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高麗の里&巾着田曼殊沙華祭り

2022年09月23日 | NON

9月23日 杏林大学履修生OB仲間たちと『高麗の里&巾着田曼殊沙華祭り』ウォーキング。前日、台風15号が発生し当日の朝まで中止が危ぶまれたものの最終的には決行。JR高麗川駅に午前10時集合し、高麗神社(巫女の神楽踊り鑑賞)、高麗家住宅 ~ 聖天院 ~ 巾着田「曼殊沙華祭り」 ~ 西武高麗駅(午後2時半着)の行程です。暑さ寒さも彼岸まで本来なら季節の移ろいを感じる時期ですが、台風到来の真っただ中、幸いにもほとんど雨に降られることはなく、曇り空のもと心地のよいウォーキングでした。「高麗神社」は、高句麗からの渡来人の高麗王若光を主祭神として祀るお社であり、導きの神:猿田彦命、長寿にして朝廷に仕えた武内宿祢命が祀られています。地元の三鷹においても高麗姓の皆さんは多く、前から興味があったところ。天智天皇5年(666)年、唐と新羅は隣国の強国である高句麗の征討を開始。668年、建国から約700年間東アジアに強盛を誇った高句麗は滅亡し、高麗王若光が渡来。霊亀2(716)年、大和朝廷は高句麗人1799人を武蔵国に移し"高麗郡"を創設し、若光を長官に任命。若光は郡内の高麗人を指揮し未開の地を開発。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を"高麗明神"として祀り創建されたとのこと。この日は、神楽殿で巫女さんたちによる神楽踊りが奉納されていました。厳かな雰囲気の中で伝承される文化の香りを堪能させていただきました。隣接する国指定重要文化財「高麗家住宅」を見学したのち「聖天院」へ。「聖天院」は、高麗山聖天院勝楽寺と号し、山門(雷門)の独自の美しさと厳かな雰囲気に胸を打たれます。日本に移住した高麗人達の菩提寺として建立されたもので、不動明王、聖天尊を祀っています。2000年に落成した総欅造りの新本堂の前にある見晴台からのパノラマ眺望は見事でした。また、山門の横には高麗王若光のお墓(王廟)がありお参りさせていただきました。さて、次はこの日のメインイベント「曼殊沙華祭り」開催中の"巾着田曼殊沙華公園"へ移動です。そもそも"巾着田"は、清流高麗川が蛇行した形が巾着の形に似ていることから"巾着田"と呼ばれるように。この"巾着田"には、高麗川の増水により流れてきた曼殊沙華の球根が漂着し根付いたという500万本の曼殊沙華が咲き誇り、日本最大級の群生地となりました。この日はまさに曼殊沙華の最盛期、満開の曼殊沙華がまるで深紅の絨毯を敷き詰めたような光景は圧巻のひと言。曼殊沙華は、お彼岸のお墓参りの際に墓地に咲く花で寂しいイメージでしたが、認識を一変する豪華さに驚きました。まさに一見の価値あり。大満足の一日となりました。感謝。(19,025歩、12.75km)

高麗神社 (高麗家住宅)                                     

高麗山 聖天院  〔開基天平勝宝3年(751年)〕                                             

高麗王廟                                                           

巾着田曼殊沙華祭り(巾着田曼殊沙華公園)                                      


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