「しっかりしなさい、榊殿!」
榊は、夢まだ醒めぬ心境で、自分を助けた墨染めの衣を見上げた。
「円光殿・・・」
「あの様な化け物に独りで突っ込んでいくとは、少々無理が過ぎまするぞ!」
ようやく正気を取り戻した榊は、面目ないと頭を下げた。
「だが、あの化け物め、一体どうすれば倒せるんだ?」
「智盛卿をまともに相手にしては、勝ち目がありませぬ。我らが戦うべき相手はあの祟海でござる」
円光は榊に肩を貸して立ち上がるのを手助けしながら、祟海の方を指さした。
「鬼童殿に合力し、祟海を倒して下され。私はそれまで、智盛卿を足止めいたす」
「しかし御坊独りで?」
心配げな榊に、円光はにっこりと笑顔を返した。
「何、倒そうというのはちと無理でしょうが、しばしその足を止める位なら何とかなり申す。ともかくも今は急いで!」
「あい分かった。だが、無理はせぬよう」
榊は自分のことは棚に上げて円光に注意を促すと、後ろ髪引かれる思いを叱咤して、鬼童の元に走った。智盛は、堂々の挑戦の末、見苦しくも背中を見せた榊に憤った。岩に食い込んだ長刀を強引に引き抜くとそのまま鞍に着け、再び弓を取り外すと、矢をつがえて弓を引いた。その智盛の馬前に、円光は双手を上げて立ちはだかった。
「智盛殿、拙僧、円光と申す修行中の身でござる。榊殿になり代わり、卿の御相手を仕る」
智盛は、相手の風体を一瞥して失笑した。円光も不敵に笑みをこぼした。無理もない。相手の堂々たる貴顕ぶりに対して、此方はどうひいき目に見てもみずぼらしさは拭えない。智盛は、そんな円光を無視して改めて榊に狙点を定めた。引き絞られた強弓の力を一身に得た矢は、智盛の指がはずれるのと同時にたちまち榊の首を射抜いてその頭をちぎり飛ばすかに見えた。
「きえええっ!」
円光は錫杖を突き上げた。そのきっ先が今にも飛び去ろうとする矢の中央を打ち砕いた。矢は二つになって天に向かって垂直に跳ね、忽ち二人の視界から消えた。これには智盛も驚いた。失笑にこぼれたその黒い歯が、たちまちきりりと引き締まった口に隠された。
(よかろう、相手になってくれようぞ)
智盛は弓をしまった。再び長刀を手にして構えた智盛に、円光は言った。
「参る!」
円光は全身をバネにして智盛に跳びかかった。
榊は鬼童と合流すると、佐々木源太も伴って祟海に向かった。祟海は洞窟の前で鬼童等を待っていた。いや、正確には鬼童一人を待っていたのだろう。自分を愚弄し、ペテンにかけた男をその手で引き裂くのが祟海の望みなのだ。それは究極の目標、徐福の秘法を手に入れるための、重要な序曲であるべきだった。
「観念しろ祟海! もはや逃れるすべはないぞ!」
荒々しくも言い放った榊は、言うと同時に太刀を向けた。智盛との激突で既にその刃はぼろぼろだったが、まだ年寄り一人を叩き殺す位は、榊の腕なら朝飯前である。佐々木、鬼童もその左右からそれぞれの得物を構えて間合いを詰めた。が、立ち向かう祟海は、他の二人には目もくれず、じっと鬼童の顔だけに、怒りの炎を吹きかけていた。
「祟海殿、智盛卿にかけた反魂の秘術を、今直ぐ解いていただこう」
鬼童はその視線に辟易しながらも、ことさら冷静を心がけて祟海に言った。どうもさっきから、鬼童は何かが胸に引っかかった。しかし、その自覚はあまりに漠然として、それが何なのかは見当もつかない。そんな鬼童の困惑を読みとったかのように、祟海はせせら笑った。
「愚か者め! わしがそんなまねをするかどうか、三才の童でさえ理解できようぞ! みだりに要らざる舌を動かすな!」
かっと見開いた祟海の目から、紅蓮の炎が吹き出したかのように鬼童は錯覚した。思わずたじろいだ鬼童に代わって、先程から無視され続けている榊がもう一度呼ばわった。
「祟海! もはや貴様には活路はないぞ! 大人しく縛につけ!」
「同じことばかり良く吼えるな、鎌倉の犬は」
祟海は、いかにもうるさげに目を細めた。
「じゃが、吠える犬ほど臆病と言うのは間違いないようじゃの。おめおめと一対一の勝負に背を向けるいさぎよさを、このわしにも期待するか?」
「なにっ!」
歯ぎしりする榊を見据えて、祟海は更に言い募った。
「まあ今ならまだ許してやると言いたいところじゃが、これ以上の邪魔立ては、いかに気の長いわしでも我慢の限界よのう。ここですっきり冥界の門を潜らせてやるから、いつまでも吠えてないでたまにはとっととかかってこい」
祟海の挑発に、まず佐々木源太が暴発した。この死に損ないめと飛びかかり、一刀の下に切り捨てようと討ちかかったのである。ところが祟海は、その外見からは想像できない軽やかさでその一撃をすっと避けた。
「ほれほれ、どこを切っているのじゃ? 東国のへっぽこ田舎侍め。無駄じゃよ、無駄!」
あざ笑われて佐々木の顔が真っ赤になった。今度こそと必殺の気合いで刀を振れば、まるで羽毛が宙に舞うかの如く祟海が避ける。しばし様子を見てと思っていた榊も、一向に功を奏しない部下の振る舞いに腹を立て、自ら激闘の最中に飛び込んだ。しかし、二人の強者に挟み撃ちにされても、祟海はかすり傷一つ負わなかった。鬼童は自分も加わろうとする気持ちを必死で押さえ、祟海が今使っているに違いない術を見破るのに躍起になった。何故、毛の立つ隙もないほどの剣撃の中で、祟海は悠然としていられるのか。
(何かあるはずだ。何か。良く見ろ、鬼童海丸!)
鬼童は祟海の皺一つ見落とすことさえないようにと目を見張った。その視界が、一瞬暗くなった。煌々と丑三つ時を照らしていた月が、偶然の、小さな雲に翳ったのだ。雲は直ぐにまたいずかたと知れず流れ去り、再び広場は昼のような明るさを取り戻した。月はもう随分西に下りてきているため、地上には様々なものが長い影を描いている。石ころ、草木、そして榊や鬼童自身の影。特に榊と佐々木の影は、本体の激しい動きを忠実に再現して、二次元の乱舞を演じている。この時鬼童は、ふとおかしい、と引っかかった。必死に切り込む二人と、その姿を映し出す黒い影。かげ?
「分かったぞ!」
鬼童の驚きの叫びは榊にも届いた。
「何が分かったんだ、鬼童殿!」
鬼童は興奮した気持ちを抑えきれずに叫んだ。
「榊殿、しばし手を休めて地面をご覧なさい!」
榊は一歩間合いをはずし、視線を地面に投げかけた。が、戦いに気を取られている余り、鬼童に見えたものが、榊には見えない。鬼童は歯がゆさに耐えきれずにもう一度言った。
「良く見て下さい! 祟海の影を!」
今度は佐々木も下を向いた。そして二人同時に祟海を見、また地面の方へ目をやった。
「こ、こいつ、影が無いぞ?!」
佐々木源太の素っ頓狂な声に、祟海はげらげらと大笑いしてそれに答えた。
「愚か者が、今頃気づいたか!」
「くっ、鬼童殿、こいつは!」
「そいつは幻です! 実態は別にあって、それを操っているのです!」
「ふふふ、良く気づいたとほめてやろう。もっとも、貴様がほめられるのは、これが最後だと思え」
声のする洞窟の方を振り向いた榊等は、そこに立つ人物を見てあっと驚いた。今、目の前で戦っていたのと寸分違わない墨染め衣が現れたのである。同時に円光と切り結んでいた智盛が、さすがに驚く円光の隙を突き、一足飛びに祟海の元まで退いた。
「ふふ、あのまま八条に殺されていた方がよほど楽じゃったろうて。だがもう遅い。貴様等が貴重な時間を費やしてくれたおかげで、わしの方はもうすっかり準備が整ったよ。礼を言うぞ。ふぁっはっははは」
「ええい、貴様が本体なら貴様を倒すまでのこと!そこな動くな!」
色めき立った榊をあからさまな軽蔑のまなざしで見下した崇海は、絶対優位を確信して節くれだった指を榊に突き出した。
「愚か者め、遂にのっぴきならぬ死地に踏み込んだとも知らず、助命を請うならまだしもこのわしを倒すだと? よかろう、今見せてやる。絶望の恐怖にのたうってから死ぬがいい!」
祟海はそのまま右手を天に突き出して、一つの呪文を紡ぎだした。途端に周りの草木ががさがさと蠢 きだし、榊達はまた幻覚かと緊張した。が、やがて木々を割って現れたのは、疑い様のない実体だった。
「お、お前達、もう良くなったのか?」
榊が目を丸くして、一瞬なりとも喜んだのも無理からぬ所だった。次々と森から現れる彼等は、皆毒に倒れたはずの榊の郎党衆だったからである。笑顔で近づこうとした榊の手を、円光が引き留めた。
「お待ちなさい。様子がおかしい」
言われて初めて榊もその異常に気がついた。
(なんだ、あの動きは?)
