陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

駅の風景 近鉄筒井駅

2017年03月21日 | slow culture

近鉄で法隆寺へ行くにはこの駅で降りる。
高架駅だ。南は天理方面。北は大和西大寺方面。
吟行の帰り、南にまっすぐ伸びる線路を見ていたら
特急がやって来た。おお!あの“しまかぜ”だ。
この特急にもいつかは乗ってみたいなあと思う。
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斑鳩・三塔めぐり

2017年03月20日 | slow life

一気に暖かくなったこの日。
奈良は斑鳩の里を吟行する。
斑鳩・法隆寺へはJRが便利で早いが
今回はちょっと違うルートでミニ旅行を。
阪神で近鉄難波へ。そして奈良行に乗り
大和西大寺へ。そこでまた乗り換えて
近鉄筒井駅で下車。ここでバスに乗り変え
約10分ほどで法起寺口に着く。

まずは法起寺から法輪寺そして法隆寺へと
巡ろうと言うのだ。言わば逆打ちコースだ。
所々、畑の一画に菜の花の黄。
そんな長閑な道を法起寺までてくてくと歩く。
こちらの塔は三重塔で国宝である。
現存する我国最古の三重塔とあった。

法起寺からまたしばし歩き法輪寺へ。
ここでは時間の関係もあり拝観はせず。
寺の外から塔を仰ぐ。いよいよ法隆寺へ。
地元の人に道を訪ねつつ、今度は少し歩く。
まずは夢殿を拝観。夢殿の秘仏
救世観音像の御開帳は4月とのことであった。

そして中宮寺へ向う。ここにはあの
アルカイックスマイルで有名なご本尊
菩薩半跏像が。思惟半跏像とも云う。
これは何んとも言えない。畳に座って
う~ん。初対面であったが、しばし
その美しいお姿に魅入られてしまった。

中宮寺を出て今度は法隆寺金堂と五重塔
大宝蔵院と拝観。もちろんあの玉虫厨子と
百済観音像はしっかりと鑑賞した。

今回はかなり歩いた吟行の旅となった。
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バウムクーヘンの話

2017年03月19日 | slow works

とある新聞広告の取材で
バウムクーヘン焼成器の会社へ行く。
バウムクーヘンと言えば神戸っ子は
やはりユーハイムである。しかし
この会社で教えてもらったら
色んな種類のバウムクーヘンがある。
中でもハードバウムクーヘンは
外がカリッとして中は柔かいので
中々の食感で美味であった。
ちなみにバウムとは“木”
クーヘンは“ケーキ”の意味である。

この日はとても勉強になりました。
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昭和の神戸 港風景Ⅲ

2017年03月18日 | slow culture

神戸港の沖売という屋台の写真だ。
昭和30年とある。私の生まれる前の年だ。
微かな記憶にこんな風景見たような。

この写真も地下鉄海岸線の地下道に
飾ってあった懐かしの神戸港の一枚だ。
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わたしの酒呑録 シャブリ

2017年03月17日 | eau de vie

ワインも結構好きな私であるが
いつもはコスパの良いチリワインだ。
私のワイン歴は古い。会社に入ってすぐ
某洋酒メーカーの担当になった。
その頃、その会社の宣伝部は東京だったが
大阪でも細々と宣伝活動は行っていた。
特に、ブランデーは大阪が強かったので
その広告の取り扱いを結構貰っていた。
そんないきさつもあって、その会社が主催する
ワインスクールに通っていた。時はバブルへと
駈け上がる頃。随分といいワインも飲ませて
もらった。さすがにロマネコンティは無理だが
シャトーマルゴーなどはテイスティングした。

長々と自慢話になってしまったが、この日は
我が家の記念日であった。だからいつもの
安いチリワインではなく、神戸そごうに寄って
シャブリを買った。グランクリュクラスではないが
それでもなかなか普段では買わない価格だ。

あの緑がかった彩はシャブリならでは。
やはり旨いなあ。一気に空けてしまった。

■J・モロー・エ・フィス・シャブリ
フランスブルゴーニュ地方 シャブリ地区
シャブリAC シャルドネ
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昭和の神戸 港風景Ⅱ

2017年03月16日 | slow culture

懐かしい昭和の神戸港。この子たちは兄弟だろうか?
何をして遊んでいるのかな。メリケンパーク辺りには
かつてこんな生活の風景があったなんて、今は微塵も
感じることはできないけれど…。

この頃の港の風景を、当時の五十嵐播水先生は
よく写生されておられた。その頃は神戸税関にも
船長さんたちにも、神戸の俳誌九年母の句友たちが
たくさんいたらしい。時々その船に特別に乗せてもらって
港を海から吟行したとある。昭和三十年代前半のこと。
日本はまだ貧しかったけれど、ある意味そんな
格差社会ではなく、いい時代だったんだと思う。

