おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

Bлaдивⅽток〔Ⅴ〕

2019年05月06日 | travel abroad

令和元年5月2~4日、日本から最も近いヨーロッパ、極東ロシアの港町、ウラジオストクの旅。
さて、"なんちゃって"シベリア鉄道の旅を体験しました。ウラジオストクからはるかモスクワまでユーラシア大陸を横断するという途方もない長距離路線でありながら、2002年に全線での電化が完了したシベリア鉄道。シベリア鉄道の真骨頂とも言うべき、モスクワまで6泊7日で結ぶ直通列車「ロシア号」は隔日運行。原則、ウラジオストク発の上り列車は偶数日の運行なのだそう。比較的短距離のハバロフスク行き「オケアン号」も1日1便運行されています。2泊3日の弾丸トラベラーには、シベリア鉄道の旅ができるはずもなく、ウラジオストク駅~ウゴリナヤ駅間を、通称"近郊電車"と呼ばれる列車に乗車。シベリア鉄道と同じ線路を走るため、車窓はシベリア鉄道と同じですが、いわゆる重厚なつくりのシベリア鉄道と異なり、シートはかたいプラスチックシートでした。乗車時間は50分弱。本来シベリア鉄道の車窓は、広陵たるユーラシア大陸なのでしょうが、終始、海岸線を眺める旅(単なる移動)となりました。5月初めの暖かな陽射しに、多くのロシアの人々が海水浴や日光浴をしている風景は印象的でした。申し訳ないくらい"なんちゃって"ながらも、一応、シベリア鉄道の旅(?)に感慨無量、貴重な体験でした。


「シベリア鉄道(乗車体験)」 





























シベリア鉄道と乗り物つながりで、金角湾クルーズにもチャレンジ。金角湾は、東のゴルドビナ岬と西のチグローヴイ岬の間にあり、北西はシュコタ半島に囲まれている入り江です。湾の両側は丘陵に囲まれ、海岸線には埠頭や造船所が、丘の上には住宅地がびっしりと続き、最奥部の丘の上がウラジオストク市街中心部となります。金角湾の両側はすべて市街地と港湾(埠頭、漁港、造船所、海軍基地)に使われており、自然の海岸は残されていないようで、お世辞にも美しいとは言い難い雑多な風景でしたが、デッキでは、天候に恵まれたこともあり、すがすがしい風を感じました。それにしても、船上でカモメにパンくずのエサを投げてバカ騒ぎしている中国の皆さんにはうんざり。お国柄なのでしょうが、同じ東洋人として見られることに違和感を覚えました。

「金角湾クルーズ」
























Bлaдивⅽток〔Ⅳ〕

2019年05月05日 | travel abroad

令和元年5月2~4日、日本から最も近いヨーロッパ、極東ロシアの港町、ウラジオストクの旅。
街の中心に建つ「ウラジオストク駅」はシベリア鉄道の東の起点。はるかモスクワまでユーラシア大陸を横断する世界最長の鉄道の始発駅(終着駅)です。シベリア横断鉄道の着工は1891年5月、日本を含むアジア諸国歴訪の帰りに、この地に立ち寄ったニコライ皇太子によって宣言され、1893年に開業したウラジオストク駅。初代の駅舎は石造りの簡素な停車場で、竣工は1894年。1912年に現在の帝政ロシアの香りを残すクラシカルな雰囲気の駅舎に改装。駅舎に入るには、入口で×線の手荷物検査を受ける必要があります。手荷物検査を終えた先にある待合室はこじんまりとしていて、電光掲示板も簡素なもの。目を引くのは繊細な天井画。シベリア鉄道の東西の起点にあたるウラジオストクとモスクワの有名観光地が半分ずつ描かれていました。また、ウラジオストク駅のホームには、モスクワからの距離"9288km"を表す"シベリア鉄道終着地キロャXト(標識)"が。残念ながらホームに降り立ち傍で見ることはできませんでしたが、その傍らには、黒と赤のコントラストが美しいSLが鎮座していました。美しい駅舎に、キリル文字の書かれた列車が停まる様子は異国情緒たっぷり。昔ながらのヨーロッパの鉄道駅の風情(あくまで想像ですが)を味わうことができました。


「Bлaдивⅽток駅」








"ニコライ二世パネル"
















