おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

vs大宮アルディージャ〔J.League Division1 弟4節〕

2010年03月28日 | FC TOKYO
3月28日『J.League Division1第4節“大宮アルディージャvsFC東京”』NACK5スタジアム大宮へ。
桜がかわいそうなほどの寒空のもと大宮まで遠征に、スタジアムに入ると「OFFICIAL MATCH DAY PROGRAM」を手渡されましたが、本日「GAME SLOGAN」は“リーグカップ王者(ウィナー)迎撃!”、わかってるねえ、なんだかうれしくなりました。アルディとミーヤもドロンパに負けないくらい愛らしく?感じます。
気持ちよく塚本泰史選手支援基金に寄付しました。
さて、今日スタメンは、No.3森重真人が戻り、No.8松下年宏にかわりNo.14中村北斗が入ります。どんなものかなあと思っていた矢先の前半9分、大宮のNo.5アン・ヨンハがNo.22羽生直剛の足に激しいスライディングで一発レッドカード退場、この判定にクレームをつけたNo.3マトは不用意な大きいイエローカードをもらいます。数的優劣のある攻防の中で前半45分、No.3マトがNo.22羽生への反則で再びイエロー、累積レッドで退場。スタジアムは異様な雰囲気に、前半終了と同時に大宮選手全員が主審に詰め寄る光景も。
こうなるとゴールシーンを待つばかりの後半。No.17キム ヨングンを入れスリーバックで、No.5長友佑都とNo.6今野泰幸が2列目に上がりました。これが今日は良かった。また途中から入ったNo.24重松健太郎、No.16リカルジーニョが動き回ります。右サイドのNo.18石川直宏・No.24重松、左サイドのNo.17キム・No.5長友が機能していました。No.13平山相太はトップ下に下がり気味だったでしょうか。後半16分、No.6今野がNo.9赤嶺真吾の左からのセンタリングのクリアボールをダイレクトで叩き込み先制。続く後半34分、No.24重松がNo.5長友のクロスボールをヘディングでジャストミート!これで決まり。
「0≠Q」、勝点3をゲット!J初お目見えのNo.24重松健太郎。ゴールを狙う激しい動きは新鮮。安定感の男:No.6今野泰幸を加わえた攻撃オプションは大有りを証明してくれました。
もっと点がほしかったなどとわがままは言いません。

後半16分 No.9赤嶺からセンタリング

大宮DF・No.26村上がクリアするもボールが浮きます

すかさずNo.6今野がダイレクトシュートをゴールネットに突き刺します




後半34分 No.5長友からのクロスにNo.24重松がヘッディングシュート




JデビューNo.重松健太郎(常にゴールを狙う姿勢はリアルストライカー)






某国の監督も視察にお見えのようで・・・


名古屋グランパス・川崎フロンターレ・鹿島アントラーズ3連戦を前に価値ある一勝!さあいこうぜ監督!




青梅シネマチックロード(青梅赤塚不二夫会館)

2010年03月27日 | Walking
3月22日吉野梅郷ウォークの帰り道、青梅で途中下車、青梅シネマチックロードを散策。青梅駅に降り立ち旧青梅街道・青梅宿へ。小学生だった昭和30年代の造りの古い商店や小路・横丁の街並みが昔懐かしく、また昔ながらの手書の映画看板があふれています。通称、青梅シネマチックロード。そこには『青梅赤塚不二夫会館』『昭和レトロ商品博物館』『昭和幻燈館』などみどころがあります。昭和日本を代表するギャグまんが王、赤塚不二夫ワールドを体感できる『青梅赤塚不二夫会館』。「おそ松くん」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」はテレビアニメとして強烈に記憶に残っていますし、描かれたキャラクターはすべて印象的でした。特に脇役達のキャラは秀逸。またセリフの語尾「~なのだ」「~べし」「~だジョー」「~ざんす」は時代を風靡。今回、変に納得したのは、70年安保で学生達が警官が発した「このヤローめ!」が、「ニャロメ」になったとのこと、なるほどねえ、やっぱり昭和を感じます。また、赤塚不二夫氏は漫画家になる前は、新潟で映画看板絵師の経験があるとのこと。先日知った、水木しげる氏は紙芝居絵師から漫画家への道ですが、時代を感じます。今ならまずは漫画家で、その後アニメーション作家とか・・・なのでしょう。映画館に必ず飾ってあった手書の映画看板もヨカヨカです。昭和レトロの情緒満載で楽しい散策となりました。















  

