神戸駅近くの仕事先で用を終えたら
ふと、宇治川商店街を歩いて見たくなった。
この界隈は浪人時代によく行った場所だ。
昭和50年。この商店街から少し東へ行った
狭い路地に、同じ予備校に通う友の下宿があった。
下宿先といっても古い民家の一軒家である。
家主は知人で彼はそこを下宿先として借りていた。
Hとは予備校で偶然に知り合った。
どうして知り合ったかはよく覚えてない。
出身は姫路。夢前町だと言っていた。
Hは朴訥として飄々とした男だった。
かなりな山好きで、ふと思い立って
山へ行ったら何日も予備校には来なかった。
スキーの腕も一級らしかったが山スキー専門だった。
スキー板の裏につけるたしかアザラシの毛で作られた
といったスキーのがんじきみたいなものを持っていた。
これがあるとスキー板でも斜面を登ることができるんだ
と自慢していた。とても高かったらしい。不思議と
その時の会話はしっかりと覚えている。
Hは予備校に通う傍ら、この近くのラーメン店で
アルバイトをしていた。当時その店はかなりの
人気店だった。深夜には水商売の御姐さん方が
よく来店していたように覚えている。後年
そのラーメン屋は店を何軒も持つようになっていった。
神戸の人間ならよく知っているチェーン店である。
Hの家では皆でよく集まっては徹マンをした。
私も麻雀は弱い方ではなかったが、徹マンでは必ず
夜明け近くになると負け出した。体力と気力が
やはり衰えて来るからだろう。反対に山で鍛えて
頑丈なHは、朝方になると俄然強かった。
そんな楽しい浪人生活も、入試シーズンに入ると
皆それぞれ予備校でも顔を合さなくなり、Hとも
いつしか疎遠となりそのままとなってしまった。
どこの大学に入ったのかさえ知らないままだ。
あれから矢のように歳月が流れた。Hの消息も
面影もあの日のままで止まっている。ときどき
新聞やテレビなんかで登山隊の話題が紹介されると
彼の名前が出ていないかなと捜す自分がいる。
遭難者の名前すら気になってしまう自分がいる。
岳人H…今ごろどうしているのだろうか?
卒業し、就職し、結婚して幸せな家庭を築き
今でも山へ登っているのだろうか?
久しぶりに見た宇治川商店街は今でもあまり変わらない。
商店街の匂いと風景が懐かしくて何度か往復してみた。
そしてその商店街から少し東、あの狭い路地へ。
けれども、やはりというか。震災を経験した神戸だ。
もうあの古い民家はどこにも存在していなかった。
確かな存在は私の記憶の中にしか建っていない。