「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

8月初めの土日のなんだり・かんだり

2019-08-05 17:14:58 | 郷土芸能

ここのところの暑さで、体内時計が狂い、熟睡できるのが朝方になっている数日です。

関係各位の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。謝

 

そんなわけで、土曜日の日中は、冷房の効いた室内で仕事をし、夕食後の午後8時、

町中で夏まつり開催中ということで、ぶらぶらしようか思ったものの、翌朝のことを考え、

涼しいとおの物語の館内、遠野座へ

 

この日の当番は飯豊神楽さん

 

最初の三人御神楽(みかぐら)では、普段観ることのないメンバー構成で、次の八幡舞は親子で。

お客さんとして外国のハイスクール?の団体が来場しており、神楽はどうなんだろう?

と思いつつ眺めていたら、八幡舞の途中までで、そのほとんどが席を離れました。

ジャパニーズフォークダンスと通訳したかどうかわかりませんが、若者には理解できなかったようです。

 

 

三演目目は三番叟

 

舞手はイタリアのサレルノで子供の頃、この舞を踊ったという説明があったとおり、

流石に見応えのある三番叟でした。

外国の若者たちも、この辺りまで我慢して見ていれば、きっと、神楽のつかみはOKだったと思います。笑

他の夜神楽でも外国人の姿が見られるようになった遠野、最初の演目が大事なようですよ!

 

短めの演目を選んだようで、この日は4演目(お得感あり)

最後は恵比寿舞い

 

最近の十八番です!笑

この後、戻ってひと仕事のつもりが、十二時辺りになり、

 

布団に入っても、ぐだぐだで眠れず、目覚ましも聞こえないまま、9時が過ぎ、

まやまやず~頭で、とりあえずの様子見で、綾織町の石上神社へ

 

11時からの例祭神事になんとか間に合い、子供たちがしし踊りに参加している知り合いの大工さんから

ジンギスカンの差し入れを頂き、少しだけシャキッとして見物です。笑

 

神事後、石上神楽さんの下舞い

 

この日は同町の山口神楽さんの応援が無く、直会の席でも鶏舞だけとなりました。

 

続いて綾織しし踊りさん

 

こちらも、しし一匹だけで孤軍奮闘でした。

 

合間に花巻の神楽ファンEさんと一緒に拝殿内の御神輿と権現様を見学

 

遠野南部氏の九曜紋では無く、遠野南部氏家老格の新田(にいだ)氏の七曜紋

石上神楽さんも先の飯豊神楽さんも七曜紋の幕です。

 

権現様の裏を覘くと

施主御中 大工石町久兵エ 寛政六寅年 石神山大権現 別当金卞 旦主智音院

とありました。

大工は大工町や裏町に皆居たのかと思っていましたが、石町にも居たんですね~

江戸時代の寛政6年(1794)は、天明の飢饉の後で、町中の神明神社の例祭に大神楽や鹿踊がまた出るようになり、

3年前にはその例祭に花巻や盛岡の店屋が来て大神楽が演じられています。

また寛政5年には陸前・陸中・磐城で地震による津波が発生しています。

菅江真澄の「おくのてぶりの日記・つがろのつと日記」には

田植踊りやえぶりすりが行なわれていたことが記されてあり、まだ飢饉の影響が残る時代です。

 

石神権現、現在の神社も神楽も「石上」の字です。宝暦13年(1763)を区切りに作成された

南部領の「御領分社堂」には、鵢崎村(現在の綾織町みささき)ぶんとして、石神権現、石神新山とあります。

かつては「石神」だったのか、どちらでもOKだったのかは、わかりません。

別当金卞、別当の名前が金卞だとわかりますが、何と読むのでしょう?

御領分社堂では石神権現の前に日月堂別当金十郎とあり、石神権現と石神新山の別当名は空白で、

これを金十郎が以下の石神権現と石神新山両方の別当と読むのか、別当はいないと考えるのかは、

再考の余地ありだと思っています。

が、金十郎の当て字・略字が金卞だったりして・・・笑

ちなみに現在使用している神楽幕には鈴木金十郎と記されています。

最後の旦主 智音院ですが、見覚えがある山伏でした。

間違いがあるといけないので、現在の別当さんに確認したところ、この家は古くから石上登山の宿泊所で、

山伏では無かったとのこと。

奥州南部領遠野修験資料「両派初代書上帳」には、

羽黒派 遠野横田村裏町 智音院とあり、由緒として

 無録初代 自性院照清 生縁遠野附馬牛村俗名孫助、父ハ阿部内膳、爰(ここ)二有木像不動ト金像

之大日ト内膳家ニ傳来ス、依之為修験之子孫故ニ、使孫助同村従大壽院修験之業号梅本坊、

時慶安三庚寅年正月廿四日也、翌年羽黒江入峯官名号自性院、元禄十三庚年二月廿八日死去。

 

 

三代 知音院清貫 俗名鶴松、父ハ同村濱田与作嫡子三才ニして同村依忠應院ニ受修験之業号行学坊ト、

享保十四己酉年八月入峯官名知音院者也

長々と書きましたが、綾織の山伏では無く、町の山伏です。

何を云いたいのかと云うと、石上神社近辺には山伏がいないため、石上神社を崇拝していた新田家が

例祭を行う為に町中の山伏を依頼して神楽の奉納をしていたのでは?という事です。

現在の石上神楽は明治に奉納する神楽が無くなったことから大出早池峰神楽さんを師匠として、

石上神社例祭神事に加わる神楽として成立したものと思われます。

 

欲張って、もうひとつ

日曜の午後は、少しだけ綾織町の千葉家解体の説明を聞こうと思い、現地へ行くと予想を超える人数で、

当日登録の最終午後3時半過ぎのグループで入場

 

敷地の石積が半分解体され、建物も大工小屋が全て解体終了し、住宅部分はほぼ骨組みだけ、

三階建ての土蔵は、その解体が始められているという状況でした。

かや葺きの曲り家でも、千葉家の小屋組は独特のものがあり、見るべきものが多々ある建物です。

説明者の話では、団体(10~20名)で見学予約があれば、対応しますとのことでした。

 



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2 コメント

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8月最初の土日 (掛け持ち人)
2019-08-05 18:57:32
塚沢の例祭も一段落し土曜はSさんの息子ともう1人の塚沢の友人とで久しぶりに盛岡で飲みました。やはりガス抜きも大切です晩になりました。居酒屋で飲んで食べた後はカラオケにいきましたが以前より高いキーが出せなくなったのにちょっとガッカリしました。(笑)その後はお腹空いたのでつけ麺を食べて宿へ帰路となりました。今月はめがね橋での公演のみで後は新しい舞の稽古の8月かなぁと思う次第です。
笛吹さんもさんさでは有名な同級生の方から嬉しい一言が聞けて良かったですね!(笑)
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一休み (笛吹)
2019-08-06 08:22:01
掛け持ち人さんへ
盛岡の夜、良かったですね!
たまにはガス抜きしないと病気になりますからねえ~
私も仕事だけの人生だったら、きっと、倒れていると思います。
なんせ企業戦士には向かないタイプなので。笑
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