おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

宗像大社・沖津宮遙拝所〔世界文化遺産(神宿る島)〕

2022年03月07日 | World Heritage in Japan
3月2~3日、FC東京福岡遠征にて『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』へ。
御嶽山越えで大島の外海側へ回り込みます。途中、鳥のさえずりが聞こえ、海の風と相まって、御嶽神社への登山とは打って変わってルンルン気分の足取りに。山道から舗装されたバス通りにでると、『宗像大社・沖津宮遙拝所』に到着です。『宗像大社・沖津宮』とはすなわち沖ノ島のこと。沖ノ島は、古代より人を寄せ付けぬ「神宿る島」として、禁忌の揩ナ守られてきました。したがって市井の人々は遙か遠く離れた地から拝むことしかできませんでした。この『宗像大社・沖津宮遙拝所』は、沖ノ島から約48kmの大島の北端に設けられた沖ノ島遙拝のための場です。社殿は沖ノ島の方角を向き、沖ノ島をご神体としる拝殿の役割をもっています。少なくとも18世紀初めまでには現在の地に遙拝所が設けられました。空気の澄んだ日には、ここからはっきりと沖ノ島がの姿が見えるのだそう。(絵葉書を下掲)沖ノ島は容易に近づくことのできない島であったため、江戸時代には通常はここで沖津宮の神事が執り行われていました。以前から大島の漁師の妻はここから沖ノ島で漁をする夫の無事を願い祈りを捧げていたようです。現在も毎年、春・秋の沖津宮大祭はここで行われ、通常は閉められている社殿の扉を窓を開いて、神事を行うとのこと。人っ子一人いない静けさに聞こえるのは波の音のみ。世界遺産登録なかりせば(FC東京福岡遠征がなければ)、全く知ることのなかった古代から続くこの地の人々の営みに思いをはせ、この旅路での「神宿る島」とのご縁を実感。残念ながらそのお姿は拝めませんでしたが、青く輝く海の遙か遠くに祈りを捧げました。さて、大島港ターミナルへの帰途は御嶽山越えを避け、谷合に続く舗装道路を利用です。途中「大島交流館」では大型3面スクリーンで「神宿る島」沖ノ島と大島の人々とのつながりを学ぶことができました。約3時間の大島滞在でしたが、心地よき汗と楽しいウォーキングとなり大満足。田心姫神(たきりひめ)を祀る沖ノ島(宗像大社・沖津宮)については、「宗像大社神宝館」「海の道むなかた館」でも大型スクリーンやマッピングビジョンなどで神々しき沖ノ島を鑑賞し、決して渡り入ることができぬ聖地、世界遺産『神宿る島』を堪能できましたこと申し添えます。

【宗像大社・沖津宮遙拝所〔世界文化遺産〕】












《参考》社殿の窓から望む沖ノ島方面の様子(ャXターより)










《参考》 沖津宮遙拝所からの望む沖ノ島(絵葉書より)



大島交流館


夢の小夜島


神湊港波止場


大島港渡船ターミナル




大島







宗像大社・中津宮〔世界文化遺産(神宿る島)〕

2022年03月06日 | World Heritage in Japan
3月2~3日、FC東京福岡遠征にて『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』へ。
アビスパ福岡戦の敗戦を受けての翌3日は、神湊港からフェリーで大島へ渡り、世界文化遺産・構成遺産の『宗像大社・中津宮』と『宗像大社・沖津宮遙拝所』を目指します。神湊港9:25発にて所用時間25分で大島へ到着。島内の移動は徒歩を予定し大島発13:00のフェリー乗船が目標に、約3時間のウォーキングです。まずは、渡船ターミナルの桟橋を渡ると目と鼻の先の『宗像大社・中津宮』をお参りです。『宗像大社・中津宮』は、沖ノ島をはじめ宗像三女神への信仰が篤い大島の人々の信仰の中心であり、湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀っています。御嶽山山頂の御嶽山祭祀遺跡を起源とし、麓の海に面した高台に本殿が造営されています。16世紀の文献からは、山頂の御嶽神社(上宮)と麓の中津宮本殿(本社)が並立する現在のような状況を確認でき、江戸時代の絵図には山頂と麓を結ぶ参道が描かれています。山頂と参道、麓の本殿周辺が一体的に中津宮の境内を構成します。さて、17世紀頃に再建されたという本殿をお参り。宮司さんが太鼓を叩きながらお祈りをされていましたので、しばし礼拝の姿勢で見守りました。境内の奥の「天の真名井」は延命招福のご利益があるとされ、また「天の川」を挟んで牽牛社と織女社が鎮まることから七夕伝説発祥の地ともされています。『宗像大社・中津宮』の後は御嶽山(標高224m)登山で御嶽山山頂の御嶽神社を目指します。思いの外急な上り坂にて息が上がり休み休みの山登り。イノシシに注意との看板がやたら目につきアップアップで歩を進めました。ようやく視界が広がると「御嶽山展望台」に到着。九州本土側から沖ノ島を望む玄界灘の大パノラマが広がります。山頂の御嶽神社をお参りしひと息つきました。展望台でご一緒した皆さんはレンタル電動アシスト自転車利用の様子で颯爽と山を下っていきますが、私ひとりがウォーキング。次なるは大島の反対側の『宗像大社・沖津宮遙拝所』へ。長距離ウォークは苦ではないので揚揚と出発です。(続く)