それは、百人の人間が演じる奇怪な舞踊だった。焦点の定まらぬ虚ろな目、或いは引きずり、或いは無意味なほどに跳ね上げる足、前に突き出され、後ろに反らし、自然とはほど遠い動きを見せる腕、ある者はまっすぐに進むことさえ出来ずに隣を巻き込んで倒れ、ある者は不意に立ち止まったかと思うと突き飛ばされてまた歩み出す。それは、一人として揃わない混沌の軍団だった。
「お前達、どうした? しっかりせんか! 命令だ、止まれ!」
半ば恐怖に駆られながらも、なおも皆が正気に返ることを期待して榊は言った。だが、強い口調の命令も、この百人には届かなかった。歩みこそ遅々としてはいたが、全く止まる素振りも見せぬまま、一歩、また一歩と榊達との間合いを詰めてくるのだ。榊は、祟海の仕業に違いないと直感した。
「貴様! わしの部下に、何をした!」
「ふん、少しばかり悪い夢を見てもらっているのじゃよ。主殺しと言う悪夢をな」
言い終わってひとしきり狂ったように笑う祟海の背後から、意識無き殺人者の群と化した郎党達とそっくりな目をした美衆恭章等村人達が、たいまつを手に現れた。彼等が祟海を中心に左右に別れ、一定の幅で道を作ると、更に洞窟から残りの村人達が総出で綱を取り付けた岩の塊を引きずりだした。祟海は、顎をしゃくってその塊を目の前に据えさせた。
(まさかあれは・・・。いや、そうに違いない!)
その鬼童の心中を見透かしたように、祟海は言った。
「気になるか、この岩が。よかろう。冥土のみやげに教えてやろう。これが貴様も欲していた、徐福の秘法を封印した入れ物、すなわち徐福の首じゃ」
「な、徐福の首?!」
そんな物があったのか! 鬼童は改めて目を見張った。これが、自分が追い求めていた物なのか。鬼童は、勿論今の今まで、自分が探していた物の形を知らなかった。が、今ここにこうして目の前に現れたそれは、予想を微妙にはずれた違和感を鬼童に覚えさせた。或いは鬼童は、無意識にその岩が放つ邪悪な気配に感づいたのかも知れない。だが、鬼童にそれを吟味する余裕は無かった。
「ふっふっふっ、後ろの百人にねじり殺されながら、この岩が開くのを見ているがいい。もっとも、それまで持つとは思えんがな。はぁーっはっはっはっ!」
「待て祟海! まだその秘法を開くための鍵が分からないはずだぞ!」
鬼童の自身を忘れた問いかけも、祟海にはせせら笑うための材料にしかならなかった。
「馬鹿め、開かない鍵なら、ぶち壊してしまえばいいんじゃ。智盛!」
祟海は、背後に控える形でじっと出番を待っていた男を呼んだ。
「さあ、その草薙の剣を抜くがいい! そしてこの岩の封印を、たたき壊すのじゃあ!」
既に百人は鬼童等四人を中に取り込め、身動きもままならぬように囲んでいた。鬼童は、もう何も成す術もなく、祟海のすることを見ているより無かったのである。
「目を覚ませ、お前等! 遠藤! 新田! 正岡! 悪太郎! 総兵衛! 目を覚まさんか!」
榊はあきらめずに叫び続けたが、遂にそんな譲歩の余地は失われた。百人と四人の間には、もう半歩の隙すら無いのである。
「やむをえん!」
榊は拳を握りしめると、満身の力を込めて手近の一人に殴りかかった。いきなり顎を砕かれた一人が仰向けに飛んで、五人ほどを巻き込んで派手に倒れた。佐々木と円光もそれに加わった。
