おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

BF交歓会

2015年08月24日 | FC TOKYO
8月23日『2015 クラブサメ[トメンバー ビックフレームス交歓会』京王プラザホテル
ここ数年毎年参加させていただいているBF交歓会に今年も行ってきました。名古屋戦から夜行バスで当日朝に帰宅。その夕方に再び選手に会えるのは嬉しい限り。この日、印象的だったのはネイサンバーンズやサンダサがすっかり旧知のメンバーのように馴染んでいること。もちろん、我々サメ[ターの許容力・懐の広さがあってからこそかもしれません。大金社長の挨拶ではセカンドチーム構想への言及にどよめいた会場。クラブサメ[トメンバーにとっては、アカデミーの選手たちの育成に加え、多彩なタレントたちを応援できる機会が増えること楽しみですし大歓迎です。ほんとの意味での本日主役のU-18諸君はゲームのため、翔哉と奈良はU-22代表トレーニングキャンプ選出のため不参加、なによりもナオや権ちゃんの顔が観れなかったのは、残念で幾何の寂しさがありましたが、待ってるぞ。ということで、例年とおり大変有意義な時間を楽しめました。終盤戦を向かえるリーグ戦、大一番になるナビスコカップ、いよいよ始まる天皇杯と、この日の選手らの明るい雰囲気と結束に触れ、ますます期待してしまいます。











































この日の収穫


vs 名古屋グランパス〔J.League Division1 2ndステージ第8節

2015年08月23日 | FC TOKYO
8月22日『名古屋グランパスvsFC東京〔J.League Division1 2ndステージ第8節〕』
豊田スタジアム遠征は、J1残留争いをしていた2010年11月以来。あのゲームは、FWワントップに大黒将志、トップ下に梶山の布陣。大黒のGK楢崎をあざ笑うかのような技ありループシュートで「1≠O」勝利し、J1残留残り2節へ光明がさしたゲームでした。時は流れて再びの豊田スタジアム遠征は、チーム状態という意味では、2010年同様ゲームごとにメンバーが入れ替わり、総力戦でのぞむしかないチーム事情です。
さて、ゲームは、双方ミスから相手に決定機を与えるなど、ピリッとしないままの一進一退。最後の精度の課題も見えましたが、崩しのカタチも今一つだったかもしれません。ぐだぐだの中で勝利するのか、負けてしまうのかの一戦は、結果、スコアレスドローに。無失点で終えたのだけが収穫でしょうか。日替わりヒーローの出現に期待したのですが、ヒーローがGK塩{だけでは勝てません。他の上位チームが勝点を積み上げただけに勝ちたかったゲームでした。チーム事情を考えればやむなしのドロー、J1残留は決定したようですが、なんだかなぁ、しめっぽいこの感じ。我々は信じるしかありません。次節はスキッとするゲームに期待します。




待ってるぞ!!!








キャプテンは病み上がりの徳永




後半アディショナルタイム 翔哉のドリブルに、闘莉王が・・・




FKにベンチの指示を仰ぐ(?) 若き二人






お友達とは存じ上げませんでした




勝てず負けずの勝点1 暑さの中ご苦労さまでした










BANTY FOOT feat MEGAHORN



Ms.OOJA




名古屋城

2015年08月22日 | NON
8月22日『名古屋グランパスvsFC東京〔J.League Division1 2ndステージ第8節〕』名古屋へ。
二十数年前、勤務していた愛知県ですが、『名古屋城』訪門は初めて。当時は子供がまだ小さかったこともありお城に行くという発想がなかったのかもしれません。天守だけは高速道路から見えていたりしてお馴染みの『名古屋城』に足を踏み入れました。
『名古屋城』は、織田信長誕生の城・那古野城跡地に、関が原の戦いに勝利した徳川家康が、豊臣方への備えとして新城『名古屋城』築城と清州から新城下への街の引っ越しを決定し、慶長15年(1610)加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(天下普請)。慶長17年(1612)に、尾張初代藩主として家康の九男・義直が入り、以降『名古屋城』は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えます。その後、太平洋戦争時の名古屋空襲で焼失するも、昭和34年(1959)金のシャチをいただく五層の大天守閣(約48m)と小天守閣(約24m)が再建され現在の姿になりました。また、現在「本丸御殿」の復元工事が進められており、「表書院・玄関」が公開されています。平成30年に完成予定とのこと。
日本100名城であり、正しく「名城(めいじょう)」「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」「金城(きんじょう)」の異名を持つ『名古屋城』。僕ら世代では映画「モスラ対ゴジラ」で、ゴジラが堀で転んで「天守」を壊してしまう場面を思い出しますが、金のしゃちほこに代表される名古屋の代名詞。この日、身を焦がす日差しと湿度の中、汗だくになりましたが、伊勢音頭で“尾張名古屋は城でもつ”と称される『名古屋城』を観光し大いに楽しむことができました。







