かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

「河野談話」は所詮『高度な?政治的判断』の所産にすぎないものだったということですね。

2014-06-18 20:17:09 | Weblog
 昨日は疲れが酷く感じられたので早々に午後10時過ぎには床に入ったのですが、瞬く間に意識が落ちて、朝まで目が覚めませんでした。どうも本格的に疲れが溜まってきていたのか、朝も快適な目覚めとは言いがたく、叶うことならもう少し寝ていたかったです。今はとにかくこの疲れが病気に移行したりしないよう注意深く休息を意識的に取るように心がける位ですが、それにしても何故今こんなに疲労が蓄積しているのか、よく判らなかったりします。昨日の疲弊も、その前からの疲労の蓄積の上にかぶってきたために酷く感じられた面もありそうですこの間の土日はそれをある程度意識して時間を潰したつもりだったのですが、これは相当根が深いものではなかろうかとも思われます。少し、考え方を変えて疲労回復に取り組む必要があるかもしれませんね。

 さて、日韓関係のガンとでもいうべき「河野談話」について、その作成過程に関する検証が進められているとの話を聞いておりましたが、20日に衆議院予算委員会理事会に提出される報告書の内容の一部が、リークされたようです。その報道によると、河野談話の内容について日本側と韓国側が発表前に綿密なやりとりを行い調整していたこと、慰安婦に対する聞き取り調査も、「儀式」と表現されており、真実を明らかにするというよりは、「一応やることはやりましたよ」という官僚主宰の公聴会みたいなもので、談話作成にはあまり影響しなかったとの見解が示されているのだそうです。
 「河野談話」というしろものも、当時の内外の政治状況や日韓関係など、複雑な条件の中からそれなりに最良の解を求めようとして生み出されたんじゃなかろうか、と好意的に解釈したとしても、安易に韓国に媚びるような真似はやはりやるべきではなかったのでしょう。それに、慰安婦問題はあのような偽善と欺瞞に満ちた、臭い物に蓋、のような安易なやり方で片付けて良い問題では無いのではないでしょうか。もし本当に苦しんだ人がいたのであれば、こんな手打ちは失礼以外の何物でもないでしょうし、居なかったとしたら何のためにしたことなのか、あまりの空々しさに怒りすら湧いてきません。今ならまだ検証し直すことも不可能でな無いはずです。その結果として確かに間違いなく我が国が国家の意思と能力を持って、朝鮮半島の人々、特に女性の方々に多大な害を与えていたという事がはっきりしたのなら、それを謝罪し罪を償うのに、日本国民なら誰一人反対などしないでしょう。この際徹底的にやってみればよいと私は思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする