崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

李杜鉉先生来宅

2005年10月16日 12時25分02秒 | エッセイ
 恩師の李先生が来宅した。先生は1922年韓国北部の咸境道の永興で生まれて1944年、日本名大宮杜夫として、日本軍に徴兵されて会寧で終戦を迎えた。その時、山上で日本人だけの会議が終わって、日本が負けたと聞かされた。そして自分たちとは行動を共にしなくても良いとも言われた。翌朝6時に全員が集合するようになっていたが集まらなかった。そこで日本軍服のままで5人の戦友をつれてそこから逃げて友だちの家に行き、朝鮮服に着替えてから歩いて会寧の自宅に到着した。戦友たちは何件かの家に分散して泊まってさらに歩いて南にある各自の家に帰っていった。その後先生は故郷で選ばれて銀行員、小学校の先生をして1946年ソウルに来てソウル大学師範学部に編入試験を受けた。その時面接官の先生は左翼の金起林先生だった。その先生が左翼で有名だったことを知らずに、面接のとき北朝鮮の悪口ばかり言ったので落ちると思ったが運よく合格した。
 足を痛くして歩けなくなった人を助けながら歩いたので暗くなったことが反ってソ連軍に見つからず、皆が助かった事、身体検査で乙種合格になったことが逆に満州に行かず会寧に徴兵されたこと、厳しい訓練のために死ぬかと思ったが満州の戦線での戦死をまぬかれたという宗教的な証のような話が興味深かった。