【宗像大社 中津宮〔世界文化遺産〕】 




















天の真名井(あまのまない)




天の川




御嶽神社







御嶽山展望台













新原・奴山古墳群〔世界文化遺産(神宿る島)〕

2022年03月05日 | World Heritage in Japan
3月2~3日、FC東京福岡遠征にて『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』へ。
宗像大社・辺津宮の次に訪れたのは『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』の構成遺産のひとつである『新原・奴山古墳群』。沖ノ島祭祀を担い、沖ノ島に宿る神に対する信仰を宗像三女神信仰へと発展させた古代豪族、宗像氏の墳墓群です。5世紀から6世紀にかけて当時の入海に面した台地上に築かれた、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。長期にわたる様々な形態の古墳が集中して築かれていることが特徴で、台地上からは旧入海の田園とその向こうの玄界灘が見渡せ、海を意識してこの古墳が造られたことがわかります。台地中心部には、前方後円墳や大型円墳が造られ、その周辺に中小の円墳が分布。前方後円墳はヤマト王権とのつながりの強い有力者の墓であることを示すことから、王権のもとで朝鮮半島への航海や沖ノ島での祭祀を担うことによって勢力を拡大させた古代豪族宗像氏の性格をよく表す古墳群です。菜の花畑の中の古墳群巡りは、心地よき春の風に吹かれてのウォーキング。地元の皆さんの手作り感あふれる工夫を凝らした案山子と古墳群のコラボは、ほのぼのとしたものでした。ここでは『宗像三女神信仰』について触れておきます。『天照大神の御子神である田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)』の宗像三神は、天照大神の神勅によって宗像の地に降臨。その神勅は「あなたたち三神は、大陸との要衝である玄界灘に降臨し、歴代天皇を助け奉りなさい、そうすれば歴代天皇があなたたち(宗像三神)を祀るでしょう」との意で、宗像三神は皇室国家の守護神として、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(九州本土)の三宮に鎮まった』というもの。この宗像神を祀る神社は厳島神社(広島)、松尾神社(京都)、江ノ島神社(神奈川)など全国各地に6,200社を数えます。







































宗像大社・辺津宮〔世界文化遺産(神宿る島)〕

2022年03月04日 | World Heritage in Japan
3月2~3日、FC東京福岡遠征にて『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』へ。
新型コロナウィルスの影響で頓挫していた世界遺産巡りですが、今回は、平成29(2017)年7月に世界文化遺産に登録された『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』を訪問しました。『世界文化遺産・神宿る島(宗像・沖ノ島と関連遺産群)』は、福岡圏宗像市の沖合約60kmに浮かぶ沖ノ島を中心とする遺産群です。沖ノ島は、古代から現在に至るまで「神宿る島」として崇拝されてきました。島内には他に類を見ない古代祭祀遺産が残され、東アジア諸国間の活発な交流に伴って4世紀後半から9世紀末まで続いた航海安全に関わる祭祀のあり方を物語ります。世界遺産の構成遺産としては、宗像大社沖津宮(=沖ノ島・小屋島・御門柱・天狗岩)、宗像大社沖津宮揺排所、宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群となります。その内、沖ノ島は島全体が宗像大社沖津宮であり古代から人を寄せ付けぬ「神宿る島」として禁忌と共に守られてきました。沖ノ島の禁忌とは、①島で見聞きしたことを口外してはならない、②一木一草一石たりとも島から持ち出してはいけない、③入島する際は全裸になり海中で穢れをはらう禊をしなければならないとのこと。この禁忌にしたがって一般人は沖ノ島へ渡ることは許されず、ゆえに遙拝の伝統が継承されてきました。まずは、『宗像大社 辺津宮』をお参りしました。『宗像大社 辺津宮』は、九州本土に所在する宗像三女神信仰の拠点で、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を主神として祀っています。釣川沿いの旧入海に突き出た丘陵上の下高宮祭祀遺跡を起源として、その麓に社殿が造営されました。対外交易によって栄えた宗像大宮司家が信仰を司った中世の辺津宮境内には、第一宮(現在の本殿)、第二宮、第三宮をはじめとした社殿群が建ち並び、主要な構成要素は現在に引き継がれています。現在の本殿は最後の大宮司となった宗像氏貞によって、拝殿は当時筑前を領した小早川隆景によって16世紀末に再建されたもので、ともに国の重要文化財です。下高宮祭祀遺跡の一部は高宮祭場として整備され神事が行われているとのこと。文字通り小春日和のこの日の境内では、花婿花嫁さんの写真撮影が行われていたり、神聖な空気を感じることができました。また「神宝館」では沖ノ島で発掘された奉献品約8万点(すべて国宝)を収蔵・展示されており、訪れるまで全く見識のなかった「神宿る島・沖ノ島」を学ぶことができました。

