おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

サッカー小僧だった頃

2006年06月25日 | NON
2006FIFAワールドカップ、ジーコJAPANは1分2敗。勝ち点1でグループF最下位で姿を消した。
当然TVの前でしっかりとかつ冷静に観戦、悔しさとか無念でなく、ただぐったり疲れてしまった。

何を隠そう、30数年前、中学時代はサッカー部に所属し、ちゃんとレギュラー(右バックが右ウイング?当時はセンターFWとか呼び名が古臭い)で、背番号は「 6 」だった。
弱小サッカー部で公式戦は全敗、だけどサッカーが本当に好きだった。
唯一クラスマッチのサッカーで「得点王」に輝いたことも遠い昔のこと。特技は土のグランドで雨降り後の水たまりのプレー。あえて水たまりの中にドリブルで走りこむ、きびしい当たりはこないし、ボールは止まる。技術の乏しい自分の考えた一番ボールを落ち着いてさばける方法だった。

サッカー小僧にとって、1974年西ドイツ大会は熱狂した。(と言ってもTV中継などあるはずもなく雑誌の後追い特集を穴の開くほど見たものだ) オランダのヨハンクライフ、西ドイツのゲルトミュラーそしてベッケンバウアー、優勝は西ドイツ。
デア・カイザー(皇帝):フランツ・ベッケンバウアー(バイエルン・ミュンヘン)に魅了されていた。試合中、気に食わない審判の顔面を狙いみごとに命中させたキックなどの伝説をまことしやかに信じていた。ペレでもマラドーナでもなく僕らがサッカー小僧だった頃はベッケンバウワーがピンャCントでオンタイムだったのだ。今は昔、2006FIFAワールドカップドイツ大会組織委員長はベッケンバウワー氏だがさすがにお年を召されたようにお見受けした。

今はサッカーを熱く語らない。年間2~3試合のスタジアム観戦は単純に楽しむことに専念。
だって、僕らの頃と今のサッカーは別物だもの、芝生の上でボールを蹴ったことのない人間がサッカーを語ってはいけないと思うから。

僕がサッカー小僧だった頃。プーマのスパイクが宝物で、ユニフォームはアディダスでそろえ、試合に負けてもユニフォームで勝ってたことがうれしかった中学生時代。
ルーズリーフは「NFL」、お気に入りは『マイアミ・ドルフィンズ』だったのは何故なんだろう?
かばんは、『マジソンスクエアガーデンバックMADISON SQUARE GARDEN / SPORTSMAN CLUB / boxing wrestling football』だったのは何故なんだろう?サッカーに関係ないじゃん?
間違いなくサッカーが単純に好きだったのだ。走って蹴ってが好きだったのだ。
『純粋な心で、マスコミに影響されず、ファッションでも無く』

そんな純粋無垢な自分にはもう帰れない。けれど気持ちはだけでも、サッカー小僧だった頃を思い出したワールドカップでした。いやいや過去形でななく、これから決勝リーグを楽しみます。

ps.ベッケンバウワー氏の髪(当時は風にさらさらなびかせていたのにin雑誌の写真)、残念。
  これまた他人事にあらずして、心配です・・・。
  ベッケンバウワー氏がプロ転向前、保険の勧誘員だったのはあまり知られていない。
 (へえ、へえ、へえ)

2006年問題

2006年06月23日 | NON
明日(土曜日)も明後日(日曜日)も出社です。何年ぶりだろう。
個人的な自主出社はありましたが、社命の出社は2000年問題以来でしょうか?
会社合併の大騒動以来でしょうか?

2000年1月1日(元旦)出社しました。出先ビルの責任者としては、まず電気がつくかどうかチェックして、電話、ガス、そしてコンピューター(ハード、オンライン、全ソフト)のチェック。ここまでは良しとしますが、部下の生存チェックまでして、本社に報告したのを覚えています。
支社長は必ず出社し報告しろと。(一人元旦の事務所で声かけ指さし確認。カッコ悪いし)
だって、もし電気・電話がつながらなかったら報告のしようもないのに、酷ですよね会社も。
朝、社宅より出社するときには、すでにしっかりTVが見れているのに・・・・。
「元旦AM9時すぎに携帯に生存チェックのTEL入れするからね」と、あれほど年末最終日に言っておいたのに、携帯がつながらない部下達。「たわけもの、アホ足ラチン」の心の中の声は無かったことにして「彼も彼女も生きています」と勝手に報告してしまいました。
元旦からウソつきです。2000年問題、覚えている人はどれくらいいるのかなあ。

