七十七回目の終戦日である。
私の父も戦争に行った。
終戦は佐世保で迎えたと聞いた。
もし、今生きていれば九十八歳だ。
終戦の時は二十一歳であった。
あの戦争で生き残った方たちも、もう
ほとんどが鬼籍に入っているだろう。
戦争の生き証人が全ていなくなる日も近い。
戦争の記憶が薄れてきたと思ったら
なんとウクライナで戦争が始まった。
台湾も危ないと言われている。
人類はやはり戦うことが好きなのか?
企業社会もみんな普通に戦うと言う。
仕事をすることも戦いなのだ。
戦うぞ!なんて気勢を上げて仕事をしている。
皆戦うと言う言葉に何の疑問も持っていない。
これよく考えると、やはり人類は戦うということが
遺伝子に染みついているのだなと思わざるを得ない。
九州の田舎には遺骨なき伯父の墓がある。
半島の小さな村の高台の海を望む墓地に
伯父は眠っているのだが、遺骨はない。
南方の海の藻屑となって戦死したのだ。
勿論、私は伯父の顔を知らない。
田舎の本家の薄暗い仏間の鴨居の上に
飾られた軍服の遺影で知るだけである。
私の歳辺りが、戦争に行った親を持つ
最後の世代だろう。そういう意味では
私も戦争の記憶を語り継ぐべき使命を
負ってるのだ。
真青なる知覧の空や夏の果
(写真)2007年、大和ミュージアムにて