陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

新涼の空

2022年08月29日 | slow life

昨日は八月最後の日曜日。
そして唐突に新涼の日和となった。
それは恥ずかしがり屋の秋が、意を決して
はっきりとその姿を現したかのように。

新涼という季題がある。好きな季題だ。
ホトトギス新歳時記によると
「秋はじめて催す涼しさをいう。夏の暑さの
一時的な涼しさと違って、よみがえるような
新鮮な感触である。秋涼し。秋涼。」とある。
涼新た、とも言う。

正に昨日の日曜日が新涼であった。ただここから
秋は一進一退を繰り返す。そしてやっと秋らしく
なったなあと思ったらもう冬がやって来る。
最近とみに秋が短くなっているように感じるのは
私だけではないだろう。

さて、暮れの八月。高校時代の同級生であり
句仲間でもある友のお宅へある用件で訪問。
閑静な山の手にある素敵な一邸である。
庭の芝生も枝ぶりの良い小振りの松も丁寧に
手入れされており、庭の一景を通して眼下に
神戸の街並みを望む。

その庭から眺める空に心を遊ばせた。
それは初秋の美しい空であった。

ただその家にひとりで住んでいると言う。
昭和の時代。家族が揃った団欒があった。
時が流れ子どもは巣立ち、老いた親は黄泉へと
旅立つ。そうなると誰も住まない実家が残る。
そして空家対策という問題が生じる。今の世の
喫緊の課題となっているのは周知の通りだ。
都会ならまだしも、遠く離れた田舎に空家を
抱えているケースはこれが結構厄介である。
私の周りにもそんな人が多い。ある人は定期的に
草の手入れや風を通しに実家に行く。
片道一時間以上かけて。実家に帰ったついでに
その実家のご近所から貰った野菜をお裾分けで
いただくことがある。

年を取ると、こういう片付けなければならない
問題が増える。誰もが通る道である。しかし
そんなこと露ほども何も考えず、生きていた
あの青春時代が、思えば本当に良い時代だったんだ
とつくづく思う。気づいたときにはもうとっくに
遠い過去になっている。それでも遠花火のように
心の中で音が爆ぜると何だか懐かしい。あの頃は
全然無知であったが、無知ゆえに幸せである
ということもあるのだなと思う。

遠花火こころの中で爆ぜし音
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