相手は殴る分にはまるで抵抗を示さないので面白いようにひっくり返る。しかし、なんの痛みも感じていないのか、再びゆっくりと起きあがると、一時的に空いた戦列の穴を、じわじわと埋めてしまうのだ。
「くそっ! きりがないぞ! ええい、いい加減目を覚さんか!」
だが奮闘むなしく遂に佐々木が捕まった。懇意にしている目上の古参武士にためらった隙を突かれたのだ。佐々木は袖を取られて前につんのめったかと思うと、たちまち人波に飲まれて姿が消えた。
「助けてくれ! 助け・・・」
わずかに残った悲鳴も、口に手を突っ込まれたのかたちまちにかき消えた。
「ええい、どけ、どかんか!」
佐々木を助けようと敢えて群衆に飛び込んだ榊も、三歩も進まない内に郎党衆に身体中まとわりつかれ、身動きできなくなった。円光、鬼童も、更に縮まった包囲網の中で、無念の歯ぎしりをするばかりだった。円光の頭に、あの麗夢と名乗る少女の姿が浮かんだ。円光は思わずその幻影に詫びた。
(あなたをお守り申し上げようと決心したが、どうやら果たせそうにない。わが身の不徳と致すところ、平に勘弁召されよ)
円光は目を閉じて頭をたれた。その上から、郎党衆の肉体が、次々と覆い被さるようにして、円光と鬼童を埋めていった。
榊は、夢まだ醒めぬ心境で、自分を助けた墨染めの衣を見上げた。
「円光殿・・・」
「あの様な化け物に独りで突っ込んでいくとは、少々無理が過ぎまするぞ!」
ようやく正気を取り戻した榊は、面目ないと頭を下げた。
「だが、あの化け物め、一体どうすれば倒せるんだ?」
「智盛卿をまともに相手にしては、勝ち目がありませぬ。我らが戦うべき相手はあの祟海でござる」
円光は榊に肩を貸して立ち上がるのを手助けしながら、祟海の方を指さした。
「鬼童殿に合力し、祟海を倒して下され。私はそれまで、智盛卿を足止めいたす」
「しかし御坊独りで?」
心配げな榊に、円光はにっこりと笑顔を返した。
「何、倒そうというのはちと無理でしょうが、しばしその足を止める位なら何とかなり申す。ともかくも今は急いで!」
「あい分かった。だが、無理はせぬよう」
榊は自分のことは棚に上げて円光に注意を促すと、後ろ髪引かれる思いを叱咤して、鬼童の元に走った。智盛は、堂々の挑戦の末、見苦しくも背中を見せた榊に憤った。岩に食い込んだ長刀を強引に引き抜くとそのまま鞍に着け、再び弓を取り外すと、矢をつがえて弓を引いた。その智盛の馬前に、円光は双手を上げて立ちはだかった。
「智盛殿、拙僧、円光と申す修行中の身でござる。榊殿になり代わり、卿の御相手を仕る」
智盛は、相手の風体を一瞥して失笑した。円光も不敵に笑みをこぼした。無理もない。相手の堂々たる貴顕ぶりに対して、此方はどうひいき目に見てもみずぼらしさは拭えない。智盛は、そんな円光を無視して改めて榊に狙点を定めた。引き絞られた強弓の力を一身に得た矢は、智盛の指がはずれるのと同時にたちまち榊の首を射抜いてその頭をちぎり飛ばすかに見えた。
「きえええっ!」
円光は錫杖を突き上げた。そのきっ先が今にも飛び去ろうとする矢の中央を打ち砕いた。矢は二つになって天に向かって垂直に跳ね、忽ち二人の視界から消えた。これには智盛も驚いた。失笑にこぼれたその黒い歯が、たちまちきりりと引き締まった口に隠された。