"シベリア鉄道終着地キロャXト(標識)" ロシア連邦の国章、9288の数字はモスクワまでの距離。










「レーニン像 (駅前広場)」
1917年ロシア革命のリーダーで、1922年にソビエト連邦を樹立したレーニンを祀った像。ウラジオストク駅に相対しして駅舎を見下ろすように立っています。






Bлaдивⅽток〔Ⅲ〕

2019年05月04日 | travel abroad

令和元年5月2~4日、日本から最も近いヨーロッパ、極東ロシアの港町、ウラジオストクの旅。
「中央広場」から坂を上るように続くオケアン大通りを、北に向かってまっすぐ進むと目前に見えてくる立派な美しい大聖堂が「ャNロフスキー聖堂」ロシア正教会です。ロシア正教の建築らしい丸屋根が、金と青で配色され、とても美しさを感じる建造物。ロシア正教の教会として1897年に現在の敷地に墓地がその横に教会が建てられました。1935年に宗教禁止の煽りを受け「パクロフスキー教会」も壊されましたが、ソビエト連邦が終焉しロシアとなり、2003年、現在の「バクロフスキー聖堂」ロシア正教会が建設されたのだそう。内部に入るには、女性はスカーフが必要で、男性は脱帽が求められます。拝礼の作法は、右手で頭から腹、右肩から左肩へ十字をきり、手を合わせお辞儀するルーティンの3回繰り返し。見よう見まねで拝礼し室内へ入ると、ちょうど、厳かなミサが執り行われていました。女性の参拝者が多く、讃美歌の美しい歌声が印象的で、しばし見入ってしまいました。


「バクロフスキー教会」












「与謝野晶子記念碑」

詩人与謝野晶子は、1912年、パリにいた夫・鉄幹に会いにいくため、ウラジオストク経由でシベリア鉄道に乗ってパリへ行きました。その際に詠んだ歌が石碑に刻まれていました。

    「旅に立つ」
 
    いざ天の日は我がために  金の車をきしらせよ 
    颶風の羽は東より  いざこころよく我を追へ。         

    黄泉の底までなきながら  頼む男を尋ねたる 
    その昔にもえや劣る  女の恋のせつなさよ。 

    晶子や物に狂ふらん  燃ゆる我が火を抱きながら 
    天がけりゆく西へ行く  巴里の君へ逢ひに行く。



早朝の散歩に「スメ[ツ湾」へ出かけました。ウラジオストクの中心から「スメ[ツ湾」へと通じる通りが「アドミラーラ・フォーキナー通り」。別名「噴水通り」とも呼ばれており、通りの真ん中に大きな噴水がいくつも存在します。通りに面する建物と雰囲気は、ロシアと言うよりはヨーロッパという感じ。とにかく、華やかで垢抜けています。噴水にヨーロッパ風街並み、通りのお店もヨーロピアンテイストでロマンチックな感じ。壁に描かれた"落書き"は、ャbプな現代アート風でオシャレでした。さらに「アドミラーラ・フォーキナ通り」をまっすぐ進むと海(スメ[ツ湾)に出ます。「スメ[ツ湾」は、日光浴や海水浴ができるビーチになっています。湾沿いに「海辺通り」を進むと、右には遊園地があり、左奥はヨットハーバー。遊園地の馬でしょうか、散歩中の馬にも出会えました。雰囲気はどこかのんびりしており、海を見ているだけでもリラックスできました。

