A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

TOHOシネマズ梅田「Pearl-パール-」見てきました!

2023-07-25 22:10:34 | 映画感想
 体調もなんとか回復してきたので上映が終わらないうちに見たい映画を見ておこうということで、今日はTOHOシネマズに。
 今日見てきたのはこれ!
 
 
 同じくタイ・ウェスト監督の「X-エックス-」の直接の前日譚となる本作。
 前作に登場した恐るべき殺人老婆「パール」の若かりし頃を描いています。
 本作も前作と同じく、ホラー映画ではあるものの超常的な存在や怪物は一切登場しません。だからこそ主人公パールの抱える心の歪みが身近なものに感じられる、「怖い映画」というよりは「厭な映画」といういつものA24映画といった感じでした。いやー実にイヤ~な気分になれた。
 前作「X」が、舞台となる農場に外部から入り込んできたポルノ映画制作チームが主眼になっていたのに対し、その前日譚となる本作はカメラは基本的に農場、映画館、劇場という限られたロケーションから出ません。
 この非常に限定されたロケーションは、そのままパールの閉塞的な人生そのものだと言えるでしょう。ただ単に田舎育ちと言うだけでなく、人生の選択肢そのものが非常に制限されているという印象を感じました。
 そもそもこれらのロケーションって、農場を除いて物理的に狭いんですよね。本作の画角は非常に広いのに対して、パールは基本的に狭い場所にいることがほとんど。これがまた彼女の抱える閉塞感を画面全体で表現しているようで、「画角は広いのに狭苦しい」という奇妙な感覚を強いられます。
 パールの日常もまた閉塞感に満ちたものにとなっています。厳格な母親に支配された日常生活、毎日繰り返す単調な農作業の毎日。唯一の楽しみで希望でもある「ダンサーになる」という夢を叶えるために自分を着飾るドレスさえも、母親のお下がりを借りなくてはいけないというのが実に悲しい。
 個人的にはこうした「家庭を支配する存在」はやはり家父長制的なイメージが先行して父親の印象が強いんですが、本作ではパールの父は病気で植物状態。必然的に家庭を、ひいてはパールを支配しているのは母親という構図になってるんですが、この母親のパールに対する働きかけが実に家族という名の呪いといった感じ。
 この「母による娘の支配」というのが、自分と同じように考え、感じる自分の分身を作ろうという方向性ではなく、明らかに「自分にできなかったことは娘にもやらせない」なのがまたおぞましい。母親のバックボーンはあまり掘り下げられませんが、1910年という本作の時代を考えるとやはり女性として抑圧的な人生を歩まされてきたであろうことは想像に難くありません。対してパールはいつかこの農場を出てダンサーとして成功することを夢見ることができる「若さ」を持っている。この母親のパールに対する過剰な支配的言動は、「女性としての若さへの嫉妬」があったんじゃないでしょうか。そしてこの「女性としての若さへの嫉妬」という要素は、「X」における老女となったパールにもそのまま、というかむしろ増幅されて受け継がれているという……。
 また、本作のひとつのクライマックスとも言えるオーディションの場面がまた辛い。
 本作は「X」の前日譚なので、見てる方はすでにパールがオーディションには合格できずダンサーにもなれなかったことを知っています。それだけにパールがこれまでの全てから自分を吹っ切るようにダンスに夢中になる姿が逆説的に悲劇的に見えるわけです。
 そしてパールはあえなくその場で不合格を告げられるわけですが、このシーンでは挫折ではなく断絶を感じました。パールは基本的に農場とその周辺の世界しか知らず、ダンスのレッスンを受けているわけでもありません。そんな中で自分の中で成功妄想だけを肥大化させていったパールと、そんなことは関係ない外部の人間とのあいだの埋めることが出来ない溝を感じたシーンでした。
 そして不合格を告げられたパール思わず口にした言葉が、オーディションのやり直しを要求するとかではなく「誰か助けて!」なのがまた辛い。パールにとってこのオーディションは、彼女の閉塞しきった世界から脱出するための唯一の方法だったんだよな……。
 映像に関しても印象的な部分がありましたね。本作は冒頭のテロップのフォントやその出方、画面の色味や明るさの感じ、画角などが徹底して80年代海外ドラマみたいな古臭い演出が意図的に使われていました。それがラストショットまで続くのが本作の大きな特徴です。
 そしてそのラストショット、実質的に本作の中核、主人公パールの内面の歪みをもっとも如実に映し出していると思いました。ミア・ゴスすげーな……。
 「The End」のテロップが現れてからそのままエンドロールに入るんですが、その間ずーっとスクリーンに映し出されているパールの表情の変化に、折り重なる彼女のさまざまな狂気、悲しみ、鬱屈、恨みといった感情を垣間見ました。
 こうした鬱屈した一般人の狂気が爆発するタイプのホラー映画は主人公が一線超えて殺戮に走るシーンがある意味最大のカタルシスとなるわけですが、本作ではその殺戮を行ってなおパールが自身の内に抱えた澱を消化しきれなかったことが確定しているという、ある意味非常に悲劇的なホラー映画なんじゃなかろうかと思います。結局パールも「X」で母親と同じように若さへの嫉妬と後悔を引きずり続けた怪物になってしまったわけだしな……。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オリジナル同人誌レビュー「C... | トップ | 夏コミ原稿を進めました。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画感想」カテゴリの最新記事