まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

上高地ウインターキャンプ27 (神は確かに存在する)

2015-03-16 20:31:03 | 日常
平成27年3月12日から15日
今回の例会山行の目的は冬期の静謐な上高地を体験すること、後継者の育成にあります。会員12名(男性5名、女性7名)が参加しました。男性3人は北方稜線山行、名越さんの捜索にも参加した頼もしい後継者達です。同志です。
1日目 憧れの上高地は1mの積雪、薄曇りでなにも見えない。まじかにそびえる焼岳も薄いシルエット姿のみ。テント設営後、遊歩道を通りウエストン碑まで往復しました。
2日目 焼岳は姿を現したものの穂高連峰の峰々は雲に覆われ見えません。ただ雪と岩の山裾が姿を見せています。右手の明神岳は急峻なスカイラインを描き、数年前に登攀した感激を思い出させる。
我々は雪の残る河童橋に佇み「アメイジンググレース」のCDを流し、口ずさんだ。この曲ほどこの神々しい場所にふさわしい曲はない。神は美しい自然そのものであり、その姿の体現である。今回の山行のサプライズは穂高連峰に向かい立ち、「アメイジンググレース」を歌うこと。それによりこの感激をより印象深く、より強く心に刻むことであった。「神様、あなたはこの様に素晴らしい場所を創造され、我々に御見せいただきありがとうございます。貴方を心から称えます。心からお慕いします。この姿を見てあなたの存在を確信しました。」この場所に佇む仲間も恐らく同じ気持でしょう。往路は梓川の左岸の雪原をスノーシュで歩む。刻々と姿を変える明神5峰の姿を愛でながら思い切り景色を堪能する。明神館を経由して徳本峠の分岐まで行く。昼食は明神池のある穂高神社の予定。先導する班長さんにコースを一任した。最短距離の樹林帯を一直線に進むかと思いきや遠回りの河原コースを選択した。神の啓示により導かれたのでであろうか素晴らしい絶景の風景が目に飛び込んできた。今までは明神5峰しか見えなかったがここからは明神5峰から2峰あたりの白銀に輝く峰々が連なって聳え立つ。今まで幾度と歩いた登山道からは見えない風景でした。こんな景色があったのか感激。奇跡というべきか雲が切れ、どんどん青い空が広がってゆく。皆、歓声を挙げ写真を撮りまくる。神様は何という粋な計らいをしてくださるのか。我々の願いがかなった。神を信じる私にそのお姿を御見せ頂いた。ありがとうございます。昼食を雪に覆われた穂高神社で摂り、帰路の右岸側の工事道路を下っていると道路から200m位のところに青白く氷結した見事な滝が現れた。高さは優に50mはあろうか、立派なアイスウオールである。これならアイスクライミングも出来そうである。次回にはアイスクライミングも目的に加えよう。新発見です。
3日目 夜間の冷え込は殊更厳しい。外に出ると満天の星空であった。
樹林帯のテントを撤収して帰路に就く。
大正池の下流部にあるビューポイントから見返ると、この世のものとは思えない絶景が姿を表す。
皆、感激の雄叫びをあげ、この幸運を喜んだ。
雪に覆われた大正池の向こう側に化粧ヤナギの樹林帯が広がり、その彼方に一片の雲なき碧空に白銀に輝く穂高連峰が横たわる。西穂高岳、間ノ岳、天狗峰、奥穂高岳、それに吊尾根がつながり前穂高岳、明神岳の峰々が坐する。
なんという光景であろうか、無駄を一切廃し、キリッとした極限の美がここにある。
最後に最後に神は我々が恋い焦がれた光景を御見せくださった。この光景を仲間に見せたくてここまで来ました。「貴方は最後の最後に私の望みをかなえてくださった。心より感謝をいたします。」悠久不変、春夏秋冬山の装いは変われど泰然自若として変わらぬ姿で鎮座する大自然の雄姿を仰ぐ時、人間社会の出来事などなんと小さいことか、人事のことも忘れさせ、人に平穏な心をもたらしてくれる。最後に昨年吊尾根で亡くなった岳友に別れを告げた。
いくつもの「道の隈」を曲がるたびに穂高を振り返り見る。「道の隈」とは万葉集に出てくる古語で「曲がり角」の意味です。都が飛鳥・藤原京から奈良に移り、移転するとき、見慣れた三輪山との別れがつらくて、道を曲がるたびごとに振り返りみては別れを惜しんだと書かれています。今の私も万葉人と同様な気持ちで何度も何度も振り返りみては穂高との別れを惜しみました。

初日は全く姿を見せず、2日目は一部のみ、最終日は最高の光景を見せてくださった。これも神の配剤というべきであろうか。本当にありがとうございました。

今回の山行の目的は後継者、リーダーの育成である。
設営、装備、記録、食糧、会計等役職を分担し、責任を持ち、深く考え、綿密に計画し実行していただいた。
食糧の量も余らず完璧、装備も最後の清掃までよくできました。すべて非の打ちどころなし。
各人が自分の役目を完璧にこなすことによりチームワーク、信頼感も深まる。自分がチームの役に立っている喜び。
参加者をお客さん扱いせず、平等に訓練に参加し苦労を共有していただいた。
人のために尽くす・今回の一番うれしいことです。私が指示しなくても大正池やバスターミナルの冬期トイレも雪などで使用できなかったが除雪して使えるようにしてくれた。伝統は継承されたと実感した。
各人が積極的に荷物装備を担架していただいた。誰も知られない処でもよくやってくれた。感謝します。
最後の最後、無事に福山に帰るまで安全第一の精神を保っていただいた。
次期のリーダー後継者の方には高齢者の参加できる山行の在り方に留意するよう要請した。
回を重ねるごとに充実した山行が出来たことを感謝します。
どの様な反省会になるか楽しみです。
さぞ盛り上がることでしょうね。

追伸
私がこのブログで「神様、神様・・」と盛んに書いているので気が変になったのか、こんなに信仰深い人だったのかと感じておられる方がいらっしゃるかもしれません。そうではありません。私は平凡などこにでもいる「平均的日本人」です。今日呼ばれている「上高地」の名前の由来はここが標高1500mの高地にある土地だから「上高地」となずけられたのでしょう。この名前は無味乾燥で何の情緒も感じられません。
「名は体を表す」といいます。ここは「上高地」ではなく「神河内」なのです。この地は太古の昔より他にも「神合地」、「神降地」とも呼ばれ神聖な土地と崇められていました。ここを訪れた人は私たちに限らずあまりの美しさ、荘厳さに神の存在を感じてこのような名前になったのでしょう。この時、今回のように「アメイジンググレース」を聞けばさらに感動は深まること間違いありません。「平均的日本人」を自認する私も皆様と同様あまりに美しさに感動して神の存在を感じたのも当然の成り行きでしょう。あなたもこの地を訪れればその美しさに感動され「神河内」の言葉の本当の意味をご理解されることでしょう。
是非お越しください。この感動によりきっと登山が好きになりますよ。
コメント (1)
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