吉川英治記念館

2010年03月23日 | Museum
吉野梅郷ウォークの途中、『吉川英治記念館』に立ち寄りました。
文豪:吉川英治の旧宅と離れの書斎が在りし日そのままの状態で保存見学でき、また、原稿、著作、書画など約300点が展示されています。館内で上映されている20分ほどのDVDは、大変興味深く視聴しました。ウォーキングのつかの間の休息も兼ねじっくりと拝観させていただきました。
記念館には「日本人の心のふるさと」と謳っています。吉川文学は、日本人のあらゆる世代に愛され、あらゆる階層の人々の心を奮わせた国民文学ということなのでしょう。という私も、若かりし頃ひととおりは読破しています。テレビドラマでもね。“剣の求道者”武蔵の歩みを記した『宮本武蔵』。庶民に希望を与えてくれた英雄・秀吉『新書太閤記』。“時の流れ”を主人公に描いた平清盛、敗亡の美学『新・平家物語』。足利尊氏・後醍醐天皇・楠木正成の権力の魔力を知る『私本太平記』。戦乱の中国大陸を駆け抜けた群像を現代によみがえらせた『三国志』。生まれ変わった中国古典『新・水滸伝』。知っている作品は、どれをとっても壮大、秀逸で歴史ロマン文学の王道です。
是非、時間をつくり、ゆっくりと時の流れる中で、もう一度読み直し味わいたいなあ。
来るべき老後の楽しみにとっておくこととしますかね。

 【吉川英治】
  明治25年(1896年)8月11日生れ~昭和37年(1962年)9月7日没
  文化勲章〔昭和35年(1960年)11月〕受賞





旧宅母屋

離れの書斎

庭園








吉野梅郷ウォーク

2010年03月22日 | Walking
3月22日『吉野梅郷』ウォークへ。JR青梅線:日向和田駅~天沢院~青梅市梅の公園~鎌倉の梅~中道梅園~観梅通り~岩割の梅~大聖院~即清寺~吉川英治記念館~JR青梅線:二俣尾駅の2時間コース。帰りに青梅駅で下車し、シネマチックロードを散策し、昭和レトロ商品館・青梅赤塚不二夫会館・昭和幻燈館を見学し、心地よいウォーキングとなりました。
吉野梅郷では“吉野梅郷梅まつり”が2月22日~3月31日まで開催されています。また、ここ吉野梅郷は、2月14日の日本経済新聞の「おすすめの梅の名所ランキング」で全国の梅の名所約90ヶ所の中から第一位を獲得しました。午前の早いうちだったからか、思ったよりも人手は少なく、甘い梅の香りただよう丘や街並みを満喫できました。
名木「鎌倉の梅」「岩割の梅」「親木の梅」「招春の梅」はすでにさかりをすぎでおり残念。写真は、黄砂の影響でしょうか、目に見えているよりもカメラのレンズを通すと、もやがかかったよう。しかしながら、なんといってもメイン会場の青梅市梅の公園は、山の斜面一面に約120種1,500本の梅であふれ大感動です。春の訪れを五感一杯に感じられた半日。思い立って行ってよかった。

【梅の公園】
















【鎌倉の梅】旧鎌倉街道のかたわら樹齢約400年の古木


【中道梅園】       【岩割の梅】      【大聖院:親木の梅】  【即清寺:招春梅】


吉川英治記念館も、青梅赤塚不二夫会館、シネマチックロードも、春の陽射しのもと、のんびりと堪能できました。別にアップする予定です。お楽しみに。

レンピッカ展~美しき挑発~

2010年03月21日 | Museum
『美しき挑発“レンピッカ展”本能に生きた伝説の画家』Bunkamuraザ・ミュージアムへ。
タマラ・ド・レンピッカの展覧会へ行きました。1920年代~1930年代の時代を女性として自ら謳歌・表現し続けた本能の画家。またファッション・美貌・ライフスタイル、どれをとっても流行の最先端。自分の魅力と才能を誰よりも知り尽くし、自由奔放に自分を貫く生き様を感じます。女性モデルと浮名をながし、プロのカメラマンに撮らせたメ[トレートの中の彼女は稀代の女優そのものです。作品は、レンピッカ特有のキピュスム的な画法で人物を特徴的に描き、その色彩は単色強調の世界で、現代にあってもモダンで観るものを圧唐オます。
TAMRA DE LEMPICKA(1989年~1980年)
ワルシャワの良家に生まれ、ロシアで思春期を過ごし18歳で結婚。ロシア革命を機にパリへ亡命し、“狂乱の時代”とも呼ばれた1920~1930年代のパリで、独特の画風とその美貌で一世を風靡する。その後、第2次世界大戦の脅威の中アメリカに亡命。一時完全に忘れ去られるが、晩年再評価され、82歳でその劇的な人生を終えました。



迫りくる人物像に、まぶしい色彩と、ぞくぞくするエロチシズムに、おじさんは乾杯(完敗)