天守













東南隅櫓



西南隅櫓



正門





表二之門



旧二之丸 東三之門



不明門



本丸御殿











清正石



清正公 石曳きの像



名古屋おもてなし武将隊 加藤清正




“備長ひつまぶし”いただきました




vs ガンバ大阪〔J.League Division1 2ndステージ第7節

2015年08月16日 | FC TOKYO
8月16日『FC東京vsガンバ大阪〔J.League Division1 2ndステージ第7節〕』
久しぶりの味の素スタジアムは8月唯一のホームゲームです。8月に入りケガ人続出スクランブル体制のFC東京に、不安と期待で参戦。
対するは2015シーズン開幕戦、武藤の劇的なゴールで引き分けたガンバ大阪。開幕戦もどしゃ振りの雨でしたが、この日もゲーム前から降り出した雨はキックオフにはどしゃ降りに。ゲームは、前半、東京ペースかなと思った15分バーンズの個人技でDFをかわしてのラストパスに米本が飛び込んで先制ゴール。その後は東京の高い位置からの効果的なプレスに、ガンバ大阪も手詰まり状態で前半終了。後半、徳永(ケガでしょうか)に替わって吉本がCBに入り、丸山が左SBに、しかしながらこのバックラインの交替がしっくりとくる前に、後半早々同点に。ここからゲームは一進一退。が、後半13分東京のカウンターがはまります。米本を起点に羽生の柔らかなクロスは、DFを引き付けた前田ではなくファーでフリーのバーンズへ。これをバーンズが落ち着いてヘッドで叩き込み勝ち越しゴール。完璧でした。こうなれば、ディフェンスを固めてカウンター狙いの東京のゲーム。引いて守る分、ガンバにボールを持たれますが、ゴール前は数を揃え跳ね返し、危ないシーンも新守護神、塩{のファインセーブが光ります。終わってみれば、ガンバ大阪の日本代表組に何もさせず「2≠P」の快勝。勝点3を積み上げ2ndステージ4位に浮上。年間順位3位は変わらぬものの4位ガンバを直接叩いたのは大きいでしょう。8月残りアウェイの2試合を、スクランブル体制ながら日替わりヒーローで乗り切ったら、いよいよ見えてきますよ頂が。残暑熱き夏、熱く熱くとんがりましょう。









前半15分 No.7 米本 バーンズのラストパスにきっちり合わせて、待望の先制ゴール!










後半13分 No.16 ネイサン・バーンズ 羽生の巧みなクロスにヘッドで、値千金決勝ゴール!










権田の留守をあずかる新守護神! No.13 塩{達也
















川崎のぼる ~汗と涙と笑いと~展

2015年08月01日 | Museum
8月1日『川崎のぼる(~汗と涙と笑いと~)展』三鷹市美術ギャラリーにて。
『巨人の星』の作画で知られる漫画家川崎のぼる氏(1941~)氏の作品展。川崎のぼる氏といえば、スロェ漫画の礎を築いた『巨人の星』はもちろん、ニャンコ先生でおなじみの『いなかっぺ大将』に『荒野の少年イサム』など、1960年生まれの私にとっては、アニメ作品としてドストライク。その漫画家生活は十代半ばに始まり、大阪での貸本漫画を手鰍ッた修業期を経て数々の作品を少年誌に発表します。1966年から連載を開始した『巨人の星』で一躍その名を知られますが、『いなかっぺ大将』『てんとう虫の歌』などギャグやユーモアを交えた作品も得意とし、幅広い年齢層に支持されると同時に高い描写力が評価されています。本展では、激動の漫画史を支えた画業と60年にわたる漫画家生活を通して描かれた様々な作品が展示されています。
以上、公式HPの受け売りですが、川崎のぼるワールドに接し幼少・少年期を思い出しました。アニメ『巨人の星』では、主題歌にてタイヤを引いて走る場面の歌詞“思いこんだ~ら試練の道を”が“重いコンダ~ラ試練の道を”に聞こえ、タイヤのことをコンダ~ラというのかと、瞳は燃えるものだと、勝負どころの一球は2回の放送にまたがり1週間かかることなど、当時の少年たちの『巨人の星』伝説でしたし、実際『巨人の星』の影響で川上V9黄金期の巨人ファンになった少年は私だけではないはずです。大リーグボール(1号:バットに命中させ凡打に打ち取る、2号:消える魔球、3号:バットを避ける魔球)を試みた少年は数え切れぬほどいたはずで、また、黒色肉腫(メラノーマ)という皮膚がんが死に至る魔の病と知ったのも『巨人の星』でした。日高美奈ちゃんでしたっけ。語りだせば枚挙にいとまがありません。懐かしさ満点の企画展でした。

【川崎のぼる(1941=j】
大阪市出身。少年時代は両親の出身地である長崎に疎開。中学卒業後、1957年『乱闘炎の剣』(単行本)でデビュー。数度の上京と帰阪を経て、63年に上京。67年から三鷹に居住。同年第8回講談社児童まんが賞(『巨人の星』)受賞。68年14回小学館漫画賞(『いなかっぺ大将』『アニマル1』)受賞。78年第2回講談社漫画賞(『フットボール鷹』)受賞。03年に熊本県菊池郡へ移住、現在は同地にて絵本作家として活動されています。






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