おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

vs 川崎フロンターレ 〔J.League Division1第1節〕

2019年02月23日 | FC TOKYO
2月23日『川崎フロンターレvsFC東京〔J.League Division1第1節〕』等々力陸上競技場。
今シーズンは、ラグビーワールドカップの影響でホーム味の素スタジアムの改修工事もあり、変則的なスケジュールとなるFC東京。いきなり連戦アウェイの初戦となるJ1開幕戦の相手は、リーグ2連覇の王者、先週、富士ゼロックススーパーカップも征した川崎フロンターレ。第33回多摩川クラシコは初の開幕戦かつ平成最後のクラシコです。ゲームは、前半序盤からャ[ッションでは不利な展開も、鋭いカウンターで応酬しほぼ互角。注目は、右のサイドハーフに入った建英。ドリブルで果敢に攻め上がったり、2トップへの縦パスなどとってもイイ感じ。ハイライトは、前半41分の直接FK。ライナー性のシュートは惜しくも右ャXトを叩きました。後半は、フロンターレ本来のパス回しから危ない場面もあったもののGK林のナイスセーブで救われます。自陣で耐えながら、カウンターでの逆襲を試みる東京。決定機を演出するもラストの決め手を欠き、結局、スコアレスドローという結果に。王者川崎に勝ちきることができず非常に残念ですが、見ごたえあるゲーム。建英の躍動は大きな収穫ですし、新加入の田川にナ・サンホも顔を見せ、まずは前途洋々のスタートでしょうか。さらに、ベンチ入りの輝一も元気そうでしたし、メンバー外だったアルトゥール・シルバに、ジャエルと楽しみな存在も。2019シーズン新チームにますます期待が高鳴ります。バモス!トーキョー!

健太トーキョー2019年シーズン開幕!







No.15 久保建英(横浜F・マリノスから復帰)開幕スタメン起用に応える覚醒&飛躍の予感!










No.10 東慶悟(東京の10番を背負う新キャプテン) 豪快ミドルはわずかに枠の外・・・






No.27 田川亨介(サガン鳥栖から完全移籍加入) 移籍後初ゴールは空振りでおあずけに・・・






No.17 ナ・サンホ(光州FCから完全移籍加入) さっそくJの洗礼が・・・






J1開幕戦(第33回多摩川クラシコ)は、スコアレスドローの痛み分け



















Weekend India 〔備忘録〕

2019年02月18日 | travel abroad
2月9日~12日、2泊4日の駆け足で憧れの世界遺産"タージ・マハール"へ週末ひとり旅。
2月9日は前日深夜から降り出した雪の影響で、成田空港は滑走路の積雪渋滞に加え、機材の着雪除去に時間を要し、予定のフライトは2時間遅れの旅のスタートとなった今回のインドひとり旅。"出たとこ勝負"が性分の自分にしては、ある程度の知識と旅情報を入手して挑んだのですが、"百聞は一見に如かず"。混沌としたインドのお国事情や、インド人気質には、少なからずカルチャーショック。自らの視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚で得た情報を、自己解析することが、どれだけ重要なことか、あらためて思い知らされました。全ての人・物・金にまつわる猜疑心、打ち砕かれる自らの常識や正義感に、緊張感に疲れつつ、自分の感性を信じる旅となりました。たった3日間ですが、高速道路の逆走などは当たり前のことと驚かなくなりました。この地で紀元前3500年頃からおよそ5000年もの長い歴史に紡いできたインド。とりわけ16世紀から19世紀にかけての世界文化遺産を見学し、奴隷王朝からムガル帝国の歴史を辿ることが出来たことは大変有意義でした。ムガル帝国滅亡後のイギリス統治時代。マハトマ・ガンジーの不服従運動。第二次世界大戦後のインド・パキスタン分離独立。現在のインド共和国へと続く歴史を真摯に学ぶ機会を得ました。空気を吸うたびに感じた、ヒンドゥー教・イスラム教・シク教・キリスト教・ジャイナ教・ゾロアスター教に、仏教というインドの宗教事情。勝手に、手塚治虫さんの"ブッダ"の影響から仏教のイメージが強かったのですが、ガイドさんから、インド国旗の3色が、オレンジ色がヒンドゥー教を、緑色がイスラム教を表し、白色は平和と融合を、中央のチャクラ(法輪)は仏教を表すという説明を受け、目から鱗。兎に角、学ぶことの多いウィークエンド・インドとなりました。たかが3日間。インドについて何も語ることはできませんが、得ることができたフィーリングは大切にしていきたいと思います。


