ぴしっ!
小さな、しかし全員の肝を冷やすには十分な鋭い音が、一番手前の水晶から起こった。途端に残る七つにも次々に亀裂が生じ、完全な球状だった結界の光が、大きく波打ちだした。水晶の振動は益々激しさを増し、最初にひび割れた水晶が、一瞬強い光を発したかと思うと、パン、と小さな砂粒と化して砕け散った。一角が崩れた結界は力の安定を失い、一気に崩壊した。目を焼く閃光が辺りを真っ白に漂白し、鬼童らは視力を失ってただ呆然と立ち尽くした。同時に、三人の耳は天に轟く哄笑に満ちた。
「ふははははは! さらばじゃ! これより徐福の封印した「夢」を解き放ち、その力を手に入れた記念に、まずこの村から血祭りに上げてくれようぞ! おのれら、首を洗って待っているがいい! ふわはははは!」
やがて辺りが月の柔らかい光を取り戻した時、ようやく見えるようになった三人の目は、崇海と鎧武者の姿を探してしばし虚しくさまよった。
「どうやら、退却したようですな」
円光のそれは、言外にこれからどうするのか、と言う問いかけも含んでいた。
「追いましょう!」
断固たる決意で、榊は言った。奴等が一戦もせずに立ち去ったのは、こちらの備えに少なからず動揺した為に他ならない。ここは立ち直る隙を与えず、一揉みに押して叩くべきである。どちらかと言えば慎重派の榊が、あえて主戦論を説くのも事情があった。あの鎧武者がどうも智盛らしいとの疑いが濃厚になった以上、職務から言ってもこれを無視することはできないし、毒に当てられた郎党衆が回復するまで待っていては、逃げられてしまうかも知れない。現有戦力だけでも榊、円光、鬼童、それに佐々木源太を含む四人の郎党と相手の三倍の人数がある。やって勝てないはずはない。鬼童も榊の積極論に同調した。鬼童は崇海の捨て台詞が気にかかっている。できるかどうかは判らないが、崇海は徐福の「夢」なるものを解放すると宣言したのだ。鬼童としては、どうしてもそれは阻止しなければならなかった。対する円光は珍しく慎重だった。草薙の剣の力を目の当たりにした円光としては、今何の策もなく戦いを仕掛けるのはかなり無謀に思えた。そのことを告げると榊は腕を組んで鬼童を見た。鬼童は少し考える風だったが、やがて円光にこう言った。
「先程、御坊はあの鎧武者が生者ではない、と仰りましたね」
円光はうなずいた。
「確かに。八条殿が事切れたおかげで、はっきりと判り申した。何か怪しげな術に操られているようだと、そう感じた」
「ふうむ」
鬼童は右手を顎に当てて円光の言葉を反芻していたが、やがてさっきから考えていたことを、二人の前に開陳して見せた。
「円光殿は、反魂の術というのをご存じ無いか」
「反魂の術? あの死者をよみがえらせるという外法のことか? しかしあれは話だけで、実際にはまず出来ぬと師にうかがったことがあるが。まさか!」
「そう、かつて、西行法師が蝦夷地を旅する途中、寂しさをまぎらわすのにかたわらの髑髏を用いて試みたことがあるそうですが、形こそ人になったものの、心が無い獣のようなものになったとのことでした。私もその存在には半信半疑でしたが、上古その成功例が無かったわけではないのです。崇海はもしや、その術を極め、死者を使役しているのではないか?と私は思います」
「うむ、それならあの武者に生気がなかったとしても不思議ではない」
「ならばです」
鬼童は力強く円光に言った。
「術者を倒せば、自ずと術も解け、鎧武者も再び死人の列に戻るのではないでしょうか?」
「成る程。鎧武者を相手にせず、崇海一人を倒せば、鎧武者も倒れるという訳か。それなら何とかなるんではないか?」
榊は手を打って喜んだ。八方ふさがりの状況に、わずかながら月の光が差し込んだように思えたのである。
「それに、たとえ草薙の剣を操ったとはいえ、あの結界崩壊の中で無傷でいられるはずはありません。やはり、攻撃するなら今です。円光殿」
鬼童の言葉に榊も賛同する。二人に迫られては、円光も全く譲歩しないわけにもいかなかった。
「判りました。では参りましょう」
「急ぎましょう! 崇海は、きっとあの鍾乳洞に戻ったに違いありません」
榊はさっそく馬を用意した。七人が支度を整えて美衆邸を駆け出したとき、月は既に中天から西へと傾いて、一行の足下に僅かに長い影を引きつつあった。
