ホントにおめでとうございます。
そしてお疲れ様です。
さらにこれからもよろしくお願いします。
え?
お前は対象外だっておっしゃいました???
P.S.
ヤモリ君、ちっちゃいな!!(笑)
記事300本 おっめでとー☆
にっとは 一度 更新が途切れたら そこでもう終わりになってしまいそうな気がして 今に至ってます^^;
そうかー、そんな風に書いてたのかー、と感心しました。人生いろいろ、会社もいろいろ、ブログもいろいろです(by 小泉純ちゃんパクリ)。
まったくもって、ブログというかウェブというか、は不思議な空間です。