かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

13.高原の秘密 その5

2008-01-23 22:18:16 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
研究室のドアを蹴破るように飛び出した高原は、まっすぐ中央ホールのエレベーターに向かった。一歩一歩、革靴を床にのめり込ましかねないほどに、足に力を込めて歩く。ことここに至るまでは全く順調に進んでいたというのに、一体どこでどう狂ってしまったのか、いくら考えてみても高原には理解できなかった。そして、その事が余計に高原の怒りに油を注いだ。思わず右手が、白衣の右ポケットから何かを探し出そうと無意識にまさぐり、何かを掴んだ瞬間、高原ははっと気がついて手を抜いた。遙か昔、あの唯一無二の存在を失って以来止めていた煙草を探していることに、ふと気がついたのだ。だが、掴み出したものを見た瞬間、再び高原の怒りは頂点を飛び抜け、満身の力を込めてその手の中のものを握りつぶした。それまで小さなLEDの点滅を見せていた小さな機械、盗聴器と、セキュリティーキーとそっくりな大きさのプラスチック製「夢見小僧犯行予告カード」が、音を立てて単なる無機物へと姿を変える。それだけでは飽きたらず、すでに原型をとどめないそれらを思い切り壁に投げつけた高原は、ようやく上がってきたエレベーターに乗り込んだ。おもむろに操作パネルに指を伸ばす。だがその指は、行き先階の選択キーを通り過ぎ、そのまますっと1のボタンの下まで動いた。高原の指が、一見何もないパネルをとんとんと叩き、すっと引く。
 何も変化が無い。
 途端に高原の右手が拳を作り、手近なエレベーターの壁を殴りつけた。思わず震えるエレベーターの中で、高原は今度は慎重に、もう一度同じ動作でパネル上に指を滑らせた。最後にトン、とパネルを叩いたところで再び手を一旦離す。すると、今度はちゃんと間違いなく出来たようだ。そこに新たなタッチキーの枠が白い光に浮かび上がり、Bという文字盤が現れたのである。それは、高原と吉住など、研究所でもごく少数の許された者しか知らないシークレットフロアだった。肉眼では判らないようパネル上に設置されたタッチキーに触れる回数とリズムで暗号化されており、ちゃんと暗号通りセンサーに入力しないと現れない。高原は怒りの余り滅多にやらないミスを犯したため、二度もやる羽目になってしまったのである。だが、もう大丈夫だ。高原はやっと満足げににやりと笑うと、新たに現れた『B』のキーにぐいと指を押し付けだ。エレベーターがようやく命令を受領して、扉を閉じた。不快なGが身体を包んだが、高原は、今自分がゆがめてしまった壁面に凄みの籠もった笑みを映していた。
 地階に到着して扉が開いた時、高原は一気に自分の結界フィールドを極限まで広げた。もう誰一人逃げることは出来ない。今夜中に全てのケリを付け、おかしくなった軌道を修正して、改めて、夢が無くなった至福のパラダイスを築き上げるのだ。
 エレベーターを降りた高原は、現実世界における戦闘衣装から、夢世界でのそれへと姿を変えた。すなわち、白衣姿が一瞬で古色蒼然とした西洋甲冑へと変化したのだ。そして、すっと伸ばした右腕から突如生え延びるかのように、刃渡り二メートルを超える幅広の大剣が姿を現した。柄を握り締めた高原は、軽々と片手でその大剣を振り回し、久しぶりの感触に血が沸騰するのを意識した。
「待っていろよ小娘共。私の邪魔をするということがどういう結果を招来するか、疑問の余地無く学習してもらおう」
 ドリームジェノミクス社とナノモレキュラーサイエンティフィックとを繋ぐ秘密地下通路に、はじめて甲冑の足音が響き渡った。
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13.高原の秘密 その4

2008-01-20 20:46:14 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「エピジェネティックか。なるほど、興味深い説ではあるな。夢魔遺伝子に関与するエピジェネティック暗号については全く未解明だし、検討する余地は確かにある。しかし、その最後の大異変、恐らくハルマゲドンなどと言うつもりなんだろうが、それはあまりにも荒唐無稽な仮定だし、夢が夢魔の入り口である以上、それを閉ざすのがもっとも早道だという点は、君も否定できなかったな。やはり私は、計画を実行することにする。まず人類から夢を無くす。遺伝情報の解析は、それからでも遅くない」
「ちょっと待ってください。一体どうやって全人類の遺伝情報を変更しようと言うんです? 遺伝子治療なんて、そう関単に出来るはずが・・・」
「それが出来るんだよ、鬼童君。インフルエンザウィルスを使えばね」
「インフルエンザ?」
「風邪の、インフルエンザ?」
 麗夢達が首を傾げる間に、鬼童の顔が見る間に青ざめていった。
「き、危険だ! 危険すぎる!」
「心配いらない。毒性は充分落としてあるし、伝染性は申し分ない。全人類を対象にしたベクターとして、これほど優れたウィルスは無いだろう?」
「で、でも、万一猛毒の株に変異したらどうするんです?」
「一定時間で失活するようにプログラムを組んであるし、どんなに猛毒に変異しても、全人類を死滅させるようなことはないさ。もともと、我々人類の遺伝子情報の45%は、レトロウィルスなどで持ち込まれた外来遺伝子だ。私はそれに一つだけ書き加えてやるだけだよ。それで、夢魔は永遠に私たち人類から消滅を余儀なくされる。実はその第一段階の最終実験用として、隣の建物に、改変インフルエンザウィルスに感染させた鳩を1万羽ほど用意してあるんだ。まあウィルスの運び屋はなんだっていいんだが、平和の使者たる鳩にこそこの役目が相応しいと思ってね。あとは私の合図だけで、全てが始まり、数日のうちに、まずは東京都民の大多数が、残りの人生を夢なしで過ごすことになるだろう」
 高原は、テーブルのインタホンを取ると、隣の建物、ナノモレキュラーサイエンティフィックを呼び出した。
「待ってください、高原先生!」
「お願い! 何とかして止めて!」
「円光さん!」
 鬼童、麗夢、榊の悲鳴に近い呼びかけに、円光もここが先途と一心不乱に念を凝らす。だが、高原の力は余りに強大だった。
「だ、駄目だ、こやつの結界、こちらの結界を維持するので精一杯だ・・・」
 円光の膝が床を舐めた。途端に結界が不安定に揺れ、半径が一回り小さく縮む。高原はにやりと微笑むと、4人に告げた。
「そろそろ限界かな。まあ、準備の待ち時間を楽しい話で消化してくれたことに礼を言おう。あ、私だ。計画通り始めてくれたまえ」
『いやです!』
 その瞬間、高原は明らかに虚を突かれた。理解を絶する内容に、インタホンの先にいる相手が誰なのか、考える余裕を失ったのだ。
「な、何を言っているんだ! すぐに私の言う通りにしたまえ!」
『こっちは貴方の思い通りに何てなりませんからねーだ!』
『ソーデス。貴方ノ野望ハココマデデスヨ、博士』
 次々と入れ替わる通話口の相手に、高原の混乱はようやく収束した。
「お、お前達一体いつの間に!・・・吉住は、吉住はどうした!」
『知らないわ! ともかくこっちの建物は私達が占拠してます!どうしても言うことを聞いて欲しかったら、麗夢さん達を開放してから、貴方一人でこっちに来ることね』
「お、お、愚か者めぇっ!」
 高原は通話器をテーブルに叩き付けた。
「聞こえたわよ! 美奈ちゃん達、隣にいるのね?」
 麗夢が顔面紅潮して今にも弾けそうな高原に言った。高原はそれまでついぞ見せたことのない凄まじい怒りの表情で、麗夢を睨み付けた。
「そうだ! あの馬鹿者共が! 私の実験の邪魔は、絶対に許さん!」
 高原はイスを蹴り倒すと、大股に出口へと向かった。
「待ちなさい! 結界を解いて行きなさいよ!」
「うるさい! お前達も邪魔だ! しばらくそうしていろ!」
 高原の憤怒が結界を一段と強くした。だが、それは密度を高めるためと言うよりは、影響範囲を広げるためのものであった。高原は、ドリームジェネノミクス社だけでなく、隣のナノモレキュラーサイエンティフィックまで自分の結界領域に呑み込む積もりなのである。
「今まで甘く接しすぎた。もう二度と逆らう気など起こさぬように、思い知らせてくれる!」
高原の怒りが、凄まじい旋風を巻き起こしながら4階から移動していった。
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13.高原の秘密 その3

