おてんきぷらぷら

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龍馬伝

2010年05月30日 | Museum
2010年NHK大河ドラマ特別展『龍馬伝』江戸東京博物館(2010年4月27日~6月6日)へ。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』と連動した龍馬の遺品や書簡類、幕末の騒乱を伝える歴史資料などで構成し、龍馬の波乱に満ちた生涯が展示されています。会期残り1週間、かなり混雑の中での拝観でした。数多くの展示品に圧唐ウれ龍馬の人となりを忍べます。暗殺場所「近江屋」の実物大復元などタイムトリップするには十分でした。土佐から江戸、そして世界へ・・・怒涛のように駆巡る幕末の風雲児・坂本龍馬33歳の生涯を余すことなく堪能できました。

NHK大河ドラマ『龍馬伝』は、龍馬と同郷の幕末屈指の経済人・岩崎弥太郎の視線から描かれたオリジナル作品。龍馬が生きていれば、政治家というよりは岩崎弥太郎の三菱財閥をしのぐ大財閥の祖となっていたのではないかと思います。暗殺者は誰?、龍馬フリーメイソン説?など魅力的英雄は謎めいていて興味深いなあ。

【坂本龍馬の生涯】
 1835年(天保6年) 11月15日、 郷土坂本八平の次男として誕生
 1853年(嘉永6年) 19歳、 武件C行のため江戸・北辰一刀流千葉定吉道場入門。
             ペリー来航を目撃する。
 1854年(安政元年) 20歳、 土佐へ帰国し、河田小龍・ジョン万次郎から海外事情を学ぶ。
 1856年(安政2年) 22歳、 剣術修行のため再び江戸へ。【1858年 日米修好通商条約締結】
 1861年(文久元年) 27歳、 武市半平太の率いる土佐勤王党に加盟する。
 1862年(文久2年) 28歳、 沢村惣之丞と土佐藩を脱藩。勝海舟の門弟となる。
 1863年(文久3年) 29歳、 勝海舟の海軍塾の塾頭となる。帰藩命令を無視し再び脱藩。
 1864年(元治元年) 30歳、 お龍と出会う。【第一次長州征伐】【神戸海軍操練所廃止】
 1865年(慶応元年) 31歳、 亀山社中発足。薩摩藩名義で購入の銃7,300挺を長州藩へ。
 1866年(慶応2年) 32歳、 龍馬立会いで薩長同盟成立。
             寺田屋で襲撃を受け伏見薩摩藩邸へ逃れる。
             お龍と共に鹿児島、霧島へ新婚旅行へ。 【第二次長州征伐】
 1867年(慶応3年) 33歳、 1/5後藤象二郎と面談。4月、海援隊結成。
             4/23いろは丸沈没で紀州藩と交渉(賠償金8万3千両)決着。
             6/16『船中八策』を作成。6/22薩土盟約締結に立ち会う。
             9月、土佐へ最後の帰郷。
             【10/3土佐藩が大政奉還建白書を提出。10/14徳川慶喜、大政奉還】
             11/15近江屋で中岡慎太郎と共に襲撃を受ける。
             11/16龍馬死去(行年33歳)





アルフォンス・ミュシャ展

2010年05月29日 | Museum
5月29日『生誕150年記念“アルフォンス・ミュシャ展”』三鷹市美術ギャラリーへ。
自宅から徒歩3分の三鷹市美術ギャラリーですが、三鷹市制施行60周年もあり久しぶりに気合の入った企画展“アルフォンス・ミュシャ展”実施しています。アルフォンス・ミュシャは1860年生れ(私のちょうど100年前生れ)、アール・ヌーヴォーの巨星として一世を風靡した画家です。彼のパリ時代の「ミュシャ様式」と呼ばれる「長い巻髪や花々で飾られた美しい女性像」の芝居・タバコのャXターや、ビスケットのパッケージ、装飾パネルは、誰もが見た記憶があるはずですし、その暖かさと優しさに包まれた画風は、アール・ヌーヴォーの典型です。あらゆる世代の画家やグラフィックデザイナー・アーティストに影響を与えているのではないでしょうか。本展では、生誕地チェコからパリ時代、アメリカ時代、再びチェコ・プラハ「スラヴ叙事詩」作成から没年までの作品を堪能できました。場所がら、鑑賞客は少なくゆっくりと自分のペースで鑑賞でき満足でした。やるじゃないか三鷹市も。あまりの地元ゆえのサンダル履きは反省、三鷹市の格調を落とさないようにしなくちゃ。

  Alphonse Mucha
  (アルフォンス ミュシャ)
  1860.7.24 ~ 1939.7.14

  生誕150年記念『アルフォンス・ミュシャ展』
  三鷹市美術ギャラリー
  2010年5月22日(土) ~ 7月4日(日)
  主催:(財)三鷹市件p文化振興財団 三鷹市美術ギャラリー、産経新聞社
  後援:チェコ共和国大使館、CZECH CENTRE TOKYO