(写真)元町から三宮への地下道の展示を撮影。
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美味パクチーサラダ

2017年03月15日 | slow gourmet

ここの店のパクチーサラダが好きだ。
パクチーはそんなに食べることはないが
あんまり美味しいので、パクチーを買って
家で作ってみた。ところがである。
これは旨くなかった。あのパクチーの
生臭さが鼻について食べきれず。
たかがパクチーサラダとはいえ、やはり
プロの技というのがあるのだと実感。
たかがパクチー、されどパクチーである。
ここのパクチーラーメンも秀逸。

■劉家厨房
戸市中央区中山手通1-9-22 ク
レモーナビル 1F
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昭和の神戸 港風景Ⅰ

2017年03月14日 | slow culture

懐かしい昭和の神戸港。昭和三十年前半かな。
写真の女の子は、私より少し上の年齢だ。
この頃、三宮中山手に住んでいた従兄妹と
よく神戸港に船を身に行った記憶がある。
客船好きの従兄妹はそのとき高校生だった。
大きな客船が来たときは、その船の名前を
教えてくれた。その時はたしかロッテルダム号
だったような記憶がある。

(写真)元町から三宮への地下道の展示を撮影。
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花舗のミモザ

2017年03月13日 | nonoka

京阪天満橋駅ビル1Fに花舗がある。
そこで久しぶりの友と待ち合わせ。
大阪キャッスルホテルの中華料理で
近況を話し合った。テレビ局の制作部門で
プロデューサーだった彼も、今は子会社に
転籍して役員をやっている。互いに残り少ない
サラリーマン人生を語り合い仕事の話も。
いろんなアイデアが出てきて、一緒にやろうと。
楽しい時間パワーランチであった。

今の時期、花舗にはミモザが溢れている。
また買いたくなったが、まだ仕事中だ。
見るだけにしよう。

街角の花舗に溢るる花ミモザ
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岳人Hのこと

2017年03月12日 | cocoro

神戸駅近くの仕事先で用を終えたら
ふと、宇治川商店街を歩いて見たくなった。
この界隈は浪人時代によく行った場所だ。
昭和50年。この商店街から少し東へ行った
狭い路地に、同じ予備校に通う友の下宿があった。
下宿先といっても古い民家の一軒家である。
家主は知人で彼はそこを下宿先として借りていた。

Hとは予備校で偶然に知り合った。
どうして知り合ったかはよく覚えてない。
出身は姫路。夢前町だと言っていた。
Hは朴訥として飄々とした男だった。
かなりな山好きで、ふと思い立って
山へ行ったら何日も予備校には来なかった。

スキーの腕も一級らしかったが山スキー専門だった。
スキー板の裏につけるたしかアザラシの毛で作られた
といったスキーのがんじきみたいなものを持っていた。
これがあるとスキー板でも斜面を登ることができるんだ
と自慢していた。とても高かったらしい。不思議と
その時の会話はしっかりと覚えている。

Hは予備校に通う傍ら、この近くのラーメン店で
アルバイトをしていた。当時その店はかなりの
人気店だった。深夜には水商売の御姐さん方が
よく来店していたように覚えている。後年
そのラーメン屋は店を何軒も持つようになっていった。
神戸の人間ならよく知っているチェーン店である。

Hの家では皆でよく集まっては徹マンをした。
私も麻雀は弱い方ではなかったが、徹マンでは必ず
夜明け近くになると負け出した。体力と気力が
やはり衰えて来るからだろう。反対に山で鍛えて
頑丈なHは、朝方になると俄然強かった。

そんな楽しい浪人生活も、入試シーズンに入ると
皆それぞれ予備校でも顔を合さなくなり、Hとも
いつしか疎遠となりそのままとなってしまった。
どこの大学に入ったのかさえ知らないままだ。

あれから矢のように歳月が流れた。Hの消息も
面影もあの日のままで止まっている。ときどき
新聞やテレビなんかで登山隊の話題が紹介されると
彼の名前が出ていないかなと捜す自分がいる。
遭難者の名前すら気になってしまう自分がいる。

岳人H…今ごろどうしているのだろうか?
卒業し、就職し、結婚して幸せな家庭を築き
今でも山へ登っているのだろうか?

久しぶりに見た宇治川商店街は今でもあまり変わらない。
商店街の匂いと風景が懐かしくて何度か往復してみた。
そしてその商店街から少し東、あの狭い路地へ。
けれども、やはりというか。震災を経験した神戸だ。
もうあの古い民家はどこにも存在していなかった。
確かな存在は私の記憶の中にしか建っていない。
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