花巻の志戸平温泉方面へ行く度に看板が目につき、気になっていた場所へ
音羽山清水寺
京都のあの清水寺と同じ名前で、日本三清水寺のひとつと説明されていたが、この三清水寺には色々な数え方があるようだ。
京都と共通なのは、名前だけでなく、坂上田村麻呂の草創であること。
京都の清水寺には、時の中央政権によって亡き者とされた奥州の蝦夷「アテルイとモレ」の碑があるが、ここも、その時代に征服された地域に違いない。遠野にはない古墳が多数存在する地域でもある。
見事な山門
本堂
この日は、ここには私のほかにバスでやってきた人たちがいたが、観光客と思いきや、三十三観音を巡ってきたという人たちの満願成就のお礼であった。バスの運転手さんの話では、南部領内にある三十三観音を指すようで、伊達領内の奥州三十三観音霊場とは別とのこと。
盛岡は手代森の遠野守大権現にて聞いた観音巡りの講が盛んであったとの話のことかもしれない。花巻周辺では、今でもこの観音巡りの講が行なわれていたことに驚きを感じる。
山門から見える庫裏(右奥)と、おそらく宗教施設であろう建物(手前)
本堂には、様々が額があったが、この算額が目に留まる。多数の講の方々がご住職のお経に手を合わせていたので、残念ながら詳細に見ることはできなかった。
五軒四方の本堂も趣があってすばらしいが、この山門の組み物は圧巻である。
大正15年花巻市大田村 棟梁 宮原吉太郎(地元の人)、彫刻師青森県中村隆造とのこと 大工棟梁について私自身、はじめて聞く名前であるが、ただものではない。一見の価値ありの建物である。
それにしても目にした処へ飛びこむ笛吹氏の行動力には脱帽です・・・笑
と食い気コメ(笑
近隣の花巻にこげな立派なとこがあるのを知らないのですねぇ・・・ワダグジ
県内各地もディープですわ
ず~と前から何度も行こうと思っていて、やっとゆっくり見ることができました。突然飛び込んだわけではなく、一度は雨で場所の確認だけでした。
音羽饅頭、あまり、舌がこえていないので、知りませんでした。ネットで確認しても、やはり、食べたことがないような?
ガセネタを仕込んでしまいました
今朝自分の※を見て、「?」
なんか違う…
ぉお、音羽饅頭ではない~~
羽山饅頭でござんした
羽山神社繋がりの羽山饅頭でした
でも、音羽饅頭というものが存在するのは事実なようで、今、饅頭と書きながら、おはぎがなぜかしら食べたくなりました!