マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

村上を訪ねる旅(その1)

2016年04月17日 | 

 4月14日(木)~16日(土)、今年も又妹夫婦と越後を旅してきた。主たる目的地は新潟県村上市で、次の様に巡ってきた。
 新
高島平駅→新発田城→加治川治水記念公園→瀬波温泉→村上→咲花温泉→五泉市チューリップ地区→新高島平駅
 
この間全て車移動だったが、始点の新高島平から最北村上までの距離は約370キロ。その往復740キロの距離を、途中妹が100キロほど運転をしたが、それ以外は全て義弟ハムちゃんの運転。運転お疲れ様でしたと、まずは感謝の思いから書き始めたい。有り難いことで、その運転あればこそ2泊3日での長距離移動旅行が可能となった。

 村上は大泉高校卒業生のトシコさんの生まれ故郷。高校時代に家族で村上を離れ、大泉高校に転編入してきた。高校3・4年生は私が担任。現在は「源氏の会」に2ヶ月に一度の割合で参加している。『ちいさな城下町』を読んで何時かは訪れたいと思ってはいたが、彼女の生まれ故郷という点と「〆張鶴」を生産している宮尾酒造があることに後押しされたことも事実。
 4月14日(木)、新高島平発7時。一路関越自動車道を北上。10時丁度関越トンネルを越えた。そこまでは雨模様だったが、トンネルを越えると晴れ間が拡がっていた。標高が高い地点を通過するとともに、北への移動はドライブ花見には最適で、車窓から雪国の春を楽しんでいると12時半に「新発田城」着。城の桜はあらかた散っていたが、落下した花弁が堀の隅をびっしりと埋める珍しい光景に私は何度もシャッターを押した。(写真:白く見えるのは散った花ビラ)






 戦国時代、この地は新発田重家の居城であったが、上杉景勝に反乱し、7年の抗争の後に滅ぼされた。江戸時代、新発田藩は溝口氏の治めるところとなり、当時の城のうち石垣と堀、櫓門の本丸表門と二重櫓の二の丸隅櫓が現存するのみ。その一つ、二の丸隅櫓の二階に上ると、隠し窓から堀と城の外側を見下ろせ、籠城戦の攻撃面での圧倒的有利さを理解出来るのであった。 
 本丸表門を抜け、かっての城の一角で遅い昼食を摂った。堀と櫓を望みながら、僅かに残る桜の下で妹手製のランチを食していると、長閑なひとときが過ぎていった。(写真:本丸表門)



 
         (二の丸隅櫓)

 そこから加治川に向かった。ネット上に「かつて、この川堤沿いには6000本の桜が植えられていたが、現在は2000本の桜が満開の時を迎えている」とあった。「加治川治水記念公園」を目指し、到着してその堤に立つと、川の両側には実に多くの桜木が見渡せ「長堤十里 世界一」と言われた桜の名所であったことが信じられた。





 
                                         (対岸の桜堤)


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