おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

大和ミュージアム

2012年08月31日 | Museum
8月25日『サンフレッチェ広島vsFC東京〔J.LEAGU Division1第23節〕』広島ビッグアーチへ。
1泊2日の遠征、2日目は、「男たちの大和/YAMATO」「海猿」のロケ地、かつて東洋一の軍港と云われた“呉”を訪れました。まず立ち寄ったのが『大和ミュージアム』(呉市海事歴史科学館)。呉が生んだ世界最大の戦艦「大和」を中心に、明治以降における日本の近代化の歴史そのものである呉の歴史、その礎となった造船・科学技術を紹介。10分の1スケールの戦艦「大和」は圧巻。戦争美化するものではありませんが、やはりカッコイーものに心は魅了されます。しかしながら、かっこよさとは全く無縁の特攻兵器・人間魚雷「回天」十型には、戦争の理不尽さの象徴と言葉を失いました。戦争と平和を考える広島遠征です。

戦艦「大和」の軌跡
 昭和16(1941)年12月16日竣工
 昭和17(1942)年6月4~6日 ミッドウェー海戦
 昭和19(1944)年6月19~20日 マリアナ沖海戦
 昭和19(1944)年10月24~26日 レイテ沖海戦
 昭和20(1945)年3月19日 呉空襲に応戦
 昭和20(1945)年4月7日 沖縄特攻 
 “同日14時23分、徳之島西方、北緯30度43分17秒、東経128度04分00秒、「大和」沈没”
       
「大和」といえば、山本五十六海軍大将(元帥)。日米開戦時は「短期決戦・早期和平」という日米間における国力の差を冷静に分析し、現実的な作戦計画を実施しようとしたなど旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将。山本五十六語録‘やってみせて 言って聞かせて やらせてみて ほめてやらねば 人は動かず’は今なお金言。お土産に‘男の修行’の色紙を買い求めました。


この日は24時間テレビのチャリティが・・・















零式艦上戦闘機六二型(中島82729号)


特殊潜航艇「海龍」


特攻兵器「回天」十型


戦艦「大和」時鐘


戦艦「陸奥」 主錨 艦首フェアリーダー


戦艦「陸奥」 主砲身(四番主砲塔左砲)






広島平和記念公園 &広島平和記念資料館

2012年08月30日 | Museum
8月25日『サンフレッチェ広島vsFC東京〔J.LEAGU Division1第23節〕』広島ビッグアーチへ。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、原子爆弾が投下。
爆発後に出現した巨大なきのこ雲は、高度約1万メートルに達しました。
垂れた皮膚をかばい逃げる負傷者、多くの半死半生の重傷者、折り重なる遺体・・・。迫る来る炎に焼かれる広島の町、かけがえのない人との永遠の別れ、それでも助け合う人たち・・・。消し去ることのできない「あの日」の記憶と向き合い、恒久平和への祈りをささげる永遠の地、それが『広島平和公園』。そして、今なお、地球上には数万発の核兵器が存在し、人類はその脅威にさらされていますが、『広島平和公園』内の『広島平和記念資料館』では、ヒロシマの被爆体験を経た資料に単に記録・保存するだけでなく、こうした状況に警鐘を発するとともに、後世に伝える証言としての役割を担う貴重な資料が展示されていました。多くの老若男女、外国人とお見受けする方の真剣なまなざしが大変印象的でした。
この場に立つと改憲論者である自分でさえ、憲法改正には否定的になりそうです。3.11、東日本大震災を経験し、原子力に対する考え方や付き合い方を迫られている今・・・、広島は“ヒロシマ”になり、福島が“フクシマ”になった今・・・。単に反原爆、恒久平和を祈るだけでなく、ひとりひとりの平和への行動=政治的実力行使が求められているのかもしれません。そんな気持ちにさせられる地であり空気を感じました。


【広島平和公園】


原爆死没者慰霊碑


平和の池 & 平和の灯


原爆の子の像




平和の鐘


平和の時計塔


国立広島原爆死没者追悼平和祈念館


祈りの泉


嵐の中の母子像


平和の門


平和大橋(彫刻家イサム・ノグチのデザイン)



【広島平和記念資料館】













ヒロシマの火 平和への灯(NHK広島放送局前)




原爆ドーム〔世界遺産散策〕

2012年08月29日 | World Heritage in Japan
8月25日『サンフレッチェ広島vsFC東京〔J.LEAGU Division1第23節〕』広島ビッグアーチへ。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、テニアン島から飛来した米軍機B29「エノラ・ゲイ号」によって投下された原子爆弾(米軍呼称:リトル・ボーイ)。広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました。原子爆弾は、ウランやプロトニウムが核分裂するときに発生するエネルギーを兵器として利用したもの。その強烈な熱線と爆風は、爆心地から2km以内にあったほとんどの建物を破壊し、焼きつくし、放射能による急性障害がおさまったとされる1945年(昭和20年)12月末までに約14万人の尊い命が失われたのは、日本人の誰もが認識し後世に語り継ぐ事実です。原爆投下目標は、「相生橋」であったとのことですが、実際には少々逸れ、『原爆ドーム』の南東に約160m(爆心地)の上空約580mで炸裂しました。
大正4年築、広島県物産陳列館(広島産業奨励館)であった『原爆ドーム』は、上方からほぼ垂直に爆風を受けたため、周囲の建物が壊滅する中、厚く造られいた側面の壁が完全に押しつぶされることなく残ったと言われています。今も建物の内部には粉々に砕け散った建造物の破片が無残にも山積みにて残っている様には、さすがに心が痛みました。やはり現場に事実あり、感動ありです。
人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして、1996年12月『世界遺産』に登録されています。
今まで、日光・奈良・京都・宮島と世界遺産巡りをしていますが、趣向は異なるもののまごうことなく現在日本を代表する世界遺産であると強く強く感じました。

