【宗像大社 辺津宮〔世界文化遺産〕】 福岡県宗像市田島2331 
















摂末社


儀式殿



高宮祭場





第二宮(沖ノ島 沖津宮 御分霊) 第三宮(大島 中津宮 御分霊)







【神宝館】


金製指輪 (沖ノ島 8号遺跡出土)


金銅製龍頭 一対 (沖ノ島 5号遺跡出土)


三角縁四神文帯二神二獣鏡〔複製品〕 (沖ノ島 18号遺跡出土)


奈良三彩古壺 (沖ノ島 1号遺跡出土)


金銅製歩揺付雲珠 (沖ノ島 7号8号遺跡出土)


金銅製高機 (沖ノ島御金臓4号遺跡出土ミニチュア) ※本物は国宝



【海の道むなかた館】






知床峠~羅臼

2019年08月27日 | World Heritage in Japan
8月22日~23日、コンサドーレ札幌戦遠征の前のりで、世界自然遺産「知床」を訪れました。
『フレペの滝』のトレッキング後、「知床横断道路」を羅臼へ向かいます。天気予報とおり生憎の雨模様に。知床八景のひとつでもある「知床峠」は雲の中でした。この日は、地元の高校の知床横断ウォーキング行事なのでしょうか、ほぼ視界無き雲の中を、パトカーに付き添われた高校生の一団が「知床横断道路」を歩いていました。羅臼へ向けて峠頂上を越すと「熊の湯」へ。駐車場へ車を止めたものの、雨足が大変強く、原生林に沸く露天風呂への入浴はあきらめました。その変わりではないのですが、「知床国立公園ビジターセンター」に立ち寄りました。知床の自然を楽しむために必要な情報を発信している施設。体長7.6mのシャチの全身骨格は迫力がありました。また、知床の動物たち、ヒグマやエゾシカはもちろん、オジロワシ、オオワシ、シマフクロウやトドなどの剥製も興味深いものでした。そして、いよいよ羅臼の町へ。羅臼は、知床連山の東側に位置し、国後島を25km先に望む漁港の街。まずは「羅臼国後展望台」に登りました。残念ながら大きく見えるはずの国後島は拝むことはできませんでしたが、眼下の羅臼港を眺め、北方領土に臨む街を実感しました。道の駅"知床・らうす"で、お土産を物色。せっかくなので、国民的TVドラマ〝北の国から2012遺言〟のロケが行われた番屋を再現した「北の国から 純の番屋」で昼食。メニューが無い店なのですが、おばあちゃんと相談、"うに丼"に"ホッキ"のお刺身を大変美味しゅういただきました。当初予定の「ホエールウォッチング」がキャンセルとなリ、天候の回復も見込まれず、これにて『知床』散策は終了。本日宿泊地の網走市内観光へ、再び「知床横断道路」引き返すことにしました。1日半でしたが、世界自然遺産『知床』の景勝地を訪問し、船上クルージングに乗船観光、「知床五湖」「フレペの滝」のフィールドワークとまずまず充実し満足の『知床』の旅ができました。





〔知床峠〕 知床八景







〔羅臼ビジターセンター〕

















〔羅臼国後展望塔〕





〔純の番屋〕