上郷町JR平倉駅の東側。小原田橋と佐野橋との間、早瀬川沿いにある熊野神社。近くには、オシラサマで有名な中山家があり、神職をされているお宅でもある。境内には、その中山姓の刻まれた石碑がある。この中山家には、南部領ではめずらしい長屋門がある。長屋門は、一棟の両脇が倉庫などになっており、中ほどに通行のための通路がある建物で、本屋の前面にこの建物は配置される。一定以上の格式ある家でなければ伊達領では許されなかった造りである。ちなみにふるさと村の肝煎りの家にもある。
東北芸工大の赤坂憲雄先生の「遠野物語考」には、修験と巫女とオシラサマの関わりについて記されており、私も同様に考えている。(柳田国男先生は、オシラサマについては別の説をとっておられるが)
小友町の国道107号線から鮎貝方面に行く途中、右側にある熊野神社。牛舎の隣り、廃屋との間にあり、わずかな木立に囲まれ、鳥居も倒れ掛かっており、気をつけないと見過ごしてしまう。私も車で通り過ぎ、これは熊野ではと思い、バックしてズームにて石碑の熊野の文字を確認したほど。この道は江刺と小友そして遠野をつなぐ主要道路だったはずで、そこに日の当たる存在として鎮座していただろうことが想像される。残念ながら、見てのとおり、かなり傷みがはげしい。
小友には遠野郷では一番多くの熊野が存在していたようで、他の村とは格段に差がある。熊野信仰と金山開発の歴史を感じのだが、その多くの熊野の場所も金山との関わりについてもこれからの課題である。
綾織町新里、国道283号線、JAとおの綾織ガソリンスタンドを西に進むとすぐ右折した道路沿いにある熊野神社。ビッグライフさんの自宅の隣。金比羅山の大きな石碑が建っているが、社は確かに熊野さん。この場所は、横田城下から愛宕橋を越え、猿ヶ石川沿いに歩くと綾織で最初の集落となり、上・下中宿の入口にもあたる場所。慈聖院との関わりを感じるのだが・・・・。
んで、熊野・・菊池 って気になっているところですが、鈴木も物部だけじゃなく熊野に関係ありますよね。鈴木一族はなんかの会もあるらしいから驚きました。菊池だけじゃなく鈴木もいれて考察してみませんか。
ケツに火が着いているので、いつUPできるかとの思いから、できる日にまとめて・・・。天災と同じでいつ起こるかわからないのが、私のブログ。
遠野の熊野を追っていると、菊池姓だけでなく、様々な姓の人達によって守られていると感じます。遠野の鈴木姓の方々については今まで調べたことがありません。気をつけてみます。
それから、T場T三さんから曲家の千葉家をはじめとした千葉姓の方々のルーツ調査をした時の資料を頂きましたので、時間をみて千葉姓も追ってみたいと思っています。(やりたいことが山ほどあって何から手をつければよいのやら・・・ブツブツ)
トンノミの続きでアップしようと目論んでいた場所でした。
名前がわからなかったんで、キープにまわしていたのですが!!
熊でしたか!
しかし、貴兄の神社包囲網は凄すぎます!
どもども!上郷町細越の熊野は、何度となく社の前の道路を通り、そのたびごとに、何神社なのだろうと思っていましたが、その日は、偶然自宅で見た住宅地図に熊野の文字を発見し、なあ~んだということになった訳です。私の神社めぐりは、いつも、このような偶然が幸いすることが多いです。笑
T葉氏(天災のコメント欄ではT場と書きましたが、T葉でした)からの丸秘資料は、まだ、じっくり確認できていませんが、とらねこさんにも、そのうちに・・・・。
忙しい中、本日これより、小学校PTA役員の次年度体制を含め、親睦会に行ってきます。タミフルを体内から完全に排出するように消毒してきたいと思います。
糠前22地割が小字名権現前。なるほど。romiさんのエリアですね。青笹在住の方々にお聞きすると、あるとすれば沢田周辺ではないかと言われています。飯豊に入ると羽黒も熊野もあるので、小字名がそれらを指す権現前でないことを祈りながら、時間をみて足を運びたいと思います。(内心は以前にUPした安土神社があやしいような気がするのですが・・・小友つながりで)
よろしくね!!(トリック2仕様で)
あくまでも勘ですよ。でも、訪ねて歩くと、「ここだったのか」と思う場所にあったりするんですよ。そうなることを期待しているところもあるのですが・・・。