2008-01-16 22:04:38 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「人間は、夢見るときにメチル化したNMgeneからメチル基を取り除く酵素を活性化しているらしい。つまり、人間は夢見状態の時、夢魔の電磁波に反応しやすくなってしまう訳だ。従って、夢を見なくする、即ち夢に関与する化学物質の生合成系遺伝子を抑制すれば、NMgeneもまた活性化しない。そうなれば夢魔も人に影響を与えることが出来なくなるのだ。単純なことだ。夢があるから、夢魔などというやっかいなモノが生じるんだよ」
「ゆ、夢が無くなったら、人は絶対に困るわ!」
「愚かな。夢など見なくても人は死にはしない。君自身、あれから夢など見ていないだろう? それでもこうしてちゃんと生きているじゃないか。第一、大半の人間が一晩数十分も見ているはずの夢を覚えていないし、忘れるからと言って、そのために日常生活で苦労したり、生命の危険にさらされるわけでもない。いいかね? 人間にとって夢など不要なのだ。無くても誰も困りはしない。いや、困るものがいるとしたら、それは夢魔だけだ。だから私は、夢魔から人を守るため、根本的解決策として夢を奪うことにした。君がそれに反対するというのなら、夢が人にとって不可欠だということを証明するか、夢魔を根本的に退治する別の処方箋を提示する必要があるだろう。どうだ、そんな方法があるかね?」
 自信満々に話を締め、轟然と胸を反らした高原に、鬼童が言った。
「高原先生、先生のお話は良く判りました。確かに夢は夢魔の入り口と言ってよいのかもしれません」
「おい、鬼童君!」
「鬼童さん!」
 榊と麗夢が慌てて鬼童に非難の声を上げた。すると鬼童は、ちらりと二人に振り返り、ウインクしてまた高原に視線を返した。
「ですが、それでもなお、僕は夢は必要である、と主張します」
「ほう? あの時とは随分見違える態度だな。その根拠は?」
「理由はフロイトの未発表論文にあります」
「フロイトの未発表論文だって? これは傑作だ!」
 高原はあからさまな嘲笑を隠さなかった。だが、鬼童はあの時のヒヨッコではない。嘲りに直面して取り乱すほど、もううぶではないのだ。
 鬼童は言った。
「フランケンシュタイン公国のヴィクター・フランケンシュタイン博士はご存じですね、高原先生」
「バイオテクトニクスとやらを標榜するヨーロッパの変人のことなら知っている」
 にわかに嘲笑を収めた高原が答えた。確かにヴィクターは祖先の遺業に取り憑かれた変人として貶められることもあるが、それは彼の輝かしい成功と裏腹の悪口でもあった。生物工学を研究する者にとって、ヴィクターの人造生命体の成功は、垂涎の的なのである。そんな名前が鬼童の口から上がったことが高原の意表を突いた。第一、今の話とそれがどう関係するのか、高原にもにわかには読めなかった。
「実はその『変人』の住まい兼実験室が、かつてのフロイトの別荘、フロイト城なんですよ。そこにフロイトのカルテや未発表論文がうずたかくしまい込まれていましてね。ヴィクターの好意で、その大半を借りることが出来ました。その中にあったのですよ。夢に関する重大な記述が」
「だから、それは何かと聞いている」
 さっきまでの余裕が、高原の顔から消えた。鬼童は一呼吸おいて気持ちを落ち着けると、おもむろに話を続けた。
「夢は、一種の警告装置として働いている可能性があるんです。人類の命運を決める最後の大異変のね。きっと先生のおっしゃる夢魔遺伝子とも深い関連があるんだと思われます。そのデータから推論いたしますと、恐らく生体のホメオスタシスが狂うのは、夢魔遺伝子の活性化が原因ではないと思います。夢魔遺伝子こそそう言った異変に対する一種の感応装置であり、ヒトはその活性化によって、いわば警報を受ける形で、夢魔の影響を受けるのだと思われます。生体の恒常性が狂うのは、一種の過剰防衛反応、いわばアレルギーのようなもので、その制御系は、夢魔遺伝子とは別の、例えばエピジェネティック暗号の可能性があるように私は思うのです」
 実のところ、DNAは生物の全てを構成する遺伝の暗号設計図ではない。人の染色体四六本の中に収められている遺伝子の総数は、およそ二万個と言われている。だが、それら遺伝子の占める割合は、全DNAのうちのわずか二%にすぎない。それ以外の無数の塩基対は、ジャンクと通称される、いわゆる意味を成さない、無価値領域といわれてきた。ところが最近、そう言った無価値領域に、重要な暗号が隠されていることが判ってきた。このような遺伝子以外の暗号の一部を、エピジェネティック暗号と呼ぶ。例えば、遺伝子だけで生命の全てが決定されるのなら、一卵性双生児は同じ遺伝子セットを持つ以上、全てが同じのクローンのような存在になるはずだ。だが、実際には片方だけがある遺伝性を疑わせる病気にかかったりする例が意外に多い事が知られている。また、クローン動物の実験が各地で盛んに行われ、いくつかの成功例が伝えられているが、それらはおしなべて、普通に生まれた生物と比べて、様々な疾患にかかりやすかったり、寿命が短くなりやすい。これらは、遺伝子以外の遺伝要因、即ちエピジェネティック暗号に関わる変異である可能性が推測されている。また、エピジェネティック暗号には、遺伝子にとってタイマー、あるいはアクセルとブレーキの役割が与えられているという説もある。遺伝子は必要なタンパク質を生み出すための設計図には違いないが、それ自体にはいつ動き出してていつ止まればいいのか、というような、遺伝子の行動タイミングまでは記されていない。遺伝子だけでは、ガン細胞のようにただ増え続けるだけということになってしまうのだ。それを制御するのがエピジェネティック暗号というわけである。ただ、あまりに複雑な構造のため、その役割はまだほとんど解明されていない。鬼童はその未知なる部分にこそ、夢魔を人が呼び込んでしまう原因が隠されているのではないか、と指摘したのである。
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13.高原の秘密 その2

2008-01-13 22:33:03 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 高原は身を乗り出して言った。
「いいかね、人間の精神活動は全て脳に帰結する。夢もまた例外ではない。大脳皮質のニューロン細胞が一定の条件に晒されたとき、ヒトDNA30億塩基対の中の、夢に対応した遺伝子が活動を開始し、脳内に様々な化学物質とそのレセプターを生み出す。それが夢の本質だ。すなわち、夢の世界などと言う物理的な空間は存在しないし、そこに住まう夢魔という生き物もまたいない。全ては人の遺伝子に組み込まれた純然たる生化学反応なのだよ」
 麗夢は視線に力を込めて高原を睨み付けた。
「脳の遺伝子が夢の全てなんて、納得できないわ!」
 すると高原はあざ笑った。
「今君は途轍もないストレスに晒され、緊張しているだろう? それは、君の頭の中の視床下部と呼ばれる部分からのホルモン分泌が原因なんだよ。それで、ニューロンの細胞膜を挟んで、千分の一秒単位で内にあるカリウムイオンが流出すると同時に外側のナトリウムイオンが流入し、通常マイナス数十ミリボルトで安定している膜電位を一気にプラス数十ミリボルトまで上げるという膜電位の逆転現象が起こっているんだ。その、スパイクと呼ばれる電気信号が神経繊維へ盛んに発信され、その信号を受け取った別のニューロンがまたスパイクを発生して、次々と連鎖的に伝達される。その刺激が脳内の遺伝子を励起させ、ノルアドレナリンやドーパミンなどのモノアミン系物質が合成される。同時にそれぞれの受容体に働きかけ、君の今の緊張を形作っているわけだ。今、君の頭の中でそうして合成されたノルアドレナリンやドーパミンが盛んに代謝され、血液や尿、唾液などに分泌されている。何なら計ってやってもいい。3ーメトキシー4ーハイドロキシフェニルグリコールでも、ホモバニリン酸でも、代謝産物をお望み次第で計測してやろう。かなり高い値が得られること請け合いだ。いいかね、精神活動の全てはケミカルマシンである脳の活動、即ちそれを制御する遺伝子に帰結する。夢は、そんな活動で生じる幻覚なんだ」
「じゃあ、貴方のこの力はどうなの? 夢魔は一体何なのよ!」
 高原はこほんと一息つくと、三度舌をふるってまくし立てた。
「まず夢魔とは何かだ。残念ながら私も夢魔がなんであるのかは判らない。だが、一種の電磁波であることは間違いない。その波動が、何らかの条件を持った大脳のニューロンに届いた時、私がナイトメア遺伝子と仮に名付けた遺伝領域が活発に動き出す。この遺伝子は普段は激しくメチル化されており、活動しないのだが、条件が整うと急にメチル化を解く酵素が動きだして遺伝子を活性化し、様々な化学物質を合成して脳内のケミカルバランスを大きく乱す。それが人の身体に著しいストレスを与え、生体バランスを崩し、免疫機能を破壊する。こうして夢魔に取り憑かれたと称する人間の健康を悪化させ、遂に命まで奪うわけだ。そのついでに、脳は悪夢を見てしまうんだよ」
 朗々と話を続ける高原を横目で見ながら、榊が鬼童に囁きかけた。
「鬼童君、メチル化って、なんだ?」
「メチル化というのは、メチル、即ち炭素一個と水素三個がくっついて出来た分子が、遺伝子の構成塩基の一つ、シトシンにくっつく現象ですよ。メチル化が進むと、遺伝子は動くことが出来なくなるんです」
「なるほど・・・」
 一応頷いてみたものの、榊、麗夢、円光もどうも理解しがたい思いが拭えなかった。だが高原は、そんな一同に構わずただひたすら自説の展開に時を費やした。
「私のこの力や、君が失った能力は、これに対抗するために現れたと考えられる。それは、我々が共通に持つドリームガーディアン遺伝子、DGgeneの発現によるものだ。この遺伝子は、同じくナイトメア電磁波に反応して我々の大脳皮質内で高発現する。その時、一種の電磁波を発信して、夢魔を発生させる電磁波を減衰させると同時に、患者の脳内で、そうした外的な電磁波刺激に反応したNMgeneの働きを抑制する作用を示す。いいかね、これはけして不可思議な超自然的現象ではない。れっきとした生物の生理反応の一つであり、生物学的・化学的・物理学的現象なのだよ。夢の中に入る、というのは、そう言う現象を脳内でドラマ化し、そう意識しているから夢の中にいるように感じているに過ぎないんだ」
 麗夢は、マシンガンのようにしゃべり続ける高原に目眩を覚えた。言っていることが半分も理解できないと言うこともあるが、あまりに自信たっぷりに蕩々と述べ立てるので、反論一つ返すことが出来ないのだ。それでも、ようやく高原が息を継いだ間を狙って、言いたいことを一言だけ言った。
「だからといって、夢を奪っていいと言うことにはならないわ!」
 高原は、我が意を得たり! とまた口を開いた。

