おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

WBC壮行試合 日本vsオーストラリア

2013年02月24日 | Sports
2月23日、WBC日本代表壮行試合『日本vaオーストラリア』京セラドーム大阪にて。
3月2日開幕、第3回ワールド・ベースボール・クラシックへ“SAMARAI・JAPAN”始動。山本JAPAN、少々華がないかなぁなどと思いつつ京セラドームへ足を運びました。始球式はSMAP中居さん、が、思うほどの盛り上がりのない淡々とした行事ごとに、主役は日本代表選手たちと妙な納得感。
この日の先発投手は田中将大(楽天)。‘まーくん’の黄色い声援に応えられず、1回自滅で満塁から死球と内野ゴロで2失点。中継ぎ投手陣、杉内俊哉(巨人)・能見篤史(阪神)が踏ん張るものの、攻撃陣は7回まで、松田宣浩(ソフトバンク)の1安打に抑え込まれ、ドームは冷ややかなムードに。我慢できなくなった観客がウェーブでうっぷんを晴らしだした8回の攻撃。一死から、DHに入った中田翔(日本ハム)、途中出場の井端弘和(中日)の2連打のチャンスに、7回の攻撃で阿部慎之助(巨人)に代走を出したため守備についていた相川亮二(ヤクルト)。この男が一振りやってくれました。逆転の3ランホームラン。9回は、変則アンダースロー牧田買和久(西武)が3三振のシャットアウトで〆ました。薄氷の勝利ですが、先発野手陣の打撃不振は深刻か。ただ全く結果論ですが、山本浩二監督の采配が大当り!。このまま貧打で負けていれば非難轟々だったでしょうから、“SAMURAI・JAPAN”は運があるかもしれません。
3連覇をめざし大奮闘を期待します。3連覇に期待と素直にいえない本日のゲームでした。











始球式 中居正広さん(WBC公認サメ[ター)





8回一死 No.13 中田翔〔日本ハム〕スピードある打球で“三遊間ヒット”




8回一死一塁 No.3 井端弘和〔中日〕右におっつけいぶし銀の“一二塁間ヒット”




8回一死一二塁 No.2 相川亮二〔ヤクルト〕起死回生の逆転3ラン“ホームラン!”









先発 No.17 田中将大〔楽天〕1回立ち上がり2失点




2番手 No.18 杉内俊哉〔巨人〕安定感抜群




3番手 No.14 能見篤史〔阪神〕阿部捕手パスボールするほどの散り玉が効果的




クローザー No.35 牧田和久〔西武〕最終回3者3連続三振!





ヒーローインタビュー No.2 相川亮二捕手〔ヤクルト〕


「3≠Q」逆転勝利で一安心




ライフ オブ パイ

2013年02月19日 | Movie
2月12日、映画『ライフ オブ パイ』エールフランスAF0292便にて。
フランス旅行の帰り道、12時間弱のフライトでの機内鑑賞となりました。
インドで動物園を経営するパイ少年一家。映画は、パイ少年のいじめられっ子からの脱出エピソードから物語は始まります。宗教にのめり込みベジタリアンとなるパイ少年。パイ少年の頭脳明晰さと肉・魚を食べられないことが、鑑賞後、いろいろ考えることとなるネタ振りなのだったのでしょうか?
一家はカナダへ移住するため太平洋上を航行中に、嵐に襲われ船が難破してしまいます。家族の中で唯一生き残ったパイが命からがら乗り込んだ小さな救命ボートには、ケガを負ったシマウマ・ハイエナ・オランウータン・ベンガルトラとパイ少年。ほどなく、ハイエナはシマウマを食べ、オタウータンを襲います。そのハイエナを殺し餌食としたのはベンガルトラ。結局、ボートにはパイ少年とベンガルトラの‘リチャードパーカー’だけとなります。残り少ない非常食、絶望的な状況に加え、‘リチャードパーカー’と大海原に投げ出された少年はなぜ生き延びることができたのか。ファンタジーの要素があるとともに、リアルな漂流物語。やがてボートはメキシコにたどり着き、‘リチャードパーカー’は静かに去っていきます。発見されたパイ少年は病院へ。病院で保険会社の調査人にパイ少年は事故と漂流の経緯と体験を話しますが、信じてもらえません。そこで、パイ少年が話したもうひとつのストーリー。救命ボートには母親・料理人・ケガを負った水夫と自分。料理人が水夫を殺し食し、次に母親を殺し、その料理人を殺して食べたのは自分だと・・・。ベンガルトラと少年の壮大な漂流物語は、一転、なまなましいミステリーへと、謎めき釈然としないまま終わります。
個人的には、終盤登場の保険会社調査人(日本人)に嫌悪感。損害保険会社の社員として一言“保険会社の社員はもっとスマートでしょ”













