おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

太田宏介選手 フィテッセへ完全移籍

2015年12月27日 | FC TOKYO
(2015.12.15 太田宏介選手 フィテッセへ完全移籍のお知らせ)

このたび、太田宏介選手が、SBVフィテッセ・アーネム(オランダ)へ、完全移籍することに合意いたしましたので、お知らせいたします。

【太田 宏介(おおた こうすけ)選手プロフィール】
□ャWション : DF
□生年月日 : 1987年7月23日
□出身 : 東京都町田市
□身長/体重 : 179cm/78kg
□血液型 : A型
□経歴 麻布大学附属渕野辺高等学校(2003-2005)
    ⇒ 横浜FC(2006-2008)
    ⇒ 清水エスパルス(2009-2011)
    ⇒ FC東京(2012-2015)
□ 本人コメント
『心から愛する東京ファン・サメ[ターのみなさまへ。この度、オランダのフィテッセに移籍することになりました。愛する東京を離れることは苦渋の決断でしたが、年齢的にも最後のチャンスと捉え、チャレンジすることに決めました。FC東京に関わるすべてのみなさま、“東京ファミリー”に出会えたことを誇りに思うのと同時に、言葉では表すことができないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。元日、味の素スタジアムで優勝カップを掲げられるように、残りの期間も全力で頑張ります。本当に4年間ありがとうございました』

以上、オフィシャルより抜粋。



ャトーキョー&マッシモトーキョーでの大活躍。元日本代表:三都主アレサンドロの“黄金の左”を凌駕する貴君の左足、ピッチ内外のご活躍に常に目を細めておりました。サムライブルー定着のためにも新たな環境でのチャレンジに大いに期待しています。“東京ファミリー”の端くれとして、東京発のワールドワイドな飛躍に心よりエールを贈ります。



2012ャ新体制 同期入団には、加賀、千真、アーリアに、今をときめく河野、丸山、拳人、林も






どこにいても人気者






2013.8.11 vs川崎フロンターレ〔J.League Division1第20節〕








2014.8.3 vs清水エスパルス〔J.League Division1第18節〕








2015.5.2 vs川崎フロンターレ〔J.League Division1第9節〕








世界へのチャレンジ バモス コースケ! 








企画展『幸せはどこにある?』

2015年12月26日 | Museum
12月23日、企画展『幸せはどこにある?』を茨城県立近代美術館にて。
水戸偕楽園から続く、千波湖のほとり千波公園内に建つ「茨城県立美術館」。企画展『幸せはどこにある?』を鑑賞。本展では、「幸せ」をめぐる4つのキーワード、「コミュニティ(共同体)」「逆境」「しごと」「ユートピア(理想郷)」をあげ、各々テーマに沿う絵画が展示されていました。
以下、本展チラシから。
“あなたにとって「幸福」とは何でしょうか?私たちが「幸せ」になるために必要なのは、お金、地位、それとも名誉、権力?近年、GDP(国内総生産)といった経済的尺度に替わる、新しい物差しとして「幸福度」「GNH(国民総幸福量)」が注目を集め、それらを測る科学的な学問として「幸福学」が脚光を浴びています。「幸福度」は所得などの経済的要素だけでなく、家族や社会との関わり合いといった様々な要素で構成されています。「幸せはどこにある?」という問いは、高度に成熟した社会に生きる我々の多様な価値観を浮かび上がらせることになるでしょう。美術作品にあらわされた様々なかたちの「幸せ」にふれながら、多様な角度から「幸福」について考えるヒントになれば幸いです。”
水戸で単身赴任、ウィークエンドを三鷹で暮らす自分にとっても考えさせられるテーマ。「幸せはどこにある?」。既に愚息が独立し、少々の余裕からマンション投資や有価証券投資を始めた今年、来春3月にはサラリーマンとして役職定年を迎える今の自分にとっての「幸福は?」と考えると、名誉や権力ではなく、既に仕事でもなく、両親の無病息災・延命長寿、愚息の身体健全・良縁成就を願い、自らは健康で、ほんの少しの自由な時間とお金があれば不平は言いません。元気に自由に行きたい時に行きたいところへ行き、晴耕雨読、巷をぷらぷらできれば善いと思うのでありました。
















スター・ウォーズ フォースの覚醒

2015年12月23日 | Movie
12月23日、映画『スター・ウォーズ フォースの覚醒』シネプレックス水戸にて。
年末週中の祭日にて朝から単身社宅の大聡怐Bといってもワンルームなので簡単なもの。さて、午後から話題の映画『スター・ウォーズの覚醒』を鑑賞しました。映画を超えた史上空前のエンターテイメント『スター・ウォーズ』シリーズ。本作は、2005年の『スター・ウォーズ(エピソード3・シスの復讐)』で新3部作が完結してから10年ぶりに製作・公開されるSF映画の金字塔『スター・ウォーズ』のシリーズ7作目となります。第一作『スターウォーズ(エピソード4・新たなる希望)』は1977年公開ですから高校生の時でした。時は流れて、ルーク・スカイウォーカー、オルデラン王女レイア姫、密輸屋ハン・ソロと懐かしき面々はリアルな老いの姿、歳月の流れを感じ他人事ではありません。レイア姫の息子、十字型のライトセーバーを操るカイロ・レンは、愚息世代のように感じ、親目線で見てしまいました。やはり『スターウォーズ』は“家族の愛と喪失の物語”なのでしょう。本作では、新たに孤独なヒロイン、レイや、ドロイドBB-8、ストームトルーパーの脱走兵フィンなどが登場。見事にスター・ウォーズの世界観にフィットしていて引き込まれてしまいます。ストーリーや演出には、巷では賛否両論渦巻いているようですが、これもまた『スター・ウォーズ』ならではのこと。単純に楽しめばよいのではないでしょうか。いずれにしても新たなる伝説の始まりです。


























