どこか懐かしい“いりこ”の看板。
小さい頃のその昔
いりこで取った味噌汁が不味くて嫌いだった。
今思えばそれは良いいりこでないから
美味しくなかったのだろう。
神戸は中山手で生まれ育った母と
九州の田舎の漁村で育った父は
対照的な生育歴が示す如く、やはり
食べ物の嗜好がまったく違っていた。
母は当時からハイカラ神戸を地で行く
珈琲とパン党であった。外人が居て
西村珈琲にパン屋のフロインドリーブが
近所にあったのだから、それは
至極当然の成り行きだったのだと思う。
片や父といえば正直田舎もんである。
その父が味噌汁や魚を所望する。
しかし母は味噌汁や魚が好きでない。
味噌汁を作った傍らでトーストを食べる人だ。
そんな母が作る味噌汁はうまいはずがなかった。
当時はそんな理屈はわからず、味噌汁は
体にいいから不味いもんなんだと思ってた。
曲がったいりこがいつも
飲み干した椀の下に残っていた。
そして…
これは骨になるから食べろと言う。
なんともまずかったいりこの思い出。
あれから時は流れ、星は移り
そんな両親も今はいなくなった。
大人になりいいものの味を覚えた今
天日干しの上質ないりこで取った出汁で
飲む味噌汁のなんとも美味いことよ。
けれど…、けれど…
どんな美味しい料亭の味噌汁を飲んだとて
私の記憶には残らない。
ただあるのは、不味かったけれど
あの母のいりこの懐かしい味噌汁の味だ。
味覚とは
感覚でなく記憶だとある著名な料理家は言った。
私も痛切にそう思うこの頃である。
■写真は鞆の浦にて