爆心地(島外科病院)


相生橋(原爆投下目標とされた)




安撃フ宮島〔世界遺産散策〕

2012年08月28日 | World Heritage in Japan
8月25日『サンフレッチェ広島vsFC東京〔J.LEAGU Division1第23節〕』広島ビッグアーチへ。
昔から「神の島」として崇められて宮島は、美しい瀬戸内海に浮かぶ歴史と浪漫の島、日本三景のひとつ。期せずして今シーズンは、松島に続いてFC東京遠征で日本三景の2箇所を訪れるとは。また鹿のいる風景は奈良公園のよう。宮島の鹿たちの団体観光客の集合写真に見事にピタっと納まりカメラ目線でにっこり笑う役者ぶりは驚きでした。鹿が頭がいいかどうか知りませんが、宮島の鹿はかなりなもの。神の使いたる鹿は恐るべし。
さて平成8年に世界遺産登録されたのは、『嚴島神社』を中心とし、前面の海および背後にそびえる弥山原始林(天然記念物)を含む森林431.2h。登録された遺産のうち、嚴島神社の本殿・拝殿など17棟、大鳥居・五重塔・多宝塔の3基からなる建造物群は、国宝に6棟、重要文化財に11棟・3基が指定されています。弥山の深緑を背景に、朱塗りの社殿群が海上に展開するという世界に例をみない景観は、優雅さへの驚きで人々を魅了しなお余りある美しさです。
嚴島神社拝観後、山側に隣接する「五重塔」に嚴島神社末社である「豊国神社(千畳閣)」、海側に隣接する「大望寺」を訪れ、もうひとつのお楽しみ平清盛ゆかり巡りへ。「清盛神社」、「嚴島寶物館」では1月に「平清盛展」で見た『平家納経』、『平家納経』を納めた『金銀荘雲竜門銅製経箱』(国宝)をはじめとする嚴島神社所蔵の宝物など美術工剣iが一部複製でしたが展示されてました。
平家の経済力の証である寶物に、まさに実在するこの地で出会うことに感動です。さらに、NHK『平清盛』ブームにのり「宮島歴史民族資料館」では、企画展示「平清盛館」が開設されていました。ここでは、平清盛と宮島の関連を表す資料や重文「平清盛坐像」の複製、大河ドラマ「平清盛」の衣装・道具など展示され、また、嚴島神社をテーマとしたオリジナル映像が楽しめました。神戸では「ドラマ館」と「歴史館」が同じく期間限定で開催されていますが、今日は、広島・宮島「平清盛館」。そして明日は、「おんど観光文化会館」うずしお企画「平清盛 音戸のの瀬戸ドラマ館」を訪れる予定。NHKもドラマ使用の衣装・小道具など提供し、おらが村の村興しに協力しているのがわかります。きっと大宰府でも盛り上がっているのでしょうか。過去最低の視聴率ともいわれる「平清盛」ですが、個人的には大好きです。
初めての安撃フ宮島でしたが、前評判とおり大いに楽しめ、“焼きかき”に“あなごめし”の獅ウにノックアウトされました。また再び訪れたい思い出の地となりました。









五重塔


豊国神社(千畳閣)






嚴島寶物館



大願寺門


大願寺(日本三弁財天)・・・他に江の島、註カ島


大願寺護摩堂


嚴島大仏 不動明王


平和観音



清盛神社


世界一の杓子




嚴島神社〔世界遺産散策〕

2012年08月27日 | World Heritage in Japan
8月25日『サンフレッチェ広島vsFC東京〔J.LEAGU Division1第23節〕』広島ビッグアーチ。
NHK「平清盛」に沸く神戸から、これまた「平清盛」に沸く広島へ。
今回の遠征の目的は「平清盛」ゆかりの地を巡ることと、世界遺産を巡ることとしたのですが、どちらにも該当する『嚴島神社』をまずは目指しました。
海中にそびえ立つ朱塗りの大鳥居とともに、祭神・市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命が祀ってある嚴島神社は、スケールの雄大さ、神殿造りの技の極致を物語る建築美、どこをとっても、国内有数の名社といわれるにふさわしい威厳と風格に満ちていました。平清盛によって仁安3年(1168)に現在のように造営されました。その海の中に建つ大胆かつユニークな配置構成の麗姿は、時代を超え、今なお我々を平安の宮廷文化へ誘います。嚴島神社といえば、朱塗りの大鳥居でしょう。午前中に訪れた時は、潮が引き砂浜に立つ大鳥居でしたが、帰りには潮は満ちてきて海中に立つ雄姿を拝むことができました。現在の大鳥居は平安時代から8代目だそうで、沖側の額には『嚴島神社』と、神社側には『伊都岐島神社』の額が掲げてあります。また、干潮時ゆえに、大鳥居の笠木の両端の、東の『太陽』、西の『月』を見る事ができました。振り返れば鮮やかな朱塗り・檜皮葺の荘厳な屋根、清楚に配列された柱、ゆったりとした板敷床など平安時代にその極みに達した神殿造りの「本社」。その「本社」を中心に「客神社」「門客神社」「大国神社」「天神社」など各社が配置され、「朝座屋」「高舞台」「楽房」「能舞台」などがその間に設けられ、また「内侍橋」「長橋」「反橋」などの橋はかけられ、建造物は延長108間におよぶ回廊でつながれ、見事な調和美を見せてくれます。鹿がいる風景もこれまたよし。まさに、神をいつきまつる社殿、平安の雅と浪漫を感じさせてくれます。



























高舞台


祓殿


本殿




回廊


反橋


能舞台


天神社