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かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

11.月下の罠 その4

2008-03-15 22:52:21 | 麗夢小説『麗しき、夢』
鎧武者は崇海の前まで馬を進めると、割鐘を乱打するような大音声で、堂々の名乗りを上げた。
「我こそは、桓武帝一三代の後胤にて刑部卿平忠盛が孫、平相国浄海入道清盛が末子、新四位少将平智盛なり!」
 突然、智盛が馬ごと紅蓮の炎を吹き上げたように人々には見えた。しかしそれこそ、平氏の平氏たる矜持を高らかに歌い上げる、真っ赤に染まった旗指物だったのである。智盛は、榊が負うた白旗に目をやると、一段と怒りの炎を全身から吹き上げた。
「源氏の下郎に見せるのも片腹痛いが、まずは我が手並みの程を見よや!」
 智盛は叫ぶと同時に弓を取って矢をつがえ、狙いをつける間もあればこそ、ひょうつばと矢を榊に放った。神速の、見本のような早業に、榊は瞬きする余裕すらなかった。十四束三ぶせという長い矢は一瞬にして宙を割き、ふつと兜の緒を切って、後ろの森に飛び去った。榊の頬から、今さっきまで肉体の一部だった無精髭の何本かが舞って月光にきらめき、すーっと赤い筋が一本、横様に浮かび上がったかと思うと、滲み出る血がつと頬を染めた。榊は、背筋にどっと冷や汗の滝を流したが、素知らぬ体で悠然と兜の紐を直して見せた。戦場に立つこと三十年、常に最前線で命のやりとりを続けてきた男の矜持がそれである。緒を結び終えた榊は、すうっと一つ深呼吸をすると、あらん限りの声張り上げて、大音声にも名乗りを上げた。
「やあやあ我こそは、昔朝敵将門討伐で勧賞こうぶり名を後代に上げたりし、俵の藤太秀郷が一手の大将、榊義綱に十代の後胤、下野の国の住人、榊太郎綱元が子、榊真一郎義親なり! さてこそ良き敵とお見うけいたす。いざ尋常に、勝負せい!」
 榊はとんと馬の腹を蹴った。ついさっき冷や汗をかいた榊はもうこの瞬間にはいない。この様な強者と組んでこそ武士の本懐よ、とばかりに右上段に長刀を構え、手綱を口にくわえて榊は突進した。円光、鬼童の制止の声も、榊の耳には届かなかった。だが、榊の気合いとは対照的に、智盛の方はいたって優雅に待ち受けていた。長刀を構えるわけでもなく、馬も半身に身をさらし、榊の突進を手招きするような具合である。榊は、憎らしいほどに余裕を見せる智盛に、なめられていると激怒した。
「加護あれ南無八幡大権現! でやあああああっ!」
 この時代、まだ刀槍剣術の類は無きに等しい。勢いこそが必勝の極意であり、気後れしたり、勢いを緩めるだけで、常人の戦は終わりなのである。それをあえて意識的に制御して、相手の勢を削ぐような戦い方は、既に別次元のものと言えた。例えば京五條橋の牛若丸がその好例であるが、榊は残念ながらそんな天才に開眼しているわけではない。が、長年戦乱の世に生きる武士としての生活が、榊の戦士としての質を、常人として得られる最高水準にまで高めていたのである。その常人としての最高の一撃が、無防備な智盛の頭上に襲いかかった。榊の狙いは、兜のしころをかいくぐった首筋である。激しいやりとりの中でさえ、滅多に外すことのない狙い目、ましてや相手が動かないとあっては、百戦錬磨の榊がそこを切り損なう訳がなかった。
「御しるし頂戴仕る! 覚悟!」
 袈裟掛けに切り込んだ榊の鋭鋒は、目標過たず智盛の首に刃を立てた。ひらひらと舞い散る落ち葉さえ、その刃に当たれば二つに分かれるほどに磨き上げた愛刀である。次の瞬間には智盛の首が、八条のそれと同じように天高く舞い上がることを榊は疑わなかった。
「何ぃっ!」
 そのまま首を跳ね飛ばそうとした長刀が、突然固まって動かなくなった。到底両断できぬ大木に切り込んだような衝撃が、榊の両手を痺れさせる。見ると、一瞬早く上がった智盛の左手が、がっちりと榊の長刀を押さえ込んでいるのである。
「ええい、離せ!」
 榊は智盛の手を振り払おうとその両の手に渾身の力を込めて叫んだが、智盛はまるで動じず、その目に軽侮の色を閃かせると、白柄の大長刀を右手一本で軽々と振り回し、大上段に榊に切りつけたのである。榊は咄嗟に長刀から手を離すと、腰の大刀を抜いた。鞘走った刀身がすんでの所でその切っ先を受けとめる。が、まださっきの衝撃が抜け切らぬ榊の腕にとって、その新たな一撃は十分すぎる威力だった。支えきれない、とみた榊は、寸毫の迷いもなく腰を鞍から外した。長刀の勢いを殺すように落馬した榊へ、新たな一撃が振り下ろされた。そこへ、主を失った馬が迷い込んだ。馬は落ちた主を見ていななこうと首を上げたが、その瞬間、馬のものとも思えぬ絶叫が夜のしじまを破った。愛馬の血漿を頭から浴びた榊は、初めてとんでもない相手と命のやりとりをしていたことを思い知った。智盛の長刀は、いともあっさりと鞍ごと馬を両断したのである。前と後ろに完全に等分され、変わり果てた愛馬の姿に、榊の感覚は恐怖というここ何年も味わったことのないもので塗りつぶされた。
 智盛は、平然として長刀を振るった。びしっと鋭い音と共に、刃に乗った馬の血が地面に突き刺さる。榊は自分でも気づかぬ内に後ずさりしていた。気づいたのは、背中が岩にぶつかったからである。榊は尻餅をついたまま、刀だけは青眼に構えた。そこへ、二つになった馬を蹴散ちらし、悠然と智盛が近づいてきた。呆然と見上げる榊に智盛は、奪い取った榊の長刀を放り投げるや、三度右手一本で長刀を振り上げ、榊の脳天に振り下ろした。
 ガンッ!
 智盛は確かすぎる手応えに目を剥いた。智盛の前から榊が消えたのだ。

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