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13.高原の秘密 その1

2008-01-10 23:16:20 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 円光は、突然辺りの気が大きく変化したことに気がついた。
 現実空間を浸食する強烈な意志の力。即ち結界である。その気配が濃密になるほどびりびりと背筋へ電気が走ったように感じられ、自分の肉体も、この結界に固縛されようとしているのが判る。円光は錫杖を身体の前に突き立てると、両手を複雑に組み合わせ、軽く目をつぶって般若心経を唱え始めた。次第に高まる読経の声に呼応して、円光の額の梵字に光が灯った。一心に集中した円光の気がゆっくりと膨らみ、傍らの麗夢も包んでいく。やがて、円光を中心として、直径2mほどの光の半球へと変化した円光の結界が高原の強烈な思念を遮断した。
「ほう? なかなかやるじゃないか。君も検体として招待すべきだったかも知れないな」
 高原はリクライニングシートに腰掛けながら、組んだ足の上に両手を添えて、まっすぐ円光を見た。麗夢はマントに隠していた愛用の拳銃を取りだした。だが、結界を飛び出そうとしたところで、鋭く円光に制止された。
「駄目だ麗夢殿! 今の麗夢殿では、この結界の外で自由に動くことは叶わない。この男の結界、あの智盛の怨霊よりも強力ですぞ!」
「何ですって?」
 麗夢は愕然として目の前の糊の利いた白衣を見た。すると高原は、にやりとウインクすると、麗夢に言った。
「ああ、どうやらお仲間が到着のようだ。折角だからここに招待してやろう」
 高原の言葉が終わる間もなく、円光の結界の後ろ側が急に飴のように伸び、ちょうど水族館の水中トンネルのように、半円形の断面をした結界の通路が、出口を出てまっすぐ左のもと来た道へと伸びていった。やがてその通路を伝って、二人の男が飛び込んできた。
「榊警部、それに鬼童さん!」
「麗夢さん、円光さん、無事でしたか」
「二人とも気を付けられよ、この男、ただ者ではない!」
 必死に念を凝らす円光が辛うじて注意を促すと、榊と鬼童も目の前の白衣姿を凝視した。
「役者が揃ったようだな。まあ少し欠けているが、私が力を解放した以上すぐに見つかるだろう。それまでしばらくそこでお待ち願おうか、皆さん」
 榊と鬼童が潜り抜けてきた結界のトンネルが、突然消えた。ぐっと増した高原の圧力に、円光の額へ脂汗が流れ落ちる。その様子に冷笑を浴びせた高原に対し、鬼童が一歩前に出た。
「高原先生、貴方は何者なのです? 夢見小僧を初め何人もの特殊な力を持つ人をさらった上、麗夢さんの力まで奪い、今またこうして強力な結界で僕らの動きを封じている。こんな事は一介の大脳生理学者に出来る技じゃないですよ。一体何をしようとしているんですか」
「私の力を奪ったのはこの人なの?」
 麗夢が目を丸くして鬼童に言った。ええ、と頷いた鬼童は、ビデオ映像の解析結果を麗夢に話した。その姿とうり二つな顔が、目の前に傲然と腰掛けているという事実に、麗夢の驚きはいや増しに増した。対する高原は足を悠然と組み替え、右手に頭をもたせかけて言った。
「君はまだ、ジクムント・フロイトを尊敬しているのかね?」
「覚えていらしたんですか? あの学会のこと・・・」
 驚く鬼童に、高原は微笑みを浮かべて言った。
「当然だろう。近来あれほど楽しんだことはなかったからな。こしゃくにも食らいついてくる子犬を思い切り蹴り飛ばし、きゃんきゃん逃げていくのを見物する、何て言うことはね」
 なんなのよこいつ! とその傲慢な態度にいきり立つ麗夢等を抑え、鬼童は静かに言った。
「確かにあの時、僕はまだ先生に反論できるほど研究も進めていませんでしたし、夢のことも何も知らなかった。でも、今は違います。僕ははっきり先生に対してもう一度言うことが出来る。それでもフロイトは尊敬に値する、と」
「ほう? まだ食らいついてくる気かね?」
 高原は興味深げに鬼童を見つめ直した。
「その闘志は大いに買ってやろう。だが、残念だが君は今日限りで研究対象を変更すべきだな。何せ対象その物が地上から消滅するのだから」
「どういうことです? それは」
「私は、遂に夢魔をこの地上からきれいさっぱり消去する方法を発見したんだ。本当はもう少し実験を重ねてからにしたかったんだが、これ以上色々な邪魔が入るのも困ったものだし、この機会に実行することにしたんだよ」
 鬼童は高原の言葉に看過できないニュアンスを感じ取った。
「まさか、まさか先生は、本気でやろうと言うんですか? 夢を、夢その物を亡ぼそうだなんて!」
「なんですって?」
「何っ?」
 異口同音に榊と麗夢から理解できないという疑問符が飛んだ。鬼童は高原を見据えながら、後ろの麗夢達に言った。
「高原博士は、昔から夢に対する偏見を持っていたんですよ。夢など無用の長物。無くなっても誰も困りはしないってね」
「どうして! どうして夢が無用の長物なの? 無くなっても困らないなんて、そんな馬鹿なこと・・・」
「馬鹿なことではない。それに偏見でもない。れっきとした事実だ」
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12.突入! ドリームジェノミクス社 その4

2008-01-06 21:53:00 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「何がおかしい! 貴様!」
 円光の怒号に縮み上がらない魔物や人間はそうはいないが、またも高原は鼻先でせせら笑っただけだった。
「そうか、そこまで判っているなら仕方ない。だが、返せないな。第一、返したくとも彼女らが今どこにいるのか、私にも判らない」
「ふざけないで! 犯行を認めるのね 」
 すると高原は再び目を開けて、まっすぐ麗夢の顔を見つめた。
「犯行と言われると心外だがね。彼女らを連れてきたのは、私の研究を手伝って貰うためだったのだから。だが、もうそんなことはどうでもいいんだ。綾小路麗夢君」
 !
 麗夢は初対面の相手の口からフルネームで呼ばれてさっと身体を固くした。
「貴方、何者なの?」
「高原研一。ドリームジェノミクス社の中央研究所長だよ。もう知っているんだろう?」
「そうじゃなくて、貴方、一体何を隠しているの?」
 すると高原は再び目をつむった。
「何、大したことじゃない。今の君には出来ないことが、出来ると言うだけだ」
 その瞬間、リクライニングシートの高原を中心に、膨大なエネルギーの気が爆発的に広がったのを、円光は見た。

「ふう、あらかた片づいたな・・・」
 榊は途中で脱いだレインコートを拾い上げ、おおざっぱに右手ではたいてから袖を通した。被害は右目の回りの青あざが一つと、擦り傷数カ所、上着やスラックスの裂けや破れと言ったところだ。対する戦果は、人事不肖に陥った一〇人の男達である。その中から、辛うじて意識の残っていた一人の襟首を、榊は左手一本で強引に持ち上げた。
「た、たしゅけて、くれ・・・」
 厳つい顔が涙でぐしょぐしょになっているのを見るのは少々気の毒な気がする。もっともそうさせたのは自分自身なのだが、と榊は苦笑いを浮かべながら、手の中の男に言った。
「この二、三週間ほどの間に、ここに連れてこられた女の子と金髪の男、それに子猫と子犬がいるだろう? 皆、どこにいるか話してくれないかね?」
 男はぶるぶると震えながら、辛うじて答えた。
「・・・知らない」
 この! と榊が右拳を固めると、男は慌てて口走った。
「ほ、本当に知らないんだ! みんな2時間ばかり前に逃げ出して、今どこにいるのか全員で探しているんだ!」
「そうか、判った」
 榊が左手を緩めると、巨大な体がどうと足元に落ちた。その衝撃で伸びてしまったのか、男はそのまま動こうとしなかった。
「これはまたずいぶん派手にやりましたね、榊警部」
 突然背後から声をかけられて、榊はびっくりして振り返った。
「き、鬼童君じゃないか! どうしてここへ?」
 すると鬼童は質問には答えず、切迫した調子で榊に言った。
「ところで麗夢さんは今どこに?」
「ああ、麗夢さんなら円光さんと二人であの建物に突入したが・・・」
 榊はドリームジェノミクス社中央研究所の五階建てを指さして答えた。すると鬼童は、遅かったか、と鋭く舌打ちを鳴らすと榊に言った。
「どうやら僕達はいきなり核心を突いてしまったようです。このままでは二人が危ない」
「何!」
 にわかに緊張した榊の目の前で、建物の四階左隅の窓が微妙に波打ち、その波が波紋となって、白い鉄筋コンクリートの壁面に広がっていった。
「今の見たか、鬼童君?」
「ええ。急ぎましょう、警部!」
「判った!」
 榊と鬼童は大急ぎで門を乗り越えると、建物目がけ走り寄った。

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12.突入! ドリームジェノミクス社 その3

2007-12-30 21:22:19 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 助手の切迫した報告に、判った、と一言だけ返事をした高原は、壁の装置にインタホンを戻し、白衣のポケットから小さな鍵を取りだした。関係者以外立入禁止の扉の奥に納まるその部屋は、隣の実験室からもセキュリティーキーで閉ざされた、高原の専用ルームである。フロア面積は三五平米とちょっとしたワンルームマンション程度の大きさで、実験室としてはかなり手狭な部屋だが、隣室の各種測定装置群はこの部屋からも操作でき、データの収集・解析は問題なくできる。この、高原一人だけが使うことを許された空間には、研究所の幹部クラスでさえ明かしていない様々な試薬、検体、そしてデータが詰まっている。高原は、その成果の一つを開放すべく、実験室隅に設えられたガラス戸棚の鍵穴に、手にした鍵を差し込んだ。
 がちゃりと言う手応えと共に、温度と湿度が完璧に管理された保存棚の扉が開く。三段に別れた棚には、下段に五〇〇cc入りの褐色試薬ビンが納まり、中段と上段に一〇〇cc以下の小さなビンやアンプルが並ぶ。高原はそのうちの人差し指程のアンプルを取りだし、下の引き出しからガンマ線滅菌された使い捨てのプラスチック製注射器を一つつまみ出した。中央の実験台から黒いゴム管を取り上げて袖まくりした左上腕にしっかりと巻き、エタノールを染み込ませた脱脂綿を取りだして、二の腕内側に浮き上がった静脈の上に塗りつけた。ひんやりした刺激臭が鼻をくすぐる中、密封されたプラスチックフィルムを破り、取りだした注射器にアンプルの中身を吸い上げる。空気が入っていないことを確かめた高原は、その注射針を慣れた手つきで自分の左腕静脈に突き刺した。ぴりっとした痛みが皮膚を鋭く貫いたが、構わず白いピストンを器用に親指の先で引っかけて、少し吸い上げた。たちまちシリンジに満ちた透明な液体に、赤い血液がふわっと薄く広がるのが見えた。確実に静脈を捉えた証拠だ。高原は、今度は親指の腹をピストンに押し当てて、中の薬液をゆっくりと体内に送り込もうとした。
 突然ドアの外が騒々しい足音で満ちたかと思うと、重要実験区画前に張りつけて置いた警備員の怒鳴り声が届いた。が、警備員の声は、最初の「何だ! 貴様等!」だけで途絶えた。何か重いものが壁にぶつかる音が聞こえ、わずかながら室内のガラス戸が微妙な震えを見せる。急速に駆け寄る複数の足音が耳を打ち、顔を上げた高原は、扉の向こうに、さっき助手が警告を伝えてきた侵入者の姿を捉えた。憤怒の表情を刻んだ若い僧侶と、豊かに跳ねる碧の黒髪の下に厳しく目を凝らした少女だ。僧侶の方は初見だが、娘の方は良く見知っている。二人は高原の姿を目ざとく捉えると、実験室のドアを引き開け、中に踏み込んできた。
「誰かね。ここは我が社のうちでも極めて重要な実験施設だ。部外者の無断侵入は許せないな」
「貴方が高原ね! 美奈ちゃんや夢見さん、ハンスさん、アルファとベータも返して!」
 目ざとく高原の胸に下げられた写真入り名札を見て、麗夢が叫んだ。
「麗夢殿の言うとおり、皆を返して貰おうか」
 円光も手にした錫杖をずいと前に突き出し、高原に迫った。高原はふん、と鼻先で笑うと、中断していた行為に再び没頭した。親指に改めて力を込め、シリンジ内の全ての薬液を体内に打ち込んだ。続けて上腕のゴム管を解き、注射針を抜くと、メンティングテープを張って袖を戻した。
「答えて! 貴方がこの誘拐に絡んでいるのは判っているのよ!」
 高原はちらりと二人の侵入者に目を向けると、そのまま黙って奥に設置されたリクライニングシートに腰を下ろし、深くゆったりと身を沈めた。
「さて、と。私も結構長いこと先端技術研究に携わってきているが、君たちほど荒っぽい産業スパイに会うのは初めてだよ。無法にも我が社の研究員や警備員に危害を加えた上、最重要シークレットゾーンに強引に踏み込んでくるとはね。これがどれほどの罪に問われるか、判ってやっているのかね?」
「私たちは産業スパイなんかじゃない。それに罪に問われると言うなら、貴方こそとんでもない犯罪者だわ!」
 麗夢が眦決して右手人差し指をまっすぐ高原に突きつけた。
「美奈ちゃん達を返しなさい!」
「何を言っているのか、私には良く判らないな。私が誘拐犯人だと言うなら、何か証拠でもあるのかね?」
 悠然と余裕で構える高原に、円光は錫杖の石突を床にどん! と突き立てた。済んだ輪管の打ち鳴る音色が、室内にこだまする。
「いい加減にしろ! ここに上がってくるまでの間、逃亡した美奈殿やアルファ、ベータを追う者達が右往左往していたではないか!」
「そうよ! それに証拠ならあるわ! 見なさい!」
 麗夢は榊から預かった品をポケットから取りだした。
「貴方の会社に落ちていたわ! どう? これでも白を切るつもり?」
 高原は物憂げに麗夢の手の中にある品物を見た。美麗な装飾を施したカードが一枚と、小さな紫色の蝶ネクタイが載っている。
「何だね? それは」
「これは、夢見小僧の犯行予告カード! それにこっちはアルファのアクセサリーよ! 貴方の会社の玄関に落ちていたの。さあ、観念してみんなを返して頂戴!」
 高原は目をつむってにやりと口元をひねり上げた。なるほど、あの小娘、いつの間にか得意技を発揮していたらしい。この私の目を欺くとはなかなか大した腕前だ・・・。
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12.突入! ドリームジェノミクス社 その2

