11月27日、世界遺産『石見銀山』散策後、日本海側へ神在月の『出雲大社』を参拝しました。
縁結びの神・福の神として名高い『出雲大社』は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社であり、明治時代初期まで『杵築大社』と呼ばれていました。主祭神は大国様として馴染みの深い『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』で、「古事記」に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりといわれています。平成20年4月に始まった「平成の大遷宮」は、平成28年3月をもって、全ての御社殿の御遷宮御修造はじめ当初予定の事業はほぼ完了し、現在は「平成の大遷宮」第2期事業中でした。神聖な気持ちと面持ちで参拝。有名な「神楽殿」の注連縄(長さ13.5m、胴回り8m、重さ4.4t)は迫力満点でした。また、旧暦10月は神様がお留守になるのでこの月を『神無月』といい、出雲は神様が集まられるので、この地に限っては『神在月(かみありづき)』と呼ばれています。たまたま偶然なのですが、この日(11月27日)は、まさに旧暦の10月10日。出雲大社から程近い日本海の海岸「稲佐の浜」に御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする儀式「神迎祭」の日でした。残念ながら「出雲縁結び空港」より夜の便で帰途につかねばならず「神迎祭」は見学できませんでしたが、日本全国の八百万の神々が出雲に参集される『神在月』の参拝ですから御利益も大きいのではないかと信じて疑いません。良き参拝となりました。
〝宇迦橋の大鳥居〟
〝勢溜の大鳥居(正門鳥居)〟
〝松の参道〟
〝ムスビの御神像〟
〝御慈悲の御神像〟
〝銅鳥居〟
〝拝殿〟
〝神楽殿〟
〝八足門〟
〝御本殿〟
〝釜社〟
〝素鵞社(そがのやしろ)〟
〝氏社〟
〝西十九社〟
〝神馬〟
〝神牛〟
〝出雲阿国像〟
縁結びの神・福の神として名高い『出雲大社』は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社であり、明治時代初期まで『杵築大社』と呼ばれていました。主祭神は大国様として馴染みの深い『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』で、「古事記」に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりといわれています。平成20年4月に始まった「平成の大遷宮」は、平成28年3月をもって、全ての御社殿の御遷宮御修造はじめ当初予定の事業はほぼ完了し、現在は「平成の大遷宮」第2期事業中でした。神聖な気持ちと面持ちで参拝。有名な「神楽殿」の注連縄(長さ13.5m、胴回り8m、重さ4.4t)は迫力満点でした。また、旧暦10月は神様がお留守になるのでこの月を『神無月』といい、出雲は神様が集まられるので、この地に限っては『神在月(かみありづき)』と呼ばれています。たまたま偶然なのですが、この日(11月27日)は、まさに旧暦の10月10日。出雲大社から程近い日本海の海岸「稲佐の浜」に御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする儀式「神迎祭」の日でした。残念ながら「出雲縁結び空港」より夜の便で帰途につかねばならず「神迎祭」は見学できませんでしたが、日本全国の八百万の神々が出雲に参集される『神在月』の参拝ですから御利益も大きいのではないかと信じて疑いません。良き参拝となりました。
〝宇迦橋の大鳥居〟
〝勢溜の大鳥居(正門鳥居)〟
〝松の参道〟
〝ムスビの御神像〟
〝御慈悲の御神像〟
〝銅鳥居〟
〝拝殿〟
〝神楽殿〟
〝八足門〟
〝御本殿〟
〝釜社〟
〝素鵞社(そがのやしろ)〟
〝氏社〟
〝西十九社〟
〝神馬〟
〝神牛〟
〝出雲阿国像〟