今日、所用にて盛岡へ行ってきた。場所は、盛岡城跡公園。隣接する桜山神社ではちょうど例祭が行なわれる準備をしていた。盛岡市外の私は、この神社の例祭を見たこともなく、どのようなことをするのだろうという興味もあり、寄り道をした。城跡公園(岩手公園という呼び方のほうが馴染み深いのだが)には何度か来ているがこの神社は初めてである。丁度、神輿を保管庫から出す準備をしていたが、残念ながら画像ブレで紹介適わず。
神社の右手後方には、これまた、初めて目にする名勝「烏帽子岩」
岩の形状からその名が付いたようだ。盛岡には、このような巨岩、奇岩が多いと聞く。三石神社や石割桜がその代表と言えよう。それにしても、この烏帽子岩も見事なものだと関心してしまったのだが、その隣には盛岡稲荷神社が鎮座しており、こちらは、庶民用かなと勝手に納得。
盛岡藩20万石(後年)の城としては立派な石垣沿いを歩きながら、集合場所の広場に行く。
盛岡城は九戸政実の乱の後、浅野長政、蒲生氏郷らが三戸の南部信直にこの地を勧めたと云われている。秀吉が盛岡城の築城普請を正式認可したのは1598年で、築城にあたったのは嫡子の利直で現地の総指揮をとり1599年に暫定的に完成。
信直亡き後、利直が二十七代を継いで築城工事をさらに進め、1619年頃までは三戸から一般庶民をも移住させていたようだ。
明治元年、維新の変革によって領地を没収されるまで転封されることなく、同一領地に定住。
なお、桜山神社の御祭神は南部氏始祖・南部光行、盛岡開祖・南部信直、初代藩主・南部利直、第十代藩主・南部利敬 の四公。
ここは、ご存知のとおり様々な集会やイベントで使用される広場だが、当時、何に使われていた場所だったのかは記憶に無い。(恥ずかしながら)
神社の右手後方には、これまた、初めて目にする名勝「烏帽子岩」
岩の形状からその名が付いたようだ。盛岡には、このような巨岩、奇岩が多いと聞く。三石神社や石割桜がその代表と言えよう。それにしても、この烏帽子岩も見事なものだと関心してしまったのだが、その隣には盛岡稲荷神社が鎮座しており、こちらは、庶民用かなと勝手に納得。
盛岡藩20万石(後年)の城としては立派な石垣沿いを歩きながら、集合場所の広場に行く。
盛岡城は九戸政実の乱の後、浅野長政、蒲生氏郷らが三戸の南部信直にこの地を勧めたと云われている。秀吉が盛岡城の築城普請を正式認可したのは1598年で、築城にあたったのは嫡子の利直で現地の総指揮をとり1599年に暫定的に完成。
信直亡き後、利直が二十七代を継いで築城工事をさらに進め、1619年頃までは三戸から一般庶民をも移住させていたようだ。
明治元年、維新の変革によって領地を没収されるまで転封されることなく、同一領地に定住。
なお、桜山神社の御祭神は南部氏始祖・南部光行、盛岡開祖・南部信直、初代藩主・南部利直、第十代藩主・南部利敬 の四公。
ここは、ご存知のとおり様々な集会やイベントで使用される広場だが、当時、何に使われていた場所だったのかは記憶に無い。(恥ずかしながら)
今期二度目の運動会疲れが残りつつのコメントとなります。
盛岡へは結構行くのに、じっくりと観光したことがないのが正直なところです。南部藩の本拠地なのに、藩政時代の遺物に接することが少なかったので、今回の岩手公園?(盛岡城跡公園)は、メインの目的外の時間にあちこちと見ることができました。
でも、この町は古いものが多く残っている割には、案内板が足りないという印象があります。啄木や賢冶だけではない江戸時代の盛岡のことも発信してくれればうれしいのですが。
○○と云えば、私も仕事がら、周辺官庁へ行く機会が多いので、これからは下調べをしておいて、色々とまがって見るべが?!(仙北町の駒形神社に行って見たいと思っているのですが、場所が不明です)
桜山神社の周りはにぎやかですよね、でも、車だと止まれないので○○の時にでも徒歩で行って見ようっと
…内緒ね