おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

vs サンフレッチェ広島〔第93回天皇杯準決勝〕

2013年12月29日 | FC TOKYO
12月29日『FC東京vsサンフレッチェ広島〔第93回天皇杯準決勝〕』国立競技場
今年最後となる“俺たちの国立”は天皇杯準決勝。結果は、PK戦でのスコア「4≠T」にて残念ながら、天皇杯準決勝敗退。J1リーグ王者サンフレッチェ広島相手にゲームプラン(?)とおりの展開で堅く守ったFC東京。延長戦を含めて120分間上出来だったと思います。今年のFC東京を象徴するかのようなPK戦「3≠P」からの逆転負けは、一旦は勝利を確信しただけに、ものすごく悔しさも残りますが、敗軍の将、兵を語らず。2013年12月のこの時期まで、寒空の下、スタジアムで、好きなチームに手に汗握り応援できたことに、一定の満足感で充実。しかしながら、あまりにあっけ無い幕切れに脱力感にとまどっているのが正直なところかな。ャヴィッチ東京の集大成となった今シーズン、ルーカスの引退に花を添えたかった天皇杯、勝ちきれないもどかしさは来年以降への期待にかえて、まずは2013年FC東京ご苦労さまでした。有意義な1年をありがとう。選手諸君たちに多謝・感謝です。






後半14分 広島・高萩のFKを、No.1塩田のスーパーセーブ。GK塩田は“神”だった。



後半19分 No.9千真のシュートは、GK西川顔面セーブ。GK西川も“神”だった。





GK“神々”のPK勝負は・・・神の悪戯か?





闘い敗れて、日が暮れて、兵どもが夢のあと







感謝!ランコ・ャヴィッチ


感謝!ネマニャ・ウチチェヴィッチ 


感謝!移籍の噂は?チャン・ヒョンス 


感謝!ベテラン組の力で来期も、Jリーグを盛り上げてくれることに期待!




vs ベガルタ仙台〔第93回天皇杯準々決勝〕

2013年12月22日 | FC TOKYO
12月22日『ベガルタ仙台vsFC東京〔第93回天皇杯準々決勝〕』ユアテックスタジアム仙台
過去2度のユアスタは敗戦続き、3度目の正直になるか、2度あることは3度あるか、いづれにしても因縁あるユアスタ。過去2回は大阪から飛行機、はたまた水戸からマイカーで仙台入り、今回は東京から新幹線で。ルーカスの骨折、平松の負傷と悲しいニュースに、絶対に負けるわけにはいけないゲーム。ここ一番チーム力がャヴィッチ東京の真価が試されます。
さて、ゲームは開始早々の失点で、いつかどこかで見たFC東京、焦燥感満点の浮き足だつ、思うにままならぬ展開に。「1≠O」で前半を終了すると、後半はベガルタ仙台は引いて守りつつ逆襲のカウンター攻撃に徹します。ボールは持てるようになったもののゴール前の厚い壁は打ち破れません。前後半90分が過ぎ、アディショナルタイム4分もほぼ終わりかけの崖っぷちで、No.23林容平が唐ウれFKを獲得。ラストワンプレーのFK。キッカーNo.6太田宏介が大仕事をやってくれちゃいました。左足から蹴られたボールはきれいに弧を描きゴールネットへ突き刺さります。土壇場の同点弾。直後、後半終了で延長戦へ。こうなると精神的ダメージは仙台の方が大きいのは明白。延長戦、一進一退も、仙台のラストの精度がズタズタでFC東京は大ピンチを救われること複数回。そして・・・クライマックスがやってきます。延長後半15分またもやほぼラストプレー。No.18石川直宏のラストパスをNo.23林容平が押し込んで決勝ゴール。我が母校・中央大学出身の林くんが・・・親心で目頭が思わず熱くなるのを覚えました。小雨降る極寒のユアスタで、こんな結末が待っていようとは。念願のクリスマスプレゼント!天皇杯準決勝進出です!



今年は4月以来2度目のユアスタ



12月14日トレーニング中に負傷のルーカス(右脛骨骨幹部骨折全治6ヵ月)と共に闘う


ベンチには、No.49ルーカス、No.15平松のユニフォームが・・・



後半アディショナルタイム、1点ビハインドの崖っぷち、No.23林容平が唐ウれてFKゲット






No.23林の得たFK No.1塩田がキッカー?


後半+3分 キッカーは、No.6太田宏介 ビューティフルゴール!















さあ、延長戦へ。ャから林へ何か秘策が・・・



延長後半15分 No.18石川直宏のラストパスに、No.23林容平が値千金決勝ゴール!



















ゲーム終了 抱擁の連鎖


こちらは、(赤嶺&松下を尻目に)ナオ&シオ


ご苦労さま&安堵


本日のヒーロー“あんたはエライ!!”




