マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

行くはずだった信濃路

2019年04月26日 | 信濃紀行

 「あずさ2号」の歌詞ではないが、4月24日に信濃路・安曇野を訪れ、拾ヶ堰を歩く予定で、特急券まで購入していたが、天候がいまいちで信濃路行を取りやめていた。
 安曇野に「拾ヶ堰(じつかせき)」という水路があることを知ったのは2年前の秋、白馬の喫茶「カミニート」を初めて訪れたときだった。主(あるじ:以下カミニートさん)に桜咲き誇る畔を流れる水路について尋ねた。「豊科にある拾ヶ堰です」との話を聞いて、いつかはそこを歩いてみたいと思って来た。ネット上にある『安曇野水土記』なども読み一応の知識を仕入れておいた。今日は無念の思いを抱きつつ、今回は行かれなかった拾ヶ堰について簡単に綴る事とし、見聞録を交えていずれ詳しく書きたい。(写真:安曇野と常念岳)
 
 「北アルプスの秀峰常念岳に源を発する烏川は深い谷間の水を幾筋か集めて安曇野に流れ出るが、平野部に出たとたん、その流れは忽然と姿を消してしまう。黒沢川又然り。この奇妙な現象は、この盆地が礫質(小石)の多い沖積層から出来ているせいである。水は地下を潜って不透水層を流れ、再び、扇状地の終わる先端部で姿を見せることになる。そのため広大な面積を占める扇状地の中腹には水はなかった。北アルプスという巨大な水の宝庫を持ちながら水田を作ろうにも地表には水がない
」 (写真:安曇野とその向こうに北アルプス)

 この悩みを解決する為に幾つかの試みが為されて来た。
 「中央アルプス・駒ヶ岳から流れ出る奈良井川は奈良井宿を通って50Kmを流れ、安曇野で梓川と合流し犀川となる。拾ヶ堰はその奈良井川から水を取り、扇状地の中央を約570mの等高線に沿って横切り、約1000ヘクタールの水田を潤す大水路。10に及ぶ村を潤すから拾ヶ堰と名付けられた」という。その完成までにも幾多のドラマがあったことも『安曇野水土記』には記されていた。
 安曇野の水田の多くが北アルプスではなく中央アルプスの水で潤っている不思議。
 歴史的にも地質学的にも興味を惹かれ事柄が隠れていそうだ。
 
 そこを訪れるには桜の頃が良いとカミニートさんから聞かされていた。一泊し、常念岳を見渡せる快晴の日にサイクリングをしながら回ろうなどと、欲張った目的の旅路を志向していたので、訪れる機会を逃してしまっていたようだ。丁度この2日間、妻は妹と福島の旅行に。この機会を利用して計画を一歩進めようとしたが、生憎の天候で中止してしまった。日帰りでも十分見学が可能とわかったので早目に訪れて見たい。(写真:拾ヶ堰)

 付記。中央線特急「あずさ」の自由席がなくなっていた。この3月16日からは必ず指定席を購入しなけばならなくなった。JR東日本の営業成績は好調なのに実質的値上げ!お客様本位で営業してほしい。

 今日の三葉:23日(火)小石川後楽園に藤を見に出掛けた。新緑が眩しかった。

 

 


 

 


 


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