(よかろう、相手になってくれようぞ)
智盛は弓をしまった。再び長刀を手にして構えた智盛に、円光は言った。
「参る!」
円光は全身をバネにして智盛に跳びかかった。
榊は鬼童と合流すると、佐々木源太も伴って祟海に向かった。祟海は洞窟の前で鬼童等を待っていた。いや、正確には鬼童一人を待っていたのだろう。自分を愚弄し、ペテンにかけた男をその手で引き裂くのが祟海の望みなのだ。それは究極の目標、徐福の秘法を手に入れるための、重要な序曲であるべきだった。
「観念しろ祟海! もはや逃れるすべはないぞ!」
荒々しくも言い放った榊は、言うと同時に太刀を向けた。智盛との激突で既にその刃はぼろぼろだったが、まだ年寄り一人を叩き殺す位は、榊の腕なら朝飯前である。佐々木、鬼童もその左右からそれぞれの得物を構えて間合いを詰めた。が、立ち向かう祟海は、他の二人には目もくれず、じっと鬼童の顔だけに、怒りの炎を吹きかけていた。
「祟海殿、智盛卿にかけた反魂の秘術を、今直ぐ解いていただこう」
鬼童はその視線に辟易しながらも、ことさら冷静を心がけて祟海に言った。どうもさっきから、鬼童は何かが胸に引っかかった。しかし、その自覚はあまりに漠然として、それが何なのかは見当もつかない。そんな鬼童の困惑を読みとったかのように、祟海はせせら笑った。
「愚か者め! わしがそんなまねをするかどうか、三才の童でさえ理解できようぞ! みだりに要らざる舌を動かすな!」
かっと見開いた祟海の目から、紅蓮の炎が吹き出したかのように鬼童は錯覚した。思わずたじろいだ鬼童に代わって、先程から無視され続けている榊がもう一度呼ばわった。
「祟海! もはや貴様には活路はないぞ! 大人しく縛につけ!」
「同じことばかり良く吼えるな、鎌倉の犬は」
祟海は、いかにもうるさげに目を細めた。
「じゃが、吠える犬ほど臆病と言うのは間違いないようじゃの。おめおめと一対一の勝負に背を向けるいさぎよさを、このわしにも期待するか?」
「なにっ!」
歯ぎしりする榊を見据えて、祟海は更に言い募った。
「まあ今ならまだ許してやると言いたいところじゃが、これ以上の邪魔立ては、いかに気の長いわしでも我慢の限界よのう。ここですっきり冥界の門を潜らせてやるから、いつまでも吠えてないでたまにはとっととかかってこい」
祟海の挑発に、まず佐々木源太が暴発した。この死に損ないめと飛びかかり、一刀の下に切り捨てようと討ちかかったのである。ところが祟海は、その外見からは想像できない軽やかさでその一撃をすっと避けた。
「ほれほれ、どこを切っているのじゃ? 東国のへっぽこ田舎侍め。無駄じゃよ、無駄!」
あざ笑われて佐々木の顔が真っ赤になった。今度こそと必殺の気合いで刀を振れば、まるで羽毛が宙に舞うかの如く祟海が避ける。しばし様子を見てと思っていた榊も、一向に功を奏しない部下の振る舞いに腹を立て、自ら激闘の最中に飛び込んだ。しかし、二人の強者に挟み撃ちにされても、祟海はかすり傷一つ負わなかった。鬼童は自分も加わろうとする気持ちを必死で押さえ、祟海が今使っているに違いない術を見破るのに躍起になった。何故、毛の立つ隙もないほどの剣撃の中で、祟海は悠然としていられるのか。
(何かあるはずだ。何か。良く見ろ、鬼童海丸!)