SAMURAI BLUE(日本代表)vs韓国代表

2010年05月25日 | Soccer
5月24日My Brithday。『KIRIN CHALLENGE CUP 2010“SAMURAI BLUE(日本代表)vs韓国代表”』埼玉スタジアム2002へ。友人に誘われ雨の中、いそいそと南北線で浦和美園へ。ここは3月14日Jリーグ第2節のいやな思い出の地。日本代表戦は2月14日『東アジアサッカー選手権2010決勝大会』“日本vs韓国”国立競技場以来。是非とも二重の意味で前回の雪辱をはらし、誕生日を美酒で祝ってもらうはず。だったのに、だったのに・・・、らしさのないゲームはこびで日本完敗。素人目重病ですね“日本代表”。ただ、報道されるほど韓国との差は無いのではと感じました。病身ながら勝てずともドローにはできた試合ではなかったかと。南アフリカでは引き分けも重要な要素だとしたら、引いて守れば堅い城。でも点取らないと勝てないしねえ。まあ悩みは尽きません。監督は大変だろうなあ。

本日の主役①ピッチのつわもの達 南アフリカで大暴れを期待




本日の主役②雨中の勇者たち 南アフリカでも盛り上げてくれ








ある意味本日の主役③考える人 南アフリカに答えはあるはずさ

鳩をみならって“Trust Me!”で、いくってもんじゃないですか。心はひとつに!です。

vsアルビレックス新潟〔J.League YAMAZAKI NABISCO CUP 予選リーグ弟3節〕

2010年05月23日 | FC TOKYO
5月22日『J.League YAMAZAKI NABISCO CUP 予選第3節“FC東京vsアルビレックス新潟”』
『TOKYOウォーク2010』お台場から馳せ参じた駒沢陸上競技場。昨年は開幕戦で大敗、最終戦で土壇場の同点劇で勝利を逃しドロー、現在4連勝中と決してあなどれない新潟アルビレックス。
さらに日本代表選出メンバー4名・ヨングン出場停止で5枚落ちでの対戦とあっては、苦戦もしょうがないかと思うものの、若手が何かやってくれそうで期待高鳴るゲームです。本日キャプテンマークはNo.13平山相太(No.22羽生じゃないんだ)。試合は一進一退、CBNo.3森重真人・No.4高橋秀人のコンビでディフェンスは合格点かなあと思いました。両チーム決定的な場面のないままスコアレスで後半ロスタイム(3分)へ。が、ロスタイム4分、途中出場のNo.19大苧m平がスローインボールを受けると左サイド奥でドリブルしそのままシュートが劇的な決勝ゴール!(スローインが早かったのが隠れたファインプレー、試合終了フォイッスルを吹く間を与えません。)
「1≠O」の勝利に歓喜の駒沢。ナビスコ予選リーグ3戦で勝点7(Aグループ首位)は上出来、汗だくで駒沢へ駆けつけた甲斐があったというもの。ウッシシでシャー。

キャプテン相太くん?・・・ 「ハイ!」 No.13平山相太


後半ロスタイム No.19大苧m平の決勝ゴール!






No.4高橋秀人 フル出場で高さは魅力的


TOKYOウォーク2010(お台場エリア)

2010年05月22日 | Walking
5月22日『TOKYOウォーク2010(お台場エリア)』Bコース10.5kmへ参加。
今年も開催される『TOKYOウォーク2010』。参加回数に応じた大会記念メダル獲得を目指しますが、Jリーグの試合とブッキングが多いので全5回参加できるか微妙。今日第一回大会も既にダブルブッキングで、14:00駒沢キックオフに間に合うよう、Aコース(20.9km)からBコース(10.5km)に当日エントリー変更しました。でもゴール受付は13:00とのこと。移動1時間ではお台場から駒沢は無理かな。コースはお馴染みのお台場(潮風公園)~東京ビックサイト~有明コロシアム~お台場海浜公園~潮風公園の10.5km。初めてのBコース参加ですがAコースの皆さんのスピード感に比べるとのんびりムードで楽しくウォーキングできました。主催者のご好意でゴール受付が12:30に変更。実は想定内、14:00駒沢に間に合います。ホッ。〔19,636歩・13.7km〕





青海南ふ頭公園


東京ビックサイト

のこぎりが・・・


有明コロシアム 本日、プロバスケbjリーグ ファイナル4(大阪vs沖縄/浜松vs新潟)開催 (昨年は観戦)


ジャンボジェットが蜘蛛の巣に・・・




ワンちゃんと呼ぶにはビッグ