2007年問題は深刻といわれています。団塊の世代のサラリーマンが定年退職をむかえる。
金融市場は退職金目当てにて大忙しですが、国の財政にとっては大問題。
公的年金は破綻への一里塚。いよいよ人ごとではないのです。ため息。

なぜか知らねど、急に降って沸いたような2006年問題、これは自分にものすごく深刻です。
(ただ極々局地的な問題ですが) 笑い事ではすまされません。
不平不満はあとにして、社歴だけは立派な我々40半ば組が頑張るしかないでしょう。
おじさん達は案外強いのです。タフなのです。アブラギッテイルノデス。

アルコールが生き抜きだった自分が少し変わりそうです。
もしかしたら、なんだかんだ言ってブログが生き抜きになる日も近そうです。

今日、横浜の知人から夜のとばりのお誘いのお電話をいただいたのですが、丁重にお断りをし、次回は観月会で会いましょうと約束。
東京は花見はやっても、お月見はないような、なぜかなあ、お月見って風情があっていいのに。

きっとしばしの間、健全な日々を過ごせそうです。
7月13日に健康診断があるのですが、体内環境は大変芳しくなっていることでしょう。

そういう意味では2006年問題もプラスと考えますか。トホホホホ。


お家の一大事

2006年06月21日 | NON
「働く」ということは、「ハタ」を「楽く」にすること。
「儲け」は「刈り取る」もので、「蹴る」ものではない。
だから、「儲かる」仕事がしたい。みんなが儲かるように。
「儲ける」仕事はダメ。得した人の陰で損する人ができるから。

これは、自分の口癖。結構、いろいろな場面でお話をさせていただいている。
現在の仕事、間接営業のさらに営業推進部隊という役回りにはぴったりだと、本当にそう思っているから、お気に入りのフレーズだ。
「ハタ」を「楽」にすることは楽しい。だからお取引先ばかりでなく、社内の関連各部署の仲間たちと懇親を深める「飲み会」も積極的に企画している。
アフター5の自由人をキドッている由縁だ。

今日、お客様に多大なご迷惑をかけ、世間(新聞紙上、TVetc)を騒がせた保険会社がある。

ふと、漠然と、かつ急に、仕事ってなんなんだろう? 何のために働くのだろう? と考えた。
入社24年目にして未体験ゾーンへ突入していく。達成感なき暗闇の中でひたすらもがく自分を想像する。忙しいのは良いことだ。ただしトンネルの先の光が見えてさえいれば・・・。
っと、立ち止まったのは一瞬で、明日からも元気に負けずにとりあえず前に向かって進むのだ。

たまたまこれも今日、懐かしい方々(2人とも女性)からメールをいただいた。
1人は6月末で無事、会社を卒業(退職)しますという業務職(一般職というのが正しい?)。
もう1人は赤坂の店を今日辞めて店をかわるというお姉さん。マスターと今日ケンカするので夜露死苦、とのこと(ほんとかよ)。 はなはだ仕事は大変だ。
お二人には、お祝い&ご苦労様&励ましメールを打っておきました。

久々にシラフの帰宅。『仕事』について考えているうちに、コンピューターの前に座った次第。

ごめんなさい。お家の一大事。ここ数週間はアフター5の自由はなさそうです。
顔を出さない言い訳をしておきます。(??誰に言い訳しているんだろう??)

群雄割拠砂かぶり

2006年06月17日 | NON
この前の日曜日(11日)に大相撲を見に行き大満足。
6月に大相撲?と思われるに違いないが、やっているのです。両国国技館で。日本テレビ主催、平成4年スタートの『大相撲勝抜優勝戦』。今年から『大相撲最強決定戦2006』となりました。
1日で幕内全力士のトーナメントで王者を決める大会。群雄割拠、優勝するには少なくとも4番は勝ち抜かねばならない。本割なら1番しか見れないから観客にとっては大変お得な大会。

私は平成16年から3年連続「たまり席(砂かぶり)」での観戦でした。
優勝は順当に”白鵬”。名古屋場所での綱とりも間違いないところでしょう。
白鵬は、平成16年の本大会(優勝は朝青龍)から目をつけていたお気に入り力士。当時の彼は19歳で夏場所新入幕12勝をあげ、朝青龍の初優勝をアシストした直後。体から勢いのオーラがはっきり見えていました。