2007-12-27 22:23:48 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「どうやら今度はそうやすやすとは通してくれそうにないですな」
 一旦車に戻って、榊は麗夢達に告げた。既に合流して二〇分が経っている。
「でも、どうにかしてあの門を突破しないと」
「うむ。飛び越えるのは造作ない高さではあるが、あの警備員達がちとやっかいですな」
 そう話し合ううちにも、門を固める警備員の数が増え、一〇人くらいがひとかたまりになって麗夢達を睨み付けていた。皆、ふん! と力を込めれば胸の筋肉で上着を引き裂きかねない、アメリカンフットボールかプロレスラーでも通用しそうな偉丈夫ばかりである。
「ではこうしよう。私がもう一度彼らの気を引くから、その間に門を乗り越え、中に突入して下さい」
 榊の提案に、麗夢は目を丸くして驚いた。
「でも、あんなに大勢。榊警部一人で大丈夫?」
 すると榊は、悪戯っぽくウィンクをすると麗夢に言った。
「ご心配なく。まだまだあんな若造共に遅れはとりませんよ。それよりも中の様子が気になる。どうやら一騒動持ち上がっているらしいですぞ」
 確かに榊の言う通り、目の前の建物は1階から5階まで全ての照明が煌々と照らされ、右往左往する職員の影が、その窓のそこここに映っている。およそ、研究所という落ち着いた雰囲気からはほど遠い光景である。
「美奈殿や夢見小僧に何かあったやも知れぬ。麗夢殿、この際ためらいは無用だ。急いだ方がよい」
 円光もただならぬ気配を感じ取っていた。何か目の前の騒動とは別の巨大な力が、ビルその物にわだかまっているように見える、そんな感じだ。榊、そして円光の助言に、麗夢もようやく決心を付けた。
「じゃあ、榊警部、円光さん、頼むわね」
「ええ」
「心得た」
 三人は手早く分担を再確認すると、まず榊が三度目の交渉を求めて詰め所に歩み寄った。警備員達の視線が、一斉にそのレインコートに注がれた瞬間、麗夢は榊の車をスタートさせた。あっと振り返る間もなく門前に滑り込んだ車から、円光、麗夢が相次いで飛び降り、胸ほどの高さの低い門に足をかけた。
「こら待て!」
 二人の警備員が気づくが早いか、今にも社内に侵入しようとする二人に飛びかかろうとしてつんのめった。
「まだ話が終わっていない。君らの相手は私だ」
 二人の男は、想像もしなかった力に振り回され、門から詰め所に投げ飛ばされた。
「ど、どういう積もりだ!」
「警察を呼べ!」
 突然の事態に驚き慌てる男達に向かって、肉食獣が獲物を見定めたような舌なめずりをしながら、榊が言った。
「警察ならここにいる。さあ、久しぶりに一暴れさせて貰おうか」
 警視庁一の暴れん坊、榊真一郎の右拳が、それを握りしめた左手の中で戦慄の骨鳴りを奏でた。
 
 警備員を榊に任せて建物に突入した麗夢と円光は、右往左往する職員のただ中でその存在を完全に無視された。赤いミニスカート姿の麗夢と墨染め衣の円光は、明らかに異様に目立つ存在なのだが、誰一人としてそれに注目し、とがめ立てしようとするものはいない。だが、このまま喧噪に巻き込まれてしまってはどうしようもない。二人は白衣を着た手近な若者を捉えると、強引に階段の影へと引きづり込んだ。
「さあ、夢見小僧、美奈殿、ハンス殿の行方を教えて貰おうか」
 円光の鬼をもひしぐ形相に、その若者は失神せんばかりに恐れおののいた。だが、麗夢と円光が手に出来たのは、三人に加え、アルファ、ベータが忽然と姿を消したと言う事実だけであった。
「やっぱりここにいたのね!」
 麗夢は改めてその事実が確認できて喜んだ。ここまでの苦労はどうあれ、ようやく核心に迫ったのだ。この上は何としても三人と二匹の身柄を確保し、真犯人にその罪を問わねばならない。
「どういたす麗夢殿。どうやらここの連中も美奈殿達の行方を見失っている様子。不案内な建物の中では、動くに動きづらいが」
「この建物の責任者を捕まえましょう。結局情報はそこに集まるわ。さあ、貴方達の上司はどこにいるの?」
「た、高原所長のことですか? 所長なら重要実験施設の方にさっき移動されましたが・・・」
「それはどこだ!」
 円光の凄みに、若者はまた悲鳴を上げて、4階の右奥です、と震えながら二人に告げた。
「急ごう麗夢殿!」
「ええ!」
 麗夢と円光はその若者を放置すると、目の前の階段を一足飛びに4階目指して駆け上がった。
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12.突入! ドリームジェノミクス社 その1

2007-12-26 22:42:29 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「まだ発見できないのか?」
 苛立だしげに職員に問いかける高原は、無理矢理にでも一緒に連れて出るべきだったと後悔のほぞを噛んでいた。取りあえず計画の第一段階が終わり、実行に移す機会を待つばかりになったというのに、本番前の予行演習を目論んでいた検体の全てが行方不明になろうとは、高原には予想外の衝撃だった。
(何が何でも発見しなければ・・・)
全ての準備は完了している。後は最後の実証テストを残すのみなのだ。最初期の、自分の細胞を利用した効果の検証に始まり、3体の検体を利用した、人体への直接投与による効果と副作用の検討を重ね、そして新たに入手した2体の検体による動物への投与限界量の評価まで行った。それに可能な限り精密に構築したシュミレーションと誤差を極力排した各種計算結果。後は最終調整したサンプルを利用して、本当にヒトへ効果を発揮しうるかどうかを確認し、最後の仕上げを行うのみなのだ。だが、このままでは最悪延期せざるを得ないかもしれない。ここまで完璧に研究を進めてきた高原にとって、そんな結末はもはや絶対に許容できない話だった。
「まだ見つからないのか?」
 もう何度言ったか数える気も失せる科白を、高原は手近な職員に投げつけた。返ってくる答えも、聞き飽きた科白でしかない。男一人、女二人、子猫と子犬が一匹ずつ。これだけの団体がこの小さな建物の中でそう隠れていられる場所もないはずなのに。
 こうなったら最後の手段をとってあぶりだすしかないのかもしれない。この研究所その物を、夢の時空に封じ込める。そうして根気よく鍛え続けたあの3つの精神波動を掴み取ればいいのだ。高原には、自分の全力を投じればそれくらいそう無理なく出来るとの自信があった。だがこれまでそれを躊躇していたのは、他ならないその行為が、あの忌むべき存在に、自分の居場所と目的を悟らせる結果になるかも知れない、という一点だった。来るべき日のために周到に準備を重ねること一年。最大の障害を排除してから一週間。あらゆる準備が整ってから20時間あまり。ようやく機が熟してきたこの場面で、出来ればそんな危険を冒したくはなかった。
「くそっ! 何をやっているんだ! まだ見つからんのか!」
苛立ちが益々募る中、そんな高原の逆鱗を殴りつけるような報告が、警備員詰め所からもたらされた。
「何! またあの警官が? ええいもういい! こっちはそれどころじゃないんだ。追い返せ! 方法は任せる。とにかく近づけるんじゃない!」
 インタホンを本体に叩き付けた高原は、大股で立入禁止区域へと移動を開始した。
もうこうなったら、最悪の事態に備え準備を整えておかないと!
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11.怪盗の賭け その5