鬼童は祟海の皺一つ見落とすことさえないようにと目を見張った。その視界が、一瞬暗くなった。煌々と丑三つ時を照らしていた月が、偶然の、小さな雲に翳ったのだ。雲は直ぐにまたいずかたと知れず流れ去り、再び広場は昼のような明るさを取り戻した。月はもう随分西に下りてきているため、地上には様々なものが長い影を描いている。石ころ、草木、そして榊や鬼童自身の影。特に榊と佐々木の影は、本体の激しい動きを忠実に再現して、二次元の乱舞を演じている。この時鬼童は、ふとおかしい、と引っかかった。必死に切り込む二人と、その姿を映し出す黒い影。かげ?
「分かったぞ!」
鬼童の驚きの叫びは榊にも届いた。
「何が分かったんだ、鬼童殿!」
鬼童は興奮した気持ちを抑えきれずに叫んだ。
「榊殿、しばし手を休めて地面をご覧なさい!」
榊は一歩間合いをはずし、視線を地面に投げかけた。が、戦いに気を取られている余り、鬼童に見えたものが、榊には見えない。鬼童は歯がゆさに耐えきれずにもう一度言った。
「良く見て下さい! 祟海の影を!」
今度は佐々木も下を向いた。そして二人同時に祟海を見、また地面の方へ目をやった。
「こ、こいつ、影が無いぞ?!」
佐々木源太の素っ頓狂な声に、祟海はげらげらと大笑いしてそれに答えた。
「愚か者が、今頃気づいたか!」
「くっ、鬼童殿、こいつは!」
「そいつは幻です! 実態は別にあって、それを操っているのです!」
「ふふふ、良く気づいたとほめてやろう。もっとも、貴様がほめられるのは、これが最後だと思え」
声のする洞窟の方を振り向いた榊等は、そこに立つ人物を見てあっと驚いた。今、目の前で戦っていたのと寸分違わない墨染め衣が現れたのである。同時に円光と切り結んでいた智盛が、さすがに驚く円光の隙を突き、一足飛びに祟海の元まで退いた。
「ふふ、あのまま八条に殺されていた方がよほど楽じゃったろうて。だがもう遅い。貴様等が貴重な時間を費やしてくれたおかげで、わしの方はもうすっかり準備が整ったよ。礼を言うぞ。ふぁっはっははは」
「ええい、貴様が本体なら貴様を倒すまでのこと!そこな動くな!」
色めき立った榊をあからさまな軽蔑のまなざしで見下した崇海は、絶対優位を確信して節くれだった指を榊に突き出した。
「愚か者め、遂にのっぴきならぬ死地に踏み込んだとも知らず、助命を請うならまだしもこのわしを倒すだと? よかろう、今見せてやる。絶望の恐怖にのたうってから死ぬがいい!」
祟海はそのまま右手を天に突き出して、一つの呪文を紡ぎだした。途端に周りの草木ががさがさと蠢 きだし、榊達はまた幻覚かと緊張した。が、やがて木々を割って現れたのは、疑い様のない実体だった。
「お、お前達、もう良くなったのか?」
榊が目を丸くして、一瞬なりとも喜んだのも無理からぬ所だった。次々と森から現れる彼等は、皆毒に倒れたはずの榊の郎党衆だったからである。笑顔で近づこうとした榊の手を、円光が引き留めた。
「お待ちなさい。様子がおかしい」
言われて初めて榊もその異常に気がついた。
(なんだ、あの動きは?)
それは、百人の人間が演じる奇怪な舞踊だった。焦点の定まらぬ虚ろな目、或いは引きずり、或いは無意味なほどに跳ね上げる足、前に突き出され、後ろに反らし、自然とはほど遠い動きを見せる腕、ある者はまっすぐに進むことさえ出来ずに隣を巻き込んで倒れ、ある者は不意に立ち止まったかと思うと突き飛ばされてまた歩み出す。それは、一人として揃わない混沌の軍団だった。
「お前達、どうした? しっかりせんか! 命令だ、止まれ!」
半ば恐怖に駆られながらも、なおも皆が正気に返ることを期待して榊は言った。だが、強い口調の命令も、この百人には届かなかった。歩みこそ遅々としてはいたが、全く止まる素振りも見せぬまま、一歩、また一歩と榊達との間合いを詰めてくるのだ。榊は、祟海の仕業に違いないと直感した。
「貴様! わしの部下に、何をした!」
「ふん、少しばかり悪い夢を見てもらっているのじゃよ。主殺しと言う悪夢をな」
言い終わってひとしきり狂ったように笑う祟海の背後から、意識無き殺人者の群と化した郎党達とそっくりな目をした美衆恭章等村人達が、たいまつを手に現れた。彼等が祟海を中心に左右に別れ、一定の幅で道を作ると、更に洞窟から残りの村人達が総出で綱を取り付けた岩の塊を引きずりだした。祟海は、顎をしゃくってその塊を目の前に据えさせた。
(まさかあれは・・・。いや、そうに違いない!)
