江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

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2024-07-24 01:17:45 | 日記
浅草21世紀に色物として出演してきた。
1回目をあっさりと済ますと、周りから
お前は飲むと良くしゃべるのに
なんでもっと話さないのだ と責められ
ならばと、今まで一度も話したことのないネタを
取り上げた。
これが意外と受け入れられたようで
これからいろんなところで話して、
自分のネタとして確かなものにしていこうと思う。

それとは別に、
浅草21世紀の喜劇を見ながら、考えることが多かった。
私は”笑い”が好きだ。
今も新しい作品を作ろうとしている。
その中にテレビCMのパロディを入れようとして、
ハタと思った。
ちょっと昔の人は、歌舞伎や能、義太夫や小唄・端唄は
誰もが耳慣れていて、
本歌取りやパロディにしても
誰もが元を知っていて、笑った。
CMにしても、だれもが知っているのがあって、
パロディにすることができた。
今はどうであろうか。
若い人はテレビを見ない。
年配者はネットを追わない。

”物まね”という芸がある。
ひと昔は、歌手や政治家などだれもが知っている人をまね、
そして必ず”オチ”に持って行った。
私の所属していた協会も、そういう芸人が多かった。
ところが今から10年ぐらい前であろうか
ある物まねのイベントに行ったら
いわゆるコピーだった。
1曲丸々歌いきる。
本家歌手よりうまかったりする。
”オチ”は、ない。笑いもなかった。

久しぶりにたっぷりと美空ひばりを聞く。
微妙に間をずらすのが、上手いと思う。
ふっと引き込まれる。
ところが今の音楽には、
この”間”が無いのが多いように思う。
”コスパ”なのであろうか。

”間”は息遣いから生まれる。
この息遣いは、全世界共通だと思う。
それはパレスチナで笑いを取った時に感じたことだ。

で、初めの問題に戻る。
若者も年寄りも笑えることって
何があるのだろう。

世の中少しずつ”分断”という言葉が広がりつつある。
様々なところで、共通が持てなくなってきているのだろう。

最初の問題に戻る。
人が年代にかかわらず笑えることって何があるのだろう。
コメント
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