2007-12-23 23:50:00 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「・・・本当に、死神の仕業なのかしら・・・」
 一時間振りにぽつりとこぼした麗夢の言葉は、再びアルファ、ベータの気配をつかもうと念に入る寸前だった円光の意表を突いた。
「い、今何とおっしゃられた、麗夢殿」
「私、これが死神の仕業かどうか、判らなくなってきたの」
 すっかり日が暮れ、急速に闇へ呑み込まれていく山間地。行き交う車もなく、思い出したように立っている外灯の光に照らされながら、麗夢は円光に言った。
「だっておかしいわ。死神だとしたら一体どうしてもっと早く攻撃してこないの? 私が夢に入れなくなった今なら、いくらでも料理のしようがあるでしょうに・・・」
「それは、まだアルファやベータ、それに拙僧も控えている故、様子をうかがっているのやも知れませぬ」
「・・・でも、そのアルファとベータは行方不明よ」
「それは!」
 円光の反駁を制して、麗夢が言った。
「いえ、円光さんが強力な抑止力になっているのは判るわ。でも、死神ならいくらでもやりようがありそうじゃない。別の夢魔をおとりに使って円光さんを引き離すとか」
 確かに死神なら、さまざまな手練手管を弄して麗夢を一人にするくらいは至極あっさりやってのけるであろう。そして、夢に入り、夢の戦士になる力を失った今の麗夢なら、料理方法の選択はまさに死神の望みのままに違いない。そんな不吉な予想に円光は激しい憤りを感じたが、もし本気でそんな手で死神が襲ってきた場合、自分一人でそれを阻止して麗夢を守り通せるか、冷静に考えてみれば、それがいかに困難を極めるかは、血の上った頭でも容易に理解できた。
「だが、麗夢殿が鬼童殿の夢で見たのは、確かにきゃつだったのであろう?」
「そうなの。でも、やっぱりあれも変だわ。あのチャンスにどうして私を攻めず、鬼童さんも結局は殺さず、そのまま何もせずに消えちゃうなんて。いえ、それ以前にどうして美奈ちゃんや夢見さんやハンスさん、それに今ならアルファとベータもだけど、一体何が目的でこの人達をさらっていったのか、そして何をしているのか、犯人が死神だとしたら全然見当がつかないことばかりだわ」
 麗夢はこれまでずっと考えていたのだ。結局死神があの鬼童の夢にしか現れていないことに疑問を感じ続けていた。今まで死神が絡んだ事件で、あの闇その物と言っていい影がこれほど薄かったことがあっただろうか?
「それに、ずっと死神の気配を感じないわ。私、夢に入る力と一緒に、そんな感覚も無くしちゃったのかしら?」
「いや、確かにそう言われると拙僧にもきゃつめの気配はついぞ感じなかった。何を狙っているにせよ、あまりにその影が薄すぎる。うむ、麗夢殿の疑問は至極もっともだ」
 円光の頷きに、麗夢も首を縦に振った。
「とにかく、ずっと謎ばかりで話が全然見えてこない。そろそろ私も限界かも知れないわ」
 いつになく弱気な麗夢に、円光は慌てて言った。
「麗夢殿、確かに今は五里霧中もいいところだが、霧は必ず晴れるときが来る。それを信じて頑張るんだ。拙僧も及ばずながら力を尽くそう」
「・・・そうね。ありがとう円光さん・・・あ、電話だ・・・。榊警部からだわ」
「何、榊殿から?」
 麗夢は一旦車を左に寄せ、ハザードランプを付けて停止させた。
「榊警部! 何かあったんですか?」
『麗夢さん! 今どこに 』
「え? い、今ですか? エーと、榊警部を追って、常磐道を降りて茨城県の先端科学技術工業団地に向かっている途中ですけど・・・」
『それは良かった! どうやら手がかりを見つけましたぞ。私は団地の入り口で待っていますから、出来るだけ急いで!』
「え? 本当に! す、直ぐ行きます!」
 麗夢は電話を切ると、輝く笑顔を円光に向けた。
「円光さん! 榊警部が何か手がかりをつかんだらしいわ! これも円光さんのおかげね!」
 榊の興奮が麗夢にも伝染したのか。円光はまぶしいものを見るように目を細め、わずかに頬を赤らめて言った。
「さあ、急ぎましょう! 榊殿が待っておられる」
「ええ、しっかり掴まっててね、飛ばすわよっ!」
 見違えるように明るくなった麗夢が、サイドブレーキを解除するのももどかしいとばかりにアクセルを踏み込んだ。プジョーはそれに応えて勇ましい咆哮を奏でると、アスファルトに白煙とタイヤ跡を残しながら、全推力を振り絞って山の中へ文字通り飛び出していった。


 
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11.怪盗の賭け その4

2007-12-19 22:50:06 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 夕闇迫る常磐道を、まっすぐ東北に向かって突き進んでいた一台の真っ赤なプジョー二〇五カブリオレが、左にウインカーを出して出口へと車線変更した。道標に白く書き付けられている文字は、「茨城県先端科学技術工業団地」と読める。助手席に納まる墨染め衣に剃髪の若い僧侶、円光は、つむっていた目を再び開き、ようやく目的地が近づいていることを確かめた。高速で移動する狭い車中という条件の悪さにも関わらず、既に何度目かになる精神の集中を解いた円光だったが、目的の波動は一向に拾える気配がない。それでも、初めに感じた悪い予感だけは、ほとんど確信と言っていい強さにまで成長しているのが何とも不気味であった。はたしてこの先に一体何が待ちかまえているのか。円光は、いつになく厳しい顔つきでハンドルを握る麗夢に、語りかけるきっかけも無いまま一人黙然と前を見つめた。
 一時間ほど前、鬼童の研究所を出てさあ榊を追いかけようと意気込む麗夢に、また新たな異変が襲った。アルファ、ベータというかけがえのない二匹の消息が、判らなくなっていることに気づいたのである。麗夢とアルファ、ベータは、常にどこかで互いの存在を意識することが出来る、一種独特のテレパシーを共有している。夢に入る能力を失った麗夢ではあったが、この絆だけは失わず、これまでずっと頭のどこかで二匹のことを意識出来たのである。ところが、鬼童邸を出たところで、いつの間にかその信頼の糸が切れていることに気がついた。これは麗夢にとって深刻なショックだった。夢に入れなくなった今、あの二匹ほど麗夢にとって支えとなりうる存在は他にあり得ない。いわば一心同体と言うに相応しい繋がりが、この少女とあの小さな毛玉のような二匹にはある。それが失われた事に気づいた瞬間、麗夢は耐え難い孤独感に呑み込まれ、全身を引きちぎられそうな不安と焦燥におののいたのである。
 この時、麗夢の訴えに円光も早速念を凝らして見た。円光にも、麗夢やアルファ、ベータの心を感じとることは出来る。今回の件でもそうだったが、そもそも円光がいつも麗夢達のピンチをタイミング良く助太刀できるのは、苦難の修行の末培った法力ので、彼女達の状況を察知することができるからである。だが、この時ばかりは、しばらく念を凝らした末に、円光も首を振ってこう麗夢に言うしかなかった。
「駄目だ。拙僧にも二人の波動が感じ取れぬ。よもやとは思うが・・・」
「そんな! あの子達に限って・・・」
 麗夢の絶句は、しかし、その内容とは裏腹に、内心の不安と絶望を反映したものになった。
「いや、拙僧もアルファ、ベータに限って万一などあり得ぬと思う。だが、何かよからぬ予感がするのもまた事実。いかがなさる麗夢殿?」
「・・・とにかく行ってみましょう。そのナノモレキュラーサイエンティフィックって所に」
 今の麗夢にはそれしか選択肢が無い。とにかく謎が多すぎて、何がどうなっているのかさっぱり判らない以上、その解決のきっかけになるかも知れないものがあるというのなら、今はそれに賭けてみる以外にやれることはなかった。
「・・・しかし、これもやはりあの死神の仕業であろうか・・・」
「・・・ええ」
 麗夢は躊躇いがちにあやふやな返事をして、愛車のハンドルを握った。
 こうして一時間余り。麗夢は道標に従って高速道路を降り、一番星が瞬きつつある空の下で暗くわだかまる山塊へ向けて、車を走らせ続けていた。
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11.怪盗の賭け その3