軍艦島(端島炭鉱)

2015年12月12日 | World Heritage in Japan
12月6日、世界遺産“明治日本の産業革命遺産”のひとつである『軍艦島』へ。
今回の一人旅のメインイベントは『軍艦島』への上陸。天候と高波の状況によっては上陸も出港もできないツアーにて心配だったのですが、波は1m曇り空にて何とか念願の『軍艦島』へ向かうことができました。
『軍艦島』は、長崎港の約19kmの沖合に浮かぶ周囲約1.2km海底炭鉱の半人工島・端島(はしま)です。島影が軍艦「土佐」に似ていることから『軍艦島』と呼ばれます。1810年頃に石炭が発見され、「端島炭鉱」として石炭の採掘は1870年に天草の小山秀(こやまひいで)によって始められました。次に佐賀藩鍋島氏の手に移り、1890年に隣の高島と同じく三菱の経営に移りました。最盛期には5,000人以上の人が暮らしていました。端島は、海底を採掘するため、地上よりも地下に遥かに巨大で複雑な生産施設を持つとともに、地上には炭坑住宅などの多くの生活施設を有しており、良質の製鉄用原料炭を産出する地下1000mの炭層を持つ海底炭鉱の島として、わが国の近代化を支えてきた炭坑でしたが、エネルギー政策の転換で衰退し、1974年に閉山。ところが2015年7月『軍艦島』は伝説を残し無人島のまま、約40年余りの眠りから覚め、世界文化遺産となって再び表舞台に姿を現し“明治日本の産業革命遺産”の象徴的遺産となりました。直近では、映画『進撃の巨人』のロケ地であり、007シリーズ最新作『007/スカイフォール』の舞台モチーフにもなっています。
『軍艦島』までのクルーズは、造船の街、長崎の象徴「三菱重工長崎造船所」の世界遺産『ジャイアント・カンチレバークレーン』『第三船渠(ドライドック)』を船上より観光見学することが可能です。また、途中、世界遺産『高島炭鉱(北渓井抗跡)』のある「高島」を横目に進みます。上陸ツアーでは、案内ガイドが同行し、島の歴史や生活の様子などを案内してくれます。主力坑だった第二竪坑跡や、端島炭坑の中枢であったレンガ造りの総合事務所、1916年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て30号棟アパート、プールなど見学通路(約220m)から見学することができました。一度は訪れてみたかった『軍艦島』、石炭の繁栄と衰退を物語り、時代の流れを感じるに十分でした。


世界遺産『軍艦島(端島炭鉱)』







海上より遠景(右回り)













海上より近景(右回り)















第一見学広場





第二見学広場





第三見学広場









世界遺産『ジャイアント・カンチレバークレーン(三菱長崎造船所)』



世界遺産『第三船渠(第3ドライドック:三菱長崎造船所)』



世界遺産『高島(高島炭鉱)』島影にて




平和公園

2015年12月11日 | NON
12月5日~6日、世界遺産“明治日本の産業革命遺産”見学を目的に長崎へ。
昭和20年8月9日午前11時02分、広島に次いで投下された原子爆弾の直撃を受けた長崎。心から哀悼の誠を捧げるため「平和公園」を訪れました。「平和公園」は、原爆落下中心地の北側に造られた世界平和を願う長崎のピーススャbト。階段を上ると、被爆直後、水を求めて亡くなった犠牲者に捧げる「平和の泉」があり、公園の奥には、長崎県南島原市出身の彫刻家:故北村西望が手鰍ッた高さ9.7m、重さ30tの「平和祈念像」が。「平和祈念像」は、恒久平和を願って造られ、天に伸びる右手では原爆の脅威を、水平に伸ばした左手で世界平和を表し、そして閉じた瞳は犠牲者の冥福を祈ったもの。毎年8月9日の原爆の日には、この像の前で平和祈念式典が催され、全世界に対して平和宣言が読み上げられています。原爆が落下された中心地を示す黒御影の石碑が立つ「原爆落下中心地碑」。この碑の上空500mで原爆は炸裂しました。隣に立つ「浦上天主堂」の遺壁の一部は当時の惨状を伝えています。「長崎原爆資料館」では、原爆投下時刻で止まった柱時計、炭化した弁当箱、頭蓋骨が付いた鉄兜など多くの資料が展示され、原寸大の原子爆弾(ファットマン)模型、原爆の規模がわかるジオラマのほか、原爆の威力や恐ろしさが刻まれた遺物が展示されるとともに、今日の核兵器の状況なども紹介し、「長崎平和宣言」やJ2ヴァファーレン長崎の平和祈念ユニフォーム(折り鶴)にいたるまで、核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴える最新の資料が展示されていました。「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」には原爆死没者の名簿が納められています。原爆が投下されたこの地は、失われた命や平和の尊さを忘れずに、過去の史実に学び、核兵器無き恒久平和の世界を築くことを誓う、誓いの地でした。



平和公園




平和祈念象







折鶴の塔



長崎の鐘





平和の泉



原爆落下中心地





浦上天主堂遺壁



被爆当時の地層



長崎原爆資料館