小さな、しかし全員の肝を冷やすには十分な鋭い音が、一番手前の水晶から起こった。途端に残る七つにも次々に亀裂が生じ、完全な球状だった結界の光が、大きく波打ちだした。水晶の振動は益々激しさを増し、最初にひび割れた水晶が、一瞬強い光を発したかと思うと、パン、と小さな砂粒と化して砕け散った。一角が崩れた結界は力の安定を失い、一気に崩壊した。目を焼く閃光が辺りを真っ白に漂白し、鬼童らは視力を失ってただ呆然と立ち尽くした。同時に、三人の耳は天に轟く哄笑に満ちた。
「ふははははは! さらばじゃ! これより徐福の封印した「夢」を解き放ち、その力を手に入れた記念に、まずこの村から血祭りに上げてくれようぞ! おのれら、首を洗って待っているがいい! ふわはははは!」
やがて辺りが月の柔らかい光を取り戻した時、ようやく見えるようになった三人の目は、崇海と鎧武者の姿を探してしばし虚しくさまよった。
「どうやら、退却したようですな」
円光のそれは、言外にこれからどうするのか、と言う問いかけも含んでいた。
「追いましょう!」
断固たる決意で、榊は言った。奴等が一戦もせずに立ち去ったのは、こちらの備えに少なからず動揺した為に他ならない。ここは立ち直る隙を与えず、一揉みに押して叩くべきである。どちらかと言えば慎重派の榊が、あえて主戦論を説くのも事情があった。あの鎧武者がどうも智盛らしいとの疑いが濃厚になった以上、職務から言ってもこれを無視することはできないし、毒に当てられた郎党衆が回復するまで待っていては、逃げられてしまうかも知れない。現有戦力だけでも榊、円光、鬼童、それに佐々木源太を含む四人の郎党と相手の三倍の人数がある。やって勝てないはずはない。鬼童も榊の積極論に同調した。鬼童は崇海の捨て台詞が気にかかっている。できるかどうかは判らないが、崇海は徐福の「夢」なるものを解放すると宣言したのだ。鬼童としては、どうしてもそれは阻止しなければならなかった。対する円光は珍しく慎重だった。草薙の剣の力を目の当たりにした円光としては、今何の策もなく戦いを仕掛けるのはかなり無謀に思えた。そのことを告げると榊は腕を組んで鬼童を見た。鬼童は少し考える風だったが、やがて円光にこう言った。
「先程、御坊はあの鎧武者が生者ではない、と仰りましたね」
円光はうなずいた。
「確かに。八条殿が事切れたおかげで、はっきりと判り申した。何か怪しげな術に操られているようだと、そう感じた」
「ふうむ」
鬼童は右手を顎に当てて円光の言葉を反芻していたが、やがてさっきから考えていたことを、二人の前に開陳して見せた。
「円光殿は、反魂の術というのをご存じ無いか」
「反魂の術? あの死者をよみがえらせるという外法のことか? しかしあれは話だけで、実際にはまず出来ぬと師にうかがったことがあるが。まさか!」
「そう、かつて、西行法師が蝦夷地を旅する途中、寂しさをまぎらわすのにかたわらの髑髏を用いて試みたことがあるそうですが、形こそ人になったものの、心が無い獣のようなものになったとのことでした。私もその存在には半信半疑でしたが、上古その成功例が無かったわけではないのです。崇海はもしや、その術を極め、死者を使役しているのではないか?と私は思います」
「うむ、それならあの武者に生気がなかったとしても不思議ではない」
「ならばです」
鬼童は力強く円光に言った。
「術者を倒せば、自ずと術も解け、鎧武者も再び死人の列に戻るのではないでしょうか?」
「成る程。鎧武者を相手にせず、崇海一人を倒せば、鎧武者も倒れるという訳か。それなら何とかなるんではないか?」
榊は手を打って喜んだ。八方ふさがりの状況に、わずかながら月の光が差し込んだように思えたのである。
「それに、たとえ草薙の剣を操ったとはいえ、あの結界崩壊の中で無傷でいられるはずはありません。やはり、攻撃するなら今です。円光殿」
鬼童の言葉に榊も賛同する。二人に迫られては、円光も全く譲歩しないわけにもいかなかった。
「判りました。では参りましょう」
「急ぎましょう! 崇海は、きっとあの鍾乳洞に戻ったに違いありません」
榊はさっそく馬を用意した。七人が支度を整えて美衆邸を駆け出したとき、月は既に中天から西へと傾いて、一行の足下に僅かに長い影を引きつつあった。