2007-12-16 22:39:54 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 麗夢が円光と共に姿を消して半時間が経過した。鬼童は一人ディスプレイを見つめながら作業に没頭していた。何度か条件を変えてリトライを繰り返した末、ようやく画像修正に成功しつつある所だった。
 もっと気づくのが早ければ、と鬼童は思う。あの一瞬の映像に残った不審な男の影に気づいていれば、さっきも麗夢に対しもっと鮮明な画像を提供できただろう。今更言っても詮無い事ながら、鬼童は実験に気を取られて検証を怠っていた自分の怠慢を呪った。だが、その憤懣をバネに取りかかった作業は、ようやく実を結びつつある。
「よし、これでどうだ!」
 鬼童は試行錯誤の末編み出した、最後のコマンドを打ち込んだ。見る間に映像が補正され、ゆがみやぶれが無くなっていく。やがて鮮明な映像が現れたとき、衝撃を伴って、鬼童の頭に古い記憶が甦った。
(こ、これは! 高原先生・・・!)
 それは、鬼童が研究者としてスタートしたばかりの頃の事である。
 ちょうど心理学と大脳生理学、それに発展著しい分子生物学が互いに接点を求め、一つの大きな潮流を作りつつあった、その最初期。鬼童は城西大医学部が主催した大脳生理学会に出席し、自分より十近く年上のこの男に、並みいる研究者達の面前で、若かりし頃の自尊心を完膚無きまでに叩きつぶされたのである。
(こいつは、私の尊敬するジグムント・フロイトを名指しし、その後の精神分析学の方向を誤らせた、科学者の名に恥ずべきペテン師だと言ってのけたんだった・・・)
 一度思い出すと、後は自動的にその時の光景、科白の一言に至るまで、鮮明に甦ってくる。
 高原は質問に立った鬼童を轟然と見据え、一気にこうまくし立てたのだ。
『君はフロイトを尊敬していると言ったな。その後の精神分析学をねじ曲げたあの似非科学者を尊敬とは恐れ入る。確かにフロイトはそれまでの閉鎖的で非科学的な心理学を撃ち破る鉄槌にはなっただろう。それに、フロイト自身が大脳生理学と心理学との融合を求めており、結局周辺科学の発展が間に合わなかったと言う、生まれるのが早すぎた悲劇も認めてやろう。だが、当時でも充分に科学的思考に基づき、正しい推論をもって、将来の科学者のためのよき架け橋となる種々のデータや意見を残すことは出来たはずだ。ところが、かの有名な『夢分析』でも判るように、あの男が取り上げている夢は、ほとんど自分の見た夢だけだ。それも本当にごくわずかな数で、自分の考えに都合のよいものだけを取り上げて夢理論を組み上げるという欺瞞を行った。 
 今なら誰でも知っている「REM睡眠」だって、どうして夢の研究者たるフロイトは気づきもしなかったんだ? 理由は簡単だよ。夢を見ている人間の観察など、ただの一度もやらなかったからに他ならない。この一事をもってしても、あのペテン師には、客観的に物事を観察する、と言う、自然科学者なら基礎中の基礎と言うべき資質に欠けていたことが証明されよう。いやそればかりではない。結局あの尊大で傲慢な権威主義者は、自らを精神分析学の王と位置づけることに腐心して、自分の考えに合わない未来ある研究者達を弾圧し、有益かつ今日的批判に耐えうる理論の数々を葬り去ってきた。フロイトは言ったな。夢は表に出すには恥ずかしい抑圧された無意識の願望の現れであり、直接的な表現を避けるため、色々と加工され象徴化されるから、一見理解不可能な現れ方をする、と。だがそれは、あの似非科学者が生きた時代背景、キリスト教的宗教観その物ではないか。今日のように、あの時代とは比較にならぬほど「恥ずかしい」行為が公然と語られ、恥が恥でなくなった現代社会においても、全く同じように無意識の欲望が抑圧され、それが夢に象徴化されて出てくるのだと本気で言えるのか? 尖ったものをみんな男根にしてしまうような根拠のない象徴化が通用するのかね? 君はどう思うんだ。教えてくれたまえ・・・』
 鬼童は、この高原のフロイトに対する弾劾に、何ら有効な反論を加えることが出来ないまま、うち萎れて会場を後にしたのだった。
(確かにフロイトには高原の言うとおりの問題があった。だがその大半は時代的制約と言うものであり、あの時代に、精神、そして夢に対して積極的にアプローチを掛けた功績は無視できない巨大なものだ。だからこそ僕は夢の研究にのめり込み、フロイトの名誉を回復しようと思ったんだ)
 その後の鬼童は、高原の挑戦的な言葉に反発するように好んで危ない橋を選び続け、遂に夢見人形を巡る実験で、琴線に激しく叶う一人の少女と出会った。
 綾小路麗夢。
 実験対象と言うだけでなく、その後の人生に大きな影響を与える存在を知ることで、今や鬼童の夢に関する理論は飛躍的に強化されて来たのだった。
 。だが、単なる脳生理学者に過ぎないはずの高原研一が、どうして今、このような不可思議な現れ方をするのか。ひょっとして人違いの可能性もある。鮮明さを求めるばかりに画像に処理をかけ過ぎ、予想もつかないノイズを呼び込んで、一見そう見えるように加工されてしまった可能性も否定できない。
 早速その所在を突き止めようと、ネットの検索エンジンに高原の名前を打ち込んでみた鬼童は、現れたリンク先に、難なく一つのベンチャー企業を見つけることが出来た。
「ドリーム・ジェノミクス社中央研究所長? 随分出世したものだな。ええと住所は、茨城県・・・、ん? この場所って、確か・・・」
 慌ただしく再びキーボードを叩いた鬼童は、在所名までピッタリ一致したさっき調べたばかりの住所を見つけて驚愕した。
「ナノモレキュラーサイエンティフィックの隣じゃないか! まさか、いや! これは大変だ!」
 周辺捜査のつもりが、いきなり核心をついたかもしれない。あれから数年、一介の研究者に過ぎなかったはずのあの男が今一体どんな危険な力を持っているのか。その想像に戦慄した鬼童は、大急ぎで白衣を脱ぎ捨て、愛用のジャケットをひっ掴むと、研究室を飛び出していった。

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11.怪盗の賭け その2

2007-12-12 22:57:25 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 興奮気味に早足で玄関口まで到達した高原は、そこに待つ初老のひげ面を見て、一瞬だが確かに虚をつかれた。確かに追い返したはずのよれよれなレインコート姿が、そのままそこに立っているではないか。ふと、海外有名刑事ドラマの主人公を連想して、高原は思わず失笑を漏らしそうになった。さっき吉住を操って適当にあしらったのだが、最後の場面で蘭達3人のいらざる手出しに離れざるを得なかった。吉住にはうまく追い返すように言い残してきたが、それが何らかの齟齬をきたしたのかもしれない。とはいえ、こちらは二度目でもあちらは初対面だ。高原は気を落ち着けると、仏像のような微笑みを口元に浮かべ、その警視庁警部に歩み寄った。
「お待たせしました。私はこのDG社中央研究所長の高原と言います」
 榊は一礼して警察手帳を取り出すと、改めて自己紹介した。
「私は警視庁の榊と言います」
「で、一体警視庁の方がなんのご用ですか? 今取り込み中なので出来るだけ手短に願いたいのだが・・・」
 なるほど、かなり苛立っているようだな。榊は、一見物腰柔らかく見える高原の外観に、切迫した雰囲気を感じ取った。実験の途中だったのだろうか? たまに鬼童のところに行くと、こういう雰囲気をたっぷりまとって応対されることがある。榊はそれを敏感に感じ取って、とにかく手早く用件だけ済まそうと心がけた。
「実は先日、警視庁宛に怪盗二四一号、通称夢見小僧で知られている窃盗犯から犯行予告状が届いたのですが、その件について少しお話を伺えたらと思いまして」
 また白川蘭か! 高原はさっき重要実験施設に置き去りにしてきた娘の小面憎い顔を思い出した。が、細心の注意で心の内にその姿と瞬間的にわき上がった感情とをしまい込み、素知らぬ体で榊に言った。
「それで? 我が社と何か関係があるんですか?」
「その予告状に記された犯行目的が、御社の研究資料にあったんです。御社には予告状は届いていませんか?」
 なるほどそう言うことか。高原は、ようやく榊が「また」現れた事情を理解した。警視庁に届いた予告状を、一応確かめに来たというわけだ。それもたまたまナノモレキュラーサイエンティフィックへ捜査に来ていたために、ついでに立ち寄ったと言うことだろう。まさか何か感づかれたかと構えていた高原は、その取り越し苦労にほっと心の中で溜息をついた。
「いや、大じょうぶです。うちにはそんな予告状は届いておりませんよ。何かの悪戯ではないのですか?」
「そうですか、やはり来てませんか。いや、お忙しいところお邪魔しました。ですが、もし万一何かありましたら、必ずご一報下さい」
「判りました。必ず連絡します」
 高原はいつもの癖で握手の右手をさしのべた。榊も釣られて右手を差し出す。そして、あれ? と思った。ついさっき、かわしたばかりの握手と雰囲気がそっくりだったのだ。それも、ナノモレキュラーサイエンティフィック代表取締役社長、吉住明と交わした初対面の時の方の握手と。妙なこともあるものだ、と神妙な顔つきになった榊だったが、とにかくこれ以上長居は無用と、高原に見送られて玄関を出た。
 駐車場の車に戻った榊は、ここでも入り口で手渡されたバッチを思い出して、襟元に手を伸ばした。ところがちょっと建物の上階に気取られた隙に、あっという間もなくバッチが榊の手からこぼれた。丸いバッチは絶妙の角度で着地したらしく、たちまちころころと転がって、駐車場脇の花壇に隠れた。やれやれ、と榊は花を踏まないように注意しながら、転がっていったバッチを探した。そこで、ふと榊の手が止まった。何か見覚えのあるものが、その花壇の中に見えたのだ。榊はバッチを後回しにしてその物体に手を伸ばした。玄関の警備員に背を向け、何を拾ったか見えないように気を配りながら、そっとそのものを内ポケットに滑り込ませる。そして何喰わぬ顔でバッチを拾い上げ、じっと見つめている警備員に、照れくさそうな笑顔を向けた。警備員は、ふん、とあからさまな軽蔑の視線を投げかけてきたが、榊が懐に飲んだものにはまるで気づいていないようだった。
 榊はそれでも慎重に車に移動し、警備員達が近寄ってこないことを確認してから、車をスタートさせた。来た道をまっすぐ戻って正門でバッチを返し、ゆっくりと車を走らせる。榊は、しばらく走ってDG社の建物が見えなくなるところまでくると、いったん車を止め、改めて誰一人追いかけてくる様子もないことを確かめてから、改めて思い切りアクセルを踏み込んだ。
(まさかとは思うが、とにかく確かめてみよう)
 工業団地の出口まで降りると、榊は逸る心を抑えながら携帯電話を取り出した。