その鬼童の心中を見透かしたように、祟海は言った。
「気になるか、この岩が。よかろう。冥土のみやげに教えてやろう。これが貴様も欲していた、徐福の秘法を封印した入れ物、すなわち徐福の首じゃ」
「な、徐福の首?!」
そんな物があったのか! 鬼童は改めて目を見張った。これが、自分が追い求めていた物なのか。鬼童は、勿論今の今まで、自分が探していた物の形を知らなかった。が、今ここにこうして目の前に現れたそれは、予想を微妙にはずれた違和感を鬼童に覚えさせた。或いは鬼童は、無意識にその岩が放つ邪悪な気配に感づいたのかも知れない。だが、鬼童にそれを吟味する余裕は無かった。
「ふっふっふっ、後ろの百人にねじり殺されながら、この岩が開くのを見ているがいい。もっとも、それまで持つとは思えんがな。はぁーっはっはっはっ!」
「待て祟海! まだその秘法を開くための鍵が分からないはずだぞ!」
鬼童の自身を忘れた問いかけも、祟海にはせせら笑うための材料にしかならなかった。
「馬鹿め、開かない鍵なら、ぶち壊してしまえばいいんじゃ。智盛!」
祟海は、背後に控える形でじっと出番を待っていた男を呼んだ。
「さあ、その草薙の剣を抜くがいい! そしてこの岩の封印を、たたき壊すのじゃあ!」
既に百人は鬼童等四人を中に取り込め、身動きもままならぬように囲んでいた。鬼童は、もう何も成す術もなく、祟海のすることを見ているより無かったのである。
「目を覚ませ、お前等! 遠藤! 新田! 正岡! 悪太郎! 総兵衛! 目を覚まさんか!」
榊はあきらめずに叫び続けたが、遂にそんな譲歩の余地は失われた。百人と四人の間には、もう半歩の隙すら無いのである。
「やむをえん!」
榊は拳を握りしめると、満身の力を込めて手近の一人に殴りかかった。いきなり顎を砕かれた一人が仰向けに飛んで、五人ほどを巻き込んで派手に倒れた。佐々木と円光もそれに加わった。
相手は殴る分にはまるで抵抗を示さないので面白いようにひっくり返る。しかし、なんの痛みも感じていないのか、再びゆっくりと起きあがると、一時的に空いた戦列の穴を、じわじわと埋めてしまうのだ。
「くそっ! きりがないぞ! ええい、いい加減目を覚さんか!」
だが奮闘むなしく遂に佐々木が捕まった。懇意にしている目上の古参武士にためらった隙を突かれたのだ。佐々木は袖を取られて前につんのめったかと思うと、たちまち人波に飲まれて姿が消えた。
「助けてくれ! 助け・・・」
わずかに残った悲鳴も、口に手を突っ込まれたのかたちまちにかき消えた。
「ええい、どけ、どかんか!」
佐々木を助けようと敢えて群衆に飛び込んだ榊も、三歩も進まない内に郎党衆に身体中まとわりつかれ、身動きできなくなった。円光、鬼童も、更に縮まった包囲網の中で、無念の歯ぎしりをするばかりだった。円光の頭に、あの麗夢と名乗る少女の姿が浮かんだ。円光は思わずその幻影に詫びた。
(あなたをお守り申し上げようと決心したが、どうやら果たせそうにない。わが身の不徳と致すところ、平に勘弁召されよ)
円光は目を閉じて頭をたれた。その上から、郎党衆の肉体が、次々と覆い被さるようにして、円光と鬼童を埋めていった。
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