かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

3.仁徳天皇陵 その1

2008-04-27 20:41:45 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「ここが仁徳天皇陵か……」
 大阪府堺市。
 摂津、河内、和泉の三国の境界に位置する交通の要衝であり、戦国時代は、ベネツィアと並び称されるほどの貿易都市として栄華を極めた。織田信長の軍門に下るまでは、戦国大名達に互して自治と独立を維持した要塞都市。その血脈を今に伝え、現在も関西経済圏の重要な一角を占める、人口八〇万の大都市の中心部に、その小山は鎮座していた。
 ちょっと見には、ただこんもりした森に覆われた、小高い丘にしか映らない。あまりにスケールが巨大すぎるため、地上からその全体像をうかがうのが不可能なのだ。しかし、もし数百メートルほど垂直に登ることが出来れば、満々と水を湛えた最大幅一二〇mに達する巨大な内堀や、鬱蒼と茂る灌木によって緑の山と化した前方後円の偉容を目にすることが出来るはずだ。鍵穴、壺、昔の車などを模したとも言われる独特な形状の、全長四八〇m、全幅三〇〇m余の巨大な人工建造物。これが堺市が誇る世界最大の墓、仁徳天皇陵である。
 鬼童は、宮内庁、そして死んだはずの松尾によって強引に南麻布女子学園古代史研究部室を追い出された後、準備もそこそこに松尾データの検証の旅に出たのだった。あの、邪魔が入る寸前に松尾の残したフロッピーから拾い上げた謎の数値。一つ目と二つ目が緯度経度を表すことはほぼ間違いないとして、残る三つ目の数字の謎を解くには、現地に行ってみるよりない、と考えたのである。もちろん元のデータは既に灰燼に帰したが、あの時画面に映っていた数字の羅列は、今も鬼童の頭脳にしっかりと刻み込まれていた。「夢サーカス」の一件で、フランケンシュタイン公国でかいま見ただけの兵器をまさに本物そのままに再現して見せた鬼童の記憶力は、たかだか数十行のデータを取りこぼしたりはしなかった。その記憶を元に、鬼童は、全国に散らばるデータの中でも、最大級の数値が集中する関西、更にその中でもっとも大きな数値を示したこの仁徳天皇陵目指してはるばるやってきたのである。
「北緯三四度三三分、東経一三五度二九分、松尾のデータをそのまま読めば、三つ目の謎の数値がもっとも大きい所は、ここで間違い無いはずだが……」
 鬼童は、松尾のデータを落とし込んだ地図と目の前の仁徳陵とに目をやりながら歩き始めた。地図には、松尾データの緯度経度情報を元に、データの三つ目の数字を三段階に分類し、大きい順に三サイズの円で書き記してある。最大級を表すのが大きさ一センチの円で、ここ仁徳陵を中心として、履中天皇陵、反正天皇陵、百舌鳥陵墓参考地の御廟山古墳、西百舌鳥陵墓参考地のニサンザイ古墳など、わずか半径二キロの円内に集中している。更に東へ一〇キロ離れた日本第二の大きさを誇る応神陵を中心に日本武尊陵、仲哀天皇陵、允恭天皇陵、仲津姫皇后陵などの巨大古墳が集中する古市古墳群にも、大きな円が多数記されている。また、遠く東に屏風のごとく連なる生駒山地、葛城金剛山地の山並みを越えれば、日本最古の歴史が眠る奈良県の盆地になる。鬼童の地図では、その奈良のあちこちにも大小の円が重なり合うようにして印が打たれており、そのほぼ全てが古代の天皇陵、あるいは陵墓参考地に指定されているのである。
「あるいは松尾は、天皇陵を重点的に調査したのかも知れないな。どちらにしてもまずは実地調査だ」
 歩きながらも鬼童は、あまりに自然なその光景に、強い違和感を覚えていた。松尾のデータがもし霊的磁場の強さだとしたら、もう少し何か異常が感じられてもいいはずなのだ。あるいは麗夢さんや円光なら何か感じることが出来るのかも知れないが、それにしてもあまりに普通すぎる……。鬼童は周囲を見回した。関西圏の大都市らしく、ほとんど古墳の際まで住宅が建て込み、多数の人間が日々の営みをこの古墳周辺で送っているのが見て取れる。これだけ人が多ければ中には円光の千分の一くらい鋭敏な霊感を持つ人間だってそれなりにいるだろう。あるいは深夜のタクシー業者などが噂するような怪異な現象が頻発してもおかしくない。だが、少なくともネットで検索してみた限り、その様な妖しい噂は片鱗もこの周辺では認められなかった。この光景を見る限り、あの松尾データの方が何かおかしいのではないか、とさえ、鬼童ですら思うくらいである。
「ひょっとして強力な結界が張ってあるのかも知れんな。平智盛は夢見人形が結界の役目を果たしていたし、「闇の皇帝」も、あっぱれ四人組が麗夢さんの力を必要としたほど強力な結界で抑え込まれていた。となると、ここも結界を構成していても不思議ではない」
 鬼童が外堀に沿ってしばらく行くと、右手に幅広い橋が現れ、その先に大きな参道が繋がっているのが見えた。そのはるか奥に、小さな鳥居が柵に囲われている。仁徳陵拝所である。一般人が入れるのはこの拝所までで、鳥居の際から広大な内堀が広がり、禁制の聖域となっていた。
「せめて古墳の方に上がれたら何か判るかも知れないが……。ん? あれは何だ」
 外堀を渡り、次の中堀に差し掛かったところで、鬼童は眼下の水面に気を取られた。近づいて左手の欄干に身を乗り出す。

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