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『シン・ゴジラ』私的鑑賞概説

2017年08月25日 18時49分33秒 | 俺のそれ
昨年の大ヒット作と言われたゴジラだったが、やっと先日レンタルで観ることができた。
で、今月はブログ記事を書いてなかったし、何となく個人的感想などをまとめてみようかな、ということで、夏休みの宿題的感想文を少々。


物語は、誰もが思い浮かべるように、東日本大震災であり殊に福島原発事故をモデルにしたもので、恐らく「事情通」であればあるほど、よく描かれていると感嘆するであろう作品だと思う。


『シン・ゴジラ』の最大の魅力は、「決まったヒーロー」が存在しないという点にある。ウルトラマンでもスーパーマンでもいいのだが、そういった「怪獣モノ」「ヒーローモノ」にあるような超人的英雄が事件を解決するのではなしに、ごく普通の「人間の力(叡智)」だけでゴジラを倒すということに価値が置かれている。人智を超えた(都合のよい)非現実的存在と、それによる解決法を拒否するということからこの映画は作られている、ということなのであろう。


また、日本の「特定の人々」が受ける印象と、例えば海外の人々とか日本国内でもあまり関心・関係の薄い人々が受ける印象というのはガラリと異なるのではないか。多分、「特定の人々」に向けて一生懸命に頑張った映画なのではないか。そのような映画の割には、大ヒットだったようなので、大健闘を讃えられてもよいと思う。

「特定の人々」にとって共感性が高くとも、一般大衆ウケするかというのは何とも言い難いし、一回観たくらいでは難しいというか難解という面もあるだろう。その点、今回はレンタルだったので、何度か見直しできて良かった。


初回は妻と一緒に観てたのだが、妻は「よく分からない、悪くはないのかもしれないけど、何が面白いのかもよく分からない」ということだった。まあ主婦にとっては、そうなんだろうね…

私からすると、物語進行は「事故調査報告書」のようになっているのだな、と古い記憶が喚起されたわけである。


以前に、国会事故調の報告書を読んで、思わず涙したという告白を書いたことがある。

12年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e86e7ca57d08ea20637c249807fcc20a

(再掲)

151ページからの、数十ページは、涙なくしては読めなかった。
福島原発の、あの恐るべき状況の中で、現場の人々が苦闘する姿が脳裏に浮かび上がるたびに、その勇気と覚悟を思い、嗚咽が漏れた。
彼らがいなかったら、日本は本当にどうなっていたか分からない。

死の恐怖と戦いながら、決死の作業を遂行したのは、名もなき英雄たちだ。
東電の高給取りのエリート社員ではない、下請の協力企業と呼ばれる最前線の戦士たちだ。
1号機が爆発した後も、作業を続けねばならなかったことを思うと、胸が締め付けられた。


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私と同じ報告書を読んでも、多分圧倒的大多数の人々は「何がそんなに?」と思うに違いない。あの事故報告書には、「感動の物語」とか感涙を誘うような記述というのが、どこにも明確には書かれていないから、だ。


けれども、淡々とした記述の中に「命懸けで戦う人々」は確かに存在しているのだ、ということ。それが感じとれる人には、きっと分かってもらえるだろう。『シン・ゴジラ』では、まさにこれを描き出したのだな、と思えた。


参考:
11年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a3e4e9f02a1084041653ff400dc1184b



ゴジラが最初に蒲田に上陸し被害をもたらしたが、福島原発事故でいえば政府の対応が定まらず1号機の格納容器の圧力が高まった状態、既に燃料溶融で圧力容器が貫通していた時であろう。
まさしく「3.11」、その日だった。ゴジラが川を上ってくる様は、津波被害のさまと似ているのだ。車列をかき分けて進撃するのも同様。
総理の現地視察も同じ(翌日)だった。


政府が事態をよく把握できぬまま、事件が進展してゆく様子もよく描けており、政府の会議席上で官房長官が「会議中止、テレビつけて」といってゴジラの尻尾映像を見て、初めて深刻さ(ゴジラの存在)を知るというのも福島原発事故(1号機水素爆発の時)と同じだった。ゴジラの進化とは、原発事故の進展そのものであった。

当初、ネット上で不正確な情報が拡散してゆく様もやはり同じであり、「メルトダウンの危機」が人々の噂に上っていった(11日夜)のと「怪物(ゴジラ)の存在」のネット情報という対比だった。


日本人っぽさを示す描写として、ゴジラの初回襲撃を受けた翌日なのに、電車は日常とほぼ同じく運行し、子供達は登校したり会社に通勤する、というシーンが意図的に置かれていた。確かに、大震災の翌日、3月12日には人々の行動はそうだったのだ。大きな被害を受けた直後でも、何故か人々は日常と同じ行動・動作をとろうとする、という不思議な部分というか、国民性?のようなものを敢えて入れたのではないかな、と。


ゴジラに対し最初の攻撃機会(コブラ4機)を迎えたが、あれは恐らく「ベント」の実施を抽象化したものではないかな。
1号機の格納容器を破壊から救うには、ウェットベントが実施不可能だったのなら、ドライベントであろうとも早急に実施した方がマシだったのだが(後の水素爆発で建屋ごと吹き飛ぶよりはいい)、その機を逃したということであろう。何故なら、住民の避難が済んでいなかったから、である。
ドライベントを行えば、放射性物質は大気中に放出されるのは明らか=国民(住民)に被害をもたらす、という点で、『シン・ゴジラ』で言う「国民に銃弾を向けることはできない」というのと同じなのだ。


そして、「最初の機会」を逃したら、更なる大被害が待ち受けていた。

(ただ現実には、理解してもらうのが非常に難しい。治療せず手をこまぬいていたら患者が死ぬ、という時、治療をすれば○○という危険があり後遺障害が残るので被害は不可避と医者が知っていても、患者や家族はそれが理解できない。治療せずに放置して患者が死んだ結果を見れば、「ホラ、やっぱり障害が残ったとしても治療した方がよく、死ぬよりはマシだったのでは?」ということの意味が分かるだろうが、死なない限りはその比較が分からないだろう。死んでなくて、後遺障害だけ見せられたら、「死ぬよりは~しておけばよかった」ということが理解(実感)できないので、少々の犠牲を払ったとしても最悪の結果を回避する為には実行した方がよい、ということが分からないということである。)


 (つづく)