マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

東京歴史散歩は上野台地へ

2021年11月05日 | 東京散歩

 都高教退職者会の、今年の東京歴史散歩は上野台地へ。10月30日(土)は快晴だった。ただ、参加者は担当の私を含めて僅か3名、過去最少の人数だった。目的地の選定に問題があったかも知れないが、やはりコロナの影響を受けていた。参加常連の向丘元同僚2名からは何の連絡もなかった。電話連絡のあった参加希望者から懇親会の有無を問われ、「今年は見送ります」と答えると、「それでは参加しません」との返答。退職者会の幹事の方々は翌日に宮城の震災地を訪ねる旅に参加する為、前日には休養が必要だった。等々がなければ例年通りの参加者はあったかもしれない。(写真はコース中ほどにある田端切通し。1933年に造られた)
 参加者2名はいずれも私がよく知っている方で、向丘高校元同僚の菅原さんと日退教の松渕さん。松渕さんとは機関紙編集の会議で3年ほどご一緒したことがあった。二人とも東北の出身で、共通の話題が多々あって、3人でお喋りをしながら、日当たりのよい上野台地を散策したのでありました。
 武蔵野台地の東端に位置する上野台地は標高20m前後。南端は上野公園で、北端は田端辺りまでかも知れないが、今回は王子までご案内した。コースの概略は、
 西日暮里駅→諏方神社→西日暮里公園→道灌山遺跡→田端台公園→田端切通し→田端文士村記念館→(北区Kバス)→平塚神社→西ヶ原貝塚跡→七社神社(七社神社前遺跡)→飛鳥山公園

 このコースの特徴はコース上に3つの縄文・弥生遺跡が存在することで、出発地点の諏方神社でこのコースの地理的状況をお話した。その為には是非とも地図写真が必要。A3の用紙にプリントしたものを用いて説明するのに上手い方法に気が付いていた。政党などが壁にポスターを貼る際に使用する小道具を利用することだ。神社一角置かれている掲示版にA3の写真を右の様に張り付けての説明。(写真右がプリントを張り付けた状態。下は四隅の一角)
 

 ここでは上野台地の特徴を3つ説明した。縄文海進の頃には台地両端は海で、それ故貝塚跡が多々見られること。見晴らしが良く、明治・大正の頃は多くの文士が住んだこと。台地の幅の狭い箇所に切通が造らたことなど。

 田端台公園では休憩後、諏方神社での方法と同じように、安政時代の地図プリントを用いて“崕雪頽”と呼ばれる地形の説明。台地と低地の間の急斜面は“崖雪崩”と名付けられ、これが西日暮里から王子まで続き、明治時代にこれを切削して山手線と京浜東北線が開通されたことを話した。(写真は安政時代の地図)






 3つの遺跡には当然発掘された土器などは展示されていない。道灌山遺跡の出土品は「荒川ふるさと文化館」に、西ヶ原貝塚と七社神社前遺跡のそれは「北区飛鳥山博物館」にそれぞれ常設展示され、冊子も発行されている。このイベントに先立ち冊子を購入しておいたので、そこに掲載されている土器の写真をお見せした。(写真は道灌山遺跡から出土した弥生土器

)







 途中、北区のコミュニティーバスのKバスを利用したとはいえ、かなりの距離を歩いた。散策終了後の懇親会は開催しなかったが、3人で昼食を共にし今回の歴史散歩を終了。お二人とも「楽しかった」との感想で、開催者としては胸を撫でおろしたのでありました。(写真は西ヶ原貝塚剥ぎ取り標本) 


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