インド門




街並み風景































Mohabbat The Taj Show〔Kalakriti Cultural & Convention Center〕










ASHOK COUNTRY RESORT〔New Delhi〕






MANSINGH PALACE〔Agra〕








【世界遺産】 アグラ城 (AGRA FORT)】

2019年02月17日 | travel abroad
2月9日~12日、2泊4日の駆け足で憧れの世界遺産"タージ・マハール"へ週末ひとり旅。
1983年、世界文化遺産に登録された『アグラ城』。インド北部を流れるヤムナー川の西岸に建つ『アグラ城』は16世紀からの約300年間、隆盛を極めたムガル帝国の歴代皇帝が君臨した居城です。第3代皇帝アクバルがデリーから遷都し築いた『アグラ城』は、赤砂岩を用いて造られているため「赤い城」と呼ばれます。アクバル帝が息子ジャハンギールのために建てたジャハンギール宮殿は左右インメトリーが美しいイスラムとヒンドゥー様式の融合建築です。また、赤い色は皇帝の強大な権力の象徴でもありました。一方、城内の多くの建物が純白なのは、孫の第5代皇帝シャー・ジャハーンによるもの。タージ・マハールを建てたことでも知られる皇帝は、ディワニ・アーム(公謁殿:一般謁見の間)、モティ・マスジッド(真珠のモスク)やカース・マハール(皇帝の寝殿・ハーレム)など、白大理石に貴石の象嵌を施した優美な建物を次々に建て、『アグラ城』を優美に変身させました。さらにその息子の第6代皇帝アウラングゼーブが、高さ20mもの城壁を周囲約2.5kmに渡って巡らせ、堅固な城塞としてのアグラ城を完成させました。このアウラングゼーブが皇帝の座を狙い、父であるシャー・ジャハーンを、タージ・マハールの見える城塞内のムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)に幽閉してデリーに移ったのは有名な話です。幽閉されたシャー・ジャハーンが部屋から見ていたのが、川向こうの愛する妃の白亜の霊廟。結局、死ぬまでの8年間、そこから出ることは許されず、栄華を誇った皇帝は亡き妃への想いだけを慰めにしながら息を引きとった歴史絵巻の現場です。皇帝が代わるたびに増改築や補強が重ねられたアグラ城。赤と白の対極的な色彩で構成される強大にして華麗な城塞に、権勢を欲しいままにした歴代ムガル皇帝の姿がありありと浮かびます。16世紀から300年余に渡って繁栄を誇ったイスラム勢力のムガル帝国歴代皇帝の城であり、帝国の強大な力と栄華を今に伝えています。残念ながら、訪れた日は靄っていて、ヤムナー川をはさんでのタージ・マハールを望むことができませんでしたが、当時もこんな天候の日もあったであろうと、シャー・ジャハーンの気持ちを偲ぶことができました。


アマル・シン・ゲート







アクバー門







ジャハンギール宮殿













カース・マハール(皇帝の寝殿)









ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)









ディワニ・カース(魚の宮殿)





ディワニ・アーム(公謁殿 一般謁見の間)




(玉座)



モティ・マスジッド(真珠のモスク)




【世界遺産】 タージ・マハール (TAJ MAHAL)