セーヌ河岸〔世界遺産〕ナイトクルーズ

2013年02月18日 | travel abroad
2月8日~13日、冬のフランス、ノルマンディとパリを巡る旅に出かけました。
2月11日、パリ最後の夜は、世界遺産『パリのセーヌ河岸』をナイトクルーズで楽しみました。セーヌ川のシュリー橋からイエナ橋までの約8kmが世界遺産登録の対象です。クルーズは、アルマ橋発着のバトー・ムッシュ。
肌刺す寒さでしたが船室に入らずに外の船上に陣取りましたが、あまりの美しさに寒さを忘れるほど。20:30発でしたが、クルーズ中21:00ちょうどにはエッフェル塔のスペシャルライトアップも見ることができました。
雨続きで水量多く、水かさ高く、クルーズ船の2階席は閉鎖、橋をくぐるたびのぎりぎり感がアトラクションのようで、乗客一同盛り上がりました。波立つ川面も、その割にはゆれることなく快適。橋の上の皆さんからも手を振ってもらったり。街歩きでは味わえない景色をゆったりと、昼間とは違うロマンチックな表情のパリ、世界遺産セーヌ河岸を堪能することができました。
これにて、ノルマンディ・パリの旅はおしまいに。弾丸旅行でしたが楽しい旅になりました。親父の我がままにお付き合いいただいた愚息に感謝です。帰国すると同時にまた海外へ出たくなる衝動がふつふつと、癖になりそうです。




自由の女神


エッフェル塔






アレクサンドル3世橋




グランパレ




ブルボン宮


オルセー美術館


ルーヴル美術館



















ルーブル美術館

2013年02月17日 | travel abroad
2月8日~13日、冬のフランス、ノルマンディとパリを巡る旅に出かけました。
2月11日、念願の『ルーブル美術館』を早廻り。世界を代表する美術館、館内は全長20kmに及び、展示品は2万6,000点(所蔵は30万点)もあり、すべてをじっくり見るには数ヶ月必要と言われるほど。ルイ14世がヴェルサイユに宮殿を移すまでは歴代の宮殿でした。1546年から1678年のフランス王家の美術品を集めて美術館として一般に公開されたのは1793年のこと。1803年にナャ激Iンが各地の遠征先から持ち帰った膨大な戦利品の数々が、ルーブルを世界的規模の大美術館へと発展させることとなりました。1982年にはミッテラン大統領による「大ルーブル整備」製作により、現在のガラスのピラミッドなどが生まれました。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台となったのは記憶に新しいところです。
なんといっても、「モナ・リザ」。鑑賞するというよりは人を掻き分け写真を撮るっていう感じ。個人的には、「ナイキ」と縁深いサモトラケで発見された勝利の女神「ニケ」像にしばし見惚れてしまいました。「ドラクロワ」も鑑賞したかったのですが、。(貸出中でしょうか)展示されていませんでした。
本当に駆け足での鑑賞でしたが、充実感と満足感で満たされました。
機会があれば・・・ゆっくり時間とじっくり空間を感じてみたいものです。













ミロのヴィーナス



サモトラケのニケ










ジャコンダ(モナ・リザ) レオナルド・ダ・ヴィンチ





岩窟の聖母  レオナルド・ダ・ヴィンチ



老人と孫の肖像  ドメニコ・キルランダイオ



カアの婚宴  バオロ・カリアーリ



グランド・オダリスク  ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル



ナャ激IンⅠ世の戴冠式  ジャック・ルイ・ダビッド



メデューズ号の筏  テオドール・ジェリコー









ノートルダム寺院〔世界遺産〕

2013年02月16日 | travel abroad
2月8日~13日、冬のフランス、ノルマンディとパリを巡る旅に出かけました。
2月11日、世界遺産『ノートルダム寺院』へ。ノートルダムとは‘聖母マリア’のこと。この大聖堂は、313年、コリンタンティヌ帝によってキリスト教が国教として承認された直後に、セーヌ川に浮かぶシテ島の南東に建築されました。その後12世紀、ゴシック建築の粋を集め、約200年の歳月をかけて建てられ、ゴシック建築の最高峰と称されています。しかしながらフランス革命時には、4千人を越える人が投獄された牢獄、ラ・コンシェルジュリー。多数の貴族も収容され、マリーアントワネットや恐武ュ治で知られるロベスピエールもここの独房から処刑場へ向ったのだそう。その後1802年にナャ激Iンが正式にこの大聖堂を教会に返還し、1804年には教皇ピウス7世がナャ激Iンに皇位即位の戴冠式を行った場所でもあります。ステンドグラスのバラ窓や、寺院の守護神、愛くるしい怪獣を模した“シメール(キマイラ)”が有名です。自分にとっては、『ノートルダム寺院』といえば、ヴィクトル・ユーゴーの小説“ノートル=ダム・ド・パリ”。ディズニーミュージカルアニメ映画「ノートルダムの鐘」は見た記憶があります。大聖堂を舞台に、せむし男のカジモトと美貌のジプシーの踊り子エスメラルダの実らぬ恋と、悪役・副僧正フロロのエスメラルダへのよこしまで異常な情念を画いた物語が印象的でした。いざ、実際に大聖堂の懐に抱かれてみると、そのスケールの大きさ、細部にわたる件pの極みに息を呑みただ立ちつくすのみ。ザ・世界遺産でしょう。





西のバラ窓 聖母子像



最後の審判の扉口



聖母の扉口



聖アンナの扉口



大聖堂 内陣





西のバラ窓



北のバラ窓



南のバラ窓