11月29日、『日光東照宮400年式年大祭』特別公開(11月末まで)目的で日光を訪れました。
もちろん日光と云えば、世界遺産『日光東照宮』が参拝のメイン。しかしながら、現在「陽明門」は平成の大修理中。残念といえば残念ですが、この大改修工事に伴い、東西の壁面に描かれた壁画を一般公開しています。修理が終了するまでの限定公開ですが、215年ぶりに公開となる幻の壁画「松に巣ごもりの鶴」など大修理中だからこその見どころです。
輪王寺から東照宮へ移動。平成の大改修とはいえ、さすが400年式年大祭中にて、外国の方を含む多くの観光客で賑わっていました。小学校の移動教室以来、幾度となく訪れている東照宮。ある意味かって知ったる神社です。五重塔から三猿、陽明門は改修中でしたが幻の壁画を堪能、本地堂(薬師堂)では鳴龍を拝み、拝殿へ。坂下門では、眠猫と、猫が眠れば躍る雀。階段を登っての奥宮。結構息が切れるのも昔と同じで、すべてが、小学校時代の移動教室の想い出と重なります。もちろん400年に及ぶ歴史の深さを痛感するとともに、やっぱり自分にとってはどこか懐かしくあったかい場所でした。
【日光東照宮】
「日光東照宮」は、元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公は、元和2年4月17日駿府城で75歳の生涯を終え、直ちに久能山に神葬されましたが、遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後、正保2年(1645)宮号を賜り「東照宮」と呼ばれるように。現在の主な社殿群は、三代将軍家光公によって寛永13年(1636)に造替されたものです。
表参道
石鳥居
五重塔
表門
神厩舎 “三猿”
上神庫 中神庫 下神庫
輪蔵
御水舎
銅鳥居 鐘楼 鼓楼
本地堂 薬師堂(鳴龍)
陽明門 “幻の壁画”
(参考 2009.9.5 撮影)
唐門
神輿舎
祈祷殿
神楽殿
坂下門 左甚五郎 “眠猫”“雀”
奥宮 拝殿
奥宮 宝塔
もちろん日光と云えば、世界遺産『日光東照宮』が参拝のメイン。しかしながら、現在「陽明門」は平成の大修理中。残念といえば残念ですが、この大改修工事に伴い、東西の壁面に描かれた壁画を一般公開しています。修理が終了するまでの限定公開ですが、215年ぶりに公開となる幻の壁画「松に巣ごもりの鶴」など大修理中だからこその見どころです。
輪王寺から東照宮へ移動。平成の大改修とはいえ、さすが400年式年大祭中にて、外国の方を含む多くの観光客で賑わっていました。小学校の移動教室以来、幾度となく訪れている東照宮。ある意味かって知ったる神社です。五重塔から三猿、陽明門は改修中でしたが幻の壁画を堪能、本地堂(薬師堂)では鳴龍を拝み、拝殿へ。坂下門では、眠猫と、猫が眠れば躍る雀。階段を登っての奥宮。結構息が切れるのも昔と同じで、すべてが、小学校時代の移動教室の想い出と重なります。もちろん400年に及ぶ歴史の深さを痛感するとともに、やっぱり自分にとってはどこか懐かしくあったかい場所でした。
【日光東照宮】
「日光東照宮」は、元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公は、元和2年4月17日駿府城で75歳の生涯を終え、直ちに久能山に神葬されましたが、遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後、正保2年(1645)宮号を賜り「東照宮」と呼ばれるように。現在の主な社殿群は、三代将軍家光公によって寛永13年(1636)に造替されたものです。
表参道
石鳥居
五重塔
表門
神厩舎 “三猿”
上神庫 中神庫 下神庫
輪蔵
御水舎
銅鳥居 鐘楼 鼓楼
本地堂 薬師堂(鳴龍)
陽明門 “幻の壁画”
(参考 2009.9.5 撮影)
唐門
神輿舎
祈祷殿
神楽殿
坂下門 左甚五郎 “眠猫”“雀”
奥宮 拝殿
奥宮 宝塔