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主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

塚口サンサン劇場「ヴィクラムとヴェーダ(ヒンディー語リメイク版)」見てきました!

2024-03-11 23:08:41 | 映画感想
 見られるときに見ておかないと2週間限定公開期間なんてあっという間に過ぎてしまうので今日も塚口に。
 今日見てきたのはこの作品!
 
 
 こないだ見てきた「ヴィクラムとヴェーダ(タミル語版)」のリメイク作品。オリジナルを見たらやはりリメイクも見なければということで見てきました。
 今回見たヒンディー語版、原作であるタミル語版とストーリーや構造、そして一連の事件の真相はすべて同じ。途中の展開もほぼ同じでより話をわかりやすくしている感じでした。いやこれたただ単に先にタミル語版見てたからってだけか?
 ともかく、実質的に同じストーリーを2回鑑賞したことになったので、本作のストーリーとテーマをより深く理解することができました。
 さて、このヒンディー語リメイクで言及しなくてはいけないのがやはりヴェーダ役のリティク・ローシャン氏でしょう。
 「ヴィクラムとヴェーダ」の原案である「屍鬼二十五話」は、死体に取り憑いた鬼神ヴェーターラがトリヴィクラマセーナ王に25の話を聞かせて問答をしかけるというものだそうなんですが、本作におけるヴェーターラのポジションにあるリティク氏演じるヴェーダが人間離れした妖しさに満ちてて、なんというか「今スクリーンに映ってるのは本当に生身の人間なのか……?」と思うほど。
 氏のファンの多くは彼のあの独特の色彩を持つ瞳に魅力を感じる人が多いでしょう。しかるに本作におけるリティク氏の瞳、ヴィクラム警視と対峙している現代のシーンと彼が自身の過去を語るシーンとでは明らかに瞳の光が違うんですよね。現代のシーンではまさに人間の影の部分を現すかのような落ちくぼんで光の失せた瞳でヴィクラム警視に問いを投げかける反面、過去のシーンでは最愛の弟との暖かいやり取りを見せるという……。この落差がまた人間離れしているというか魔物的というか……。
 そも「人間に問いを投げかける」という行為そのものが妖魅や魔物のやることなわけですが、その魔物たるヴェーダもまた、ある意味ではかつてはヴィクラムであったとも言えるわけですよ。かつての自身の選択の正誤を問うヴェーダの姿は、人間に問いを投げかける魔物であると同時にどこかヴィクラムに、もっと言えばヴィクラムが体現しようとしている「正義」に救いを求めている、あるいはまだ「正義」に未練があるようにも見えました。
 そして、ヴェーダの問いかけに答えることで自ら冒頭で行った偽装銃撃の裏に隠された真実、さらには自らが信じて疑わなかった正義の脆さを見つけてしまったヴィクラムもまた同じように、これからヴェーダになる運命なんじゃないでしょうか。
 前述の通り、本作はかなり細かいところまでタミル語版と同じなんですが、タミル語版にはなかったセリフとして終盤のヴェーダの「俺たちのあいだに境界線はない。俺たちは線ではなく輪の上を走っている」というような言葉がありましたが、これがまさに本作のヴィクラムとヴェーダの関係性、そして善と悪の関係性を端的に表現しているんじゃないでしょうかね。
 前回のタミル語版の感想でも書きましたが、本作はクライムサスペンスとしても秀逸なのに加えてインド社会の宗教観や善悪観が非常に色濃く出ている作品だと感じました。
コメント
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