マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

飛鳥山から富士山は見えるか

2017年01月25日 | 東京散歩

 数日前の東京新聞に「飛鳥山公園から富士山」とのタイトルで、飛鳥山から撮影された富士山の写真とその解説記事が載った。日本地図センターが主催したイベントで、参加者から「飛鳥山から富士山が見える」との話を聞いて、センターの常務理事田代氏は、15日にその姿を捜しに出掛け、目を皿のようにして木の枝の隙間から発見したとあった。

 私もその姿を発見し撮影出来ないだろうかと、その機会を狙っていたが、快晴の朝はなかなか巡って来なかった。予報から24日は好天が予想され、朝620分に自宅をスタートし、南北線利用で飛鳥山着645分。この日の日の出時刻646分少し前だった。



 記事には、撮影地点は飛鳥山の最高地点ではなく、佐久間象山の詩を刻んだ「桜賦の碑」付近と書かれていた。毎年4月に開催の「向丘花見の宴」の比較的近くで見かけた碑。その碑近くで富士を捜し求めたが、我が視界に富士は入って来なかった。15分以上費やしても発見できない。そこで付近を散歩している人に「この辺から富士は見えませんか」と尋ねると、「数日前に何人ものカメラマンがこの辺でカメラを構えていましたよ」と言われ、探索するもやはり成果なし。諦めて帰ろうかとも思ったが、残念で、更に、散歩風情の老婦人に同じようなことを聞くと「私がたまに富士を見る場所へ」と、碑から少し離れた場所に案内された。
 日の出から20分ほど、陽が明るくなってきていたからか、目を凝らすと木の枝の間から富士が望めた。マンションの上から少し姿を見せていた。慌ててシャッターを切った写真が右と下。やりました!

   

 今はビルなどに遮られ、冬枯れの一瞬の、公園内の特定地点のみからしか富士は展望出来ない。江戸時代は飛鳥山から筑波山は良く見え、富士も遠望出来たのだろう。ただ、広重の『名所江戸百景』に“飛鳥山北の眺望”(写真は一番下に)等、描かれているのは双耳峰の筑波山のみ。北斎の『富嶽百景』にもその姿はない。飛鳥山からも富士は遠望出来たであろうが、飛鳥山では桜に浮かれ、その地点から北東に望める筑波山が絶景だったのだろう。

 同じ東京新聞の114日の朝刊の「東京どんぶらこ」には“道灌山”が登場し、江戸時代には富士山と筑波山の両方が見え、親しまれた行楽地として紹介されていた。上野から見て、諏訪の台地の先に道灌山があり、その更にまた延長線上に飛鳥山がある。上野台地の幅が非常に狭いから可能だったこと。西日暮里駅前の道灌山通りに立つと上野台地の断面の狭さが良く見える。(今朝撮影の断面。薄黒く見えるコンクリート状が断面)



 
 今日の二葉(『名所江戸百景』より)
            
 (”飛鳥山北の眺望”の筑波)  (”王子稲荷の社”にも筑波)


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