「噴水通り (アドミラーラ・フォーキナ通り)」
















「海辺通り」&「スメ[ツ湾」


















Bлaдивⅽток〔Ⅱ〕

2019年05月03日 | travel abroad

令和元年5月2~4日、日本から最も近いヨーロッパ、極東ロシアの港町、ウラジオストクの旅。
日本海を臨むウラジオストクは、「東方を支配する町」という意味をもつ、ロシア極東部の港町です。その名の通り、ロシア極東の軍事・交易上の拠点として栄えてきました。人口は約60万人。中国との国境から50kmという場所にありながら、街の建物は西洋の様式で建てられています。20世紀の初頭には「極東のニース」、20世紀の後半には「第二のサンフランシスコ」と呼ばれました。日本から一番近いヨーロッパの街、アジアにあるユーラシアの街ウラジオストクには、歴史的建造物が多く、見どころがたくさん。中でも「中央広場(正式名:革命戦士広場)」は市内のランドマーク。4月~11月までは毎週金曜日に定期市が開催され、庶民で賑わうのだそう。広場の真ん中には、1961年に建てられた極東の記念碑「偉大なるソビエトのために戦った戦士のモニュメント」が。この記念碑は3つの銅像群から成り、中央の像は高さ約30mあります。広場の海に面して、ロシア正教会が建築中でした。中央広場は繁華街の中心でもあるため、周辺には、人気のレストランや、百貨店、お土産店など、地元の人々に加え、観光客(中国・韓国の皆さん)で賑やかなエリアでした。


「中央広場&周辺」
















「アルセーニエフ記念国立沿海地方博物館」
建物は、1904年にメシュコフ建築家の設計で建造され、革命後は、(旧)横浜正金銀行でした。














「グム百貨店」
帝政ロシア時代の19世紀末に建てられたアールヌーボー様式の歴史的建造物。


「グム百貨店路地裏通り(通称:グム裏)」
今ウラジオストクの人気のおしゃれスャbト。モダンな装飾が印象的な赤レンガに囲まれた路地裏通りは、オシャレなレストランやカフェ、雑貨店、美容室などが集まっていました。
















Bлaдивⅽток〔Ⅰ〕

2019年05月02日 | travel abroad

令和元年5月2~4日、日本から最も近いヨーロッパ、極東ロシアの港町、ウラジオストクの旅。
平成から令和へGW10連休、休暇の過ごし方として海外志向に負けて、2泊3日の海外ショートトリップへ出かけました。日本海に面したウタジオストクは、ムラヴィヨフ・アムールスキー半島先端に位置する港町です。ちょうど1週間前の4月25日には、ロシア・プーチン大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との首脳会談が開催された地です。我々、ソビエト連邦を知る世代は、広大なロシア連邦は、寒くて、社会主義国家で、圧涛Iな軍事力を誇り、秘密警察がいて、何となく縁遠いイメージでしたが、成田から2時間半で行けるウラジオストクは、2017年8月から簡易ビザ制度が始まりネットでのビザが取得でき、名実ともに、日本に最も近いヨーローッパとなりました。成田空港を飛び立てば、ほんとにあっという間に、ロシア、ウラジオストク空港に到着。まず目に入ってくるのはキリル文字。アルファベットの「Vladivostok」は、キリル文字では「Bлaдивⅽток」となります。滞在期間は短いものの、この時期、日の出はAM6時頃、日没はPM8時すぎと1日は長く、極東ヨーローッパの街散策を目一杯楽しもうという目論見存。シベリア鉄道にも興味がありますし、金角湾クルーズも予定していますが、まずは街並み散策、定番の観光スポットからスタートです。

 5月 2日 S7(S7-6282便)
        成 田 15:40発 -所要2時間25分- ウラジオストク 19:05着(時差+1時間)

 5月 2日~4日 宿泊 PRIMORYE HOTEL
                (20,POSYESTSKAYA STR. VLADIVOSTOK 69003 RUSSIA)

 5月 4日 S7(S7-6281便)
        ウラジオストク 13:20発 -所要2時間20分- 成 田 14:40着



「鷲の巣展望台」
ウラジオストクの人気観光スポット。海抜214mの丘の頂上の眼下には、金角湾大橋に、金角湾の港、ルースキー島、遠くに大陸の山々を望むことができます。










"キュリオス&メトディオスの像"(東方正教会宣教師)キリル文字を考案。




「ニコライ二世凱旋門」
シベリア鉄道定礎式に、ロマノフ朝第14代ロシア皇帝ニコライ2世の訪問を記念して建造。「皇太子のアーチ」とも呼ばれ、ウラジオストクの最も美しく壮大な建物の一つです。石とレンガ造りのアーチは、優雅でありながら厳格なロシア・ビザンチン様式で建てられいて、ゲートは灰色がかった黄色の石がベース、屋根は青色模様で、幻想的な雰囲気を醸し出していました。













「アンドレイ教会」(ロシア正教会)








「潜水艦C-56博物館」
ソ連海軍が1930年代から40年代にかけて建造した潜水艦C-56の内部見学ができる博物館。この日は、韓国からの観光客であふれていました。