SAYONARA国立競技場展

2013年12月15日 | Museum
12月14日、特別展『SAYONARA国立競技場展』に、秩父宮記念スメ[ツ博物館へ。
『TOKYOウォーク』渋谷・目黒エリア完歩後、来年始まる改修工事前の“聖地・国立競技場”に足を延ばしました。国立競技場内にある「秩父宮記念スメ[ツ博物館」では、1964年東京オリンピックの資料などを中心に、国立競技場55年間のスメ[ツの殿堂を振り返る特別展『SAYONARA国立競技場展』を開催中です。国立に足を運ぶときはいつもサッカーイベント開催日なので、来年5月までの特別展ですが、イベント事のない日に訪れた次第。FC東京サメ[ターにとって自称“俺たちの国立”は、カップを奪い取る聖地。2度のヤマザキナビスコカップ、スルガ銀行チャンピオンシップ2010TOKYO、天皇杯と、劇的勝利でFC東京の選手諸君がカップを杯を高々とかかげるのを目撃してきた特別なホームスタジアムの思い。
さて、そんな現在の「国立競技場」について少しばかり。
1958年、明治神宮陸上競技場の跡地に建設。1964年の東京オリンピックのメインスタジアムとして開会・閉会式をとりおこなったほか、アジア競技会、ユニバーシアード東京大会、世界陸上、サッカークラブ世界一を決めるトヨタカップなど数々の国際大会に用いられ、日本国の代表的スタジアム。五輪当時は約7万2,000人収容可能でしたが、その後ゆとりをもって観戦できるよう改修し現在の収容人数は54,224名。トラックは1週400mで8レーン、ウレタン製の全天候型。芝生は、一年中緑を維持する「オーバーシーディング方式」。これは秋に夏芝の上から冬芝を蒔き、冬の間、枯れて地中で休眠する夏芝を冬芝が覆い隠し、1年を通してグランドを緑に保つ手法です。さて、ご存知の方も多いと思いますが、メインスタンド中央の左右のモザイク壁画、左が相撲の神さまの野見宿禰(のみのすくね)像、右がギリシャ神話の勝利の女神ニケ像です。日本的なものと世界的なものを対比させつつ、スメ[ツのもつ美しさと力を現しています。また、トラック第4コーナー付近に「織田メ[ル」という白いメ[ルがあります。このメ[ルは日本人で初めてオリンピックの金メダルを取った織田幹雄選手の三段跳びの記録(1928年アムステルダム大会)にちなんで、15m21cmの高さになっています。
2020年東京オリンピックに向けて、新しくなる「国立競技場」。新たな聖地に興味津々といったところですかね。現在の国立競技場に愛着を深める特別展『SAYONARA国立競技場展』でした。







【1964年 東京オリンピック関連】















スメ[ツ博物館パンフレット



ワールド サッカーの聖地・国立競技場







近代日本スメ[ツの歴史





秩父宮雍仁親王殿下ゆかりの資料展示「御遺品室」




TOKYOウォーク2013渋谷・目黒エリア

2013年12月14日 | Walking
12月14日『TOKYOウォーク2013』第5回渋谷・目黒エリアに参加です。
2013年最終回の『TOKYOウォーク』となりました。代々木第一体育館では大学生のチアのイベントがあったのでしょうか。原宿駅周辺はうら若きチアリーディングと思しき大学生たちで溢れていました。『TOKYOウォーク』参加の我々は、首都大学東京と早稲田大学の応援団の皆さんからエールを貰いスタート。いつにも増して多くの老若男女が参加しているよう。コースは、代々木公園をスタートし、表参道を登り、青山墓地から西麻布へ、246を南青山で左折し、広尾・恵比寿とぬけ、旧山手通りに入り、代官山方面に直進し、井の頭通りで代々木公園に戻る全11kmのBコース。ごったがいするお洒落ゾーンに、一転墓地の中、高級住宅地や大使館ある洗練されたエリアに、最後はブルーシート住民がちらほらする公園沿いの歩道と東京を実感するコースだったかもしれません。港区・渋谷区・目黒区近辺は、まさしく東京勤務時代マイフィールドだった地区。久しぶりの街歩きに、街並みの変化に驚いたり、何でもないものが妙に懐かしかったり、楽しいウォーキングとなりました。季節柄、街頭はクリスマス一色なのかと思いきや、思ったほどでもなかったのが意外。あっという間の11kmでした。2年ぶり3回目の参戦で、初めて全5回コンプリートで“ゴールドメダル”をゲット。
過去2年は“シルバー”と“ブロンズ”だったので3色揃い踏みとなりました。
来年も参加しようと思う大会です。(20,421歩、12.09km)


















かぐや姫の物語

2013年12月11日 | Movie
12月10日、映画『かぐや姫の物語』シネプレックス水戸、レイトショーにて
高畑勲監督の14年ぶりとなるスタジオジブリ最新作。日本最古の物語文学である「虫謨ィ語」を原作に、実に忠実なストーリーでした。窒竄ヤでただ1本光り輝く窒ゥら誕生したかぐや姫の、翁(おきな)と媼(おうな)の子として育てられ、山里の子どもたちとの交流から、京での高貴な姫となるべく躾される中での葛藤、やがて月へ去らねばならなかった波乱の運命。奇をてらわず、現代の観客がかぐや姫の心情を深く理解できるようきめ細かく補足しているだけ。月の住人であるかぐや姫を、思春期の等身大の(地球人)娘として描いた人間かぐや姫の物語。映像は、淡い色彩の水墨画のような描線の画で、その美しさは新鮮。製作期間8年、総製作費50億円の超大作だそう。翁役の地井武男さんの遺作でもあります。2時間17分はあっという間ではありませんが、かぐや姫ってこんなお話しだったよねぇと確認しつつ、充実感満点でした。

    今は昔、虫謔フ翁といふ者ありけり。
    野山にまじりて窒謔閧ツつ、よろづのことに使ひけり。
    名をば、さぬきの造となむ言ひける。
    その窒フ中に、もと光る窒ネむ一筋ありける。
    あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。
    それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。