今年の大会は、朝青龍は白露山に土、魁皇は朝赤龍に土の大番狂わせで少々がっかり。
勢いのオーラは見まがうことなく”稀勢の里”でした。準決勝で朝赤龍に立会いの変わりについていけずハタキコミにて敗退したものの、土俵を降りて一礼した後、「立会変化は卑怯」と言いたげに朝赤龍に20秒ほどガンとばしまくりでした。よかよかです。きっと2年以内には確実に久々の日本人’横綱’を確信した瞬間、体に電気が走りました。加えて把瑠都、いいですね。注目の彼氏ではなく力士です。

僕らの時代は”北の海”憎たらしいほど強かったのを覚えています。”北の海”を筆頭に「花のニッパチ」と呼ばれた”2代目若乃花(当時は若三杉)、麒麟児、栃光、大錦”が全盛。懐かしいなあ
といっても相撲ファンではなく、ただなんとなく見ていた日曜日の「さざえさん」。やっているなら見ましょうかと。

はじめての大相撲観戦は・・・平成14年秋場所、6場所連続休場のあとの久々の出場で12勝2敗で千秋楽を向かえた横綱”貴乃花”。惜しくも?あっさり敗戦し優勝を逃した日も国技館にいました。その後、彼は「九州場所全休」翌平成15年「初場所」途中で引退しましたから本割15番取った”貴乃花”の最後の勇士もこの目にて焼きついています。もっとも館内騒然ほとんど悲鳴に近い大声援のほうが印象に残っています。

力だけの世界で、’勢いのオーラ’や’晩年の葛藤’。悲喜こもごも。
だから格闘技はおもしろいのです。

勢いのオーラがあった自分は遠い昔。それでも現役をまだまだ貫きますか。
たまの大相撲観戦で勇気をもらいながら。

呪縛

2006年06月11日 | NON
このブログを知っている方からテーマをいただいた。”女性”
お題をいただき'簡単'と笑って応えたもののこれが結構むずかしい。考え込んでしまった。

”女性”のことがわからない。別れた妻とは通算15年間暮らしたが彼女のことがわからぬまま別れてしまった。逆に言えば理解し合えていれば別れないはず。

別れは急にやってくるものではない。神さまは残酷で、別れの前の4~5年間に二人にいくつもの試練をお与えくださった。男と女はそれを乗り越えられない。
【離婚まであと5~3年】
〔男〕・新潟勤務、仕事上の取引先とうまくいかず自暴自棄。深刻なうつ状態に。
〔女〕・父親に続いて母親もがんで亡くし、血縁者は妹と姉妹二人に。
*男にとって失敗は敗北にほかならず、仕事にいきづまった男は人間関係に気がまわらない。
【離婚まであと2~1年】
〔男〕・豊橋に転勤し、仕事は一気に絶好調。多忙にかまけて家庭をかえりみない日々。
〔女〕・妹が結婚(実家を継ぐ)妊娠出産。甥の面唐ゥるため里暮らしが多くなる。
*男は己の成功こそが愛の証だと考え、少々の行き違いはイベント事で解決できると信じ家族で海外旅行三昧だった時期。
【離婚まであと秒読段階】
〔男〕・同期入社第一次選抜にて支社長へ昇格。意気揚々、田舎暮らしもなんのその。
〔女〕・趣味が高じてエアロビのインストラクターとして独り立ち。レッスン鰍ッ持ちの人気者へ。
*別れ話に男はひとつひとつ解決策を論じるが女はとめどもなくしゃべる。話の始めは女の涙、終りは男の怒鳴り声か沈黙か。話を止めること=別れであり、結論へ一歩一歩近づいていく。
 今思うこと。男は物質的な幸せを与えることが己の愛だと思い、女は精神的な幸せを求めていたにちがいない。

離婚についていろいろなことを何度も考えた。人生の敗北者(?)という引け目の言い訳を探すために、男のプライドのために。離婚の理由なんてどうでもいいことなのに。
「息子が成人したらお互いに離婚について息子にちゃんと話をしましょう」と言って役所に届けを提出しに行った。久しぶりに一緒に肩を並べた外出だった。涙がこぼれたのを覚えている。今、息子に我々男と女の別れに語るべきことは何もない。ただ親としての責任を感じているだけだ。

”女性”というテーマからいささか離れてしまった。前だけを見てるつもりが、振り返るとそこに必ず君がいる。呪縛。しかしながら、男と女について少しは賢くなっているだろうと、・・・幸甚です。
ブログをスタートさせた時いつかは離婚の話題になるなあと思っていたが意外と早かった。
(お題をだしていただいた方に多謝。)


ps.「遠い海から来たCoo」(景山民夫)お気に入りです。