2019年02月16日 | travel abroad
2月9日~12日、2泊4日の駆け足で憧れの世界遺産"タージ・マハール"へ週末ひとり旅。
1983年、世界文化遺産に登録されたインドが誇るムガル建築の最高傑作『タージ・マハール』。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、心から愛していたムムターズ・マハール妃が第14子の出産時に亡くなったことから、最愛の妃を弔うために建てた白亜の霊廟です。1632年建設着工し、常時2万人の労働力を投入し、22年の歳月をかけ1653年に完成。完璧な対称性を誇るその優美な姿は、"宮殿の光"という名を持つムムターズ・マハール妃にふさわしい霊廟となりました。皇帝シャー・ジャハーンは、タージ・マハールの対岸に黒大理石の自身の廟を造るつもりでしたが、それが叶うことはありませんでした。タージ・マハールの建設により財政が逼迫したことに加え、皇子たちの後継者争いも勃発、国庫を空にしてしまった皇帝は、三男(後の)アウラングゼーブ帝によってアーグラ城へ幽閉されてしまいます。以後、皇帝は窓からタージ・マハールを眺め、愛する妃のことを思いながら人生を終えることとなりました。愛のメモリーたる『タージ・マハール』は、南北560m、東西303mの敷地に建てられており、建物も庭園もすべて緻密な計算に基づく完璧な対称性を誇っています。赤砂岩でできた"大楼門"を通り、内部に足を踏み入れると、そこには正方形の四分庭園が広がっています。乾季のこの時期、朝もやが濃く、せっかくのタージ・マハールが見えないかもしれないとの情報もありましたが、なんと朝から快晴、水路に逆さタージ・マハールが映る最高のロケーションに、思わず息を飲み"感動"のひと言。歩を進めると、庭園の奥中央には高さ5.5mの基壇が設けられており、その上に墓廟が建てられています。ここから先はシューズカバーを付け入場です。四隅の4本のミナレット(尖塔)は、少々外側に傾いて建ててあるそうで、これは万一ミナレットが唐黷トも本体を傷つけないように計算されたものなのだそう。いよいよ墓廟内部へ。内部は写真撮影NG。内部中央にムムターズ・マハールの石棺が、隣にはシャー・ジャハーンの石棺が置かれています。どちらもレプリカで、本物の石棺は地下の墓室に安置されています。総大理石の白亜の建物は、貴石宝石を散りばめた象嵌細工の緻密な装飾や、レリーフなどの彫刻が施され、その規模は、想像以上に大きくて壮麗。この旅路にてこれまで抱いていたインドのイメージを一新する感動に溢れていました。世界一美しいと称される白大理石の愛のモニュメント。やはり一生に一度は訪れるべきは間違いありません。


チケット売り場


入口




大楼門(The Great Gate)






霊廟(Taj Mahal)


















   象嵌細工                 カリグラフィー


   レリーフ                 幾何学模様


モスク(Masjid)


迎賓館(Mehman Khana)


ヤムナー河(Yamuna River)


庭園(Charbagh)


タージ博物館(Taj Museum)


水の宮殿(Jal Mahal)


出口






【世界遺産】 フマユーン廟 (HUMAYUN'S TOMB)

2019年02月15日 | travel abroad
2月9日~12日、2泊4日の駆け足で憧れの世界遺産"タージ・マハール"へ週末ひとり旅。
1993年、世界文化遺産に登録された『デリーのフマユーン廟』は、『タージ・マハール』の原型として知られていますが、ムガル時代最古の霊廟で、ムガル王朝の第2代皇帝であるフマユーンが眠る霊廟です。フマユーン皇帝の死を嘆き悲しんだペルシア出身の王妃ハージ・ベーガムが、ヤムナ川の畔に愛する夫の棺を収める墓廟を建設。件pを愛した夫に捧げるために、廟はペルシア美術とインド美術の粋を集めて建設されました。完璧な点対称なるペルシア様式の構造建築、ペルシアの華麗な庭園文化が導入される一方、インド土着の装飾も多分に取り入れられ、「ムガル建築」「ムガル件p」と呼ばれる新しい建築・件p様式を生み出しつつ着工から約9年後の1595年に完成しました。 やはり圧巻は“フマユーン廟”。赤砂岩と大理石を使った見事な外壁と、やわらかなアーチが美しいドームが特徴的。メッカのある西側に大きな窓があり、透かし彫りされた大理石から差し込む光は神秘的であり、幻想的な空間を醸し出します。中央のフマユーンの棺は摸棺で本物は地下にあるとのこと。四隅の部屋には、王妃ハージ・ベーガムや一族の棺も並びます。また外の基壇には5人の建設技師の棺が。また、“フマユーン廟”を囲むように芝が敷かれ、小道と水路によって"田"の字型に整然と分割された"ペルシア様式の正方形の庭園"も見どころ。この庭園は、4つの川が流れ、"生命の木"と"知恵の木"などの木々と果実が満ち溢れるコーランに描かれる「エデンの園」を模しているのだそう。庭園の緑に、廟は赤砂岩と白大理石のコントラストが色鮮やかで、中央の巨大なドームがすべてを束ね、場を統一しています。正面から見る廟は左右対称、上空からは東西南北、各辺約100メートルの基壇に庭園まで含めて左右・天地・点対称という美しさ。シンメトリーを駆使した紅白のムガル建築の傑作に大感動でした。今なお、あまりに無秩序を感じるインドの地に、毅然と整然とした姿を魅せる庭園霊廟は、"曹ォ溜めに鶴"(失礼)、一生に一度は訪れるべきでしょう。


"入口"




"西門"




"フマユーン廟"




















"庭園"




"アフサルワーラー廟とモスク"






"ブ・ハリマ廟"


"イサ・カーン廟"








"出口"