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11.怪盗の賭け その1

2007-12-08 22:49:41 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「そこで何をしているのかね?」
「え? あ、えーと、それはですねぇ・・・」
 しどろもどろになりながら、白川蘭は至極当たり前な質問からきたものだ、と思った。だが、答えるのもまた難しい質問だ。相手は催眠も効かないし、だからと言って簡単に言いつくろってすむとは思えない。それでも出来ることならなんとかこの場は誤魔化して、一時しのぎでいいから時間を稼ぎたい。そう考えながら答えあぐねているうちに、やや後ろに隠れるようにしていた美奈が、決意も新たに蘭の右横に足を踏み出した。
「ちょっと美奈ちゃ・・・」
「高原さんお願いです! この子達を、アルファとベータを放してやって下さい!」
 抑えようとした蘭が、あーやっちゃった、と手を額に当てて、天井を仰いだ。が、その後ろからハンスも高原に言った。
「実験動物トハヒドスギマス! 美奈サンノ言ウトオリ、自由ニシテアゲルベキデス!」
 すると高原は、能面のような表情のまま、三人に言った。
「この二匹は、DGgeneの存在が種を越えて存在する可能性を示唆する貴重な検体だ。人間には倫理上出来ない様々な実験が、この二匹で可能になる。それは、我々全人類、いや、地球上の夢を見なければならない全ての生物の未来に、夢魔との決別という喩えようもない幸福をもたらす鍵となる。可哀想、とか、許せない、というような安直なセンチメンタリズムで語られては迷惑だ」
「でも、アルファもベータも帰りを待つ人がいます。断りも無しに勝手にそんなことをする権利は、高原さんにもないはずです!」
 美奈はいつになく強く食い下がった。さすがに高原も感じるところはあったらしい。鉄面皮にわずかな亀裂が生じ、少し後ろめたさを覚えているかのようなゆがみが、唇の端に浮かんで、消えた。
「・・・私には時間が惜しい。確かに飼い主には申し訳ないと思うが、夢見る全ての生物の未来のため、譲歩願いたい。そのためなら、私の出来る範囲で可能な限りの償いをしよう・・・。だが、これだけは言わせて貰うが、私は貴重な検体をそう簡単に死なせる積もりはない。あの二匹を解剖するつもりはないし、これまでの大脳生理学者達みたいに、頭蓋骨をはずし、露出した脳に直接電極を取り付けたりもしない。いまやそう言う原始的な方法に頼らずとも、君たちも経験したような方法で苦痛なく実験ができるようになっている。その点は安心して欲しい」
「拘束くらい解いて上げたらどうなの?」
 開き直った蘭の挑戦的な目を見つめながら、高原は言った。
「勝手に暴れて採血管を抜かれたりしたら困るんだ。いずれ解くが今は駄目だ」
「でも!」
 なおも食い下がろうとする三人に、高原は右手を挙げた。
「さあ、議論は終わりだ。この区画は関係者以外立入禁止。君達にその資格はない。早々に立ち去り給え」
 高原は右足を半歩後ろに引いて、道を開いた。三人はまだ踏ん切りがつかず、ガラスの向こう側をのぞいたり、高原を見返したりしていたが、改めて高原が促すと、重い足取りで戻り始めた。
「ああ、白川君はここに侵入した時使ったセキュリティーカードを渡して貰おうか。全く、よく手に入れたものだと感心するが、今後このようなことは二度としないでくれたまえ」
 蘭はぶすっとした顔で、手にしたカードを高原に押し付けた。
 その時である。高原はちょっと待て、と手で蘭を制止すると、胸ポケットから携帯電話を取りだした。
「どうしたんだ? 何? 警察が・・・。判った、すぐ行く。絶対玄関から中に入れるんじゃないぞ!」
 高原は携帯をしまい込むと、蘭の差しだしたカードをひったくるように受け取って、白衣の裾を翻した。
「すぐに警備員を寄こすから、君達も早く戻るんだ。いいな!」
 大股で歩き去る高原の背中を眺めながら、蘭はひょっとして賭けがいい方向に転がってきているのかも、とほくそ笑んだ。だが、まだ気を緩めてはいけない。ここから先は、本当に幸運の女神の味方が必要になるに違いないからだ。
 蘭は、まだ未練たっぷりで後ろに残る二人に振り返って言った。
「さあ、この子達を助けるわよ!」
「でもカードキーが・・・?」
 といいかけて、美奈は、蘭の右手に光るセキュリティーカードに目を丸くした。一体どうして? 蘭はまた得意そうに笑顔を閃かせて二人に言った。
「盗人のたしなみ、よ」
 そしてそのまま躊躇いもなく、実験室の扉の横に付けられた読み取り装置にカードをスラッシュした。
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10.ナノモレキュラーサイエンティフィック その3

2007-12-07 22:43:36 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 微妙に雰囲気が変わった・・・。
 何故か判らないが、さっきまでの吉住と、今榊を追い出しにかかっている吉住とが、榊にはまるで別人のように感じられた。見た目の年齢に似ず、底の見えない懐深さを感じさせた吉住の様子が、急に年齢相応の薄っぺらい底が見えたように感じられたのである。
 榊はわざとゆっくりコーヒーカップをテーブルに戻すと、にこやかな笑顔を作って吉住に言った。
「これはどうもお邪魔を致しました。もう少し鑑識の調べが進みましたら、今度は実物を持って改めてお話を伺いに来るかも知れません。とにかく今日はありがとうございました」
「え、ええ、またいつでもいらして下さい」
「では」
 再び吉住と握手を交わした榊は、やはり雰囲気が変わっていることを確信した。握り方、握力、微妙な汗ばみ、などが、明らかに初めと違う。それはあまりに微妙な差で、特にそういうことを意識していなければ多分気づくことはないに違いない話だ。だが、榊の研ぎ澄まされたプロフェッショナルの勘は、その微妙な変化を見逃さなかった。
 出来るだけ近いうちにもう一度来てみる必要がありそうだ。
 榊は吉住の顔をもう一度見据え、相手の微かな動揺に気づかぬ振りをしながら、建物を出た。
「さて、当面あまり得るものもなかったが・・・」
 どうしたものか、と考えながらキーを車のドアに差し込んだときだった。胸ポケットに入れてあった携帯電話が、勢いよく震えて榊の注意を促した。誰からかとディスプレイに目を落とすと、警視庁からの呼び出しである。
 榊は人知れずふっと溜息をついて、受話ボタンを押した。
「はい、榊だ」
『警部! どちらにいらっしゃるんです?』
 電話の声は、部下の刑事からだった。あまり推理が冴えるとか、逮捕術に堪能というような特技はない代わりに、緻密なスケジュール管理能力という、ハードワークが続く榊にとっては無くてはならない特技を持っている。
「ちょっと出先だが、一体何かね?」
『今日は怪盗二四一号の犯行予告日ですよ。いったいどうなさるのか、特別チームのリーダーである警部の指示無しでは、どうにも動けませんよ!』
 夢見小僧の犯行予告日? 榊はそんなことかとほっと息をついた。もっとのっぴきならない仕事だったら、麗夢達の手助けを諦めねばならないところだ。榊はあっさりと相手に言った。
「いいよ、今日は中止だ。あれから二四一号も現れる気配がないし、第一、犯行予定の相手からは何か連絡があったかね?」
『いえ、ありませんが・・・』
「ならいいよ。どうせまたすっぽかされるのが落ちだ。警備要請があったわけでもないのにのこのこ出ていくわけにもいかんしな」
『では、茨城県警への応援も、中止と言うことで連絡していいですね?』
「ああ・・・ん? ちょっと待てよ?」
 榊は茨城県と聞いてふと思い出したことがあった。そう言えば最後に来た犯行予告は、確か・・・。
『どうしたんです? 警部?』
 榊は、黙りこくったのをいぶかる部下に質問した。
「そう言えば、今日の予告はどこだったかな?」
 するとスピーカーの向うで、心底呆れた、と言うような大げさな溜息が聞こえてきた。
『頼みますよ、警部! 茨城県先端科学技術工業団地にある、ドリームジェノミクス社ですよ。研究成果を頂戴しますって、ちゃんと警部もご覧になったでしょう?』 
 ドリームジェノミクス社? 榊は山の麓で見た地図を思い出した。なんだ、隣の企業じゃないか。
「判った判った。とにかく今日は中止だ。今私がそのドリームなんとかの近くまで来ているから、ちょっと様子だけ見て戻るよ。課長にもそう言っといてくれ」
『なんでそんなところに? 行かれるなら予定をおっしゃっていただかないと』
「いいから! 後は頼んだぞ」
『わかりましたぁ』
 榊はようやく電話を直すと、改めて隣に建つその建物を見た。まあこれも仕事のうち、折角ここまで来たのだから、様子をうかがうくらいはいいだろう。
 榊は車に乗り込むと、隣の区画に向けて、ハンドルを切った。
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